何が現実で何が夢なのか、僕は理解できないでいる。





 夜毎、僕は虚構の世界をさまよっていた。

 全てが思いどおりになる世界。僕の、願いがかなう世界。僕と君以外
には、何も存在しない世界。

「…忘れたんだ?」

 夢の中の君は、何も言わず僕を見つめてくる。冷たい瞳。初めて会っ
た、見知らぬ他人を見る視線。

「僕のことも、自分が犯した罪も、全部忘れたんだ?」

 君は答えない。再会した、現実の君と同じように。
 当然だ。君は、自分が忘れたことすら忘れているのだから。

「…都合の悪い過去は封印するなんて、そんなこと、許されると思う?」

 つぶやきながら、寒気がした。心が震えた。憎悪を中心とした感情の
渦に、さまざまな思いがせめぎ合って、いっそ快楽にすり替わる。

 僕は右手を一閃させて、君の意識を断ち切った。手にしていたアイリ
スの花が赤く染まる。頬を濡らした君の血を舐めて、僕は倒れた君を見
下ろした。ひと思いに楽になんかしてやらない。じわじわとなぶり殺し
てあげる。生と死の狭間で、悶え苦しませてあげる。
 君は抵抗もせず、舞う花びらに切り刻まれてゆく。肉を断つ感触。返
り血の温かさ。きっと、肌に触れるより確かなもの。君の温度。

「無様だね」

 倒れた君の、血まみれの髪をかきあげる。さすがに苦痛に耐えかねて
いるその顔を見て、サディストじみた愉悦が僕の背筋を這い上がる。

「何か言ってよ。許しを乞うてみる? 謝罪してみる?」

 甘くささやいて頬をなぞると、唇が何かを言いかけた。聞きたくない。
僕は笑って、それを塞ぐ。呼吸を貪り、逃げられないように顎を押さえ
て。

 この世界には、あらかじめ用意されたような遊戯しかなかった。すな
わち、君を殺すこと。君の命を奪うこと。その過程。
 それは何度も何度も、果てることなく続いてゆく。何度殺しても君は
死にきれないし、何度殺しても僕は飽き足りない。まだ足りない。僕の
苦しみと哀しみを癒すには、まだまだ。

 僕は君を殺し続ける。罪を思い出した現実の君に復讐するまで、何度
も何度も何度も。僕の中の君を。偽者の君を。美しい思い出と共に。

「ねえ、達哉」

 幻をさまよいながら、君を抱きしめる。ここでは、僕は君の支配者と
なる。何をしても、何をされても、君は無抵抗だから。君は、僕のもの
だから。

「早く、思い出して。自分が、何をしたのか」

 それが、この夢の終わり。僕が、解放されるとき。
 僕の頬を流れる涙に、僕は気がつかないでいた。



 ――どこかで僕を否定する声が、聞こえたような気がした。



 すべてが、快楽の海に飲み込まれてゆく。溺れかけた思考を、何かが
激しく駆け巡る。君が、静かに見つめている。瞳に映るのは僕。君の血
で緋色に染まり、狂気の表情をした僕。
 何かが弾け飛びそうで、何かが殻を破りそうで、僕は粉々になりかけ
た自我を無理やりかき集めた。その破片の中に、わずかながらの理性も
あった。

 違う、とそれが叫ぶ。

 何が、と僕が嘲笑う。



 ――君が、僕の名を呼んだ。



 記憶が瞬いて、空間が剥がれ落ちて、隙間から幻が流れ出した。歪め
られた過去に見え隠れする真実が、怒涛のように僕を襲う。

 神社。炎。何もかもを舐め尽くす、炎の赤。君が流した、君の血の赤。

「…嘘、だよね」

 緋に侵食された理性が勝って、僕はつぶやいていた。

「君が、殺したんだよね」

 君は無言で、僕の言葉を受け止める。どこか哀しそうに見える瞳。僕
の思い込みだろうか。夢の中の君は、偽者の君なのに。単なる憎悪のは
け口でしかないのに。

 君が、僕の名を繰り返した。耳には届くのに、意識までは落ちてこな
い。誰? それは、誰の名前?

「何をためらう」

 突然、二人きりだった世界に歪みが生まれた。声を追うと、そこには
もう一人の僕。

「僕は僕を信じればいい。憎いなら殺せ。復讐するんだ」

 僕は、僕に命令する。この世界の空しさに気づき始めた僕から、君と
いう人形を奪う。君は無抵抗。僕に、助けを求めることもしない。
 あれは、僕。それをぼんやりと眺めているのも、僕。僕は、僕を信じ
ればいい。けれど、僕は誰? 本当の僕は、どこにいるの?
 疑問を、言葉にした後で。

 僕は、全身全霊で僕を拒絶していた。





 夢の中で、何度も何度も君を殺した。
 夢の中で、何度も何度も君を犯した。
 作られた夢。見せられた夢。
 けれど、全てが偽りだったと言い切れるだろうか?

「助けて」

 血に染まった、君の体にすがりつく。

「助けて、達哉」

 君は何も言わない。瞳は僕を映しているのに。触れた肌は、まだぬく
もりを残しているのに。

 このままでは、殺されてしまう。
 君が、僕に。
 僕が、僕に。

「助けて…」

 つぶやきは置き去りにされた。夢の中の君が、僕の頬を流れる涙を無
造作に拭う。優しく、静かに微笑んで。
 君は、偽者の君。でも、それは僕が作り出したもの。僕の願望と欲望
と切望とが、君の姿を模したもの。

「淳」

 唇が僕の名を紡いだ。ちゃんと、僕の内側に染みた。君じゃない君が、
僕の思い描いた君が、僕に救いの手をさしのべてくれる。僕は涙で曇っ
た視界で、君の血で赤く染まった世界で、それを受け取ろうとして、刹
那。

 空間が、悲鳴をあげて破裂した。





 ――何が真実で何が嘘なのか、僕はまだわからないでいる。きっと、
答えはすぐそばにあるはずなのに。

 今、僕の歪んだ欲望を受け止めてくれている君は、本物なのだろうか。
それとも、結局は僕が生んだ幻にすぎないのだろうか。
 どうでもいい、と思った。どちらにしろ、このまま君を殺せば君は僕
のもの。これが現実であれ夢であれ、それだけは確かなこと。

 君の命を屠る快感に溺れる僕を、君を支配して陶酔する僕を、僕は傍
観者のように、僕の内側から見つめていた。
 君に、救いを求めながら。

 いっそ、その手で殺してほしいと。





A SWEET NIGHTMARE - 優しい悪夢 -





淳達というか、ジョーカー×達哉ですね。
悪夢系(?)好きなので、
書いてて楽しかったです。


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