ぼんやりと目を開けたとき、視界の端に黒髪が見えた。 癖のない直毛と、カーテン越しの陽光を受けた天使の輪。さらさらと零れる髪には、小さな虹の粒が散っている。 まだ夢の続きかと思った。夢にしてはリアルだと思った。皆守は無意識に手を伸ばそうとして、そして。 「……ッ!」 一気に、目が覚めた。 思わず跳ね起きた隣で、もそもそと布団の塊が動く。ずり落ちた隙間に見えるのは、予想どおりジャージ姿の。 「九龍……」 一瞬の驚きから立ち直り、皆守は大きく嘆息した。見渡すと天香學園男子寮の自分の部屋、自分のベッドに間違いはない。一体いつの間に潜り込まれたのだろう。無論この男に対しては、施錠など全く意味をなさないことは承知の上だが。 昨夜は遺跡の調査がメインだということで、バディには七瀬と黒塚が選ばれた。探索に出かける九龍を見送った皆守は、一人早々にベッドに潜り込んだはずだ。それが何故、ここで一緒に寝るはめになっているのか。 「おい、九龍」 がしがしと癖毛をかき乱し、ベッドに座り直しながら呼びかける。見ると、時計はまだ六時前。皆守にとっては早すぎる時間だが、このまま隣で二度寝するのもおかしい気がするし、何よりすっかり目が覚めてしまった。 「あと五分……」 カーテン越しでも太陽が眩しいのか、九龍がむにゃむにゃと呟いている。その幸せそうな寝顔を、皆守は無言で見つめた。《生徒会》に命を狙われているといっても過言ではない《宝探し屋》が、こんな体たらくでいいのだろうか。もしかすると自分より、九龍の方がはるかに寝汚いのではないだろうか。 思えば保健室でも屋上でも寮の部屋でも、いつでもどこでも眠る九龍は無防備だ。本当は身近に、すぐ隣に敵がいるというのに。 そこでふいに、理不尽な苛立ちが湧いた。真実を知らない九龍は、今も安眠の中にいる。彼にはそれが当然でも、皆守は違う。秘密を抱えたまま、親友面でそばにいる。九龍は警戒しない。気づいている様子はない。だから、きっと、苦悩しているのは自分だけ。 「九龍」 人の気も知らないでと、刹那芽生えた怒りを振り払い、皆守は九龍のジャージの肩を揺さぶった。否、これは怒りではなく羨望だ。裏切りを秘めたこんなどうしようもない男を、親友だと信じることができる九龍に対しての。 「起きろ、人のベッドを占領するな」 「んー……」 わずか呻いた九龍の唇が、ぐらぐらと揺れて半開きになる。半端に下がったジャージのジッパーから、覗く白い喉の隆起。知らず視線が吸い寄せられて、皆守は目を眇めた。 このまま呼吸を止めてしまえば、彼は己の殺意を悟るだろうか。勝手に部屋に入りベッドに潜り込み、隣で眠るなどという愚行をしなくなるだろうか。そして共に食事をすることも、笑うことも、無邪気に愛を振りまくことも、これ以上《墓》の奥へ進むことも―――。 「……ん。皆守?」 伸ばしかけた手は、呼びかけられてびくりと止まった。目を擦りながら、九龍が億劫そうに瞼を持ち上げる。 「おはよ……お邪魔してます」 「……ああ」 妙に毒気を抜かれた気分で、皆守は行き場の失った手を下ろした。わざと大きなため息をつくことで、さっきまで渦巻いていた感情をごまかす。 「なんで俺のベッドで寝てるんだお前は」 「あーうん、部屋、ぐちゃぐちゃで寝られなくってさ」 「あのな……」 ああそうだった、と皆守は天を仰いだ。 元々物が溢れている九龍の部屋だが、探索を終えた後は更に足の踏み場もなくなることが多い。特に、昨夜は調査がメインだと言っていた。遺跡で見つけて拾ってきたありとあらゆるものが、床やベッドに所狭しとぶちまけられているのだろう。 「だからといって勝手に潜り込むな、まったく」 心臓に悪い、と皆守はもう一度嘆息した。テーブルに手を伸ばし、置いてあったパイプにアロマスティックをセットする。ベッドに腰かけた皆守の後ろで、九龍はまだごろごろしている。 「だって皆守の部屋、ラベンダー効果ですげーぐっすり寝られるし」 そういえば九龍の夢を見ていた気がする、と皆守は思った。隣に本物がいたせいだろうか。内容は、よく覚えていない。 「っていうかまだ六時じゃんか」 時計を見た九龍が、驚いたように目を丸くする。そのまま布団に戻ろうとするのを、皆守はジッポーを探していた手で制した。 「だからそこで寝るんじゃない、俺だってゆっくり二度寝したいんだよ」 狭いだろうが、と布団を奪い返してやる。勢いでベッドから転がり落ちた九龍が、ごん、と派手に頭を打つ音がした。 「……おい?」 う、と呻いて転がったきり、九龍は何も言わず微動だにしない。思わず心配になってしまった皆守の耳に、先程と同じ安らかな寝息が聞こえてきた。 「お、お前な……」 さすがに呆れて、皆守は息の塊を吐き出す。床に落とされても寝続けるのか。頭を打っても熟睡か。―――それだけ、ここは安心して眠れる場所なのか。 複雑な思いで、皆守は再度寝てしまった九龍を見つめた。部屋には暖房が入っているとはいえ、床の上でそのまま寝て、風邪でもひかれてはかなわない。ベッドに引き上げるか、奪った布団を与えてやるか。前者は重労働になりそうだし、後者だと自分の布団がなくなってしまう。 「まったく……!」 何度目かの深いため息には、自棄の苛立ちが含まれていた。皆守はパイプを放り出し、掛け布団を九龍に投げつけ、毛布やクッションをありったけかき集めて、自分も床に寝転がる。九龍の隣、その体温を包み込むかのように。 勝手に人のベッドに入ってきた図々しい男のために、なんで俺が譲歩してやらなければならないんだ。 そうは思いつつ、すぐ間近で繰り返される穏やかな寝息に、次第に気持ちが落ち着いてゆく。さっきはすっかり目が覚めてしまったと思ったのだが、妙な安心感が皆守を夢へと誘う。意識すれば手の届く範囲に九龍の気配、九龍の温度。 そう、夢を見ていた。幸せで、温かくて、くすぐったい夢だった。続きを見ることができればいいと、ただ睡魔に身を任せる。そうして、永遠に目が覚めなければいい。儚い願望が具現化した、九龍と共に生きる夢の中で。 決して届かないはずの、自由な未来に手を伸ばす。 九龍を抱き寄せたことに気づかないまま、皆守は夢に堕ちた。
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