表札兼ポストに寄りかかる、狛枝の姿を見てしまった。 昼食を食べにレストランへ行こうと、ドアを開けた途端にだ。まるで行き倒れる寸前であるかのように、彼はぐったりと動かない。―――日向のコテージの前で。 「ちょ、おい、どうした!?」 慌てて声を掛けて、駆け寄って覗き込む。半分閉じていた狛枝の瞼が、緩慢に持ち上げられた。 「あ、日向クン……ごめん、ちょっと、寝てた」 「寝てた? 俺のコテージの前で!?」 なんだそれと突っ込むも、狛枝は辛うじて笑顔を作ってみせるだけだ。尋常ではないその様子に、肩を貸して起こしてやる。触れた身体は妙に熱い。 「おい……お前、熱あるんじゃないか?」 「ううん、大丈夫……」 「いや、大丈夫じゃないだろ?」 額に手をやると、やはりひどく熱いことがわかる。呼吸は荒く、視線にも力がない。体調が悪いのか。風邪でもひいたのだろうか。 朝食のときに会った狛枝は、別に普段と変わりなかった気がする。今日は休日で採集はなく、午前中はそれぞれ他の仲間たちと自由行動を過ごしたが、何かあったのだろうか。 彼の才能を思って、日向は少しだけ想像してみた。風邪を患う原因というと、プールにでも落ちて身体が冷えたのかもしれない。更にずぶ濡れのまま弐大と終里の特訓に巻き込まれたり、澪田に連れ回されたり、西園寺の荷物持ちをさせられたり、その後でまたプールに落ちたり―――狛枝の『超高校級の幸運』なら、そんなあり得ない不運続きで、風邪をひくこともあり得なくはない。 「とにかく、お前の部屋に連れてってやるから」 「ありがとう……ごめんね、こんなゴミクズが迷惑掛けて……」 狛枝の足取りはふらふらと頼りなく、日向もそれを支えるのが精一杯だ。隣の隣にあるコテージの鍵を開けさせて、半ば倒れ込むようにしてベッドに寝かせてやった。 狛枝はやはりぐったりとされるがままに、力なく四肢を投げ出している。風邪だとすれば暖かくした方がいいが、素人判断は危険かもしれない。日向は少し考えてから立ち上がった。 「ちょっと待ってろ、罪木呼んでくるから」 ここはひとまず、超高校級の保健委員である彼女に任せれば安心だ。思って踵を返そうとした日向は、腕をつかんで引きとめられてしまった。 「待って、日向クン……大丈夫、だから」 「大丈夫って、お前……」 涙で潤んだ目が、縋りつくように訴えかけてくる。その表情はまるで、鼻を鳴らしている捨て犬だ。 「だから、どう見ても大丈夫じゃないだろ。すぐ戻ってくるから」 「うん……でも本当に、大丈夫……」 はあ、と狛枝が息を吐いた。頷きながらも離してくれない、その手はやはり異様に熱い。 心細いからそばにいてほしい、ということだろうか。確かに体調不良時は、精神的にも弱くなりがちだ。それに狛枝は頭もいいし口も達者だが、時々妙にらしくない、子供じみた部分を見せることがある。まあ頼られるのは悪い気はしないな、と日向は思った。 「じゃあ、ほら。熱あるみたいだし、濡れタオル持ってきてやるからさ」 「……ん」 すぐそこのバスルームを指して、言い聞かせるように笑いかける。とりあえず今すぐ診察が必要なほど、差し迫った状況ではなさそうだ。落ち着かせて寝かせてから、罪木を呼びにいっても遅くはない。 「ありがとう、日向クン……」 タオルを絞って額に載せてやると、狛枝はほっとしたように目を閉じた。氷のうか氷枕も用意できればよかったのだが、勝手に開けてみた冷蔵庫には、水やブルーラムなど飲み物しか入っていない。後でレストランから調達してこよう。 寝にくいし熱いだろうと、せめて上着だけでも脱がせてやるべく、日向はパーカーの襟に手を掛けた。本当はパジャマなり何なり、楽な格好に着替えさせた方がいいのかもしれない。さすがにそこまでは苦労しそうだから、まあいいかと妥協しておく。 「……そうだ。あのね、日向クン」 おとなしく身を任せながら、狛枝がふいに口を開いた。 「さっきね。希望のカケラ、集められたんだ」 「ん? そうか、よかったじゃないか」 脱がせたパーカーをどこに掛けようか迷いながら、日向は笑顔で頷いた。 この修学旅行の目的は、希望のカケラを集めることだ。仲間と過ごし信頼を築けば増えてゆくという、いまいちよくわからない代物だが、そういうシステムなのだろうと全員が納得している。狛枝は午前中に、どうやらカケラを入手してきたらしい。 個性的なメンバーの中でも特に変わり者といえる狛枝は、なかなかカケラが集められないようだった。とはいえ日向が助言したり協力したりしたおかげか、最近は徐々に増えていると喜んでいた。 「ようやく一人、コンプリートできたんだよ」 「おーすごいな、誰のだ?」 純粋に褒めたくて質問してみると、狛枝は瞼を持ち上げて。 「うん、花村クンの……」 「花村か。ああ、そういえばもうすぐ全部集まるって……」 言ってたっけか。そう口にしかけた途中で、日向は言葉を呑み込んだ。連鎖的に蘇る、苦い記憶。 先日、日向も花村の希望のカケラをコンプリートした。超高校級の料理人である彼は、その際に握り飯を振る舞ってくれた。それからすぐに、何故か体調を崩したことを思い出したのだ。 ぼうっとした頭を抱え、ふらふらとコテージに戻ったことを覚えている。全身に力が入らなかったし、発熱したように熱かった。今になって思えば、握り飯に何らかの薬が盛られていたに違いない。どう考えてもいかがわしい方面の、いわゆる媚薬とか催淫剤とか、そういった類のものを。 と、いうことは。 「まさか……」 嫌な予感に、日向は無意識に呻いてしまった。花村はカケラを全て集めた相手に、同じように媚薬入りの握り飯を振る舞っているのだろうか。つまり、狛枝にも。 「お前もしかしてさっき、花村が作ったおにぎり食べたか?」 「え? うん」 日向の質問に、狛枝はわずか目を見開いた。 「ちょうど、お昼ご飯も近かったし……でも日向クン、なんで知ってるの? あ、そうか、花村クンは仲良くなった皆に、特製おにぎりを御馳走してくれてるんだね?」 「ああ、まあ、そんな感じ……かな」 言葉を濁して、日向は頭を抱えたくなった。それを前提に考えてみると、今の狛枝は正にあのときの日向と同じ症状に見える。本当に見境がないというかなんというか、まさか女子にも同じことはしていない、と思いたい。いや、男子ならしていいってわけでもないけれど! 一体、花村は何を考えているのだろう。仲良くなった相手にそういう薬を盛るなんて、どういう思考回路だ。 渋面になった日向は、脳裏に浮かんだ花村の笑顔を睨みつけた。そういえばあの後、彼がコテージに訪ねてきたことを思い出す。看病したいとかなんとか言われたが、断固拒否するとばかりに、鍵を掛けて引きこもった。迎え入れたらどうなっていたか―――想像したくもない。というか、こういう場合の看病ってなんだよ。 「あー、えーと」 途端に気まずくなって、日向は視線をさまよわせた。狛枝に盛られたのも同じ薬だとしたら、その辛さは自分も経験しているがゆえによくわかる。あのときはもう監視カメラが気になってどうすることもできず、ひたすら悶々とするうちに、いつの間にか眠りに落ちてしまった。起きたときには回復していたから、何もせずとも寝ていればいずれ治ると思うのだが。 「あの……日向クンごめん、水……もらっていいかな」 「お、おう」 荒い息で、狛枝が声を掛けてくる。渾身の力で上半身を起こそうとしている様子は、相変わらず苦しそうだ。さっき額に載せてやったタオルが落ちたが、拾うこともできないらしい。 冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出しながら、日向は少し悩んでしまった。風邪ではないし病気でもないなら、罪木を呼んでもどうにもならないのではないか。むしろ呼ばない方がいいかもしれない。彼女のドジっ子属性と狛枝の幸運が重なって、とんでもないことになりそうだ。 そりゃあ狛枝も、花村よりは罪木に『看病』される方が断然いいだろうけど。 一瞬だけそんなことを考えて、慌てて想像を振り払っておく。だからこういう場合の看病って何なんだよ! 「ほら」 ごまかすように蓋を開けてペットボトルを差し出すが、狛枝はうまく力が入らないのか、震えて受け取れないでいる。 「ごめん……なんか、痺れて……」 「あーうん、そう、だよな……」 また記憶が蘇ってきて、日向は同情してしまった。とにかく熱くて喉が渇いて、けれど誰も水を差し出してくれるわけがなく、独りでひたすら耐えるばかりだった。身をもって知っているだけに、仕方がないなと狛枝の手を支える。狛枝はぴくりと震えたが、口元に運ばれた飲み口をおとなしく受け止めた。 「大丈夫か?」 口端から零れてしまった水を、タオルを拾って拭ってやる。大丈夫ではないと思うが、確認せずにはいられない。狛枝は曖昧に頭を振って、熱っぽい息を吐いた。普段の笑顔の印象が強いせいか、そうやっていると本当に重病を患っているかのようだ。 「あ、あのさ」 ここは同じ男として助け船を出した方がいいかもしれないと、日向は頭を掻きながら切り出した。 「監視カメラが気になるなら、これ被せておくから」 言って、手に持ったままのパーカーを示す。意味がよくわからないらしく、狛枝はきょとんとしている。 「音声はこの際仕方ないとしても、映像は隠せるはずだ。ウサミだって一応女性……メス?なんだから、男子高校生のシモ事情なんて見せるわけにもいかないし、狛枝だって見られたくないだろ。もちろん俺も出てくから、まあその、えーと、なんだ……ご、ごゆっくり?」 何をどう説明していいものか悩んだあげく、妙なことを口走ってしまった。しかも疑問形で。 「……」 しばらく、無言で見つめ合う。しん、と降りた空気が重い。 その程度の話は男同士の軽いノリでできるはずが、何故か相手が狛枝だと妙に緊張してしまう。これが左右田あたりなら平気なのにと、日向は天を仰ぎたくなった。色恋沙汰や猥談など、狛枝とは全くそういう話をしたことがないからかもしれない。更にそういった下ネタ方向の雰囲気が、本人からあまり感じられないせいだろう。 気まずい。沈黙が痛い。とはいえそう感じたのは、日向の方だけだったらしい。狛枝はぱちぱちと瞬きをすると、ようやく合点がいったように深いため息をついた。 「ああ、そういうこと、か……つまりあのおにぎりには何か、興奮剤のようなものが入ってたんだね?」 微苦笑しているということは、自らの状態やその理由を悟って納得したらしい。聡い奴で助かった、と日向は内心で胸を撫で下ろした。 「は、花村の奴、皆に同じことしてるとしたらとんでもないな」 「ってことは、もしかして日向クンにも?」 「少し前にな」 明るく笑ってから、日向も盛大に嘆息してみせる。とりあえず持っていたパーカーは、半ば放り投げるようにしてカメラに被せることに成功した。 カメラの向こうにいるのは、教師を自称するウサミだけだろう。所詮ウサギのぬいぐるみとはいえ、第三者に見せるようなものではない。さすがの狛枝にも、一般的な羞恥心はあるはずだ。うまい具合に隠れたカメラを見て、自分のときにもこの方法に気づけていたらと、日向は今更後悔した。 「それじゃ、後で花村が来るかもしれないけど、そっちは俺に任せろ」 ろくに動けない狛枝のこの状態では、日向が出ていった後で内側から鍵を掛けることができない。いくらなんでも花村相手に貞操の危機とあってはかわいそうだ。いや花村もそこまで常識がなくはない、と信じたい……というか怪しい薬を盛ったあげく部屋を訪ねて襲うって、いくらなんでも犯罪じゃないのか? とにかくこれ以上被害者を増やさないためにも、花村には釘を刺しておいた方がいいかもしれない。ちょうど昼時だから、レストランに行けば会えるだろう。俺がお前を守ってやるぞ狛枝、と知らず拳を握り締めて、日向はベッドを振り返った。 狛枝は上半身を起こしたまま、ぼんやりと宙を見つめている。その色素の薄い瞳がふいに揺れて、こちらを捉えた。 「……ねえ日向クン。お願いが、あるんだけど……」 「おう、なんだ?」 起き上がったもののそれ以上動けず、再び寝る体勢に戻してほしいのかもしれない。その程度お安い御用だと耳を傾けた時、妙に甘えた声が吐き出された。 「日向クンが、抜いてくれない?」 「……ぬ。え?」 一瞬何を言われたのかわからず、ぽかんとしてしまった。抜いてくれって何をだ、ああナニをか、などと笑えない駄洒落が落ちてきて、頭が真っ白になる。 「え。え、なんで」 「だってもう、手が痺れちゃって……」 「いやいやいや」 「うまく動かないんだよ。ね。手伝って?」 「いやいやいやいや!」 だからってオナニー手伝えって友達に頼まないだろ頼まないよな普通!? 内心で突っ込みながら、日向はぶんぶんと首を振って後退した。狛枝は相変わらず熱を孕んだ涙目で、じっとこちらを見つめている。と、とりあえずその上目遣いをやめろ! 「わかってるよ……ボクなんかがおこがましいよね。ごめんね、日向クンが優しいからって、こんなゴミクズが調子に乗っちゃって……」 狛枝は四肢を投げ出したまま、震える声でうつむいた。日向は返答に困って、ドアの前で固まってしまう。 確かに、身体はうまく動かせないだろう。痺れた手では思うようにできず、もどかしいだけだろう。それは、知っている。自分もそうだったからよくわかる。けれど。 「なんで、俺……」 たまたま居合わせたのが運の尽きか、これは日向にとっても狛枝にとっても不運ではないのか。可愛い女子ならまだしも……いや違うな、女子だったら狛枝はこんなことを言い出さないはずだ。 再び降りた気まずく重い沈黙に、狛枝の呼吸音だけが響く。本当に辛そうで苦しそうで、日向は頭を掻きむしりたくなった。―――あああ、もう! また拳を握り締めて、わざと床を踏みしめてベッドのそばに戻る。ここで見捨ててしまうのは簡単でも、友人としては失格ではないだろうか。見捨てなくても『友人』の道は微妙に踏み外す気がするが、とにかく放っておけないと思ってしまったのだ。 「……わかった。い、一回だけ、なら」 あえてぶっきらぼうに、あさっての方向を見て言い放つ。狛枝が少し目を丸くした。 「え。本当に、してくれるの?」 「あのな……お前が言い出したんだぞ」 信じられないといったその様子に、日向の方が脱力してしまう。ベッドに乗り上げると、戸惑ったように見つめられた。 「で、でも日向クン」 「いいから」 投げ出された両脚の間に移動して、ベルトに手を掛けてやる。しかし手伝うのはいいが、いや普通に考えればよくないのだが、狛枝はそれでちゃんと満足できるのだろうか。……だって、相手は男なんだし。 「……なあ、狛枝?」 ベルトを引き抜きながら顔を上げると、ばっちりと目が合ってしまった。なんだかいたたまれなくなって、日向は思わず視線を逸らす。 「その、目は閉じてた方がよくないか?」 薬のせいで感覚は鋭くなっていても、視覚的に男だと認識してしまえば萎えそうな気がする。だったら視覚を断って、自分勝手に妄想を繰り広げた方がいいに違いない。 「そ、そう?」 「ああ。好きな子とか芸能人とか、可愛い女子を思い浮かべてた方がいいだろ」 言ってから、狛枝とはそういう話もしていないことに気がついた。好きな子言い合おうぜ!などというノリは狛枝では想像できないが、今この修学旅行というイベントにおいては、醍醐味の一つではないだろうか。 好きな子か、と日向は少しだけ思いを巡らせた。一番わかりやすいのはソニアに片想いをしている左右田で、ソニアに対しては田中も満更ではなさそうだ。九頭龍は辺古山と、弐大は終里と、十神は澪田と気が合うようで、恋愛感情ではないにしても、好きな相手といえばほぼ予想どおりだろう。そう考えると、本当に狛枝だけはよくわからない。 「……うん。日向クンが言うなら、そうするよ」 素直に従った狛枝が、おとなしく瞼を伏せる。日向はそこで我に返って、何やってんだ俺と冷静になってしまった。が、ここまで来れば引くわけにもいかない。ためらいは一瞬だった。覚悟を決めて、思い切って下着ごと衣服をずり下ろしてやった。 「……」 途端に勢いよく飛び出してきた狛枝のものに、若干驚いて黙り込んでしまう。服の上からではよくわからなかったのだが、しっかりと勃ち上がっているし、既に先走りも滲み出ているようだ。……お前、ここまで切羽詰まってたのかよ。 「ごっ、ごめんね、やっぱりボクなんかのものを、日向クンに触らせるなんて……」 こんな状況でも自虐とネガティブ精神は健在なのか、あるいは急に恥ずかしくなってきたのか、狛枝は動けないなりに身を捩らせている。この状態ではさぞかし辛かったに違いない。花村にはそれほど悪気はなかったのかもしれないが、日向は脳内で彼に蹴りを入れておいた。違うな、悪気がなかったらそもそも薬なんて盛らないよな。 「え……遠慮するなって」 口では強気に言いながらも、怖々それに手を伸ばす。自分よりも大きければショックを受けるところだが、あまり変わらないようで安心した。というか俺の方がでかいし。多分。そんな健全男子の意地とプライドを保ちつつ、まずはそっと握り込んでみる。ものすごく、熱い。 「ん……」 頭上から、鼻から抜けたような小さな呻きが聞こえた。紛れもなく男の喘ぎ声とはいえ、ちょっと色っぽいかもしれない。などと、ぼんやり思ってしまった。 そもそも狛枝は普段から妙な艶というか、そういう雰囲気を醸し出している。男にしては細い身体とか、白い肌とか、一語一語を区切る吐息混じりの喋り方とか。 狛枝の色気について考察していた日向は、慌ててそれらを振り払った。とにかく一発抜いてやれば終わりだ。無心だ。精神集中だ。Rボタンだ。なるべく何も考えないようにして、右手を上下に動かし始める。ん、と狛枝がまた呻く。自分でするときと違い、力加減がよくわからない。 様子をうかがいながら、少し強めに。軽くゆっくりとした動きから、次第に速く。先端から滲み出た粘液が、指や手に絡みついてくる。ぐちゃぐちゃと響く水音。あまり見たくない聞きたくないと拒む理性を追いやって、日向は一心不乱に擦り立てた。 「は、っん……」 狛枝の呼吸が更に短く、荒くなってゆく。色と熱を帯びたそれを聞いていると、こちらまで変な気分になりそうだ。とにかく早くイッてくれと願っていると。 「わ」 ふいに、頭を押さえつけられた。驚いて顔を上げようとするが、両手で抱え込むように後頭部をつかまれていてかなわない。 「ちょっ、狛枝?」 手が動かせないのではなかったか、動けるようになったのか。動揺している間にも、押さえる力が強くなる。 「……ごめん。我慢、できなくなっちゃった」 「何、うわ」 ぐいぐいと押さえ込まれて、日向はパニックに陥った。彼が何をさせようとしているのか、すぐにわかってしまったからだ。 「おいまさか」 「うん……舐めて、くれないかな」 「じ、冗談!」 待てこら、なんでそこまでしてやらなきゃならないんだ! 「離せ、離せって……狛枝!」 内心で文句をぶつけつつ、頭を振って払おうとするも、意外に強い力がそれを許さない。体勢のせいか抵抗できないまま、脈打つ狛枝のものが至近距離に迫る。……こ、ここは噛みついてやれば諦めてくれるだろうか、いや噛みつくってことは結局口の中に入れるってことじゃないのか! 「ほら、口開けてよ。あーんして?」 「誰が……っ!」 そんなこと。言いかけた言葉は、半ばで詰まった。見るといつの間にか、狛枝の足に股間を捉えられている。器用に足指で揉まれて、日向はびくりと跳ねた。 「やっ、んぐ!」 力が抜けたその隙を逃がさず、嬌声を上げかけた口に、半ば無理やり捩じ込まれる。嫌悪とか味とかそれ以前に、とにかく苦しい。信じられない。っていうかなんだよこの状況! 「う、んんっ……!」 「あれ。日向クンも硬くなってきたね」 「……んぅ、んーッ!」 呻いて抗議するが、腰を揺らされてえずきそうになった。更に質量が増した気がして、苦悶の涙が滲み始める。 「日向クンも、気持ちよくしてあげるから……ね?」 「ん、ふ……!」 足指を脛に変えて、ぐりぐりと押し上げるように刺激される。問答無用かよ、俺は放っておいてくれ、動けるようになったんだったらもう自分でやれっつーの! 口を塞がれていては、怒鳴りたくても何も言えない。擦られている下肢から、徐々に快感が這い上がってくる。早くなんとかしないとまずい。畜生こうなったらやっぱり噛みついてやろうかと、日向は精一杯狛枝を睨もうとした。だがこちらを見下ろす彼の表情に、思考が停止してしまった。 「……」 欲情に濡れた目と、桜色に染まる頬。半開きの唇からは、唾液の線が零れ落ちている。それはあまりにも恍惚として、例えようのない色気を纏っていて、見ている方にも熱を伝播させるほどの。 なんで、そんな顔してるんだよ。そんなに気持ちいいのかよ。 言葉にはできず、目だけで訴える。陶然としたまま、ふ、と狛枝が笑った。 「そのまま舐めて、日向クン……」 興奮にかすれた低い声で、促される。うっとりと髪を梳かれ、優しく耳をくすぐられる。拘束する力が緩んだというのに、まるで操られるかのように、日向は恐る恐る口内のものに舌を這わせた。ほぼ無意識だった。 「……ふふ」 いい子だとばかりに、頭を撫でられる。ぞくぞくと這い上がる悪寒に似た何かが、日向の理性を侵食し始める。吸いつきながらずるりと引き出してやると、気持ちよさそうな吐息が聞こえた。 「うん、そう……もっと舌、絡めて?」 狛枝が優しく、まるで誘導するかのごとく囁きかける。催眠術でも心得ているのかと疑いたくなるような、落ち着いた柔らかい響き。逆らえず言うとおりにすると、また頭を撫でられた。褒められているのだ。 満足に息ができないせいか、次第に頭がぼうっとしてくる。あるいは狛枝の媚薬効果が、こちらにまで影響を及ぼしつつあるのか。自分の拙い愛撫で喜んでくれるのは、意外に嬉しいかもしれない。そんな熱に浮かされた思考のまま、日向は夢中でそれを貪った。気がつけば狛枝の脚に擦りつけるように、もどかしく腰まで揺らしていた。 「ん……っあ、もう……」 狛枝が喘いで、頭に置いた手に力を込めてくる。もっと奥まで呑み込ませるつもりかと思った時、いきなり突き飛ばすようにして押し退けられた。突然のことに、呆気に取られた瞬間。 「ッ……!」 熱い飛沫が、鼻筋や唇に飛び散った。何が起こったのかわからず、日向は呆然と瞬きを繰り返すしかない。 「……あはっ」 はあはあと乱れた呼吸を整えながら、狛枝が嬉しそうに笑う。 「やらしいね、日向クン」 伸ばした指で、それを頬に塗り広げられる。全く悪びれていない。何をされたのか遅れて悟って、日向は沸々と怒りが湧いてくるのを感じた。 「おま……っ、お前、顔に……!」 「かけちゃった」 語尾にハートマークでもついていそうな口調で、狛枝が可愛らしく首を傾げる。いや可愛くない、全くもって可愛くない! 日向は勢いよく立ち上がると、バスルームに駆け込んだ。洗面所で顔を洗い、念入りにうがいと手洗いもしながら、今更の羞恥と後悔に襲われる。手コキだけのはずがフェラからの顔射ってなんだこれ今日は厄日か、それとも狛枝の幸運だか不運だかに巻き込まれた結果なのか!? 「そんなに嫌がらなくてもいいのにー」 なんだか残念そうな狛枝の声が、ベッドの方から聞こえてくる。 「そういう問題じゃない、友達にすることじゃないだろ、おかしいだろ!」 「えー」 不満げに頬を膨らませる狛枝を見ていると、自分の方が間違っているかのように錯覚する。確かに元々友達同士ではあり得ないことをしていたとはいえ、それ以上にあり得なくないか。日向は憤慨しつつ、新しいタオルを手にバスルームを出た。 「はあ……もう動けるなら大丈夫だよな。犬にでも噛まれたと思って忘れるから、お前も忘れろ。じゃあな」 少し洗ったくらいでは、まだべたべたが落ちていない気がする。これはもう自分のコテージに帰って、シャワーを浴びて出直した方がいいかもしれない。 深いため息を残し、タオルを投げつけて背を向ける。が、その腕をつかまれた。更に引き倒されて―――え? 一瞬で、視界が回転していた。背中を受け止めたベッドの感触と、見上げた天井に割って入る狛枝の笑顔。……ものすごく嫌な予感しかしない! 「何やってんだよ!」 「だって、日向クンがまだでしょ?」 「まだって、ちょ」 戸惑っているうちに、意味深に下半身を探られた。先ほど狛枝の媚態にあてられながら刺激されたせいで、それはまだ硬度を保ったままだ。 「おい待て、俺はいいって、自分でやるから、さわっ、触るなああああ!!」 喚く日向に構わず、狛枝はにこにことバックルを外しボタンを開いてくる。 「ボクだけなんて申し訳ないし、気持ちよくしてくれたお礼だよ」 「そんな礼なんか、あ」 拒絶も虚しく、下着の中に潜らせた手で直接握られてしまった。こうなるともはや抵抗どころではない。強引にそれを引きずり出される感覚に、日向はぎゅっと目を閉じた。情けない己の姿も、狛枝が自分のものを握っているところも見たくなかったからだ。 だが視覚を遮ったせいで、他が余計に鋭くなった。少々乱暴に扱かれる快楽はもちろん、至近距離で覗き込んでいるらしい狛枝の気配、再び乱れてゆく息の音、圧し掛かって押さえつける身体の重さまでもが、性感を煽り愉悦を誘う。 「どうする? このままボクの手に出しちゃう?」 吐息を交えて、耳元で囁かれる。わざと吹き込むかのように。 「それとも、日向クンも舐めてほしい? 顔にかけたい?」 日向はひたすら首を振った。口を開けば、あられもない声が出そうだった。狛枝が喉を鳴らして笑う。 「何か言ってよ。あ、もしかしてやめてほしい? だったら、すぐにやめてあげるよ?」 「っく……」 意地の悪い言葉に思わず睨み上げると、細められた目と目が合った。泣きそうな日向を見て、狛枝がゆるりと口角を上げる。その顔がふいに視界から消えた、と思った刹那。 「ぅあっ!」 ぬるりとした粘膜に包まれて、日向は耐えられず悲鳴を上げた。手とは違う熱さと感触に、一気に咥えられたことがわかってしまった。嘘だろとまた恐慌状態に陥るも、すぐに限界がやってきた。 「こまっ……やめ、あ、ああ―――!」 強すぎる刺激に、瞼の裏で光が弾ける。最後の一滴まで搾り取ろうとするかのごとく、狛枝がきつく吸い上げてくる。日向はなす術もなく、びくびくと震えて精を吐き出した。 「っ……うう……」 顔も大概だが、口に出させるというのもあり得なくないか。力尽きてベッドに沈んだ日向は、狛枝が手の甲で口元を拭う様子を呆然と眺めた。 「お前、まさか……」 「ん?」 舌舐めずりに似た仕草で唇を舐めて、狛枝が微笑む。 「うん、飲んじゃった。だってもったいないもん」 てへ、とでも言いかねない笑顔だ。……ああもう、頭が痛くなってきた。 緩く首を振りながら、日向はさっき狛枝に投げつけたタオルを拾い上げた。そうして身支度を整えて、何か捨て台詞でも浴びせてから、出ていってやろうとしたのだが。 「ねえ、日向クン」 どこか遠慮がちに、狛枝が声を掛けてくる。なんだよと睨んでやると、申し訳なさそうな笑顔と、それから。 「おい……」 なんで、お前はまた勃ってるんだ。 突っ込む気力も失せて、日向は力なく笑みを引きつらせた。手足の痺れは治っても、薬の効果は切れていないということだろうか。 「もう一回、とか……だめ?」 「駄目。もう嫌だ。手は動かせるだろ? だったら自分で」 「あの、あのね、日向クン」 突き放して切り捨てようとした台詞を、狛枝に無理やり遮られた。 「実はその、準備万端だったりするんだけど」 「……は?」 意味不明だと眉根を寄せると、狛枝が枕の下から何かを取り出した。どう見ても連なったコンドームと……なんだ? 歯磨き粉のチューブみたいな。 「何だそれ」 「アナルセックス用のゼリー」 「……あ」 あああああ!? 「そそそそんなもの、なんで、どこから」 「花村クンが用意してくれたんだ」 「は、花村!?」 知らず青褪めながら、日向はベッドの上をじりじりと逃げた。が、背後は窓だ。狛枝の貞操を花村から守ってやるつもりが、今は自分が狛枝に対して貞操の危機に陥っているとはどういうことだ説明しろ誰か! 「……ごめん」 窓に張りついている日向に、狛枝が一転してうなだれた。 「本当のこと、説明するとね。花村クンの特製おにぎりは、日向クンに食べさせるためにもらったものだったんだ」 ……意味がわからない。 「でも日向クンが薬でメロメロのトロトロになってボクに縋りついてくれたら、それだけでものすごい幸運だと思わない? 後に訪れる不運がとんでもないものになりそうじゃない? それが怖くて、だから先に不運を迎えてしまえばいいと思って、ボクがおにぎり食べちゃった」 意味が、全く、わからない!! 「おかげで、ものすごい幸運に恵まれたよね! 日向クンがボクみたいなゴミ虫を介抱してくれるなんて、しかもボクなんかのペニスを握って舐めて咥えて顔に精」 「ぎゃあああああ待て待て!」 己を抱きしめて身悶えている狛枝を、日向は大慌てで遮った。嫌がらせか、言葉責めか、パニックトークアクションか!? 今ちょっと心の盾が壊れそうになったぞ! 「待てって、説明になってないだろ! 大体、俺に食べさせるためってなんだよ? なんで花村がそんなもの……」 あの怪しい薬入りの握り飯は、仲良くなった証として、希望のカケラを集め終えたら振る舞われるものではなかったのか。ふらふらになった相手の反応を見て、花村が楽しむためではなかったのか。ってそう考えると改めてとんでもない変態だな花村! 「うん。あのね。ボク、花村クンに恋愛相談してたんだ」 「は?」 およそ狛枝らしくない『恋愛相談』という単語に、日向は目を丸くした。しかも何故花村に。 「好きな人がいるんだけど、いまいち勇気が持てなくて、今の関係を壊すのが怖くて、でも物足りなくて……」 まるで悩める乙女のように、狛枝は頬を赤らめて恥じらっている。だから何故それを花村に相談する。あと恥じらいたいならまずはそのコンドームとゼリーを手放せ。 男女問わず愛の対象であり、守備範囲も広いと豪語する花村は、確かに恋愛の相談相手としては適切なのかもしれない。けどあいつの場合は愛というより、見境のない性欲じゃないのか? 花村に対して失礼な突っ込みをした日向は、妙に苛々している自分に気がついた。狛枝は日向ではなく、花村に相談していた。そういう甘酸っぱい世間話すら、してくれたことはなかった。修学旅行メンバーの中で、一番仲の良い友人は狛枝だと思っていたのに。 ああそうか、と日向は今更ながらに思い知った。これはきっと、子供じみた嫉妬心だ。狛枝は友人に優劣をつけるような男ではないが、それでも悩みを打ち明けられる相談相手として、日向ではなく花村を選んでいたのだから。 「そんなに悩むならこの特製おにぎりを食べさせて、いっそ襲ってしまえばいいんだよ!って、花村クンが。他にも色々必要な物揃えてあげるからって」 ……ん? 内心で自嘲していた日向は、ふと違和感を覚えて眉をひそめた。なんだか、話が繋がってなくないか。花村の主張もおかしくないか。 「いや……いくら薬を盛ってそういう状態にしたとしても、無理やりは駄目だろ。嫌われるに決まってる」 苦笑しながら、一般的な意見を述べておく。そもそも薬を盛るという行為自体、アウトである気がするけれど。 「ううん。薬を使った状態でも激しく抵抗されるようなら、全く脈なしだから諦めた方がいいって。逆に受け入れてくれるなら、少なくとも脈ありだからって」 どういう作戦だ、と日向はまた頭痛に襲われた。行き当たりばったりというか、当たって砕けすぎというか、デッド・オア・アライブというか。 「ボクは結局、自分で食べちゃったんだけど。でもこれで少なくとも脈ありだってことはわかったから、やっぱり幸運だよね!」 「脈ありって……」 呟いて、首を傾げる。つまりどういうことなのか、やはり意味がわからない。さっきからロジカルダイブも落ちまくりだ。 「んー。鈍いなあ、日向クンは」 嘆息混じりに、狛枝がひとりごちた。何がだと考えているうちに、呆気なく押し倒されていた。しまった、さっきの隙に逃げておくべきだった。そう思っても、後悔先に立たず。 なんとかしてここから脱出せねばと、横目で逃走経路を確認する。窓から無理やり出るより、やはりドアから逃げた方が賢明だろう。圧し掛かっている狛枝は厄介だが、本気を出せば押し退けることは簡単だ。更に突き飛ばして殴り倒して踏みつけて、えーと、それから。 「好きなんだ」 「……へ」 突然落とされた言葉に、日向は間抜けな声を零してしまった。 「日向クン。ボクは、キミのことが好きなんだよ」 「……」 妙に真剣な顔と、まっすぐ見つめてくる瞳。ベッドに押し倒されて告白されるなんてまるでドラマか映画か漫画のワンシーン……じゃなくて! 「え。え、ええええ!?」 大声を上げながら、今日は驚かされてばかりだと頭の隅で考える。ていうか狛枝の言う『好きな人』って、花村に恋愛相談してた対象って、まさかの俺!? 「な、な、なんで……」 「誰かを好きになるのに、理由が必要なの?」 「だだだだって、男」 「恋愛に性別なんて関係ないでしょ?」 駄目だ、すっかり花村に毒されてる! しかしそうかそれで花村だったのかと、日向は納得することができた。日向に関する恋愛ごとを、本人に相談できるわけもない。更に相手が女ではなく男なら、確かに花村が適役だろう。 「本当に、好きなんだ……日向クン」 頬を挟まれ上向かせられて、改めて告白される。思いつめたような表情は、やはり真剣だ。 「好き。日向クン。好き。大好き……」 呪文のように繰り返される台詞も吐息も、何もかもがくすぐったい。あまりにも許容範囲を超えた出来事に、日向は呆然と凍りついた。それはもちろん、好かれるのは嬉しい……けど、何か違わないか。さりげなく、枕元にコンドームとゼリーが置かれているからか? 固まっている日向をどう思ったのか、狛枝が小さく微笑んだ。そのまま、ゆっくりと顔を近づけてくる。キスするつもりか、っておい、初めての相手が狛枝!? 「待てえええ!!」 両手で狛枝の口を押さえて、日向はキスを阻むことに成功した。が、ぺろりと手のひらを舐められる感触に、慌てて離さざるを得なくなる。素早く手首を捕らえられ、しっかりと押さえ込まれてしまった。 「なに。どうしたの?」 顔をそむけてもがいている日向に、ふふ、と狛枝が笑う。 「さっきキスよりすごいこと、してくれたくせに」 「な―――!」 揶揄と艶が入り交じる囁きに、一気に頬が熱くなった。羞恥なのか何なのかよくわからない感情を振り払って、日向は狛枝に思いきり頭突きを食らわせる。ごん、と鈍い音。 「いッ……!」 仕掛けた日向の方も、一瞬目の前に星が散った。声もなくベッドに沈んだ狛枝同様、しばらく頭を抱えて悶絶することになる。い、石頭め……。 「……日向クン、ひどい……」 痛みに呻く狛枝の目が、また涙で潤んでいる。あのなあ、と日向は嘆息した。 「ひどいのはお前だ、狛枝。俺のことが好きなんだろ? だったら、俺が嫌がるようなことするなよ。好きだからってなんでもしていいわけじゃないし、なんでも許されると思うな。それはストーカー思考だぞ」 諭すように言ってやると、ショックを受けたのか狛枝はわかりやすく息を詰めた。考え込んだ後、やがて小さく頷いて。 「そ。そうだよね。告白して想いが通じ合ったその日に最後までやっちゃうなんて、情緒の欠片もないもんね。せっかく一生に一度の恋なんだし、ちゃんと段階を踏んで二人で少しずつ育てていった方が、成就したときこの上ない幸せを味わうことができるよね。最高だね、すばらしいね、希望だね!!」 いきなり自分の世界に行ってしまったかのごとく、狛枝はうっとりと両手を組んで握り締めている。な、なんか突っ込みどころが盛り沢山なんだけど、そもそも想いは通じ合った……のか? 別に通じ合ってない、よな? 「わかったよ日向クン。これからじっくりと時間をかけて、キミを落としてくことにするよ!」 「……ああ、もうそれでいいから、そうしてくれ」 日向はひらひらと投げやりに手を振った。ひとまずは、今ここにある危機が回避できればいい。 「それじゃ日向クン。早速なんだけど午後から、どうかな」 言って差し出されたのは、おでかけチケットだ。にこにこしている狛枝に、日向は胡乱な目を向けた。 「……お前のコテージとか、俺のコテージは却下だからな」 「え」 そういった閉鎖空間では、油断するとまた妙なことになりかねない。できればどこか開放的なところ、更に他の仲間の目もあった方がいい。……残念そうな顔してるってことは、また何か企んでたんだなお前。 「そっか。じゃ、公園で昼寝なんてどう?」 「……」 「やだなあ日向クン、さすがのボクも寝てるキミを襲うなんて非常識なことはしないから!」 日向の疑いの眼差しを受けて、狛枝が笑顔で断言してくる。 「だって、ボクはキミが好きなんだ。キミに嫌われたくないんだ。さっきは……その、ちょっと強引に事を運ぼうとしちゃったけど、もちろん最後はちゃんと、お互い合意の上でするつもりだよ。寝てたり意識がなかったりするところを無理やりなんて、とんでもないよ」 およそ常識に欠けた男だが、常識的な恋愛観はそれなりに備えているらしい。よかったそこまで人でなしではなかった、花村よりは全然ましだったかと、多少は安心できた時。 「それに、そんな状態じゃ何も反応が返ってこないでしょ。ほら、嫌がったり暴れたり罵ったりしてくれないと、つまらないじゃない?」 ……おい、それは合意の上じゃなくなってないか? 「もういい……腹も減ったし、レストラン行ってくる……」 どっと疲れた気分になった日向は、こめかみを押さえてベッドを下りた。ボクも行く、と狛枝が続いて立ち上がる。 「なんだよ。花村の特製おにぎりで、昼飯済ませたんじゃなかったのか?」 「おにぎりしか食べてないから、もうお腹すいてきちゃったんだよ」 言いながら落ちていたタオルを拾い、狛枝はバスルームに入っていった。日向は今日何度目かのため息を吐いて、カメラに掛かっていたパーカーを取る。 映像は隠れていても、音声は健在だったはずだ。さっきの会話を一部始終聞かれていたとしたら、どんな顔をしてウサミに会えばいいのか。らーぶらーぶとか言って、スルーしてくれれば助かるんだけど……いやそれも困るな、らーぶらーぶじゃないっつーの。 「あの。日向クン?」 どこかもじもじしながら、狛枝がバスルームから顔を覗かせる。照れたように、また可愛らしく小首を傾げて。 「なんかボク、愚息が収まってくれそうになくて……このままじゃ外に出られないんだけど、どうしたらいいかな。やっぱり日向クン、もう一回」 「独りで勝手に励んでくれ、俺はもう知らない」 言い放ってパーカーを投げつけると、日向はさっさとドアへ向かった。 「待って日向クン見捨てないでボクはもうキミなしじゃイけない身体になっちゃったんだ!!」 「ぶふッ」 背中に浴びせられる声があまりにも悲痛だったので、日向は思わず吹き出してしまった。どういう口説き文句だそれと呆れつつも、笑いが止まらなくなる。 狛枝に対する感情は、こうなった今もよくわからない。あんなことまでして、友情以上の矢印を向けられてなお、まだ友人だと思うことができている。では恋愛対象として好きなのかといえば、そうでもない気がする。 まあいいか、と日向は思考を放棄した。別に今すぐ答えを出さなければならないことでもないし、狛枝が本当にきちんと段階を踏んでくれるなら、これからおのずとわかってくるはずだ。今のところは、彼の恋心を受け入れるつもりは全くないけれど。……ない、よな? うん、ないない。 「ひ、日向クン?」 「わかったからちょっと待ってろ、昼飯持ってきてやるよ。何か食べたい物あるか?」 振り返って、笑いながら言ってやる。狛枝は一瞬目を丸くしてから、すぐにぱっと笑顔になった。ああそうだ、と日向は忘れず付け加えておくことにする。 「もちろん花村の特製おにぎり以外で、な」 釘を刺すように、言外に皮肉を込めて。
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