ふと目が覚めて、九龍は瞬きを繰り返した。

 至近距離に、こちらを見下ろす親友の顔がある。逆光になったその向こうに、青く晴れた冬の空。流れゆく白い雲。

「……何やってんの?」

 純粋な疑問から、九龍はぽつりと呟いた。屋上の床に寝転んでいる自分は今、何故か皆守に押し倒されている体勢だ。そして更に、彼の両手は九龍の首に掛けられている。力なくただ添えるだけの、微妙な位置で。

「寝てる間にこうやって首でも絞められて、殺されたらどうするんだ」

 どこか不機嫌そうに、皆守が言葉を落としてきた。突然現れてなんだそれと目を丸くした九龍は、あえて真面目に答えてみせる。

「大丈夫、そう簡単には殺されないから」
「アホか」

 それをおどけた冗談と受け止めたのか、皆守が眉間に皺を刻む。

「熟睡してただろ。俺が屋上に来たことにも気づかなかったくせに」
「まあ、それはそうなんだけど」

 睨む半眼に、九龍は思わず苦笑した。もし命を狙う『敵』が来れば、自分は即座にその殺気を感じ取り、臨戦態勢を取ることができるだろう。もはやプロの《宝探し屋》として染みついている、それは九龍の本能だった。

「だって皆守って、なんか猫みたいだからさ」
「は?」

 正直に言うと、訝しげに聞き返された。まだ寝ぼけていた頭にとっさに浮かんだ例えだったが、言い得て妙だと九龍は自負した。

 初めて屋上で出逢ったときもそうだった。皆守の気配は音もなく歩く猫に似て、注意しなければつかみにくいのだ。それに彼はクラスメートであり親友であり、頼りにしているバディでもある。そんな相手を警戒しろと言う方が間違いではないだろうか。

「大丈夫だって。これが皆守じゃなくて、喪部とかだったら応戦してる……」

 言いながら、九龍は語尾をあくびに変えた。先日同じクラスに来た《転校生》の名に、皆守がますます顔をしかめる。

「応戦ってお前、学校にも銃の類を持ち込んでるのか?」
「甘いね皆守くん、俺の武器はそれだけじゃないのよー?」

 半分睡魔に引きずられているせいで、九龍の台詞は舌足らずに間延びした。ただでさえ、昨夜は遅くまで探索していたのだ。皆守から香るラベンダーは、寝不足の頭には効きすぎる。

「……じゃあほら。してみろよ、応戦とやらを」

 低く呟かれて、九龍は重い瞼を持ち上げた。添えられていた皆守の両手が、言うが早いかゆっくりと首を絞めてくる。どこか暗いその鳶色の瞳に、九龍は今更ながら親友の苛立ちを感じ取った。

「何を怒ってるのか知らないけど、八つ当たりはやめてほしいです皆守さん」
「うるさい。応戦しないのか」

 皆守は視線を逸らさず、手の力も緩めようとしない。何かあったのだろうかと、九龍はぼんやり考えた。

 確かにここ最近、彼はいつにも増して機嫌が悪そうだった。今朝も登校は別で、昼休みと同時にここで昼寝を決め込んだ九龍は、午前の皆守の動向をよく知らないのだが。……明日香ちゃんやヒナ先生に、また色々しつこく説教された、とか?

 想像する間にも、皆守の手は更に強く首に絡んでくる。呼吸を止めるまでには至らずとも、息苦しさに変わりはない。九龍は無意識に頭を揺らし、なんとか酸素を取り入れようとした。

「……九ちゃん」

 そう囁く皆守の方が、何故か苦しげな表情に見える。なんでお前まで息上がってるんだよ、揶揄しようにもうまく言葉が紡げない。逃れることはたやすいが、皆守が本気でないことはわかっている。だからこそ。

「み……」

 唇だけで咎めるように、みなかみ、と九龍は喘いだ。それを目にした皆守が、一瞬だけ泣きそうに顔を歪めるのがわかった。絞める力を緩め、ふいに倒れ込んでくる。九龍の耳元に頭を埋めて、両手を首に添えたままで。

「……で?」

 大きく息をついて、九龍はその癖毛を見下ろした。激しく咳き込むほどではなかったが、絞められていた時間が長かったせいか、思い出したように頭痛が襲う。

「どうしたんだよ。何をそんなに苛立ってるわけ?」

 隠すように顔を伏せている皆守に、九龍は呆れて問いかけた。うるさい、とまた小さく呟かれる。

「お前が、俺のペースをかき乱しすぎるからだ」
「……は?」
「お前のせいで、俺の生活はめちゃくちゃだ」
「あー、はいはい」

 ぶつけられる言葉を、九龍は軽く流して受け止めた。それらは全て、普段から言われ慣れている文句だった。もちろん、本当に言いたいことは別にあるのだろう。

 気にはなったが、あえて聞かないことにした。聞くべきではないと、理性の片隅で警鐘が鳴っていた。あまり物事に動じない皆守がここまで不安定な感情を見せるのは、それだけの理由があるからこそだ。

 なんとなく頭を撫でてやろうとして、九龍は思い留まった。きっと、彼は中途半端な慰めを嫌うだろう。こうやって九龍のそばで、何かを確かめようとしているくせに。

 いつになれば、本当の姿を見せてくれるのか。本音を聞かせてくれるのか。かけがえのない親友だと、信頼する仲間だと思っているのに、九龍はいまだに皆守がわからない。

「それより、もう午後の授業始まるんじゃないか?」

 時間を気にして掛けた声に、皆守は反応しなかった。促しながら、九龍はまだ首に掛けられたままだった手を外してやる。本気ではなかったにせよ、さっきまで命を奪う動きを見せていた皆守の両手。それが今は強く、九龍の手を握り返してくる。まるで溺れた者が藁に縋るかのように。

「……ほら、教室戻るぞ。サボるって言っても連れてくからな」

 その強さに気づかないふりをして、九龍はわざと笑ってみせた。やはり気休めでも撫でてやればよかったかと、少しだけ後悔した。











冷たい両手
20090813UP


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