旅立ちを告げる手











 別れは突然やってくるものだと、理解はしているつもりだった。

 任務地を離れるとき、次の《秘宝》を求めて去るとき。世界中を旅する《宝探し屋》にとって尚更、それは当たり前のことだった。

 だがもちろん、理不尽な別れもある。またいつかどこかで会おうと、笑って手を振れるような、そんな明るいものだけではなく。

「……え?」

 何を言われたのかわからなくて、九龍は一瞬思考を止めた。次第に勢いを増す地響きの中、ちゃんと言葉として耳に届いたはずなのに。

 いつの間にか歩みを進めた皆守は、阿門の隣に佇んでいる。黄泉路への旅。確かに、そう聞こえた。そう言われた。

「そういうわけで、お前らとはここでお別れだ」

 晴れ晴れとした口調で、皆守が微笑む。見慣れた仕草で、左手が上がる。また明日、いつもどおり学校で会えるかのように。日常の、何気ない挨拶のごとく。

「じゃあな」











 目を覚ますと、辺りは穏やかなざわめきに包まれていた。

 簡素なテントの一角、毛布を敷いただけの寝床。喉がひどく渇いているのは、乾燥した空気のせいだけではないだろう。

 右手を求めるように天に伸ばしていたことを知り、九龍は大きく息を吐いた。しばし目を閉じて、夢の残滓を振り払う。いまだに繰り返し見てしまうのは、それだけ衝撃と共に心に刻み込まれているからだ。

「……なんかもう、トラウマだな」

 ひとりごちて、枕元の《H.A.N.T》を拾う。時計は昼過ぎ。休憩と称してここに寝転んでから、二時間ほど経っている。

「起きてたのか、九ちゃん」

 新着メールに気づいたとき、聞き慣れた声がした。テントの入口を開いて、皆守が顔を覗かせている。同時に差し込んだ陽の光に、九龍は思わず目を細めた。

「いや、今起きたとこ」
「もう少し休んでてもいいぞ」

 言いながら入ってきた相棒は、夢の中よりも随分大人びた顔つきをしている。あれから経た年月を思い、当然かと九龍は内心で笑った。皆守は《H.A.N.T》を指差して。

「協会からの指示だ。俺は遺跡の西の方から調べることになった」
「ああ……うん、了解」

 そうだった、と九龍は現実を取り戻した。上半身を起こしながら、新着メールを確認する。先日から始めた探索任務が、思いのほか難航しているのだ。

 大規模な遺跡の発掘には、どうしても人手が必要となる。現地の人間は多数雇い入れたが、それを指導する知識のある者、つまり《ロゼッタ協会》の人員不足は補えない。ここに派遣されたのは、九龍と皆守の二人だけだ。効率を上げるため、別行動を強いられるのも必然だろう。

「とりあえず、日が暮れるまでに突破口を見つけられるといいんだがな」

 くわえたパイプを揺らして、皆守が髪をかき乱している。そうだなと頷いた九龍の視界で、何気なく動いたその左手が、夢の光景と重なった。

 無意識に、息をのむ。緊張が走る。夢はあくまでも夢にすぎないが、あれは現実に起こった過去の出来事だ。揺れる地面も、瓦礫の音も、別れを告げた彼の声も、全ては今でも鮮明に。

「……九ちゃん?」

 目を合わせた皆守が、少し心配そうに覗き込んできた。九龍ははっと我に返って、慌てて笑顔を作る。相変わらず洞察力に長けた男だ。

「ごめん、ぼーっとしてた」
「大丈夫か? お前、ここに来てからほとんど寝てないだろう」
「ん、もう平気。たっぷり休憩もらったし」

 訝しげな皆守に、九龍はわざと元気よく答えてみせた。夢見がよくなかったせいで熟睡できたとは言い難いが、確かに疲労は回復している。

「ああそうだ、皆守」

 ごまかすように起き上がった九龍は、明るく呼びかけて手を伸ばした。夢の中では―――過去の現実では届かなかった皆守の手。それをつかんで、引き寄せて。

「May the treasure be with you」

 祈りを込めて、その甲に唇を落とす。すぐ離れるつもりだったのだが、逆に引かれてよろめいてしまった。

「九ちゃんも、無理はするんじゃないぞ」

 抱きとめられた姿勢で、羽のようなキスが降ってくる。至近距離の微笑も、自信に満ちた瞳も、もうあの頃とは違う。違うけれど。

「じゃあな」

 笑顔のまま、皆守は先に行くぞと手を挙げた。開かれたテントの隙間から、午後の太陽が覗く。彼の姿が逆光になる。

 また目を細めながら、九龍はもう一度祈りを込めた。さっき繋いだばかりの手を、強く固く握りしめる。夢の中で泣いていた自分に、この温もりが届けとばかりに。











20090216up


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