何もかも壊せたら、どんなに楽になれるだろう。

 安泰を守り、平和を保ったまま、僕らは危険な綱渡りをしている。向
こう岸は見えず、元来た道へは戻れないまま。落ちたらきっと、二度と
這い上がれないことに気づいていながら。

 出口のない迷路。答えのない疑問。

 僕は、今日も繰り返す。





 軽く鍵盤をたたきながら、僕は静かな孤独感を味わっていた。

 夜にはにぎやかになる場所とはいえ、誰もいない今、そんな雰囲気は
全く想像できない。プリズン。拘禁。刑務所という名のライブハウスは、
痛いほどの威圧感で僕を置き去りにする。
 鉄扉を閉めると、ここは外のあらゆる事象から孤立しているように錯
覚できる。存在するのは僕と、楽器と、青白い空気と、そして。

「…早かったね」

 僕は鍵盤から顔を上げ、螺旋階段に声をかけた。にっこりと笑いかけ
る。予定より早く姿を見せた君が、軽く手を挙げるのがわかった。

「栄吉は?」
「遅れるって」

 当然のようにもう一人の仲間を探す君に、短く答える。階段を降りる
硬質の足音を、無意識に一歩一歩数える。君と、僕との距離。カウント
ダウン。どんなにそばにいたって、たとえ体を重ね合わせたって、決し
てゼロにはならない数字。

「…補習か?」
「そんなとこ」

 答えながら、僕は鍵盤に指を滑らせた。プリセットされたピアノの音
が、剥き出しのコンクリートに反射する。雨だれのような音。独房では
なくなったけれど、牢獄には違いない、閉ざされた空間を演出する。

 ステージに座り、君は無言で背中のギターを下ろした。チューニング
を始める音に合わせ、僕はDのキーを押さえる。楽器なら、音波なら、
こうやってピッチの狂いもなく融合させられるのに。

 君は無口だし、あまり詮索もしないし、表情豊かな方でもない。他人
に興味を持つことも少なく、だからこそ、常に一番遠い存在に思える。
見つめる瞳は僕を透かして、別の何かを追っているように感じる。諸刃
の剣のような瞳。そう思うのは、僕が君に捕らわれているせい?

「…誰か来たらどうするんだ?」

 唇が触れた後で、君は驚きもせずそう言った。立膝の姿勢のせいで、
僕が君を見下ろす形になる。間に挟まれたギターが邪魔で、僕は体の位
置をずらした。
 ギターの形が女性の体に似ている、と言ったのは誰だったろう。それ
なら、僕はギターにも嫉妬するべきなのかもしれない。君は、鍵盤に嫉
妬してはくれないだろうけど。

 わかってる。独占欲が強いのは、僕の方。

「入り口、鍵かけようか?」

 提案するだけしておいて、行動に移す気は更々なく、僕はもう一度唇
を重ねる。君が制服の腕をつかんで抗議する。他人行儀に。

 最初にそうなったのは、もういつのことか覚えていない。たまたまそ
ういう気分だった、と言ってしまえばそれまでだ。たまたま抱き合って、
たまたまキスをして。

「…何をやってるんだ?」

 表情を変えずに、君は聞いてきたっけ。

「わからない…」

 僕は答えを探して、見つからなくて、首を横に振っていた。君が大し
た抵抗をしないのは、多分そういうことにあまり興味を持っていないせ
いなのだろう。求めるのは、いつも僕。それがいい証拠。けれど。
 人と馴れ合うことに、他人に触れられることに、君が未だ臆病である
事実は変わりない。だから僕は、もっと優越感を持ってもいいのかもし
れない。

 いったん心を開いた相手に対して、君はものすごく無防備だから。

 ギターがステージの床に落ちて、派手な不協和音を奏でた。僕たちを
とがめる理性の声にも似て、それはいつまでも耳障りに脳裏に残ってい
た。
 
 
 あのときは、君を殺したいと思っていた。憎くて憎くて、どうしよう
もなくて、この手で葬り去ってやりたいと。
 何度も何度も、君を殺す夢を見た。君の血が僕の体を濡らすのを、例
えようのない快楽に感じていた。憎悪は昇華されて、悪夢にうなされる
こともなくなって、一度は失われた記憶も怒涛のように溢れ出して、そ
れでも。

 君を殺したい気持ちは、今でも残っていると言ったら、君はどんな顔
をするのだろう?

 君が、もっと僕に笑ってくれたら。
 君が、もっと僕に話してくれたら。
 君が、もっと僕に応えてくれたら――。
 責任転嫁する。このまま君を殺してやりたいと思うのも、永久に独占
したいと思うのも、何もかも、君のせいだと。
 
 
 ――そして、僕は今日も繰り返すのだ。当てもない、行き止まりの迷
路の中を。決して解けない、永遠のパズルを。

「…ねえ、達哉」

 君の名を呼ぶ。二度目のチューニングを始めた君が、立ち上がって振
り返る。

「僕は、卑怯者だよね」

 独白じみたつぶやきに、透明な表情を浮かべた君は、何も答えてはく
れなかった。





ラベンダー - What is love ? -





淳達初挑戦の巻。
ラベンダー(白)の花言葉は
「私に答えて」です。


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