晴れすぎた空













 抜けるような青空が、頭上一面に広がっていた。太陽を浴びて痛いほ
ど白く輝く雲が、足元一帯に伸びていた。

 天空城。雲の上の、神の場所。

「わたしは城に入ることはできない」

 ユーリルの前に進み出たピサロがそう言ってから、時間は半刻を過ぎ
ようとしていた。まだ東にあった太陽は既に昇りきり、惜しみなく恵み
を注いでいる。今はちょうど過ごしやすい季節のはずだが、雲の上とい
うこともあってか、少し暑く感じられる。太陽が近いのだ。
 涼を取るには、馬車の中しかなかった。天空城の影は短すぎ、当然光
を遮る雲もない。馬のパトリシアは足元が不安なのか、怯えたように雲
のじゅうたんに座り込んでいた。何度来ても慣れないものは慣れないん
だな、幌の隙間から見える白い馬体に、ユーリルはそっと苦笑した。
 ピサロはずっと空を見上げている。やはり魔族らしく太陽が苦手なの
か、ユーリルと同じく幌の隙間から。それでも時折優しい風がすり抜け
て、青空を覗かせた。

 沈黙は続いていた。ユーリルは次第に空気が重くなっているような錯
覚を覚えた。ピサロは相変わらず涼しい顔で黙っていて、錯覚している
のは自分だけかもしれないと思うと、わずかな悔しさと苛立ちが湧き上
がる。お喋り好きなマーニャかトルネコか、いるだけで場が明るくなる
アリーナか…とにかく、誰かあと1人でもいてくれたらいいのに。
 無意識に唇を噛んで、ユーリルは幌の向こうの城を見つめた。馬車は
隔離された場所のように思え、空の青が痛かった。






 天空城を訪れたのは、ユーリルにまだ迷いが残っていたからだった。

 なりゆきでピサロを仲間にすることを決定したものの、本当にこれで
よかったのだろうか、とか。
 ピサロは強く――ともすれば勇者である自分よりも強く、それなら自
分の存在意義はどうなってしまうのだろうか、とか。
 新たな敵に立ち向かう今、それでも自分たちはまだ上を目指して修行
しなければ勝てないのだろうか、とか。

「一度、天空の神に助言を受けてみてはどうでしょう」

 言い出したのは信心深いクリフトだった。

「お母さんにも会えるときに会っておいた方がいいし、ね」

 マーニャとミネアの姉妹が同意する。城にいた天空人が、本当にユー
リルの母と断定されたわけではないのだが。

「真実の敵ってやつを倒したら、もう天空城に昇ることはできないかも
しれないし…もう一度あの景色を見たいなあ」

 アリーナが空を見上げて呟いた。受けて、ブライが然りと頷く。

「ルーシア殿とドラン殿に挨拶もせねばな」

 ライアンもはるか遠く雲の上を見つめ、懐かしそうに言った。

「そういえば世界樹のしずく、もうなかったんですよね」

 トルネコがアイテム袋を確認し、それが決定打になった。

 何も言わないままのピサロを無視し、ユーリルは不承不承ルーラの魔
法を唱えた。世界樹のしずくは必要だ。母とおぼしき人にも会いたい。
あの景色も目に焼きつけておきたい。仲間だった天空人とドラゴンに挨
拶もしたい。けれど。
 天空の神、マスタードラゴンには正直会いたくなかったのだ。

 気が進まなかった。苦手意識があった。畏怖があった。なにより抱く
べきではない、暗い澱のようなもの――それは、一種の憎しみのような
――そんなどろどろとした感情もあった。
 ユーリルの実の父親を殺したのは神で、実の母親を軟禁状態にしてい
るのも神で、そしてきっと、『勇者』を位置づけたのも神で。

 城の中の、あの雰囲気に慣れることもできなかった。慣れない、そう
足元が確かでなく、不安を感じるパトリシアと同じ。
 仲間は、観光気分で楽しめるのだろう。普通の人間が踏み入れること
のできない場所を、物珍しげに歩いて回れるのだろう。けれどユーリル
にとってそこは半分故郷であり、失われた地上のあの山奥の村の代わり
に、恐らくは最後に帰るべき場所であり――それを、マスタードラゴン
が暗に告げているようで。

 知らない、とユーリルは思う。帰る場所なんかじゃない、と思う。無
機質な床、無機質な壁、無機質な空気。そしてユーリルを勇者と崇め、
希望の未来を押しつける天空人。全てを知る神は全てを知っていながら、
そこに鎮座するだけの傍観者で――もっとも、それははるか昔のエスタ
ーク戦が、神をそうした理由なのかもしれないのだが。
 残ると言ったピサロに馬と馬車を任せ、一行はユーリルを先頭に神と
面会した。思ったとおり、彼は命令じみた激励しか与えてくれなかった。
このまま前に進む勇気を、少しでも得られはしたのだが、それよりも失
望の方が大きかった。

 神は、絶対的な味方ではない。

 それはあの日、あの村が滅ぼされた夜に、痛いほどユーリルを貫いた
事実。
 旅先で会う神父やシスターや、神を信じ神に尽くす人々を軽蔑する気
は毛頭ない。それがその人の生き方で、その人の選んだ道で、その人に
しか見えない『神』が存在するというならば、それでいいと思う。けれ
ど――けれど。

 けれど、僕は。

 本当は、見抜かれているのだろう。彼は全てを知る者。ユーリルの苦
悩も迷いも感情の渦も、何もかも。

 ユーリルは早々に城を出た。諸々の用事は仲間に任せた。母と会うこ
ともしなかった。神に近づけば近づくほど、鮮明に読まれてしまうよう
な気がするのだ。そんなところで、どうして落ち着くことができるのか。
それなら、外で仲間を待っていた方が。馬車にいるのがまだピサロだけ
だとわかっていても、ユーリルは雲へ降りる階段を、早足で後にせずに
はいられなかった。
 ピサロは馬車に腰掛けて、空を見上げていた。一人で戻ってきたユー
リルを見ても、何も言わなかった。沈黙は重かったが、閉鎖的な城内よ
り全然ましだった。彼と同じように荷台に座り、抜けるような青空を眺
めた。昔、あの村の中央の花畑で、幼なじみと寝転んで見上げた青と同
じ。ずっと、一緒にいられたらいいねと笑い合った日。

「助言とやらはもらえたのか?」

 空の向こうに遠く思いを馳せていると、ふと感情のない声が届いた。
気づくと、いつの間にかピサロがこちらを見つめている。

「神は、何か言ったか?」

 気になるのだろうか、ユーリルは思ってから考えを訂正した。ピサロ
の口調こそ淡々としていたが、その緋色の瞳には、わずかな揶揄が揺れ
ているのが見えたのだ。なるほど、気になるらしい。神の言葉そのもの
ではなく、神の言葉を聞いた『勇者』が何を思ったか。

「…別に…ただ、『お前たちのしたことは知っている』と」

 ユーリルは視線をそらし、うつむいた。まだ、彼とどう接するべきか、
ユーリル自身にもわからなかった。その戸惑いも何もかもを見透かして
しまうような、緋色を真っ向から見つめることはできなかった。

「…神が、憎いか」
「…え?」

 一瞬何を言われたのか理解できず、ユーリルは顔を上げた。すぐそば
に、絹糸のような銀色の髪。

「逃れられぬ悲劇を、変えられぬ未来を、人はしばし『運命』と称する。
お前も、考えたことがあるだろう。それは、神がわざと用意した試練で
はないかと」

 ユーリルは答えに窮した。運命、それはあらかじめ決められた道。脳
裏に、走馬灯のごとく想い出が流れてゆく。あの村が滅ぼされたのも。
かけがえのない人々が殺されたのも。仲間と一緒に、ここにいることも。
そして、自分が勇者であることも。

 炎に似たピサロの緋色の瞳に、途方に暮れたような自分の顔が映って
いる。まっすぐ貫いてくる透明な視線を受け止めて、ユーリルは口を開
いた。

「僕が…」

 意識して、声を凛と響かせる。

「僕が憎いのは、お前だ。お前だったはずなんだ。たとえ、全てが用意
された運命でも、全ての元凶が神にあるとしても、僕が刃を向けるべき
対象は、あの日から、ずっと、ずっとお前だった…」

 ピサロが目を細めてこちらを見つめていることに気づき、ユーリルは
語尾を濁した。非難めいた口調になっていた。何を言っても、どんなに
責めても、彼は自分の信念を曲げない。過去を悔いて、謝ることもない
というのに。

「過去形、か?」

 問いただすように、ピサロはゆっくりと息を吐く。炎が揺れた。おも
しろそうな、興味深そうな光を灯して。
 ユーリルは答えなかった。ただ、黙って苦笑した。自嘲だった。

 まだ憎い。許せるはずがない。憎悪は風化せず、復讐は誓いと化して、
己のうちにいまだ渦を巻いている。けれどそれを成就させようと殺気に
変える直前で、ユーリルは我に返るのだ。

 ――脳裏をよぎる、ロザリーの笑顔。想い出の中のシンシアと重なっ
て、瞬きをすれば消えてしまうほど刹那の光。

「…わかってる、くせに」

 独り言じみて、ユーリルは呟いた。わかってるくせに。今更、僕にお
前は殺せないことを。憎しみは過去形にせざるをえないことを。

 ――そうして、ただ終点へ向かって戦い続けるしかないことを。

「…結局…」

 空を見上げたユーリルの視線を追って、ピサロが呟いた。

「憎悪は、憎悪を呼ぶだけだ。そこから何も生まれはしないのだな」

 悟ったような、諦めたような独白。ユーリルは思わずまじまじとピサ
ロを見つめてしまった。

「…なんだ?」

 あまりにも真剣な、あまりにもひたむきな視線に気づき、ピサロが眉
を寄せる。その顔に、ユーリルは知らず笑いが込み上げてきた。

「…いや…なんか」

 耐えきれず吹き出すと、ピサロはますます眉をしかめた。不機嫌そう
な仏頂面。珍しく、感情を露にした表情。

「なんかその台詞、魔族の王らしくないなと思って…」

 ひとしきり、くすくすと笑う。呆れたような怒ったような顔のまま、
ピサロは何も言わなかった。ただ、視線をまっすぐ前に。

「…お前が、教えてくれた」

 ぽつりと、言葉が置き去りにされた。なんと言っていいのやらわから
ず、ユーリルは黙ってピサロを見つめた。優しい風が、彼の銀色の髪を
撫でてゆく。揺れて舞い散る、小さな光。綺麗だ、と思った。

「…いつか…」

 気がつけば、ユーリルは空を見上げて。

「いつか、天空人も人間も魔族も関係なく…」

 誰に聞かせるともなく、呟いていた。

「皆が平和に暮らせる時代が来れば、いいね」

 ――それは、単なる独白のように。

 ピサロがこちらを見つめていることがわかった。何を絵空事、と笑わ
れると思った。けれど彼は黙って、ユーリルの視線を追っただけだった。

 風が幌を躍らせて、晴れた空が一面に広がる。どこまでも、青い空。
いつかそんな時代が来るときも、この青は永劫変わらないのだろう。
 はるか未来で、また別の『勇者』が同じように空を見つめているかも
しれない。願わくば、そのときは。

 異種族と戯れ、遊び、共に戦うことが自然でありますように。今の自
分と違い、過去形にせざるをえない憎悪も、どうしようもないわだかま
りもなく。ただ、無邪気に。それが当たり前であるように。

 遠く思いを馳せながら、天空城から降りてくる仲間の影を、ユーリル
は目を細めて捕らえていた。










I have a dream.


そしてドラクエ5に続く。




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