この手を取ってください











 とうとう、この日を迎えてしまった。

 いつもの給水塔のそば、日向になっている場所で、俺はぼんやりと空を見上げていた。

 晴れているとはいえ、時折吹く風はさすがに冷たい。それでも普段どおりの昼休みを装おうとした結果、やはり屋上に落ち着いた。

 空は青く透き通っている。三か月ほど前は避けていた日差しも、今はありがたい温もりとなって降り注ぐ。

「三か月、か……」

 振り返って、少し笑った。思いのほか心地よかった友人関係も、今夜九龍が遺跡に入れば終わるだろう。残る扉は一つだけ、そこは俺が守るべき場所だからだ。

 現実を忘れようとして、俺は静かに目を閉じた。たとえ一日でも長く隣にいたい、まだ友人でありたいと訴える感情を抑え込む。――今更だ。最初からわかりきっていたことなのに。

「あ、やっぱりここにいた」

 声と共に落ちた影が、誰かの来訪を告げた。瞼を持ち上げなくてもわかる、九龍だ。

「ヒナ先生が捜してたぞ。放課後でもいいって言ってたけど」
「……あ?」

 さして驚くこともなく、俺は片目を開けて眉を寄せた。太陽を遮った九龍が、こちらを覗き込むようにして立っているのが見える。

「雛川か……放課後でもいいってんならそうするさ」
「でも早めに行った方がいいんじゃないか? 蓄積されると長いぞ、ヒナ先生の説教」
「説教って決めつけてんじゃねぇよ」

 あくび混じりに呟いて、俺はゆっくりと伸びをした。いつもの自分を演じながら、無意識に九龍の存在を己の内に刻みつけようとした。親しみのこもる声を。信じて疑わないまっすぐな瞳を。

「ったく、面倒臭ぇな……」

 しかめ面のままアロマに火をつけて、ゆっくりとラベンダーを漂わせる。それ以上動く意思がないと悟ったのか、九龍は無造作に手を差し出してきた。

「ほら」

 起こしてやるから早くしろと言いたげな仕草。逆光になったその笑顔に、この三か月間を連想する。

 十月初め。

 差し出された手を、俺は怪訝に見るだけだった。なんだコイツは人懐こい転校生だな、さすが海外育ちといったところか。

 十一月初め。

 しつこさに根負けして、渋々手を取った。秋風に冷えていた俺の手は、無自覚にその体温を欲した。強く握りしめると、冷たいなと言って九龍は笑っていた。

 十二月初め。

 いつの間にか、自ら進んで手を伸ばしていた。一度その心地よさを覚えると、そればかり求めてしまう子供のように。

 そして、今日。

 わかっている、九龍はそれでも手を伸ばすだろう。今まで倒してきた《生徒会》の連中と同様に、分け隔てのない救いの手を。

 不覚にも泣きそうになった。そんなことは許されない、許されるわけがないのに。

「それより、今日も遺跡に行くんだろ」

 差しのべられた手を見ながら、俺は質問というより確認の意で言葉を紡ぐ。口元に刻んだ笑みは自嘲以外の何物でもなく、ごまかそうとしてパイプを揺らした。無邪気に九龍が笑う。

「ああ、最後の扉だからな。《墓守》はやっぱり阿門様かな、手強いだろうなあ」

 そうだなと生返事をして、俺はアロマを吐き出した。

 罪に汚れたこの手はもう差し出せない。繋いだら最後、俺はあの遺跡の暗闇へ、どこまでもお前を道連れにしようとしてしまうだろう。

 だから今日、十二月二十三日。俺は自分に嘘をつく。

「なあ、九ちゃん」

 手を離せ。二度と笑いかけるな。そうやって、徹底的に俺を拒んでくれ。

「行くときは声かけろよ」

 ――せめて、苦しまないように殺してやるから。











20070601up


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