僕以外に笑いかけないで











 同じ笑顔だ、と思った。

 朝の挨拶、課題の答え、休み時間の会話、昼休みのマミーズ、放課後の帰路、寮での雑談、そして夜の遺跡。

 どこでも、誰にでも、葉佩九龍は適材適所で笑顔を見せる。それに勇気付けられたり励まされたり、癒されたり和んだりする人間は少なくない。

 俺もそのうちの一人だった。そのはずだった。

「みーなかーみくんっ」

 いつもどおり屋上でうたた寝していた俺は、虚ろに目を開けて睨み上げた。九龍がにこにこと覗き込んでくる。

「どした、不機嫌そうな顔して。っていつものことか」
「……悪かったな」

 呟いた声は、我ながら突き放したように低かった。九龍は気にした様子もなく、笑顔でパンを取り出している。……ああ、もう昼休みになっていたのか。

「お前はカレーパンだろ、ほら」

 投げられた包みを思わず受け取った俺に、九龍はにっこりと笑いかけて。

「奢ってやるよ。今金持ちだからさ、俺」

 クエストとかいうバイトで法外な生活費(いや小遣いかもしれない)を稼いでいる《宝探し屋》は、笑ったままでそう言った。俺はぼんやりと昨日の夜を思い出していた。

 奢ってやるよ、今金持ちだから。

 それは遺跡に行く前に訪れたマミーズで、居合わせた取手や椎名、八千穂にも言っていた言葉だった。遠慮を笑顔で制して、九龍は奴らの好物を注文してやっていた。

 そう、その笑顔だ。

「……気前のいいことだな」

 ひとりごちた声はやっぱり低い。俺は苛々とパイプを噛んで、乱暴にそれをポケットに入れた。

「ま、百二十円だけどな」
「カレーパンのことじゃない」
「……ん?」

 無意識に口にした台詞を聞きとめて、九龍が首を傾げてくる。唇には変わらず笑みが刻まれていて、その表情にまた苛立ちが募る。

「大安売りか、お前は」
「何が?」

 睨みつけると、九龍はさすがに訝しげに眉を寄せた。俺は込み上げる感情のままに、左手で九龍の頬をつまむ。軽く引っ張って歪めてやる。

「何すんだよ」
「……気に入らねェ」

 その顔が嫌いだと思った。誰にでも同じように向けられる、平等な笑顔が気に食わないと思った。それは惜しみなく与えられる優しさと強さで、みんなに愛される葉佩九龍を象徴しているかのようで。

 不満そうに言っただけで、九龍はされるがままになっている。俺はふんと笑って、反対側の頬もつまんでやった。痛い、と九龍が不明瞭な悲鳴を上げる。

 ――俺以外の奴に笑うな、と。

 そう言うことは簡単だ。けれど敵味方の分け隔てなく振り撒かれる笑顔は、九龍が九龍である所以とも言えるのではないだろうか。偽善でも同情でも傲慢でもなく、ただ、それが当たり前であるかのように。

「……笑うな」

 呟くと、九龍が何事かを呻いた。何言ってんだ、この状態で笑えるわけないだろう。そう言われたような気がする。

 嫌いだ。俺と他の奴を平等にする、その笑顔が嫌いだ。俺は他の奴らとは違うから、だから。

 だから、俺の知らないところで。俺の知らないうちに。俺以外の奴に。同じ笑顔で、同じ目で。

「笑うな……」
「……皆守?」

 小さく呼びかけられた。心配そうな声だった。知らず縋りつくように傾いていた上半身を起こし、誤魔化すべく両手に力を込めてから離す。また、不明瞭な悲鳴。

 ――いつか来る、その瞬間に。

 今までと変わらず、俺にも救いの手を差し伸べて、そうしてお前は笑うのだろうか。

 赤くなった頬を押さえて、九龍はぶつぶつと恨み言を並べ立てている。俺は聞くともなしに聞きながら、口端を微笑の形に上げた。続いた文句を唇で塞いで、呼吸ごと重ねて奪ってやった。

 いつか来る、その瞬間は。

 願わくば、この腕の中で。俺だけに、最期の笑顔を。











20070107up


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