なんでこんなに美味いんだろう、と陽介は思わず固まってしまった。

 一口目を飲み込んで、箸を持ったまま余韻に浸る。最初に食べたときも感動して、また食わせてくれよなと調子に乗って、快くOKしてくれた事実が嬉しくて、だから今日は朝からそわそわしていた。昼はどうするか聞いたとき、弁当を作ってきたという答えが返ってきたからだ。

 もちろん相手は彼女ではないし、そもそも同性の親友である。あなたのために作ってきたの、などという手作り弁当を期待したわけではない。ただ一口でも食べさせてもらえれば、それだけで満足だったのだ。

 ……ていうか肉じゃがだぜ、肉じゃが。

 膝の上のタッパーを、陽介はもう一度見下ろした。味付けは絶妙、じゃがいもは煮崩れもなくほくほく、昨夜作ったというわりには出来立てにも似た味わいがある。肉じゃがといえば男が女性に求める家庭料理ランキング、常に上位に食い込んでいるメニューではなかっただろうか。

「あのさこれ、ホントにお前が作ったんだよな?」

 疑うわけではなく単純に信じられなくて、陽介は恐る恐る隣に座る月森に聞いてみた。じっと陽介の反応をうかがっていた親友は、こくりと大きく頷いて。

「昨日菜々子が買い物行って、色々材料揃えてくれたから。……花村、肉じゃが好きだって言ってたよな?」
「ああうん超好み、てかマジこれ美味すぎ、相変わらず月森マジックだな!」

 勢いでもう一口頬張ると、少しだけ不安そうだった月森の表情が和らいだ。ダークグレーの瞳が、陽介を映して細められる。

「それ、全部食べていいから」
「え、でもお前の分」
「そっちは花村のために作ったんだ」

 言って、月森は鞄からもう一つ弁当箱を取り出した。どうやら同じメニューを二人分作ってきたらしい。

「マ、マジで俺のために?」
「うん。この間、気に入ってもらえたみたいだったから」

 月森は少しはにかんだ顔で、そう言って微笑んでくれた。無表情の印象が強い彼の笑顔に、陽介はしばし見惚れてしまった。

 自分の行動で人が喜ぶのを見るのは、確かに嬉しいと陽介も思う。例えばもし自分に料理ができて、美味しいと言って食べてもらえるなら、彼氏に手料理をご馳走する女の子の気持ちになれるのだろう。……いやだからって月森を女の子扱いする気は全くないし、俺だって彼氏気取りなわけじゃないし、って待て待て、何考えてんだ俺!

 ごまかすように、陽介は改めて両手を合わせた。んじゃ遠慮なくいただきます、言って食べることに専念する。自らもジュネスの惣菜弁当を持参していたが、この際忘れることにした。ああ、美味いものが食えるって幸せだな。ここはクマじゃねぇけど、もうこの言葉しか出てこねぇ。

 たいへんおいしゅうございます、だ。

「しっかしお前って、つくづくハードル高いよな」

 味わって咀嚼しながら、陽介は何気なく口にする。自分の肉じゃがに手をつけていた月森は、何が、と小さく首を傾げた。

「何気にモテるくせにもったいないというか……好きな男が自分よりも料理上手っての、女の子には辛いと思うぜ」
「そう、かな」
「そうだよ! いっそ料理下手の女の子の方が合うんじゃねぇの? 例えば里中とか、天城とか……」

 そこまで言って、陽介は語尾を途切れさせた。そういえば、月森は彼女たちのことをどう思っているのだろう。

 ふと浮かんだ疑問に、なんとなく箸を止めてしまう。以前二人のうちどちらが好みかと聞いたとき、どちらも好みだと本気か冗談かよくわからない答えが返ってきた。仲間として大切だというのはもちろんだが、誰かに特定の恋愛感情を持っているわけではないような気がする。少なくとも自分はそうだ。だからきっと、彼も。

 同じだといいのにと思ってから、陽介は己に苦笑した。まるでちっぽけな独占欲のようではないか。友達に彼氏ができると一緒に遊んでくれなくなるから淋しい、などというオンナノコ思考ではないか。

「花村」

 こっそり自嘲していた陽介は、ふいに声をかけられて顔を上げた。

「ほら。もうちょっと、ゆっくり食べればいいのに」
「へ」
「ここ」

 どこか笑いを堪えたような月森が、自らの右頬を指している。え、何、と戸惑っていた陽介は、その意味を悟って慌ててしまった。

「嘘、ついてる?」

 箸を持った右手で頬を拭うと、手の甲にじゃがいものかけらがついてきた。我ながら子供みたいにがっついてしまったと反省しながら、陽介はそれを舐め取って。

「そ、それだけ美味いってことだよ」

 もごもごと言い訳をして、月森から目を逸らす。どうも微笑ましく見守られているような気がして、陽介は頬が熱くなるのを感じた。一瞬交錯した視線には見覚えがある。彼のいとこである堂島菜々子を見つめるような、どこか慈愛のこもった瞳だ。

 マジで子供扱いかよ、と陽介はうつむいたまま恥ずかしくなった。すぐに、それは不満へと発展した。家族を想うのに似た親愛の情は嬉しいが、歓迎するのだが、それでも。

 月森はクラスメートで親友で相棒でリーダーで、陽介にとっては既に特別な存在となっている。他の仲間も特別だと思ってはいるが、月森は別格だ。だから彼も同様に、陽介のことを特別だと思ってほしいと。

 ……駄目だ俺、これじゃマジでわがままな子供だろ。

 ため息を吐いて、陽介は無意識に空を見上げた。そもそも、何をもって特別とするのだろう。例えば今二人きりの屋上とか、俺のために作ってきてくれた肉じゃがとか、それだけでも十分『特別』なんじゃねぇか?

「なあ、月森」
「ん?」

 箸を口に入れたタイミングで、月森がまた首を傾げてきた。その仕草がなんだか可愛いと思いながら、陽介はぽつりと呟いてみる。

「いつでもいいから、またこうやって弁当作ってきてくれるか?」
「……なんだよ、改まって」

 一瞬きょとんとした月森は、すぐに当然だろと笑って頷いてくれた。そんなに気に入ってくれたのか、ありがとう。穏やかな声でそう言われて、陽介は大げさに首を振った。

「いやいや、礼を言うのは俺の方だし!」

 慌てる陽介を、月森はにこにこと見つめている。駄目だ、本当に子供扱いだ。半ば諦めた陽介は、今はまあそれでもいいかと少し笑った。

 口に残る肉じゃがの味は、どこか懐かしい気持ちにさせてくれる。ていうか、月森ってオカンみたいだよな。そんなことを思いながら顔を上げると、やはり慈愛に満ちた灰色の瞳が、優しく陽介を見守っていた。











屋上で昼食を
20080801UP


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