図書室ではお静かに |
突然倒れてきた本棚に、九龍は咄嗟に反応することができなかった。 詰まっていた本を無理やり引っ張り出したとき、嫌な予感はしたのだ。あ、やばいかも。そう思った次の瞬間に。 「ぎゃあ!」 落ちてきた大量の本たちが、九龍に悲鳴を上げさせていた。更に本棚が傾いて、雪崩のような様相になる。 「九ちゃん!?」 ドサドサと本に降られながら、九龍は自分を呼ぶ声を耳にした。図書室にいた皆守が、突然の騒音に驚いたのだろう。 「おい、九ちゃん!」 開いていたドアを更に蹴り開けて、皆守が書庫に駆け込んでくる。既にそのときには、九龍はすっかり本の山に埋もれてしまっていた。 「……何やってんだ、お前は」 もうもうと舞う埃に顔をしかめながら、呆れて深々と嘆息される。数冊の本がまた落ちて、ぐえ、と九龍は情けない悲鳴を上げた。 「うう、助けて皆守さーん」 辛うじて隙間から手を出して、ひらひらと振ってみる。 「ったく……書庫で遭難するのはお前くらいのもんだろうな」 言いながらアロマを吐いた皆守だったが、図鑑や辞書など重量のある本も落ちていることに気づいて、すぐに心配そうな顔になった。 「大丈夫か?」 「なんとか……あーびっくりした、全身打撲って感じ」 右手をつかんで引きずり出すと、皆守はまだ埋まっている身体の上から本を取り除いてくれた。とんだ発掘作業だな、と苦笑しながら。 「ん、ってことは俺ってばお宝? やったね皆守、書庫室の秘宝ゲットトレジャー!」 「自分で秘宝とか言うな」 握手を求めた手が、眉を寄せて払われた。また舞い上がった埃にけほけほとむせる九龍を見て、皆守は再度ため息を吐く。 「まったく、調べ物一つにもこの騒ぎか……だから七瀬にでも任せておけって言っただろうが」 「言えた。せっかく見つけた資料、この山の中に埋もれちゃったもんねえ」 周りに散らばる本に、九龍は力なく笑って途方に暮れた。 七瀬が不在だったため、勝手に書庫を開けて手っ取り早く調べてしまおうと思ったのだ。すぐ済むからと皆守を付き合わせたのだが、これではそういうわけにもいかないだろう。資料探しはもちろん、片付けるだけで昼休み、果ては1日が終わりそうだ。 思わずげんなりした九龍だったが、すぐに気を取り直した。両手を胸の前で組んで、ねだるような上目遣いで。 「じゃあ皆守、今度は一緒に資料発掘作業を」 「断る」 手伝って、と言いかけた台詞が即行で却下された。うううと呻いた九龍を面白そうに見ていた皆守は、ふと訝しげに眉を寄せる。 「お前、もしかして怪我したんじゃないか?」 「え?」 きょとんとしながら、指摘されたこめかみを何気なく拭う。手の甲にぬるりとした感触と、滲んだ赤い色。 「あらら、切っちゃったかな。本って意外と凶器だよな、さすが七瀬ちゃんが武器にしてるだけある」 「おい触るな、ちゃんと消毒しろ」 そのままごしごしと傷口を擦ろうとした九龍の手を止めて、皆守が真剣な目で告げた。うーん、相変わらず過保護で心配性だなこいつ。 「平気平気、大した傷じゃないって。舐めときゃ治るよ」 「舐められる場所じゃないだろ」 冷静な突っ込みに、九龍は思わず吹き出した。あまりにも真面目な様子が悪戯心を誘い、無意識に揶揄の笑みを刻む。 「んじゃ、皆守が舐めてくれる?」 「……阿呆か」 「えー」 一瞬言葉を失いつつも、即行で軽くあしらわれてしまった。九龍は唇を尖らせて、わざと高い声を作ってやる。 「んもう冷たいわね皆守さんってば、九龍泣いちゃうんだから。黒塚さんは喜んで舐めてくれ……うわ!」 ふざけた台詞の途中で、いきなり視界が揺れた。まだ傾いたままの本棚が背中に当たり、更に何冊かが床に落ちる。目の前に、真摯な光を宿した皆守の瞳。 「……舐めさせたのか」 「は? え?」 「黒塚に舐めさせたのかと聞いている」 殺気すら感じられる表情に加え、低い声には明らかに怒りが混じっている。何やら神経を逆撫でしてしまったらしいと思いながら、九龍は今更体勢の危うさに気がついた。 両手首がつかまれて、本棚に縫いとめられた状態。押さえつけるように圧し掛かる皆守は、更に体重をかけてこようとしている。つまり中身を失って軽くなった本棚が、今度は後ろへ倒れてしまう可能性があるわけで。 「い……いや、石と同じ扱いで舐めたいって言われるだけで、実際そういうことは……」 「実際には何もなくても、お前は舐めさせてもいいって思ってるわけだな?」 ぐぐぐとかけられる力に反発して、九龍は首を回して後ろをうかがった。書庫に並べられた棚と棚の間は狭い。最悪、ドミノ倒しという事態もありえそうだ。 「お前は誰にでもそうなのか? そんなに舐めてほしいのか?」 「落ち着け皆守、なんか論点ずれてる! ってか本棚危ないって、ドミノになる!」 た、ただでさえ七瀬ちゃんに怒られるだろう状況なのに、この上また本の山を築いてたまるか! 「ちょ、待てって、なんでそんな迫ってくんだよ!」 「俺に舐めてほしいんだろ?」 「うーわ何それ、無駄に言い方エロいぞお前!」 皆守の唇が近づいて、曖昧な熱がこめかみをくすぐった。吐息混じりの語尾が、ざわりとした感覚を連れてくる。反射的に首をすくめた九龍は、傾いた本棚の限界を感じた。 唐突に、背中の支えが失われる。足が浮いて、視界が大きく回転する。驚いたような皆守の声に続き、がん、と派手な音がした。 激突した衝撃が、また新たな本棚を傾かせた。目の前に本が迫る、スローモーションのような光景は本日二度目だ。また咄嗟に反応できなかった九龍を、皆守がかばうようにして胸に抱き込む。ドサドサと大げさな音を響かせて、二人の上に降る本の雨。 皆守が盾になってくれているおかげで、さっきほどの痛みは感じない。ラベンダーの香りと本のかび臭さに包まれて、九龍は雪崩が収まるのを待った。時折低い呻き声と共に、抱きしめた腕に力がこもるのがわかる。……ほら見ろ、お前のせいだろこれ。どう考えても自業自得じゃないのか。 やがて中身をほとんど吐き出して、本棚はようやく大人しくなった。どさ、と名残りのように本が落ちる音。窓から差し込む陽光に、埃がきらきらと舞っている。 「……大丈夫か?」 苦笑を残して、九龍は声をかけた。積もった本をある程度どけると、埃まみれの癖毛が現れる。覆い被さるようにかばってくれた皆守の、大量の本を浴びたダメージはさすがに大きかったようだ。 「……お前が、変なことを言うからだな……」 「あれ、俺のせい?」 咳混じりに呟いて、皆守が恨めしげに睨んできた。その頬にわずかな擦過傷を認め、九龍は無造作に手を伸ばしてみる。浅い傷を撫でる。 「あーあ、また埋まっちゃったねえ。結局二人とも書庫の秘宝、ってことになるわけだ」 「だから自分で言うなよ……ちッ」 痛みが走ったのか、眉を寄せながら舌打ちされた。九龍は指をそのままに、にっこりと笑って。 「平気平気、大した傷じゃないって。なんなら、俺が舐めてやるけど?」 「……それで治るんならな」 ふん、と皆守が鼻を鳴らした。どこか挑戦的にも見える笑みを受けて、九龍も更に口角を上げた。 触れていた手の角度を変えて、躊躇なく顔を近づける。目を閉じることはしないままに。 物音を聞いて飛び込んできた七瀬が、無残な本の山に唖然とするのは次の瞬間のこと。 「あ、七瀬ちゃん」 突っ伏している皆守の頭をぽんぽんと叩くと、九龍は気づいて手を挙げた。お静かにお願いします、そう言いかけて絶句して、立ち尽くしている彼女に向かって。 「今ここ、秘宝が二つも埋まってるんで」 全く悪びれずに、いつもどおりの無邪気な笑顔で。 「発掘作業よろしくね」
20070318up |