机に突っ伏すような形で、九龍は寝息を立てていた。

 つけっ放しのパソコン画面が、その顔を不可思議な色に染めている。各国の遺跡写真をスライドショーに、次々と変化するスクリーンセーバーは、持ち主である九龍のお気に入りだ。

 バスルームから出てきた皆守は、予想どおりの光景に苦笑した。洗い髪を拭きながら、少しだけため息をつく。起こさないよう静かにドアを閉め、ゆっくりとベッドに腰かけて。

「まあ、無理もないな」

 ひとりごちる表情とは裏腹に、声はどこまでも優しく穏やかだ。サイドテーブルのアロマパイプを拾い、スティックに火をつけると、嗅ぎ慣れたラベンダーが広がった。

 昨日まで任務に従事していた九龍は、ここ一週間、まともな睡眠をとっていなかった。バディとして四六時中付き添った、皆守も例外ではない。無事《秘宝》を手に入れて、《ロゼッタ協会》本部にあるこのねぐらに帰ってきたのは、つい二時間ほど前のことだ。

 遅めの夕食の後シャワーを浴びた九龍は、既に眠そうな顔をしていた。皆守が入れ替わりで風呂を使っている間に、今回のレポートをまとめておくと言っていたのだが。

 何事にも迅速さを求める《ロゼッタ協会》らしく、レポート提出期限は明日の昼までに設定されている。九龍の手元を覗き込むと、パソコンだけでなく《H.A.N.T》も起動されたままだ。律義に完成させようとして、作業の途中で睡魔に耐えられず、意識を手放してしまったのだろう。

「まったく……はしゃぎすぎなんだよ、お前は」

 呟いて、皆守はアロマを燻らせた。罠も仕掛けもたっぷりの遺跡で、嬉々として探索を進める九龍の様子を思い出す。どうせベッドに運ぶのは俺なんだ、半端に作業するくらいならいっそ寝て早起きして片付ければいいものを。自覚なしで呟いた文句にも、どこか甘やかすような響きが混じる。

 移り変わるスクリーンセーバーの景色に、九龍の後ろ姿が重なった。彼はきっとどの遺跡でも、子供のようにはしゃいでみせるのだろうと想像した。ギザの大ピラミッド、アブ・シンベル神殿、テオティワカン。やがて画面が暗転し、スリープモードに入ったところで、皆守はようやく立ち上がった。安眠を誘うラベンダーの香りは、既に部屋中を満たしている。

「おい、九ちゃん」

 とりあえず、起こしてちゃんとベッドに寝かせ直した方がいい。声をかけた皆守は、ふと九龍の頬に目をとめた。

 うっすらと残る、浅い擦過傷の痕。もうほとんど消えかけているそれは、間一髪で皆守が助けた結果だ。迫りくる罠を避けて、二人は遺跡の隅に転がった。九龍は照れたように笑って、ありがとう皆守愛してるよ、いつもの調子でそう言っていた。

「ん……あれ、俺……」

 気配で眠りから浮上したのか、九龍が不明瞭に呻いて目を覚ます。皆守はその視線を捉えて、無意識に微笑んでみせた。

 今回も、守ることができた。無事任務を達成し、穏やかな休息の夜をこうして共に過ごせている。それだけで、幸せだと思う。

「ほら、九ちゃん。寝るならちゃんとベッドで寝ろ」
「……んー」

 軽く肩を叩いて促すと、九龍は目を擦りながら顔を上げた。でも、と眠そうに呟いて。

「でも、まだレポート終わってないし……」

 やらなければならないという意識だけはあるのか、再度パソコンに向かおうとする。仕方がないなとばかりに、皆守は背後から九龍を抱きしめた。そのまま持ち上げて、引きずるようにベッドへ移動させる。

「そんな寝ぼけた状態でできるわけないだろ、無理するな」
「でも……」

 なんとか寝かせたが、九龍はまだしかめ面で首を振っている。皆守は少し苦笑して、無理やり布団を被せてやった。

「いいから。今日はもう寝ろ」

 左手のひらで両目を覆い、耳元で優しく囁いてやる。わずか身体を震わせた九龍は、諦めたようにおとなしく緊張を解いた。

「……おやすみ、九ちゃん」

 すぐ聞こえてきた安らかな寝息に、皆守は小さく笑った。手は瞼から額、前髪をくすぐって頬を撫でる。習慣的にキスを落としかけたが、それは後で九龍から存分に施してもらおうと思い直した。感謝の気持ちとしていただくべき、当然の報酬だ。

 気持ちを切り替えて、さっきまで九龍が寝ていた椅子に座る。彼のために燻らせていたアロマパイプを外し、さて、と伸びをして。

「徹夜で小人になってやるから、ありがたく思えよ靴屋。―――いや、《宝探し屋》か」

 連想したグリム童話を口にして、皆守はパソコン画面に向かった。序文だけで放棄されたレポート書類に、これは本当に朝までかかりそうだと思った。













小人は眠らない
20090126UP


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