つれない肌











「そ、それはちょっとどうかと思います皆守さん!」

 壁際に張りついた九龍が、訴えるように情けない声を上げた。何がだ、と皆守は一歩近づく。九龍がぶるぶると首を振る。

「いや、だって帰ってきたばかりよ? 今日はゆっくり寝て、身体を休めるのが普通じゃありませんこと?」
「……どうでもいいがその妙な喋り方をやめろ」

 呟くが早いか、皆守は九龍の両手をつかんで壁に縫いとめた。更に自分の身体を押しつけて、しっかりと抵抗を封じ込める。少し湿った黒髪から、誘うようにラベンダーが香る。

 従事していた任務が終わり、二か月ぶりに帰ってきた協会のねぐらだ。風呂を済ませたらすぐに寝たいという言い分も、確かに理解はできるのだが。

「つれないな、九ちゃん。ずっと遺跡に夢中で、相手にしてもらえなかった俺の気持ちも考えてくれ」
「考えてる考えてる! でも今日は無理、俺だってさすがに疲れてんだって!」
「じゃあ好都合だな、無駄な抵抗されなくて済む」
「ええええ!」

 頓狂な悲鳴と共に、九龍は必死で顔をそむけている。ちょうど目の前に差し出された左耳、そこにかかる少し伸びた髪を、皆守は息を吹きかけて払った。九龍が息を詰める。

「流された方が楽だと思わないか、九ちゃん?」

 露になった耳にわざと唇を近づけて、吹き込むように囁いてやる。

「どうせ溺れてしまえば、わけがわからなくなって俺に縋りついてくるくせに」
「うわあああ何それ言葉責め禁止!」
「事実を言ったまでだ」

 あくまでも逃れようとする九龍に、手っ取り早く火をつけてしまえとばかりに、皆守は彼の脚の間に自分の片足を割り込ませた。押さえつけた身体がびくりと跳ねる。

「ままま待て待て、いきなり急所は卑怯!」
「何がだ、その気がないなら部屋に来るな。期待させたお前の方が卑怯じゃないのか」
「いや俺は単純に明日の打ち合わせをだな!」

 ぐいと足を押し上げると、九龍は短い悲鳴と共に声を殺した。睨みつけてくる目に煽られて、更に太腿を擦りつける。九龍が呻いて頭を揺らす。皆守の肩をつかむ、はねのけようとする力が弱まってゆく。

「……ま、待てって皆守、ま……ッ!」

 次第に上気してゆく頬と乱れる吐息に、陥落も時間の問題かと思いきや。

「待てっつってんだろうがあああッ!」

 いきなり大声で叫ばれ、ものすごい力で振り払われた。予想外の反撃に、皆守は思わず怯んで耳を押さえる。

「こ、こんな、仕事のたびに遺跡に嫉妬されてたら俺の身がもたないっつーの!」

 その隙に、九龍はあっさりと腕の檻から逃げた。皆守が呆然としている間に、ベッドに飛び込み布団に潜り、拒むように背を向けて。

「……あー、九ちゃん?」

 くらくらする頭で、そんなに嫌だったのかと皆守は嘆息した。だがわざわざ部屋を訪ねてくれた九龍に、期待するなという方が酷ではないか。ずっと仕事三昧だった二か月間の淋しさを、埋めに来てくれたのかと思うではないか。

 しかし嫉妬の対象が遺跡だという点は、確かに我ながら大人げなかったかもしれない。髪をかき乱して、皆守は少し反省した。仕事と私とどっちが大事なの、などと迫る女じゃあるまいし。

「九ちゃん」

 悪かったと言いかけて、ふと気がついた。ここは自分の部屋で、九龍の部屋はすぐ隣だ。本当に拒絶するなら、ドアを開けて逃げてしまえば確実なのだ。ベッドに飛び込むなど、自ら袋小路に入ったも同然ではないだろうか。

「九ちゃん?」

 もう一度、声をかけてみる。返事はないが、布団から覗く耳は真っ赤だ。それだけで悟ってしまった皆守は、笑みで緩む口元を抑えることができなくなった。

「……そのままじゃ、眠れないだろ?」

 反論はない。布団の塊はそれ以上逃げることもない。沈黙を守る九龍に近づき、皆守は再度耳元に唇を寄せた。既に熱を持つその肌に、優しく、愛しさを込めて。

「責任取ってやるから、こっち向けよ」

 囁きながら、首筋に触れる。桜色に染まった耳朶が、更に赤く色づくのが見えた。











20090219up


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