サイト開設10周年記念企画リク◆九龍妖魔學園紀:皆主
動物と戯れる九龍と動物に嫉妬する皆守












 三年C組の扉を開けた皆守は、九龍の姿がないことに気づいて眉根を寄せた。

 教室は昼休みに入ったばかりで、まだほとんどの生徒が教科書やノートを片付けている。続いて弁当を用意する者、売店のパンを取り出す者。九龍の席には誰もいない。

 皆守は遅めに登校して、ずっと屋上で惰眠を貪っていた。昼食は九龍にカレーパンを持ってこさせようと考えていたのだが、無性にカレーライスが食べたくなって下りてきたのだ。マミーズに直行せず教室に寄ったのは、どうせなら九龍を誘って行こうと思ったからである。

 不思議なことに独りで食べるカレーより、彼と食べる方が確実に美味い。それは自分が変化しつつある証拠だという事実を、皆守はあえて否定していた。あいつが目の前で美味そうに食うからそう感じるだけだ、とかなんとか理由をつけて。

「……おい、八千穂」

 友人と談笑している八千穂に気づいた皆守は、足早に駆け寄って呼びとめた。彼女は売店に行くところだったらしく、振り返るや否や大声で喚いてくる。

「あッ、今日も遅刻だよ皆守クン! 午後の授業はちゃんと出席するよね? でないとヒナ先生が……」
「九ちゃんは来てないのか?」
「え」

 長くなりそうな小言を遮って、皆守はぶっきらぼうに訊ねた。八千穂はきょとんと首を傾げてみせる。

「九チャンなら授業が終わってすぐ、慌てて出て行ったよ。また急いでカレーパン買ってこいとか、皆守クンが命令したんだと思ってた」

 違うの?と八千穂は無邪気に驚いている。皆守はそれには返事せず、舌打ちをして踵を返した。八千穂がまだ何か言っていたが、無視して教室を出ることにする。

 パンを買いに売店に行ったのだろうか。それとも、誰かと昼食を食べる約束でもしていたのだろうか。

 推測して、皆守は知らずアロマパイプを噛んだ。大股で苛々と歩きながら、どこにいる、とメールを送っておく。送ってから、馬鹿馬鹿しいと後悔した。

 彼の行動を制限する権利など、自分にあるわけがない。それなのに最近は九龍が視界にいないと、抑えきれない苛立ちが募る。監視する義務があるからだと言い訳しながら、愚かな独占欲が原因であることを、皆守は既に認めざるを得なくなっていた。

 下らない思考を振り払い、とりあえず売店に向かって階段を下りる。鳴り響いた携帯を確認すると、九龍からの返信だ。本文には、たった一言。

「……廃屋街?」

 思わず呟いて、皆守はしかめ面で昇降口へ向かった。GUN部が時々部活動に使う程度で、基本的に一般生徒はあまり近づかない場所だ。九龍は毎日のように入り込み、木の棒や石をゲットトレジャーなどと言って持ち帰っているが、何故今そんなところへ行く必要があるのだろう。

 生徒でごった返す売店を横目に、靴を履き替えて外へ出る。廃屋街は校舎の西側で、北には生徒会長・阿門の屋敷も見える。辺りはひっそりとしていて人影はなく、遠く新宿の喧騒が聞こえてくるだけだ。廃屋街のどこにいる、と再度メールしようとしたとき。

「待て待て待て、うわ!」

 焦ったような九龍の声と、何かがひっくり返る音がすぐ近くから聞こえてきた。皆守は反射的に足を速め、倉庫か何かの錆びた扉を開け放ち、そして。

「……九ちゃん?」

 最初に視界に入ったのは、大きな茶色い毛の塊だった。一瞬何が何だかわからなかった皆守だが、すぐにそれが犬だということが認識できた。

「み、皆守? ちょ、助けて!」

 犬の下から、もがくような九龍の声。よく見れば、大型犬に押し倒されている九龍の図である。

「何やってんだよ……」

 盛大なため息を吐いて、皆守は髪をかき乱した。犬は尻尾を振り回しながら、嬉しそうに九龍にじゃれついている。毛並みのいいレトリバーは、首輪をしているところを見ると飼い犬のようだ。

「九ちゃん、お前犬なんて飼ってたのか?」

 學園内はもちろん、寮でもペットは禁止されている。廃屋街でこっそり飼うことくらい、九龍ならやってのけそうだが。

「や、そうじゃなくて……はははやめ、くすぐったいって!」

 言葉の途中で顔でも舐められたのか、九龍が笑い声を上げて悶えた。皆守はそこで思い出したようにむっとして、犬の首輪を引っつかむ。そうしてから、犬にまで嫉妬かよと自らに呆れた。

「お、おすわり!」

 皆守が強引に犬を遠ざけている間に、九龍が起き上がって命令した。犬はおとなしくその場に座ったが、相変わらず尻尾は振られている。隙あらばまた飛びつきかねない勢いだ。

「で? なんなんだ、この犬は」

 首輪を持つ手を離して、皆守は息を整えている九龍を睨みつけた。九龍は手の甲で顔を拭い、大きく息を吐いて。

「迷い犬だよ。さっきの休み時間に見つけたんだけど、余計な騒ぎになったらかわいそうだと思って、ここにかくまってたんだ」

 つまり慌てて教室を出て行ったのは、この犬の様子が気になったからだったのか。

 皆守は少し安堵して、くわえていたパイプを揺らした。他のバディ連中と会っているよりは全然いい。そう思ってしまう時点でどうかしていると、自嘲に唇を歪めておく。

「鴉室さんに連絡して、飼い主探してもらってるから」
「鴉室? ああ、あの怪しい私立探偵か。あんな胡散臭いおっさん、頼りになるのか?」
「少なくとも俺たちよりは自由に動けるだろ。それにこういう人探しみたいなのって、探偵の本業だろうし」

 にこにこと言う九龍に、皆守はまた機嫌が下降するのを感じた。たかが犬の飼い主探しとはいえ、いつの間に、そこまであの男を信頼するようになったのか。というか、既に連絡を取り合う仲なのか。

「いやーでもいいなあ犬。俺さ、ペットとか飼ったことないから憧れなんだ」

 皆守の不穏な空気に気づかず、九龍はのん気に犬の頭を撫でている。基本的にきちんと躾けられているのか、犬は気持ちよさそうに為すがままだ。

「……《宝探し屋》に、ペットを飼う甲斐性があるとは思えないがな」

 不機嫌を抑えきれないまま、皆守はわざと突き放すように呟いた。九龍は本来世界中を飛び回り、一つの場所に長く滞在することのない身だ。この學園からもどうせ、任務が終わればすぐに旅立ってしまう。そんな生活で、動物を飼う余裕はないだろう。

「そんなことないぞ。《宝探し屋》仲間にも、普通にペット飼ってる人いるし」

 皆守の呟きを皮肉と読み取ったらしく、九龍は唇を尖らせている。

「ただやっぱり危険な遺跡に連れてくわけにはいかないし、探索が長期にわたる場合もあるからな。その間落ち着いて待たせられる場所と、面倒を見てくれる人……つまり恋人とか家族とか、安心して任せられる存在が必要不可欠なんだよなあ」
「……」

 珍しく淋しげな表情をしている九龍に、皆守はしばし言葉を失った。普段が底抜けに元気で明るいせいか、そんな顔もするのかと、不意打ちを食らった気分になってしまったのだ。

 自分は九龍の全てを知っているわけではない、それは重々承知している。転校初日から一番近くで彼を見てきたという自負はあるが、だからといって、内面まで理解しているとも思っていない。そんなことはわかっていたというのに、それでも。

「……九ちゃん」

 無意識に、拳を握り締める。燻り始める理不尽な苛立ちに気づいて、皆守はいっそ笑いたくなった。一体、自分は何に苛立っているというのだろう。根なし草の淋しさを、九龍に思い出させた犬に対してか。今は天香の生徒でも本当は部外者なのだと、ペットが待っているような帰る場所もないのだと。

 それとも淋しさを感じておきながら、いずれは笑顔でここを去るに違いない九龍に対してか。もしくはそんな彼の気持ちを知っても、何もできない自分自身に対してか。

 九ちゃん、と皆守はもう一度呼びかけた。喘ぐような、求めるような、切実な声を自覚しないまま。

「九ちゃん、俺が……」

 言いかけて、思わず口を噤む。今何を言おうとしたのか、何を言いたかったのか、一瞬頭が真っ白になった。九龍を慰めたかったのだとしても、戯言にも程があると絶句した。

 ―――俺が、いるじゃないか。とっさに、そんなことを口走りそうになったのだ。

 何様のつもりだと、皆守は自身に吐き気を覚えた。ペットの面倒を任せられる恋人や家族のような、親密な関係だとでも思っているのか。あるいはこの先、そうなれるとでも?

「ん? 何?」
「……いや」

 黙ってしまった皆守を、九龍は不思議そうに見つめている。そのまっすぐな視線から逃れるべく、皆守はさりげなく目を逸らした。妙に重苦しくなった沈黙に、わざとジッポーを鳴らして、アロマスティックに火をつける。漂い始めたラベンダーに、犬が軽く鼻を鳴らす。

「……俺も、将来は犬飼おうかな。《宝探し屋》を引退した暁に」

 降りた沈黙を振り払うように、九龍が明るく切り出した。

「やっぱり、まずは可愛い子犬だよな。田舎の方の、古い暖炉がある家でさ。庭には真っ赤な薔薇と、白いパンジーが咲いてたりして」
「はァ? なんだその、無駄にメルヘンチックな妄想は」

 何やらどこかで聞いた歌詞のような単語を並べる九龍に、皆守は苦笑で突っ込んだ。九龍も笑顔を返してきて、それだけで空気が和らいだ気がした。

 九龍が望むなら、願いはきっとかなうはずだ。そうして帰る場所を得た九龍のそばには、犬と戯れるその隣には、誰が寄り添っているのだろう。

 想像することすら苦しくなった皆守は、ごまかすように犬の頭を撫でた。犬は皆守にも同じように尻尾を振り、甘えるように見上げてくる。

「……とりあえず飼い主が見つかるまでは、ここで飼えばいいんじゃないか?」

 九龍は一瞬目を丸くした後、おう、と元気よく頷いた。応えるかのごとく、犬も一声吠えてくれた。











 見つかったという鴉室からのメールは、程なくしてすぐに来た。九龍は警備員室で正直に理由を話して校門を開けてもらい、向こう側で待っていた鴉室と飼い主に犬を引き渡すと、ぶんぶんと両手を振り回した。

「またな! もう迷い込むんじゃねーぞ!」

 飼い主の老婆はしきりに頭を下げ、犬は名残惜しそうに振り返る。その姿が消えるまで手を振る九龍を、皆守は黙って見つめていた。

 やはり淋しげな、それでいて複雑そうな九龍の表情。先ほどは少なからず嬉しそうだったから、早すぎる別れが残念なのかもしれない。あるいはうらやましいのかもしれないと、皆守は勝手に推測した。ペットを飼うことができる飼い主も、頼る人と帰る場所が約束されている犬も。

「それじゃ九龍君、例のブツは今夜」

 鴉室はこっそり九龍に耳打ちすると、下手なウィンクを残して去っていった。皆守の剣呑な視線に気づいたらしく、九龍は振り返って肩をすくめる。

「カツ丼。交換条件として、差し入れしてくれって」
「……へえ」

 表向きは興味のないふりをしながら、皆守は脳内で鴉室を蹴り飛ばした。まったくもって図々しい、今夜というなら徹底的に邪魔してやる。そんな決意を固めておく。

「さて、っと。お前も昼飯まだだろ?」

 思い出したように、九龍が伸びをしながら言った。ああと応えた皆守は、さっき犬を撫でていた手を、無造作に九龍の頭に乗せる。

「……なんだよ?」
「別に」

 犬とは当然手触りの違う、さらさらとした黒い髪。軽く撫でると、また胸が小さな痛みを訴えた。

 九龍が思い描く未来に、己はきっと存在しない。だからこそ。

「……マミーズに行くか。九ちゃんもカレーライスな」
「え、何その問答無用」

 歩き出した皆守の背後から、慌てて追ってくる気配がする。文句を言いながらもカレーを食べる様子が目に浮かぶようで、皆守はこっそり笑みを浮かべた。

 だからこそ彼と一緒に、今だけは、どうか。











WITH YOU
20110331UP




犬よりも、下心ありあり(多分)な鴉室さんに対する嫉妬の方が大きそうな皆守…
九ちゃんは動物全般にモテモテだと思われます、リクエストありがとうございました!



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