思ったとおり、皆守はまだ熟睡していた。 カーテンの閉められた部屋は薄暗く、けれど窓の外は確実に朝を迎えつつある。零れる冬の日差しに目を細めて、九龍は後ろ手にドアを閉めた。 「葉佩君が転校してきてから、皆守君の出席率が上がってるの」 そう雛川に感謝されてから、こうして隣室の友人を無理やり起こすことが朝の日課になっている。気合いを入れるべくジャージの袖をまくり上げて、九龍はベッドに近づいた。 着替えてから起こしに来ようと思ったのだが、とりあえず来てみて正解だったかもしれない。皆守のあまりの熟睡っぷりに、見下ろした九龍は少しため息をついた。 「皆守」 声をかけて肩を揺さぶるが、もちろんそんなことで彼が目覚めるわけがない。次第に起こすのが難しくなってきていることを痛感して、九龍は再度嘆息した。 最初は簡単だった。朱堂ばりのふざけた女声で囁けば、驚いたように飛び起きていた。プロレスよろしく飛びかかって起こしたこともある。いずれも面倒くせェと言いながら、皆守は渋々準備を整えてくれていた。 それが最近慣れてしまったのか、何をしても起きない。飛び乗っても無視されて、布団を剥いでも効果なし。耳元で騒ぎ立てれば、無理やり引きずり込んで黙らせようとしてくる。何度かそのまま力尽きて、一緒に寝坊してしまったことも少なくない。 「朝だよ皆守くーん」 ラベンダー効果は恐ろしいと思いながら、九龍は恒例的に布団の上に乗り上げた。押さえつけられた皆守が、うざったそうに呻いて身を捩る。今日の一時限目は雛川の授業なのだ。とにかく、何が何でも起こさなければ。 「ほら、早く起きてぇん」 ガーターベルト仕様の《H.A.N.T》口調を真似てみるが、しかめられた顔に変化はない。九龍は少しむっとして、両手で頬をつまんでやった。 「起きろってば、ダルダルアロマカレー星人」 引っ張って伸ばして遊びながら、更に体重をかけてやる。皆守がむずがるように嫌がって頭を揺らす。なんだかどこかに連れてけとねだる休日の父親と子供のようだ、そんなことを連想した九龍は、ふと晒された首に目を止めた。 顎から鎖骨へ下りる、綺麗な喉のライン。締めたら起きるかなと、物騒なことを考える。一瞬の思いつきだったはずなのに、九龍の手は無意識にそこに触れた。 「起きないと」 鎖骨の窪みから喉仏。辿る指に、わずか反応する吐息。 「……襲うぞ?」 宣言するが早いか、九龍はがぶりと喉に噛みついた。途端に押さえつけた身体が跳ねて、皆守が猫のように飛び起きる。一瞬唖然とした九龍は、壁に張りついた友人をぽかんと眺めてしまった。うわ、すげー早業。てか何その過剰反応。 「おはよ、皆守。姫はキスで目覚めるってわけ?」 珍しく本気で驚いている様子に、なるほどと九龍は勝手に納得した。喉を押さえた皆守が、なんだそれはと言いたげに睨みつけてくる。がしがしと癖毛をかき乱しながら。 「九ちゃん……今のはキスじゃねぇだろ、人に噛みつくな。お前は犬か猫か」 「いやいや、俺は姫を迎えに来た王子様ですよ」 九龍は全く悪びれず、にっこり笑って首を傾げてみせた。恭しく手を差し伸べるポーズを作ると、皆守はふんと鼻を鳴らして。 「誰が姫だ、噛みついて起こす野蛮な王子がいるか。俺はまだ眠いんだよ」 そう言って寝転がった皆守は、布団を被ってぶつぶつと文句を並べ立てた。大体九ちゃんのせいだろうが、昨夜も遅くまで夜遊びに付き合わされたからだ、今日は昼まで寝かせろ。 ……付き合わせたのは確かに俺だけど、最後まで付き合ってくれたのはお前自身じゃないか。 明らかに不機嫌な物言いに、九龍は少し唇を尖らせる。二度寝を決め込もうとする布団の上に再度乗り上げて、こっそり笑ってみせた。上等だ、そっちがその気なら容赦しないもんね。 「朝一、ヒナ先生の授業だってわかってるか? サボったりしたらまた説教と課題がどっさり待ってるぞ」 「うるせェな、だから俺はまだ眠……」 台詞半ばで、九龍はまた首筋に噛みついた。言葉を詰まらせる皆守の反応が面白くて、更に強く食んでやる。耳の下、ちょうど頸動脈の辺り。 「ほら、眠り姫の呪いは王子様のキスで解け……わ」 またすごい勢いで布団ごとはねのけられて、九龍はベッドから落ちそうになってしまった。飛び起きて絶句している皆守の顔に、本当に珍しいなと笑ってしまう。 「効果覿面だな、おはようのキス」 そう言った途端、ふいに視界が回転した。一瞬何が起きたのかわからないまま、九龍は背中からベッドに沈み込んだ。気がつくと至近距離に、ものすごく爽やかな皆守の笑顔。 「……朝から情熱的だな、九ちゃん?」 いつの間にか押し倒されて、両手首が捕えられている。形勢逆転の速さに驚きながら、九龍は爽やかすぎていっそ胡散臭い皆守の笑みに引きつった。満面の笑顔だが、明らかに目が笑っていない。 「待て、目覚めた姫に逆襲されるなんてアリか?」 ごまかすように言って身を捩るが、四肢はしっかりと押さえつけられている。さっきまで眠い眠いと文句を言っていたくせに、寝起きとは思えない拘束の強さではないか。 「だから誰が姫だ。この場合はそうだな、おばあさんは実は狼でした、ってとこか?」 赤ずきんかよと突っ込む暇もなく、報復のつもりか同じ場所に噛みつかれる。うわ、と声を上げた九龍は、次第に皆守が本気で歯を立ててくることに戦慄した。 「ち、ちょっと待てこら、マジで痛い! 痛いっつーの!」 さすがに噛みちぎられはしないだろうが、確実に跡を残そうとする強さだ。もちろん、それはキスマークなどと優しいものではなく。 「ッい、たい、って!」 耐えられず途切れ途切れに抗議すると、ふいにその力が緩められた。安堵に息を吐いた九龍は、覗き込む皆守とばっちり視線が絡んでしまう。 「おはよう、九ちゃん」 ことのほか楽しそうに目を細めて、皆守は満足げに微笑んでみせた。確かめるように歯形に滑らせた指を、すぐ柔らかな唇に替えて。 「……そして、おやすみ」 反論しようとした声が、その甘い囁きにかき消される。流されてたまるかと己を叱咤した九龍は、目の前の首を狙って口を開けた。 噛みついて目を覚まさせて、もう一度朝の挨拶を繰り返してやるために。
「おはよう」 |