Brilliant Grasses











 息苦しさで、目が覚めた。

 重い。この重さは布団じゃない。もっと硬くて形のある、そう人の腕のような。

 ――人の。

 唐突に意識がはっきりして、皆守は完全に覚醒した。見慣れた天井、けれどどこか違和感。どうやら自分の部屋ではない、らしい。

 起き上がろうとして、更なる違和感に気がついた。自分の首を押さえて抱きしめるように、人の腕が乗っている。なんだこれは、と眉をしかめて初めて気がついた。覆い被さるように隣で眠る、黒髪の人物に。

「九ちゃん…?」

 思わず、呟いた。うつ伏せ状態で顔は見えないが、思い当たる人物は彼しかいない。ふと視線を上げて、机の上のパソコンが目に入る。そうか、と皆守はようやく現実を取り戻した。

 遺跡に行こうと誘われて、葉佩の部屋を訪れたものの、彼はパソコンゲームに夢中で。とりあえず一段落するまで待っていたが終わる気配はなく、待ちくたびれてそのまま。

 ――寝ちまったのか。

 ため息をつくと、無性にアロマが欲しくなった。パイプは机の上に置いてあり、恐らく火がつけっぱなしだったそれを、葉佩が避難させてくれたのだろうが。

 まったく、人を呼び出しておいてなんなんだこいつは。

 知らずその黒髪を睨みつけて、皆守は再度ため息をついた。起こしてしまう可能性を考えて、下手に動けない自分にまた嘆息する。彼が転校してきてから2ヶ月たつが、随分と、なんというか。

「巻き込まれてる、よな…」

 呟くと、先日の瑞麗の台詞が思い出された。それが不快ではないから共にいるのだろうと、見透かしたように保健医は笑っていた。言葉に詰まり、言い返せなかった自分。認めたくはないが、指摘されて初めて気づいたのだ。…図星。

「…ちッ」

 振り払うように舌打ちをして、とりあえずどうしたものかと皆守は視線を巡らせた。時計はまだ六時前を指していて、起きるには早すぎる。けれどこのまま二度寝するのも、なんだか間抜けな気がしないだろうか。ていうかベッドで寝ればいいものを、なんでこいつは俺にくっついて寝こけてやがるんだ? 俺は抱き枕か? 人間湯たんぽか?

 半ば苛々しながら手を伸ばすが、アロマパイプには届かない。諦めて腕を下ろすと、ふと葉佩の髪に指が触れた。

 癖のない黒髪。瞳と同じ、吸い込まれそうな闇の色。

「……」

 無意識に、少しつまんで眺めた。まっすぐな束を毛先まで辿り、そのまま髪全体を手のひらで撫でた。指の間をさらさらと、かすかな体温が零れてゆく。

 自分の癖毛とは違う、なめらかで素直な手触りをうらやましいと思う。いつだったか、それを告げたことがあった。彼は笑って否定した。それはお前、自分にないものだからだろ? 俺は皆守の方がうらやましいと思うけどね。楽そうだし、髪型色々遊べそうだし、俺の髪なんて真っ黒で染まりにくくて寝癖目立ちまくりであげく直さないと明らかにヘンなんだぜ。ああ古人曰く、隣の芝生は青いってやつ?

 七瀬を真似るようにそう言って、葉佩は皆守の髪をくしゃくしゃとかき乱した。ぼんやりと、皆守はされるがままになっていた。ほぼ同じ位置にある目線を追い、生返事をしながら。

 髪だけではなく、うらやましいと思ったのだ。

 自由で奔放で、誰とでもすぐ打ち解ける葉佩九龍。彼は何のしがらみもなく、何者にも縛られないように見えた。捕らわれている自分とは全く違う、相反する存在に見えた。彼も組織に所属する以上、全てにおいて「自由」ではありえないはずなのに。

「隣の芝生は青し、か…」

 噛み締めるようにひとりごちて、皆守はまた目を閉じた。黒髪を撫でながら、降りてきた睡魔に身を任せた。

 皆守の半身を押さえつけたまま、親友は相変わらず熟睡している。少し苦しいとはいえ、抱きしめられる形の温度が気に入った。触れているのに起きようとしない、静かな寝息に安堵を感じた。

 脳裏に浮かぶのは、太陽のような笑顔。

「…青いどころか…」

 ――眩しすぎるぜ、九ちゃん。

 呟いて、皆守はゆっくりと意識を手放した。安らかな二度寝が迎えられそうだった。











 息苦しさで、目が覚めた。

 痛い。この痛さは布団じゃない。もっと硬くて形のある、そう人の身体のような。

 ――人の。

 唐突に意識がはっきりして、葉佩は完全に覚醒した。視界に飛び込んだのは、フローリングの床とクッション。その端に学生服の肩、白いTシャツ。

「…皆守…?」

 思わず、呟いた。うつ伏せ状態だった上半身を起こすと、制服を着たままで、彼に重なるようにして寝ていたことを知る。にもかかわらず皆守は熟睡していて、さすが一日十時間の睡眠を必要とする男、と葉佩は苦笑してしまった。

 そうか、待っててくれたんだっけ。

 昨夜のことを思い出して、少しだけ反省する。資金稼ぎに遺跡に潜ろうとして皆守にバディ要請をした後、途中で止まっていたゲームを始めてしまったのだ。待っててあとこの敵を倒してから、あとこの謎を解いてから。背後でぶつぶつ言う皆守にかまわず集中してしまい、静けさに気づいたのは夜半過ぎのことだった。

 案の定勝手に枕や布団やクッションを寄せ集めて、皆守は眠ってしまっていた。一昨日も寒い区画を連れ回したところなのだ。起こせば不機嫌なことはよく知っているし、大体今から準備を整えて寮を抜け出せば、帰宅が遅くなることは必至で。

 まあいいか、そんなに急ぐ用事でもないし。

 思って自分も寝ようとしたが、寝具は彼が独占している。仕方なくそのまま隣に転がったのだが、それが何故皆守と重なる体勢になっているのか、いまいち記憶が定かではない。

「…やっぱり寒かったから、かな」

 恐らく床の上が冷たくて、暖を求めてくっついたあげく、不自然な体勢で落ち着いてしまったのだろう。が、それで熟睡できる己も皆守も、余程睡眠を必要としていたに違いない。ゲームに集中してしまった結果オーライ、遺跡に潜っていればつまらないミスで怪我をしていたかもしれない。そんな前向き思考で葉佩は笑った。

 見れば、いまだ腕を乗せた状態でも皆守はよく眠っている。寝顔はまるで子供みたいだと微笑ましくなって、葉佩はその前髪を払ってやった。瞼にかかってうっとうしそうだ、ただそれだけだったのだが。

 触れた髪の柔らかさに、思わず手が止まった。

 無意識にかき上げて、その一房を眺めてみる。陽の光に映える、明るい土の色。毛先まで辿ると、抵抗した癖毛がくるりと輪を描く。

 おもしろくなって、そのまま髪全体を手のひらで撫でた。指の間をふわふわと、かすかな体温が零れてゆく。

 自分の直毛とは違う、軽くて柔らかな手触りをうらやましいと思う。いつだったか、逆に告げられたことがあった。葉佩は笑って否定した。他人に言われて初めて実感する、それはないものねだりだと。隣の芝生が青く見えるということは、自分の庭も隣人には青々と輝いて見えるのだろうと。

 りんじん、と呟いて葉佩は少し笑った。孤独な任務だと思っていたのに、いつの間にか隣人どころか友人を手に入れてしまっている。ただ淡々と責任を果たして仕事を終えて、しがらみも未練もなくここを去る予定だったはずが。

 誰かと群れるつもりなど、誰かを巻き込むつもりなど、当初は毛頭なかったのだ。が、こうして一度築いてしまった信頼は離しがたく、離れがたく。もちろん、それは彼だけにはとどまらず。

 髪を撫でていた指が震えて、忘れていた寒さが蘇った。我に返ったように葉佩は時計を見て、まだ六時過ぎだという事実を知る。十分二度寝できる、まだ夜中じゃないかと皆守ならのたまうかもしれない。

 とりあえずこの状態では、レム睡眠に浮上しつつある皆守に悪い夢を提供してしまいそうだ。そうかエアコンをつけておけばよかったんだ、葉佩は今更ながら気がついた。雪山じゃあるまいし、何が哀しくて男同士でくっつき合わなきゃならんのだ。苦笑しながら起き上がるべく、腕に力を入れて、刹那。

「わ」

 重力に逆らおうとした身体が、思いがけず逆戻りした。突然目の前に迫った床に驚いて、瞬きを繰り返す。

「…皆守?」

 腕を取られて引き戻されたのだと知り、起きたのかと葉佩は声をかけた。それとも反射的に「温かい布団」を戻しただけの行動か。

「…寒い…」

 皆守が低い声で呻いたが、起きた様子はなかった。やはり後者か、葉佩は呆れて苦笑する。今彼が手放したくない「布団」が自分の親友だとは、当然ながら認識していないのだろう。抱きしめるように背中に手を回されて、葉佩の苦笑が更に濃くなる。おい待て、俺は抱き枕か? 人間湯たんぽか?

「こら、皆守」

 声をかけてみるが、起きる気配はない。さすが一日十時間の睡眠を必要とする男、いやさっき同じことを思ったのだが、呆れを通り越してむしろ感心の領域に入る。だらだらと寝汚いだけで、眠り自体は浅いのだろうと思っていただけに。

 腕の拘束は緩かったが、無理やり外すのがなんとなくためらわれた。かわりに、今起こしたらどんな反応をするだろうと悪戯心が湧き上がる。腕の中の葉佩に驚くのか、跳ね起きるのか。寝起きでいまいち事態が飲み込めない彼に、朱堂ばりにシナを作ってからかってやろうか。いやん甲ちゃんってば、アタシを抱きしめて離さないなんて積極的! 珍しく動揺するかもしれない顔を想像して、思わず笑いが込み上げた。

「皆守」
「んー…」
「皆守ってば」

 語尾にハートマークを装備して、葉佩はくすくすと笑った。相変わらず呻くだけで目を覚まさない親友の、柔らかい髪が頬をくすぐる。かすかなラベンダーの香りに誘われて、これは幸せな二度寝が待っているかもしれないと、意思に反して瞼が下りた。さすがアロマ効果、人肌安眠枕、皆守快眠布団。

 好き勝手なことを言いながらも、睡魔を捕らえる本能に抵抗する術はない。諦めて身を任せると、眠りはすぐに訪れた。

 おとなしくなった「布団」に落ち着いたのか、皆守の腕が外される。それを追って、今度は逆に葉佩が手を伸ばした。浅い夢の中、無意識のまま。

 堕ちる寸前で、すがりつくように。











 ――息苦しさで、目が覚めた。

 既にその理由はわかっていたが、皆守はあえて惰眠を貪ることにした。それよりも離しがたい、人のぬくもりに。自分を抱きしめている黒髪に。

「…まったく…」

 癖になったらどうしてくれる、と。

 片目を開けて、苦笑しながら。











「芝生は緑」
20060121UP


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