目が合って、我に返った。 ぼんやりしていた意識に、透明な蒼色が飛び込んでくる。海と空を混ぜ合わせ、映し入れたかのような瞳の。 「……なに?」 どうしたの、とルークがその目を瞬かせながら笑った。そこで改めて現実に落ちたカイトは、少し慌てて笑顔を作った。 「あ……いや、別に」 「そう?」 不思議そうに首を傾げ、柔らかく微笑んでから、ルークはまた手元のパズルに集中する。手のひらの中で一つ一つ、丁寧に組み立てられてゆくピース。元はそれぞれ、別のパズルだったものだ。 彼の手にかかれば、どんなものでもパズルになる。それはファーストフードの砂糖だったり、本棚の雑誌だったり、道端に転がる小石だったりする。そしてカイトの部屋にある、様々なパズルたちも例外ではない。 知恵の輪、ポリキューブ、ハノイの塔、3Dジグソー。一旦ばらばらにされたそれらの部品が、別のパズルの部品と共に、また新たなパズルとなって生まれ変わる。魔法のようなその過程に、カイトは先ほどから見入っていたのだった。 ルークの指は器用に繊細に、時には大胆にパズルを作り上げてゆく。ずっと眺めていても飽きることはなく、綺麗だとカイトは思った。しなやかで力強く、舞うように動くその手が。 「……カイト」 くす、と苦笑混じりに名前を呼ばれた。気がつくと、いつの間にかルークがすぐ目の前にいた。先ほどまでパズルを繰っていた両手に、そっと頬を包まれる。 「そんなに好きなの?」 「へ」 何が、とカイトは訊き返した。ルークは更に笑みを濃くして。 「僕の手。見惚れてたでしょ」 「みっ……」 反論できず、息を詰める。そのとおりだとはいえ、本人に指摘されるとなんだか恥ずかしくて、カイトは目を逸らして呟いた。 「し、仕方ねーだろ。お前の作るパズルが好きなんだから」 「パズル、だけ?」 すかさず、強調して問いかけられた。ルークの手のひらが頬を滑り、輪郭を確かめるように撫でる。 「ねえ、パズルだけ?」 誘導じみて重ねられた質問に、カイトはまた返答に詰まった。知っているくせにと突き放してやりたいが、彼のことだ。カイトから直接、確かな言葉を引き出したいに違いない。 答えを促すように、親指が唇の端に触れる。そのまま下唇をなぞられると、背筋を悪寒めいたものが走った。 「ルー、ク」 何してんだよと文句をぶつけてやりたくても、捕らわれたように動けない。ただ手のひらで優しく、頬を押さえられているだけだというのに。 「言いたくない?」 ルークが少しだけ拗ねたように言った。そういうわけではない、単純に恥ずかしいだけなのだ。以前は無邪気に口にして伝えられた好意も、今は友情とは別の、もっと深く甘い意味を伴ってしまいそうで。 「そう強情だと、言わせたくなるよね」 沈黙を守るカイトに、ルークが悪戯を思いついた子供のように笑った。柔らかな感触が唇に重なって、すぐに離れる。あまりに突然のキスだったので、カイトは目を見開いて受け止めるしかない。 「……言いたくなった?」 揶揄に細められる、至近距離の蒼い目。基本的に意地っ張りであるカイトを、あえて煽るかのごとく。 「なっ……」 なんだよ、もう絶対言ってやらねーからな。 真っ赤になってそう反発しようとするが、また降ってきたルークの唇に塞がれた。更に続いて侵入してきた舌が、言葉も呼吸も奪ってゆく。激しさはないものの執拗に繰り返されて、鈍い愉悦が滲み始める。 わざわざ言葉にしなくても、こんなことを許している時点でわかってほしい。そんな思いを込めて舌を絡め返すと、引きずられたようにルークの手のひらが下りた。頬から肩を辿り、背中に回って抱きしめられる。 「……カイト」 耳元で吐かれた声は、既に隠しきれない劣情を帯びている。くすぐったくてすくめた首に、押しつけられる唇の熱。衣服の隙間を探る指と、甘く囁かれる名前。 ゆっくりと回る視界に天井が見えて、ああもう、とカイトは頭を掻きむしりたくなった。パズルを作るルークを見ていただけなのに、その手が綺麗だと思っただけなのに、どうしてこういう展開になるのか。 問いただせばきっと、君のせいだよとからかわれるだろう。君が見つめるから、君が意地を張るから。ほらカイト、君のせいだよね? 容易に想像できる彼の笑顔を、カイトは瞼を伏せることで追い出した。優しく肌の上を這う手のひらは、パズルを作るときと同様に、しなやかで力強く綺麗なのだろうか。想像するとまた恥ずかしくなってきたので、それ以上考えないことにした。 とにかく圧し掛かる体重を受け止めて、こちらからも抱きしめてやる。言葉では表しきれない思いを、自ら引き出せばいいとばかりに。 ―――目の前で、カイトがパズルを解いている。 手のひらの中で一つ一つ、丁寧に解かれてゆくピース。さっき完成したばかりの、ルークが作ったパズルだ。 真剣な眼差しも、試行錯誤に動く指も、時折感心したように綻ぶ笑顔も、カイトの全てがルークを魅了する。パズルを解いているときの彼は、この世の何よりも美しいと思う。手の中にあるものが、自分の作ったパズルなら尚更のこと。 「……何?」 視線に気づいたのか、どうかしたかとカイトが振り返った。一旦パズルに夢中になれば、他の何も目に入らなくなる彼にしては珍しい。それだけ、ひたむきに見つめていた証拠かもしれない。 「うん。やっぱりカイトは綺麗だなって思って」 「お、お前な……」 素直な感想を告げると、カイトは困惑顔で脱力した。綺麗だよと重ねて言いながら、ルークは彼の襟足に手を伸ばす。まだ湿気を纏う、まとめられていない洗い髪へ。 「おい、ルーク」 何やってんだよと言いたげな呼びかけを無視し、髪をかき分けて、露にしたうなじに柔らかく噛みつく。がしゃん、とパズルが落ちる音。 「ちょっ……邪魔すんなよ、まだ解けてねーんだから」 パズルを拾うカイトの右手を取って、ルークはその指にも噛みついた。人差し指から親指をなぞり、手首にそっと口づける。またパズルを落としそうになったカイトが、慌てて逆の手に持ち替えた。 「だから邪魔すんなってルーク!」 「片手で解けばいいじゃない。君はどんなパズルでも解いてしまうから、ハンデみたいなものだと思えばいいよ」 赤い顔で振り返るカイトを、ルークは微笑で軽くあしらった。その間にも右手へのキスは繰り返し繰り返し、慈しむように。 「そ、そういう問題じゃねーだろ!」 「気にしないで。カイトはパズルを解いてていいから」 「待っ……」 指の股を舐められて、ぴくりとカイトの肩が跳ねた。何か言おうとした言葉も、語尾が詰まって吐息に変わる。ルーク、と零れる抗議じみた声。かえってそれに煽られたルークは、手のひらに歯を立てて吸いついた。 「解けるよね、カイトなら。このまま解いてみせてよ」 「と、解け……解けるかああああ!!」 甘くなり始めた雰囲気を破るかのごとく、カイトが大声を上げて暴れ出す。 「ルーク、お前時々妙にマニアックじゃねーか!? ていうか何プレイだこれ!」 「えっと……パズルプレイ?」 「アホかあああああ!!」 ぶんぶんと首を振るカイトに、ルークは思わず吹き出してしまった。だが、捕らえた右手は離してやらない。 「ごめんね、カイト」 腕を抱きしめるように引き寄せて、カイトの顔を覗き込む。怒りか羞恥かその頬は真っ赤で、わずか潤んだ目に睨まれた。 「君がパズルを作る僕の手に見惚れていたように、僕もパズルを解く君の手が好きなんだ。でも僕はただ、見てるだけじゃ足りない」 優しく宥めるように言いながら、再度手のひらに唇を押し当てる。カイトが身体をすくめて、息を詰まらせるのがわかる。 「だから、ねえ。確かめさせて? ……もう一度」 わざと甘えてねだるように、ルークはにっこり笑ってみせた。自分の無邪気な笑顔と言葉に、彼が逆らえないことを重々承知で。 「ルーク……」 ずるいぞお前、と不満げに呟かれた。知ってるよと笑い返したルークに、カイトは呆れ果てたような、苦笑混じりのため息を吐いた。 左手にもキスを落としたことで、またがしゃんと音がする。視界の端に転がってゆく、先ほどまでカイトの手の中にあったパズル。ルークはそれをどこか遠く、別世界の出来事のように認識した。今は己の腕に抱きしめている、愛しい存在だけが全てだった。
手のひらパズル |