えぐり棄ててしまいたい心臓











 ずきりと痛んだ左胸を、皆守は反射的に押さえていた。

 逃れるように、頭上を振り仰ぐ。青い空と白い雲、気持ちを落ち着かせてくれる景色。ゆっくりとラベンダーを吸い込むが、胸の痛みはなかなか消えない。

 何故、痛むのだろう。何故、手のひらに鼓動が伝わるのだろう。ここにあるのは、ぽっかりと穴を開けた空洞だけだというのに。

 そんなことを考えて、皆守は己を嫌悪した。何かを失い忘れ、生きながら死んでいるのと同じ毎日。身体はそれでも活動し、生を繋ぐ。

「お待たせ皆守、ってどうした大丈夫か?」

 売店の袋を掲げた九龍が、屋上のドアを開けて駆け寄ってきた。心配そうなその様子を見て、皆守は無理やり笑みを浮かべてみせる。なんだ、俺はそんなに苦悶の表情をしていたのか。

「寝不足なんだよ。誰かさんが夜遅くまで連れ回してくれるからな」
「えー、ベッドに入る前なら付き合ってやるって言ったくせに」

 皮肉を込めて言うと、九龍は言い返しながら皆守の隣に座った。ついでに夜食も買ってきたのか、それともまた何か調合にでも使うのか、袋に入っているのは昼食だけではないようだ。

「売店ってさ、もう少しバリエーション増やせばいいと思わない? パンに限らず、飲み物だってさあ。境の爺さんに要望出してみようか……あれ、でもそういうのって、やっぱり《生徒会》が管理してるのかな」

 カレーパン、焼きそばパン、コッペパン、あんパン。次々と袋から取り出して、九龍が何気なく呟いている。

「管理というか、最終的な認可だけじゃないか? 売店の売り物まで、連中がいちいち決めているとは思えない」

 答えながら、皆守は迷わずカレーパンと缶コーヒーを選んだ。訊ねるまでもなく九龍が買ってきてくれる、屋上での定番メニューだ。

「だよな。阿門様が管理してるなら、もっとミルク系の品物が増えてるはずだもんな」
「いや阿門は売店で買い物したりしないだろ、っていうかなんでお前まで様付けしてるんだ」
「だってなんか呼びたくならない? 阿門様って」
「なんだそれは」

 互いにパンを食べながら下らない会話を交わす、これも昼食時の定番だ。屋上で、マミーズで、寮の部屋で繰り返される日常と変わりない。

 当たり前になってしまった光景に、皆守はふと考えた。九龍が転校してくるまで、自分はこの時間をどうやって過ごしていたのだろう。たった三か月前のことなのに、既に遠い過去に思えるから不思議だ。

 ―――その日は、刻一刻と迫ってきている。最初からわかりきっていたはずなのに、今はこの時間が止まればいいと切に願う。

「しっかし、さすがに屋上も寒くなってきたな」

 食べ終えた九龍が、早速寝る体勢に入りながら身を震わせた。アロマパイプを揺らし、皆守も吹き抜ける風に目を細める。

「まあな。日が当たる場所はそうでもないんだが」
「あ、わかった」

 何か思いついたのか、九龍は突然皆守にもたれかかってきた。更に、身を寄せるようにしてくっついてくる。

「こうすれば、暖かいだろ」
「……何が悲しくて、男子高校生同士寄り添って昼寝しなければならないんだ」
「手っ取り早く暖を取るには人肌が一番だぞ!」

 よくわからない力説をしたかと思うと、九龍は笑って瞼を伏せた。重い離れろと突き放す暇もなく、すぐに寝息を立て始める。

「おいおい……」

 お前、よくそれで人のことをノビタクンとか何とか言ってからかえるな。

 あまりの寝つきの良さに、皆守は呆れて嘆息した。無防備な寝顔と安らかな吐息が、文句を言う気力すら奪う。触れた場所から伝わる熱は、確かに悪くないかもしれない。

 睡魔に誘われて、皆守はアロマパイプを外して消した。目を閉じると、また胸が痛みを訴えてくる。軋みながらも、惰性に動き続ける己の鼓動。日々を浪費し、死を待ち望み、ここに捕らわれたまま、朽ち果ててゆくしかない魂。

 それが今、生きたいと慟哭しているように思えた。











20090218up


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