友達の定義

























 昼休みの終わりを告げる、予鈴のチャイムが響いた。

 青い空の下、誰もいない屋上。和泉と向かい合ったまま、計
はそれを遠い世界の音として耳に捕らえていた。

「…だから?」

 それがどうしたと言いたげに、和泉が問いかけてくる。一応
責める口調で言ったのに、彼の表情は変わらない。身長差のせ
いで対する目線ははるか上にあり、まるで見下されているよう
な気分になる。――いや、比喩ではないのかもしれないが。

「…だから…その、もうちょっと、彼女に優しくしてやれって」

 気圧されて、計は思わず言葉を濁した。なんでこんな奴にこ
んなこと言ってるんだろう、そんな本心が顔に出たのか、和泉
がわずかに口角を上げる。少し、馬鹿にした微笑。その非の打
ちどころのない端正な顔を、計は負けじと睨み上げていた。





 ――元はといえば、単純に頼まれたからだ。

「玄野くん…相談、してもいいかな」

 いつもどおり、多恵と一緒に帰ろうとしていた放課後。教室
を出ると、多恵の隣に涼子がいた。計も一度は目を奪われたこ
とのある転校生、和泉の彼女だ。

「え? 多恵ちゃんじゃなくて、俺に?」

 思わず自分を指差した計に、先に事情を聞いていたのか、多
恵も同時に頷いた。

「和泉くんのことなんだって。こういう恋愛相談って、男友達
の方がさりげなく聞きやすいかなって」
「…はぁ…」

 無意識に、生返事になってしまった。友達という単語に引っ
かかって、苦笑しそうになったのだ。…友達、か? 俺と、和
泉が?

 計の複雑な表情に気づくことなく、多恵は涼子に説明を促し
た。彼女の言い分はつまり、最近和泉くんが冷たい、本当に私
のこと好きなんだろうか、なりゆきで付き合ってくれてるだけ
なんだろうか、他に彼女がいるのではないか、そのような不安
の集大成だった。

「や、そんなに心配することねーと思うけど…」

 最近冷たいって、最初からじゃねーのか。ふとそんなことを
思ってしまったが、心の内にとどめておく。

 ――俺は、世の中で誰も信用していない。

 そう言っていた和泉の、感情のない言葉。あれは新宿大虐殺
事件の前、彼がまだあの部屋に呼ばれていない頃だ。再び生死
の境で戦う悦びを見出した今の和泉は、ますますその傾向が強
くなっていないだろうか。

 他人が口を出すようなことではないとわかっている。涼子が
直接聞けば、和泉も適当に否定して場を逃れるだろう。そして
何事もなかったように、元の恋人同士に戻れるはずだ。――例
え、それが彼の演技にしかすぎないとしても。

 そうは思えど計は何も言うことができず、結局縋るような涼
子の目に負けてしまった。何よりも、友人を心配する多恵の表
情がとどめだった。わかった、とりあえず和泉と話してみる、
そう言って彼を屋上へ呼び出したのだが。

「…ふーん、涼子がね」

 計の説明の後、予想どおり和泉は無関心に呟いた。そして、
冒頭の台詞。

 本来の和泉を知っている計の前で、彼は表の姿を演じようと
はしない。そんな自分がこの種の相談を、引き受けること自体
に無理があると計は思う。涼子が安心できる優しい言葉など、
得られるわけがないのだ。

「で? なんでお前にそんなこと言われなきゃならないんだ?」

 風が撫でる長い髪をかき上げて、和泉は冷たく言い放った。
揶揄混じりの口調に、計は苛立ちを抑えて笑ってみせる。皮肉
に嫌味を上乗せして。

「…友達、なんだってさ」
「は?」
「俺と、お前が」
「…はっ」

 計を見下ろしたまま、和泉も鼻で嗤ってみせた。何が友達だ。
つい先日、都庁で殺し合った仲だというのに。

 二人の間を、乾いた風が吹き抜ける。交錯した瞳の奥に、刹
那弾けたかすかな光。それは、殺意の残滓のようなもの。

「とにかく…話はそれだけだから」

 新宿での記憶が怒涛のように蘇って、振り払うべく計は目を
伏せた。言うべきことは言った。これ以上何も言うことはない
し、何を言っても無駄だ。踵を返すと、心配で見にきたらしい
涼子と多恵が、屋上へ続く階段を昇ってくるところだった。

「玄野」

 背後から、からかうように呼び止められる。

「友達だったら、友達らしくしろよ。涼子や小島のためなんだ
ろ?」

 振り返ると、相変わらずこちらを見下ろす目があった。しば
らく、無言で見つめ合う。他人のことに一切興味を示さない、
冷たく静かな瞳。それが生気に輝くのは、極限状態の戦いの中
でのみ。

 ――お前も、同じだよ。

 かつて、多恵を通して聞いた台詞を。

 今言われたような気がして、計は唇を噛み締めた。視界の端
に映る、涼子と多恵の見守るような姿。そう、確かに。

 彼女たちを欺いているのは、自分も同じ。

「…もう、行かないと…」

 取り繕うように台詞を絞り出すと、語尾が震えた。

「授業、始まるぞ」

 無理やり、笑顔を作る。ぎこちない計とは対照的に、和泉は
ごく自然にそうだなと笑った。つい先ほどまで張り詰めていた、
緊張感など何もなかったかのように。

 同じ笑顔で、和泉は涼子に接するだろう。そしてまた、誰も
が認める人気者を演じ続けるのだろう。全てが完璧とも言える
目の前の長身を見上げて、計は屋上に背を向けた。

 また、風が吹き抜ける。待っている彼女たちのために、芽生
えた感情を全て押し殺す。敵意に似た眼差しが、背中に突き刺
さるのがわかる。

 ――「友達」が、聞いて呆れるよ。

 報告すべき無難な言葉を探しながら、計は自嘲の笑みを浮か
べていた。








20051105up


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