目の前で、虹色の星が散った。

 焦点が定まらずに、陽介は何度も瞬きを繰り返した。頭がくらくらしていて、己自身をうまく操れない。鈍い音。手に伝わる衝撃。軽い痺れを自覚しながら、ゆっくりと瞼を持ち上げて、そうしてようやく理性を取り戻すと。

 月森が、倒れていた。陽介のすぐ足もとで、苦しそうに頭を押さえて。

「……月森?」

 陽介の呼びかけに、千枝と雪子の悲鳴が重なる。センセイ、とクマが叫ぶのも聞こえた。陽介は何が起きたのか理解できないまま、大丈夫かと手を伸ばそうとして。

 そこで、初めて気がついた。自分の両手に握られた、少し重めのスパナ。月森が拾ってきてくれて以来、気に入っている最近の愛用武器だ。

「あ……」

 唐突に理解して、寒気に似たものが全身を駆け抜けた。手に残るこの感覚は、シャドウを殴りつけたときと同じものだ。つまり自分はたった今、月森を殴ってしまったということに。

「花村の馬鹿! 雪子が回復してあげた途端、あっさりまた混乱するなんて!」

 千枝が怒鳴るように言って、近くのシャドウを蹴り散らしている。敵はまだ残っていたが、陽介は愕然として立ち尽くすだけだった。自分がスパナを取り落としたことにも気づかなかった。

 そうだ、ついさっきまで混乱していた。何が味方で何が敵か、よくわからなくなっていた。動くものは敵だ、やられる前にやらなければならない。そう思い込んで、両手を振り回して、鈍い感触が伝わって、そして。

「だ、大丈夫か、月森……」

 声が震えて、顔が引きつる。大丈夫なわけがない、シャドウを倒すのと同じ力で、思いきり殴りつけてしまったのだ。

「……ん、平気。でもちょっと眩暈がした。さすが花村」

 月森は少し呻いて、陽介を安心させるように笑ってみせた。見た目に外傷はない、血が出ているわけでもない。持っていたのがナイフの類ではなくてよかったと思うが、それでも。

「平気って、でも頭ってなんかやばくないか……ご、ごめん、悪かった、うわ待てお前、動かない方がいい!」

 上半身を起こした月森に、陽介は慌てて回復スキルを使った。これで体力や怪我はある程度回復するのだが、頭というデリケートな部分の、精密なレベルでも効果があるのだろうか。とにかく病院だ、今すぐここを出よう、ジュネスに戻れば担架もあるから。陽介が矢継ぎ早にそう言うと、月森は微笑で首を振って。

「大丈夫だって」
「大丈夫なわけないだろうが! てか……何してんだ俺、お前に攻撃するなんて……!」

 うろたえる陽介を、月森はどこかきょとんとして見上げている。怪我はないとしても、混乱していたせいだとしても、陽介は自分が月森を傷つけたという事実に動揺していた。

 初めてできた親友で、尊敬できる自慢の相棒だった。その彼を、少し混乱したくらいで敵とみなすなど言語道断だ。日常生活での些細な喧嘩ならまだしも、今自分がしたことは、単なる一方的な攻撃なのだ。命を奪うため、殺すための。

「……大丈夫?」

 気がつくと、戦闘は終わっていた。最後の一体にとどめを刺した千枝と雪子が駆け寄ってくる。大丈夫みたいだね、と雪子も月森に回復スキルを使う。陽介は立ち直れないまま、呆然とその様子を見ていた。

「ごめん……本当に、ごめん」

 何度謝っても謝り足りない気がして、繰り返し謝罪の言葉を口にする。月森はやはり、不思議そうな顔でこちらを見ていて。

「気にすることないよ。花村、正気じゃなかったし」
「でも……でも俺、お前を本気で殺そうと……!」

 最後まで言えず、陽介は拳を握り締める。どんな理由があろうと、その事実に変わりはないのだ。そう思うと、じわじわと恐怖が湧き上がった。

 直接攻撃はもちろん、ペルソナと呼ばれる不可思議な力でも、自分は簡単に人を傷つけることができる。その『力』の恐ろしさに、今更気づかされた気がした。

 事件を解決できるのは自分たちだけで、そのために力があるのだと、そう思っていた。だが、使い方を誤れば。先程のように、敵と味方の区別ができなくなれば。

 今進もうとしているこの道は、死と隣り合わせの非日常なのだと改めて実感する。死は『敵』によってもたらされるだけではなく、些細なことですぐ頭上に忍び寄るもの。自分自身も誰かに与え、あるいは与えられてしまうかもしれないもの。たとえ、それが不本意だったとしても。

「花村……」

 言葉をなくし唇を噛み締める陽介に、月森が少し困ったように声をかけた。その瞬間。

「敵三体、増援クマ!」

 クマが叫んで、新たなシャドウが這い寄ってくるのが見えた。さっきと同じ種類のシャドウだ。月森は即座に起き上がって剣を構えるが、陽介はやはり立ちすくんで動けない。

「花村!」
「花村くん!」

 何やってんの、とシャドウを囲むように散開した千枝と雪子が叫んでいる。陽介はその声を耳に、さっき落としてしまったスパナを見下ろした。手が震えているような気がした。

 もしまた、同じ状態に陥ったら。この手で仲間を、月森を傷つけてしまったら。そう考えると、身体が恐怖に支配されて何もできない。

「ヨースケ、早く武器を拾……センセイ!」

 クマの悲鳴じみた声に、陽介ははっと我に返った。見ると、少し離れた月森がシャドウの混乱攻撃を受けている。刹那、陽介は理性を弾かれた。一気に、己を取り戻した。……何やってんだ俺、仲間が命を懸けて戦ってるってのに!

「やばい花村、ガードして!」
「え」

 決意してスパナを拾おうとしたとき、千枝の声が飛んできた。何、と思って顔を上げると、月森がこちらに走ってくるところだった。なんだか様子がおかしい、目の焦点が定まっていない。そう感じたとき、彼は陽介に向かって剣を振り上げた。

「駄目、月森くん!」

 慌ててペルソナを召喚しようとした雪子は、すぐシャドウに阻まれてしまった。千枝がそれを助けに入り、どうしよう、という目で陽介を見るのがわかった。――今度は、月森が混乱している。陽介を敵だと思い込んでいる。

「月森……」

 ぎらりと光る剣の切っ先に、次は俺の番なのかと陽介は冷静に思った。月森から紛れもない殺意を感じて、自分もそうだったのだろうかと想像した。ああこれってきっと、いつも俺らに倒されてるシャドウの気分なんだろうな。さっき俺に襲われた月森もこんな感じだったのかな。そういえばカーメン、じゃなくて祖父江先生が言ってたような気がする。目には目を、歯には歯を。罪を犯した者は、同じ罰を受けることになるんだって。

 だが月森の武器はスパナではなく大剣だ。相当痛いだろう、思って陽介は自嘲の笑みを浮かべた。痛いどころではないだろうし、一撃で殺される可能性もある。だがそれならそれで、己が受けるべき報いなのかもしれない。そんな諦めの境地で、陽介は振り下ろされる剣を見ていた。……ああ天城、里中、後でちゃんと治療してくれよ!

 剣の軌跡が、何故かひどくゆっくりと見える。避けるべきだと思いながらも陽介は固く目を閉じて、そして。

「馬鹿花村」

 呆れたような言葉と共に、ごん、と頭に鈍い衝撃が来た。思わず尻もちをついてしまった陽介は、斬られたにしては軽すぎる痛みに目を丸くした。見上げると、月森が苦笑しながら立っている。

「これで平等だな」
「……へ?」

 陽介はぽかんとして、いつもと変わらない月森の端正な顔を眺めた。ダークグレーの瞳には普段どおり、しっかりと理性の光が宿っている。回復スキルもアイテムも使っていない、そんなに早く立ち直れるはずがないのだが。

「俺も今、混乱してお前を殺そうとした。だからさっきのは帳消しだ、忘れろ」
「お前、まさかそのために……」

 わざと、混乱したふりをしたのか。

 悟って、陽介は呆然と月森を見つめた。気にするなという言葉だけでは立ち直れなかった陽介に、実力行使をしたということなのか。同様の状況を演出し、こだわる陽介の心が軽くなるように。互いが対等となるように。

「な、なんだよそれ……だまされた……!」

 脱力してがくりとうなだれると、悪かったと言いながら月森が剣を持っていない方の手を差し伸べてくれた。そういえば剣だったと頭を押さえてみるが、わずか鈍い痛みが残っているだけで、別に斬られてはいないし血も出ていない。月森は珍しく、悪戯っぽい笑顔で陽介を見下ろして。

「安心しろ。峰打ちだ」
「み……峰打ち?」

 いや、いつからその剣は日本刀になったんだ。

 陽介が突っ込みを入れる前に、ぶふ、と吹き出す雪子の声が聞こえた。まだ戦闘は続いているというのに、つぼに入ってしまったらしい。

「せ、西洋剣の峰打ちって何? 斬るんじゃなくて、叩くってこと?」
「ちょ、雪子、まだシャドウ残ってるから!」

 笑う雪子とたしなめる千枝を見て、陽介は更に脱力してしまった。なんだこれ、死と隣り合わせの非日常だっつーのに。この緊張感のなさってどうよ……。

 気が抜けると、戦闘中にも関わらず笑いが込み上げてくる。陽介は月森の手を借りて起き上がり、落ちていたスパナを拾い上げた。

 手はもう震えてはいない。いつの間にか、随分と心も晴れている。それを知って、陽介は一度大きく深呼吸をした。

「んじゃ、気を取り直して行きますか」

 両手にスパナを握って、わざと明るく笑ってみせる。ああと答える月森の横顔に、やっぱりこいつにはかなわないな、と改めて思い知った気がした。











等号コンフュージョン
20080808UP


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