愛してる、愛してる、愛してる。

 繰り返し、呪文のように吐き出される言葉。そうすることで、君を縛
りつけて閉じ込めるかのように。
 わかってる。こんな言葉に、こんな行為に、何の意味もないってこと。
でも、ささやかずにはいられない。何故なら。何故なら。

「…達哉」

 呪文の間に、君の名前を織り交ぜる。虚ろに、鳶色の瞳が動かされる。
僕を見ていながら、どこか違うところをさまよっているような視線。目
をそらさないで。そのまま、目を閉じないで。僕だけを見て。僕のこと
だけを考えて――。





 君が倒れたのは四神殿の最後、獅子宮の最深部。影との死闘に辛くも
勝利した後だった。

 影を受け入れた衝撃なのか、張り詰めていた緊張が解けたのか。最初
は受けた傷が原因だと思って、舞耶姉さんとリサが慌てて回復していた
のだけれど。
 君はぐったりと倒れたまま、瞳を開けなかった。

「とにかくここを出て、回復施設に運ぼうぜ」

 ミッシェルが君の腕を取って、肩に回して起き上がらせる。何処がい
いかしら、一番近いのはエテーリアだけど、エステじゃあねえ、と相談
し始める三人を、僕はぼんやりと見つめていた。
 回復魔法で傷は治ったけれど、衣服まで綺麗に元通りになるわけじゃ
ない。赤く染まったシャツの襟元から、君の血の濃厚な匂い。…めまい
がする。

「…淳クン?」

 舞耶姉さんの声で、僕は我に返った。彼女はにっこりと笑って。

「達哉クンの言葉、しっかりと覚えておくんだぞ?」

 そうだよ、と続くリサとミッシェルに、僕はありがとうと微笑んでみ
せた。

「憎んでなどいない」

 君は、影に毅然として答えていた。僕が君に対して抱いていた罪の意
識や、わだかまり。その言葉で、舞耶姉さんたちは僕が救われたと思っ
ている。普段何も言わない君が、自分の気持ちを形にしたから。けれど。

 ――果たして、僕は救われたのだろうか?

 結局僕らは港南区まで足を伸ばして、黎子さんに疲労だと診断された。
君だけじゃなくて、僕らも少し休息を取るべきだと言われた。確かに、
四つの神殿を休みなしで制覇してきたのだから、当然といえば当然だろ
う。

「それじゃ、今日は各自家に帰って休むことにしましょう」

 舞耶姉さんがそう提案したとき、君がちょうどミッシェルの背中で目
を覚ました。家に帰るのは嫌だ、と弱々しくつぶやく。きっとお兄さん
のことがあるからだろう。

「じゃあ」

 気がつくと、僕は口を開いていた。

「達哉は僕の家に来ればいいよ。どうせ、誰もいないし…」
「うん、達哉クン、それがいいわ」

 君が何かを言う前に、舞耶姉さんが明るく笑ってそう言った。やっと
しがらみが解けた十年来の親友同士、水入らずで一晩思い出話に花を咲
かせてくれれば、とでも思ったのかもしれない。
 何か言いたげなリサを横目に、僕はミッシェルから君を受け取った。
君は自分で歩ける、と言ったけれど、足元がふらついている。大丈夫。
僕は、見た目ほど柔じゃないから。

 皆と別れて二人きりの帰途の間、君は何も言わなかった。僕も何も喋
らなかった。沈黙は重くはなかったけれど、それでもどこかぎこちなか
った。君の血の匂いが、僕の理性を狂わせる。――もしかしたら僕の心
の片隅に、まだジョーカーだった頃の記憶がこびりついているのかもし
れない。どうしようもなく君が憎くて、君を殺そうとしていたあのとき。

 ――達哉。

 僕は、君に赦してもらう資格なんか、ない。





 僕がシャワーから出ると、余程疲れていたのか、君は僕のベッドで既
に眠りに入っていた。少し、苦笑する。君はリーダーで、責任感も強い
から、疲れたなんて言い出せなかったのだろうと思う。皆は君に、もっ
と自分たちのことを頼ってほしいと思っているだろうに。

「…達哉?」

 ベッドの横に腰掛けて、つぶやいてみる。色素の薄い君の髪が、枕に
零れて綺麗な模様を作っている。彷彿させるのは、獅子のたてがみ。自
由で、奔放で、誰にも支配されない、誇り高い獣。
 刹那、君に触れたい衝動が、身体の奥からせり上がってくるのを感じ
た。何者にも縛られないからこそ、君を支配してこの手でめちゃくちゃ
にしたくなる。そう思うのは、わがままな僕の独占欲だろうか。それと
も僕の中に眠る、残酷で無垢な子供の嗜虐心だろうか?

 気がつくと引き寄せられるように、薄く開いたその唇を塞いでいた。
羽根のように触れて、すぐ離す。安らかな寝息は媚薬にも似て、僕はそ
れを軽く舐めてみた。濡れた唇は色を取り戻し、誘うように光る。君は、
まだ目を覚まさない。
 どうしようもなくて、何も考えられなくて、僕は君の頬に両手を添え
た。今度は、深く口づける。顎を上向かせて、歯を舐めて。奥の方の舌
を絡め取ると、濡れた音がやけに大きく部屋に響いた。君のかすかなう
めき声が重なる。

 しばらくそうやって、僕は夢中で君の熱を貪った。角度を変えて、何
度も何度も何度も。蹂躙するたび、理性という名の歯止めが、脆く崩れ
去ってゆくのを感じる。――もう、止められない。

「…じゅ…ん…?」

 息苦しさで意識が浮上したのか、君がうめくようにつぶやいてきた。
僕はそれすらも塞いで、毛布をはだけさせて、パジャマ代わりに貸した
シャツのボタンを探る。急に眠りから覚まされたせいと、与えられる感
覚のせいで、君はまだぼんやりとしている。けれど僕が耳元に唇を寄せ
ると、驚いたように身体を跳ね上げた。構わず、耳の形を舌でなぞる。
耳朶を甘く噛む。

「じ…っ」

 淳、と言いかけたらしい抗議の声が、喉の奥でくぐもった喘ぎに変わ
った。僕は少し笑って。

「…達哉、耳弱かったりするんだ?」

 意地悪く、言ってみる。君はにらんで、覆い被さった僕の身体を押し
のけようとした。すかさず、尖らせた舌で君の耳を嬲る。
 肩をつかんだままの君の手が、堪えきれずに震えた。僕は更に音を立
ててそこを責める。あ、とかすれた悲鳴が君の唇から漏れ、僕に優越感
を与えてくれた。

 ――何かが、僕を止めようとしている。

 理性はとっくに壊れていた。体温の上がり始めた君の身体と、艶の混
じった吐息と、少し潤んだ鳶色の瞳。それを目の前にして、僕にまとも
な理性が残るはずがなかった。
 僕の内側で、小さく叫ぶもの。それはきっと、『友情』というラベル
をつけられた偽善。どこまでが友情でどこからが愛情なのか、そんな境
界線は存在しないのに。

 言葉にすると強くなれるような気がして、愛してる、とささやいてみ
る。はだけた胸に這わせている指のせいで、君の答えは不明瞭に終わる。
いいから、何も言わないで。僕が与える感覚だけを追っていて。僕はも
う、君に忘れられたくない。だから、君の内側に、僕の存在を刻みつけ
てやりたい。
 君が、本気で抵抗できないことはわかっていた。本気で抵抗すれば、
僕を傷つけると思い込んでいることも知っていた。僕は、君が思ってい
るほど繊細じゃないのに。その優しさにつけこんで、君を自分のものに
しようと考えるほど、汚い人間なのに。

 次第に乱れる呼吸が、僕の耳をくすぐってくる。煽られて、耳元から
首筋を舌でたどる。頚動脈の辺りに強く吸いつくと、君が小さく鳴いて
身体をよじらせた。赤い鬱血の跡が鮮明に残る。――また、めまいがす
る。

「憎んでいいよ…達哉」

 与えられる快楽を持て余して、目を閉じて耐えている君を見つめなが
ら、僕はそっとささやきかけた。
 憎んでいいよ、達哉。ジョーカーだったときは本気で君を憎んでいた
し、殺そうとしていた。操られていたせいじゃない。あれは、きっと、
僕の本心。君に向けられる感情が憎悪か愛情か、それだけの違いだ。そ
してそれは紙一重で、恐らくどちらも歪んでいて。

「あ」

 出口を求める君自身に優しく触れると、君は喉をそらして嬌声を上げ
た。ゆっくり、君の快楽を支配する。欲望を操って、ますます君を追い
詰めてゆく。君が僕の腕の中で、脆弱な小鳥のように震えて鳴いている。
――走る、愉悦。

 僕のことしか考えられなくなった君を、このまま殺してやりたいと思
う。跡をつけた首筋を切り裂いて、僕の腕の中で君が息絶える瞬間。そ
れを、君の血で緋色に染まりながら待ってみたい。君の唇、君の吐息、
君の温度。全てを支配したままで、永遠に、君を僕のものに。

「淳…っ」

 僕の名を呼ぶ君の声が、繰り返し繰り返し、僕の意識を侵食する。無
理やり高ぶらされた君の熱が、耐えきれず僕の手の中に吐き出されたの
を見て、今度こそ、僕は何も考えられなくなったのを感じた。

 もっと僕を見て。もっと僕を感じて。もっともっと、僕を求めて――。


 君を、閉じ込める。
 愛してるという呪文で、がんじがらめに縛りつけながら。




檻 - prisoner -





淳って達哉に対して執着が
強すぎて、狂気じみてる
ところがある気がします。
…私的イメージですが。


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