さむい、と九龍が呟いた。 白い衝立の向こうの、その小さな声を聞きとめた皆守は、ふいに眠りから浮上した。 午後の保健室には、静かな雨の音が響いている。他に人の気配はなく、保健医もまだ昼食から帰っていないらしい。 「……九ちゃん?」 寝返りを打って、皆守は隣のベッドに声をかけた。四時限目からずっとここで寝ていた自分と違い、九龍は昼食を終えてから一人でやって来た。彼と保健医のやり取りを、皆守は浅い眠りの中で耳にしている。会話の内容はおぼろげで、よく覚えていないのだが。 「九ちゃん」 もう一度呼びかけてみるが、衝立の向こうからは静かな寝息が返るだけだ。保健医に休んでゆくよう命令されたのかもしれない、そんなことを思って皆守は起き上がった。 最近の九龍は毎晩のように遺跡に潜っている。特に、つい先日開いたトトの区画が多い。氷と霜に覆われたあの場所で、体調を崩した可能性もありえなくはないだろう。 布団から抜け出して、皆守はそっと隣へ移動した。朝から降り続いている雨のせいか、保健室はどことなく薄暗い。ベッドの上で、九龍が胎児のように丸くなっているのがわかる。 「寒いのか?」 気遣って、小さく問いかけてみる。眠りを邪魔するのは気が引けたが、もしそうなら毛布でも掛けてやった方がいいかもしれない。 保健医を呼んだ方がいいだろうかと考えながら、皆守は布団からはみ出している九龍の右手に触れた。単純に、ちゃんと中へ入れてやろうという配慮だったのだが。 「ッ……」 予想外の冷たさに、一瞬息を詰める。まるで死体のようだと感じて、慌ててその思考を振り払った。 保健室はエアコンが効いているが、暖かいというほどの温度ではない。ずっと布団の外に出したままだったとしたら納得できる。それに、さっきまで寝ていた自分の手が温かすぎるだけかもしれない。 言い聞かせるようにそう思って、皆守はそのまま九龍の手を柔らかく握りしめた。無意識だった。離しがたくなったのか、温めてやりたくなったのか、自分でもよくわからなかった。 自覚のないまま、ゆっくりと指を滑らせる。探索でついたらしい小さな傷や、普通の高校生にはないはずの銃だこに、紛れもなく九龍の手だと実感する。 この手が、扉を開いてきた。この手が、《生徒会》の人間を救ってきた。 「……」 想像すると、自嘲した唇が皮肉げに歪んだ。今はこうして自ら確かめられるというのに、本当に握りしめたいと欲するとき、自分はこの手を振り払ってしまうのだ。そんな資格はない。救いも自由も望まない。望んではいけない、だから。 眠る九龍の右手が、次第に体温を取り戻してゆく。知らず目を閉じていた皆守は、両手でそれを包み込んでいることに気がついた。祈りの仕草を連想して、あながち間違いではないと矛盾した想いを閉じ込めた。 願わくば、この温もりが消えることのないように。《墓》の底で向き合って、己の脚が彼の命を散らしても。 昼休み終了の予鈴が、雨音に混じって聞こえてくる。保健医が帰ってきたら毛布を出してもらおうと思いながら、皆守は再び瞼を伏せた。自分と同じ温度になりつつある手を、今はただ繋いでいたかった。
右手に祈りを |