油断大敵な脚 |
ばしん、と背後でものすごい音がした。 九龍は身動きすらできず、呆然とその場に立ち尽くしていた。 少し遅れて、クラスメートたちが歓声を上げる。足元に転がる、反動で戻ってきたサッカーボール。たった今ゴールを決めた親友は、浴びせられる称賛に余裕で手を振っている。 「ちょ、アホか皆守! マジで本気出す奴がどこにいる!」 我に返って、九龍は大声で怒鳴りつけた。すぐそばを、超人的なスピードでボールが通り過ぎていったのだ。ある程度予想していたとはいえ、命の危険を感じるほどの。 「俺に当たったらどうすんだよ、危ないだろうが!」 「当たらなかったんだからいいじゃないか。それに、手加減なしで来いって言ったのはお前だろ?」 しれっとパイプを揺らしている皆守を睨みながら、九龍はボールを拾って確かめた。それ自体は無事だが、少し焦げくさい匂いがするのは気のせいだろうか。固定されたゴールの枠が、後ろにずれて動いているのは見間違いだろうか。 「実はすげー奴だったんだな、皆守って」 「隠れた才能ってやつ? 能ある鷹は爪隠す、みたいな!」 「あの葉佩が動けないとはなー」 見守っていたクラスメートたちは、口々に感心の言葉を囁いている。以前中断された体育のPK対決は、彼らにも注目の的だったらしい。知らないってのは幸せだな、と九龍は思わず嘆息した。 皆守の脚は武器だ。比喩でもなんでもなく、文字どおり一撃で人も殺せる力。その強烈な蹴りから放たれたサッカーボールは、恐ろしい破壊力を持って当然なのだ。 「ていうか、ずるいぞお前!」 「何がだ」 九龍の文句に、皆守は相変わらず両手をポケットに突っ込んだままとぼけている。確かに、手加減しなくていいとは言った。だからといってたかが授業の一貫、全力で挑まなくてもいいではないか。 彼が脚を上げたと思った瞬間、ゴールが決められていた。止める気満々で構えていた九龍にも見えなかった。去年の年末に痛感はしたが、それでも改めて思い知らされる。所詮普通の人間でしかない《宝探し屋》の能力は、元《墓守》にかなわないのだと。 ずるい、まったくもってずるい、と九龍は一人で憤慨した。もちろん、探索のときは頼りになるし感謝している。だが今はそこまで発揮する必要のない、ごくありふれた日常だ。彼自身が不毛だ不毛だと散々文句をつけていた、体育の授業中なのだ。 「次はお前の番だな」 にやりと笑って、皆守が九龍の肩を叩いた。九龍は無言で、クラスメートが見守る位置へと移動する。いつでも来いとばかりに、皆守がゴール前に立つ。全くやる気のない、気だるそうな姿勢で。 「畜生、こうなったら……」 ボールを足元に置いた九龍は、正面を見据えて拳を握った。動体視力、反射神経ともに人間離れした皆守のことだ。まともに勝負して、勝てるわけがない。 一瞬でも、彼の気を逸らすことができればいい。それこそ卑怯な手とはいえ、そもそもハンデがありすぎる。九龍はそう開き直って、大きく息を吸って。 「愛してるわ甲太郎さん、今夜は九龍をベッドへ運んで朝まで抱いて離さないでぇん!」 「な」 ふざけた女言葉に、皆守がわかりやすく絶句した。その隙に、九龍は思いきりボールを蹴る。狙いどおりまっすぐ、ゴールの左上へと。 「ちッ」 刹那、皆守が動いた。恐らく普通の人間には見えないだろうそれを、九龍は残像のように認識した。舌打ちと同時に素早く身体を回転させ、挑戦的な笑みを浮かべながら、繰り出された鮮やかな回し蹴りを。 「え」 今度は、九龍が絶句する番だった。一瞬のうちに蹴り返されたボールが、正確に九龍に向かってくる。先程ゴールを狙ったスピードよりも、鋭く突き刺すような速さで。 「うっそ!」 避ける余裕はない。まるでスローモーションのごとくボールが迫る。どこぞの映画よろしく、発火して炎が纏わりつくイメージ。獣と化したそれが、牙を剥いたような気がした。 「ぶッ!」 顔面への衝撃と共に、目の前で闇と火花が炸裂する。クラスメートたちの悲鳴を耳に、なす術もなく、九龍はばったりと背中から倒れてしまった。 「今夜と言わず、今すぐベッドへ運んでやろうか」 声もなく伸びた九龍の視界を、皆守の面白そうな顔が遮る。 「―――まあ、まずは保健室のベッドだけどな」 そう言われて初めて、九龍は完全ノックアウト状態の己に気がついた。ああもう完敗ですよ完敗、と自棄になって唇を尖らせてやる。微笑みながら、皆守が手を伸ばしてくれる。 顔にボールの跡がついてるよ九チャン!と上げられた八千穂の声に、クラスメートがどっと笑いに沸いた。
20090220up |