覗き込んだ司令室では、大和がしかめ面で何かの報告書を読んでいるところだった。

 よほど集中しているのか、こちらに気づいた様子はない。明日香は少し気遣って、控えめにその名を呼んだ。眉間に皺を寄せたまま、大和が顔を上げて睨んでくる。

「……なんだ」
「あ、その、呼んできてほしいって、ジプスの人に言われたんだけど」

 あからさまに不機嫌な声に、明日香は知らず及び腰になって伝えた。うるさい邪魔をするな、今にもそう叱責されそうな雰囲気だったのだ。

「そうか」

 だが大和は素直に頷いて、報告書を机に置いた。よく見ればその険しい表情は、赤くなった目やその下の隈、血色の悪い肌で構成されていることがわかる。多分に疲労と睡眠不足によるものだろう。ヒナコさんの言うとおりだと、明日香は内心で嘆息した。

 ―――今のヤマト、絶対いつか倒れてまうで。明日香の話やったら聞くやろうし、ちょっと休め言うてきてくれへん?

 ジプス局員から頼まれて指令室へ向かう途中、彼女に背中を押されたことを思い出す。聞けば民間協力者である緋那子だけではなく、末端の構成員にまで健康の心配をされるほど、最近の大和は多忙を極めているという。さすがはこの国を支えてきた組織の長、といったところか。それだけ人望が厚い証拠でもあるのだろう。

「急ぎでなければ、十五分待てと伝えておけ。先にこれを片付けねばならん」

 大和はそう言うと、新たな報告書を手にした。机の上に山と築かれた書類の高さは、大地あたりなら早々に根を上げかねない量だ。あれを十五分で読むつもりだろうか。

「ヤマト。それより少し休んだ方がいいよ、顔色も悪いし」
「必要ない。今は一分一秒でも惜しいからな」

 聞く耳を持とうとしない大和に、明日香はわずか眉根を寄せた。彼の言うことに間違いはない。新たなセプテントリオン・メグレズの襲来に、今は急ぎ対策を練るべきだろう。とはいえ指揮官が気力体力を使い果たしてしまっては、元も子もないではないか。ジプスの最高位である彼の代わりは、現状誰にもできないのだから。

「書類を読むその十五分だけでも仮眠に充てれば、後の仕事の効率が良くなると思うんだけど」
「その十五分が、我々の未来の明暗を分けることもある」

 気遣いを込めた助言は、やはり鼻であしらわれてしまった。む、と明日香は唇を尖らせる。

「メグレズって、今は遠い太平洋の海の中なんだろ? それが十五分で浮上して移動して、日本列島を襲うって?」
「可能性はゼロではない」
「そうやって無理をしたせいで、肝心な時に力を発揮できない可能性だってゼロじゃない」

 苛立ちながら歩み寄って、明日香は大和の手から報告書を奪い取った。英単語と数字の羅列は、今日のセプテントリオンのデータだろう。見ているだけで頭が痛くなりそうだ。

「俺はヤマトの身体を心配して言ってるんだよ。そんな疲れた顔で作戦指示されたって、現場の士気が下がるだけだろ。みんなも心配してる。いいから、少しでも休めって」
「……」

 大和は何か言いたげに、じっと明日香を睨み上げた。鋭く貫いてくる色素の薄い瞳を、明日香も負けじと睨み返してやった。沈黙はぎこちなく、張りつめた糸のように二人の間を繋ぐ。やがて大和の方が先に目を逸らし、大げさにため息を吐き出した。

「……大したものだな。この私に命令するのはお前だけだ、明日香」

 諦めたような台詞には、かすかな苦笑が混じっている。どっかりと椅子にもたれた大和を見て、明日香も知らず息を吐いた。無意識ではあるが、緊張してしまっていたらしい。

 峰津院大和はジプス局員の畏怖の対象だ。彼に余計な口出しをした次の瞬間、ここを追われ路頭に迷うことになるかもしれないのだ。それは自分たち民間の協力者も、決して例外ではないだろう。

 ゆえに大和が何故自分を買ってくれるのか、明日香はいまだによくわからないでいる。人類の脅威であるセプテントリオンを倒してはきたが、明日香一人ではできなかったことだ。市井にも力を持つ者がいると認めたなら、大地や維緒や他の仲間たちにも、同等に接するべきだというのに。

「よかった。じゃあヤマトは十五分だけ休憩するからって、ジプスの人に言ってくる」
「ああ、待て」

 ほっとして戻ろうとすると、背後で大和が立ち上がる気配がした。何、と振り向く前に、パーカーのフードの後ろ部分―――兎の耳のようになっている、飾りの二本をまとめてつかまれる。まるで、兎狩りで捕らえた獲物のごとく。

「うわ」

 あまりに突然のことに、明日香は逆らえずよろめいた。そのままぐいぐいと引っ張られ、隅にある黒い革張りのソファの方へ連れて行かれる。

「ちょっ何やってんのヤマト、そこ持つとこじゃないんだけど、ていうか首が締まる!」
「……フム、これは便利なものだな。容易に連行できる」
「連行!? いや、犬の鎖かリードじゃないんだから!」

 このパーカーには音楽プレイヤーも付属しているし、着心地もいいので気に入っているのだ。伸びるからやめろという訴えも聞き入れず、大和は更に強くフードを引いた。

「では、これは何のためについているのだ? 単なる飾りというには不可解だな、俗世間での流行か」
「俺ら一般人からしてみれば、ヤマトの軍服コスプレの方が不可解だよ」
「? これはジプスの制服だ」
「知ってます、ッ!」

 慇懃に言い返した途端、乱暴にソファへ放り投げられた。突っ伏してしまった明日香を横目に、大和も隣に腰を下ろして。

「ここにいろ。十五分で起こせ」

 足を組んで尊大に言い放ち、瞼を閉じる。文句を言ってやろうと起き上がった明日香は、口を開けた状態で固まった。

「……おい、ヤマト?」

 ほどなくして聞こえてきた静かな息は、明らかに人が寝ているときのそれだ。

「も、もう寝てる? うっそだろ……」

 早すぎないかと呆れるも、すぐに想像して納得することができた。峰津院家の跡取りとして生まれた彼は、恐らく幼少の頃から多忙だったのだろう。少しでも時間を無駄にしないため、寝つきは早く眠りは浅く、何かあればすぐ目覚められるように。そんな生き方をしてきたに違いない。

「はあ……ま、休んでくれるならいっか」

 とにかく、峰津院局長は少し仮眠を取ると局員に伝えてこよう。ひとりごちて立ち上がりかけた明日香は、いまだフードの耳が握られたままであることに気がついた。本当に寝ているのかと疑うほどの強い力で。

「……くそう、犬扱いしやがって」

 正に飼い主と繋がれた犬のような状態に、明日香はがっくりとうなだれた。ここにいろってなんだよ、俺は見張りの忠犬か。あるいは目覚まし時計か。もしくは快眠グッズか。お気に入りの毛布代わりか。

 連想を飛躍させながら、諦めてソファにもたれかかる。仕方なく携帯のアラームを十五分後に設定して、明日香は大和の首のネクタイを無造作につかんだ。起きるまで離してやるものかと、手のひらに巻きつけてから目を閉じる。このまま自分も眠ってしまえばいい。そうすればお互い様だとばかりに。











相互拘束十五分
20110910UP


BACK