ベッドにうつ伏せに寝転がったまま、九龍は《H.A.N.T》をいじっていた。

 年末年始は実家で過ごす生徒も多いらしく、寮はひっそりと静まり返っている。ごちゃごちゃと物が溢れていたこの部屋も、段ボール箱にまとめてしまえば妙に殺風景に見えるから不思議だ。日付が変わる前に、この荷物たちも運び出されることだろう。

 外は緩やかに夕暮れへと向かっている。窓から見える墓地の木々が、オレンジ色の空にシルエットを浮かばせている。しばらくそれを眺めた九龍は、細めていた目を《H.A.N.T》に戻した。

 画面には、受信メール一覧が表示されていた。九月九日の探索要請から始まり、天香學園での任務中に受け取った数々のメール。最多はトレマガを含むロゼッタからの事務連絡だったが、バディをはじめ友人たちからのメールも数多い。九龍はそれらを一つ一つ、懐かしくなぞるように読み返してゆく。

 このメールをもらったときはこういうことがあったと、連鎖的に思い出して記憶をたどる。辛いことも苦しいこともあったはずだが、今となってみれば、ひたすら楽しい想い出ばかりが鮮明だ。

 ふと、皆守からのメールが意外に少ないことに気づいて、九龍は知らず口元を緩めた。四六時中ともいえるほど常に一緒にいたせいで、メールなど必要がなかったのだ。カレーパンを買ってこいだの、早く来いだの、そんなわかりやすい用件だらけの文面を、九龍はそれでも丁寧に目で追った。少しだけ―――ほんの少しだけ、これだけでは淋しいかもしれないと思った。

 天香で過ごした三か月、もちろん想い出は一生胸に刻まれるだろう。メールというわかりやすい形には残っていなくても、一番近くにいて一番の親友だった、皆守の存在は色褪せないだろう。

 だがどんなに強く心に焼きつけても、記憶は次第に薄れてゆくものだ。天香を去り遠く離れて、日々に忙殺されれば更に顕著に。

「……そりゃ、卒業式までには戻るつもりだけどさ……」

 ぽつりとひとりごちて、九龍は小さく笑った。万年人手不足の《ロゼッタ協会》のことだ、卒業式には出られても、すぐ仕事に駆り出されるはずだ。皆守が卒業後の進路をどうするのかまだ聞いていないが、遠く離れてしまうことは確実だろう。

 今まで何度も《宝探し屋》の仕事をこなしてきた九龍だったが、今回のような潜入という形の任務は初めてだった。現地で知り合った人間との別れは付き物で、わかっているはずなのに、慣れているはずなのに、感傷に浸ってしまうのはそのせいだ。

 いっそ次の指令なんて来なければいいのに、と思った。反面、早く指令が来てほしいとも思った。この學園の生徒としての自分と《宝探し屋》としての自分が、分裂してせめぎ合っているように思えた。

「こんなはずじゃなかったのになあ」

 呟きと共に、《H.A.N.T》を枕元に放り出す。うつ伏せの顔をシーツに埋めて、九龍はしばらく暗闇に身を任せた。

 次の《秘宝》を探しに行くのかと、屋上で皆守に聞かれたときは、満面の笑みで肯定したのだ。そんなに仕事が好きなのか、皆守はそう言って笑っていた。もちろん仕事は大好きなのだが、今はそれよりも、ここを離れる淋しさの方が大きい気がして。

 そのとき、コンコンとノックの音がした。九ちゃん、と声が続いた。返事をすればすぐにドアが開き、皆守が顔を覗かせた。

「よォ。もう片づけは終わったのか?」

 細身の肢体、ゆったりとした紫色のセーター、くわえられたアロマパイプ。見慣れたその姿を、九龍はうつ伏せに寝転がったまま、首だけ動かして視界に入れる。

「おう、あとは協会からの新しい指令待ち」
「……そうか」

 起き上がろうとした九龍は、受信メールが表示されたままの《H.A.N.T》に気づいて逆戻りした。友人たちのメールを一から読み返しているなどと知られたら、少し恥ずかしいような気がしたのだ。

 皆守が無言で部屋に入ってくるのを、九龍は気配で感じ取った。ドアが閉められ、ラベンダーの香りが強くなる。《H.A.N.T》の表示画面をデフォルトに戻したタイミングで、ふいに、どさりと背中に重みがかかった。

「……皆守?」

 どうやら上から抱きしめられた、というか圧し掛かられたらしい。首を回すと、肩口に色の明るい癖毛が見えた。

「重いんだけど」
「……寒い」
「いや俺暖房器具じゃないし」
「動くな」
「……」

 短い言葉には、どこか切実さが滲み出ている。皆守は黙り込んだ九龍の胸に両手を回し、乗り上げたまま、本格的に背後から抱きしめてきた。

「……なあ皆守」

 その腕が震えているような気がして、九龍は苦しい体勢で訊ねてみる。

「お前、ひょっとして泣いてる?」
「……泣いてない」

 すぐにぶっきらぼうな答えが返ってくる。伏せられた顔は髪に埋もれて見えない。九龍は内心で苦笑しながら質問を重ねようとして、刹那。

「ひゃッ!」

 うなじに落ちた柔らかな感触に、思わず変な悲鳴が漏れた。無意識に跳ねた背を、皆守が体重で押さえつけてくる。

「み、皆守?」
「……卒業式まで、会えないかもしれないんだ」

 もう一度振り向いても、やはり皆守の表情はうかがえない。ただ、静かに言葉が紡がれる。

「本当はこの場所に―――俺の腕の中に閉じ込めておきたい。だがそうすれば、お前はお前でなくなる。自由な《宝探し屋》の翼を折ることは、誰にも許されない……」
「え……えーと?」

 独白のような台詞を、九龍は引きつった笑みで聞き返した。以前から妙に詩的な言い回しをする皆守ではあったが、それにしても、今のはなんだかストレートではなかったか。

 また首筋に押し当てられた唇が、今度は髪の生え際、耳の後ろへと移動してゆく。思いがけない熱に戸惑っていると、皆守の腕の力が強くなった。

「新しい指令とやらが来るまで、せめて、このままでいさせてくれ」
「このままって……」
「このまま、俺の好きにさせてくれ」

 耳に吹き込まれた声と吐息に、勝手に身体が反応する。悪寒に似た感覚をやり過ごした九龍は、嘆息して力を抜いた。背後で、皆守が訝しげに首を傾げる気配がする。

「……九ちゃん?」
「本当に、このままでいいのか?」

 緩くなった拘束に、九龍は精一杯振り向いて皆守を見据えた。視界の端に鳶色の瞳を捉え、わざと口角を上げてやる。

「お互い顔が見えないまま、最後の日を過ごせって?」

 そうして皆守が言葉に詰まった隙に、無理やり身体を反転させる。驚いたような顔を、今度はまっすぐ正面から見上げて、九龍はもう一度笑ってみせた。

「泣いてないってんなら、別に向かい合ったっていいだろ。それに、俺はお前の顔をちゃんと見たい。俺だってお前と同じように、別れが淋しいって思ってるんだからさ」
「九ちゃん……」

 見開かれていた半眼が、更にゆっくりと大きくなる。九龍は笑顔のまま皆守に手を伸ばして、縋りついてくる勢いを受け止めた。五感の全てを使って、この存在を己に刻んでおこうと思った。

 床に滑り落ちた《H.A.N.T》が、控えめにメールの受信を告げてくる。聞こえないふりをして、九龍は思考を放棄した。











20041231
20081231UP


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