見上げると、曇天の空から雨粒が落ちてきていた。 雨はやがて勢いを増し、明後日まで途切れることはないだろう。やんだ朝には、霧がこの町を包み込むだろう。天気予報など見るまでもなく、それは己の知る絶対の未来だ。 降り始めの小雨が白く、辺りを覆ってゆく。道端で談笑していた女性たちが、慌てて店の中へ入ってゆくのが見える。客の少ない商店街は、暇を持て余して井戸端会議をしているのが日常だ。雨ならば、更に客足は遠のくはずだ。 例外なく客のいない、商店街唯一のガソリンスタンド。 その屋根の下で、彼は静かに佇んでいた。 スタンドの制服である派手な上着と帽子、ふわふわと波を描く長めの髪。中性的に整った容姿だが、今彼に目を留める者は誰もいない。 客を待つでもなく、物思いにふけるでもなく、彼はただ空を見ていた。雨の日は好きだった。ただこうしているだけで、不思議と穏やかになれる気がした。閑散とした町を包み、全てを忘却へと誘いかける静寂。それはまるで世界が切り離され、この場所だけが孤立しているかのような。 存在するのは己と、霧雨と、それから。 天を仰いでいた彼は、ふと唇に微笑を刻んだ。感覚に滑り込んでくる、強烈でどこか懐かしい気配。まだ遠い。走ってくる。耳を澄ませば、次第に近づいてくる足音――来た。 「やあ」 角を曲がってきた人物に、彼は気さくに声をかけた。ビニール傘を差した男子高校生が、少し驚いた様子で足を止める。 ダークグレーの髪と瞳、八十神高校の黒い制服。すらりとした肢体は運動神経のよさを連想させ、実際そうであることを彼はよく知っている。見た目に反して軽々と剣を振り回す細腕も、ペルソナと呼ばれる力を自在に操っていることも。もちろん、あの世界へ行き来していることも。 「堂島さんとこの月森君、だよね。こんな雨の日に、どこに行くの？ 買い物？」 にこにこと話しかけると、男子高校生はこくりと頷いた。雨で煙る道の向こうに透明な視線を投げて、付け足すように口を開く。 「今日は四六商店割引きしてるし、愛家の肉丼も食べられるから」 紡がれた言葉は、雨音にかき消されることなく凛と響いた。そっか、あの肉丼好きなんだねと言いながら、彼は心の中でこっそりと補足する。 ――それに、雨の日はだいだら．で珍しい『アート』も買えるしね。テレビの中で手に入れた素材を売って、ね。 そう言ってみせれば、どういう反応をするだろう。想像して、彼はじっと少年を見つめた。微笑のままの店員を、少年はきょとんとした表情で見つめ返していた。 この少年たちによって、今回の被害者も先日無事救出されている。昨日の探索は宝箱を探したり、シャドウを倒したりとどこか気楽なものだった。その様子を、彼はずっと高いところから見ていた。昨日だけではなく一昨日も、その前の日も、少年がこの町に来たあの日からずっと。 条件さえ満たせば誰でもよかった。たまたま選んだ三人のうちの一人だった。単なる観察で、自分は傍観者で、ただそれだけのはずだったのに。 一体、どこまで真実に近づけるのかと。 今はこの少年に、興味を持ち始めている己がいる。 「これから雨、ひどくなるみたいだから。気をつけてね」 軽く手を挙げて、彼は笑顔で少年を見送った。少年はぺこりと会釈をして、来たときと同じように、ビニール傘を掲げて走っていった。 雨の向こうに消えてゆく、存在感のある後ろ姿。それを追って、彼はもう一度笑みの形に唇を上げる。あの場所で、待ってるから。だから早く真実を突きとめて、ここまでおいで。 「そして汝らが希望の光、我の前に示すがよい」 先ほどまでの軽さとは打って変わって、彼は厳かな口調で言い放った。その言葉は誰に届くこともなく、静寂の中へと消えていった。 雨は、まだ続いている。全てを飲み込み、全てを覆い隠すかのように。
それでも雨は降り続く |