その街は、長らく無人の廃墟と化していた。 倒壊したビル群、亀裂だらけの道路、あちこちに放置された車の残骸。空はどんよりと曇っていて、昼間だというのに薄暗い。瓦礫や障害物で見通しも悪く、以前は賑やかだっただろう大通りも人影は皆無だ。 聞こえてくるのは、かすかな風の音ばかり。そんな乾いた静寂の中を行く、二人の男の姿があった。 一人は、黒いスーツ姿の青年。頭頂部がアンテナのように跳ねた、特徴的な短髪。榛色の瞳で前を見据え、精悍な眉をわずかにしかめて、早足で先を急いでいる。 もう一人は、同じ黒のスーツにカーキ色のパーカーを羽織った青年。左手に黒い手袋をはめ、鮮やかな白髪を揺らしながら、短髪の青年の後を追っている。 「あのね。何度も言うようだけど」 その白髪の青年が、ふいに静寂を破った。 「才能っていうのは、持って生まれたものなんだ。もちろん、持ってるだけじゃ意味がない。環境や経験によって磨かれて、早くに花開く人もいるし、遅咲きの人もいるし、一生発揮できず本人すら知らないままに終わる人だっているだろう。そう考えると人間は皆、生まれつき何かしらの才能を持ってるといっても過言じゃない」 澱みなく話し続ける白髪とは対照的に、短髪の青年は無言だ。相槌も打たず、黙々と瓦礫を避けている。 「だったらボクが思うに、やっぱりキミも才能は持ってたんだよ。ただ周りの人には見出せず、キミ自身にも自覚できなかっただけだ。そういえば例の修学旅行のとき、誰かに言われてたよね? 超高校級の相談窓口、だっけ。才能の名称は定かじゃなくても、個性の強い仲間たちをまとめられてたんだから、キミはそういう才能の持ち主だったといえるんじゃないかな。まあ予備学科の凡人、つまりあの中では唯一の特殊であり、異分子だったからこそだともいえるけど。個性が薄くて限りなく平均的で普通だからこそ、メンバーそれぞれに合わせて溶け込めた。それが彼らに安心と信頼を与え、慕われる結果になった。だったら普通っていうのも、ある種の才能なんじゃないかってことになるよね。超高校級の才能を持つ人たちが惹かれてやまないほど、全てにおいて普通! すばらしいよ日向クン!」 「……うるさいぞ、狛枝」 日向と呼ばれた短髪の青年は、うんざりと背後を振り返った。放っておけば、この演説じみた話を延々聞かされることになる。彼はそれをよく知っているのだ。 「要点をはっきり言え。お前の話はいつも何が言いたいのかわからない」 「別にわかってくれなくてもいいよ。独り言だもん」 狛枝と呼ばれた白髪の青年は、子供の口調で笑ってみせた。悪びれず首を傾げると、ふと辺りを見渡して。 「というかここ、静かすぎると思わない? せっかく来てあげたのに、出迎えも何もないなんておかしいよ」 嘆息する狛枝につられ、日向も路地に目を向ける。かつては繁華街だったのだろう、崩れた店の看板と大破しているアーケードの屋根。この地区に入ってからまだ数キロほどしか歩いていないが、人はおろか生物の気配すら感じない。 「ボクだけならともかく、日向クンだよ? 限りなく普通で有象無象の凡人だったのは過去の話、今やありとあらゆる才能を持つ超高校級の希望様だよ? てっきり、然るべき歓迎式典が催されると思ってたのに。拍子抜けだ」 「……お前な」 調子よく紡がれる狛枝の台詞を、日向は仏頂面で制した。 「何もないに越したことはないだろ。それより知ってるぞ、新しく赴任してきた上司をまた病院送りにしたんだって? 一体何人目だ」 「人聞きが悪いなあ」 突然の話題に瞠目して、狛枝が肩をすくめてみせる。 「ボクのせいじゃない。あの人が勝手に怒って机叩いたら、天板が跳ねて額を打って転んでたまたま後頭部が窓枠の角に当たって流血沙汰になって大騒ぎ。ボクはただ、それを見てただけなんだから」 「だから、お前の才能のせいなんだろ?」 「まさか」 狛枝はへらへらと笑っているが、日向には容易に想像ができた。どうせまた上司の対応が気に入らず、口八丁に煽って怒らせたのだろう。そうして単純に、自らの幸運を信じたのだろう。煩わしいだけのこの上司に、己の才能は天罰を与えるはずだと。 「相変わらずチートだな、お前は……」 「キミに言われたくないよ」 独り言を聞きとめて、狛枝が歩みを速めて進路を塞ぐ。立ち止まった日向を覗き込むと、猫のように目を細めてみせた。 「ボクも知ってるよ日向クン。キミがその気になれば支部長どころか機関の幹部、果てはトップにだってなれること。でも色々面倒だから、あえて十四支部の下っ端に収まってるんだよね。ボクとしては手っ取り早く上に行って、機関の中枢まるごと牛耳ってくれた方が楽なんだけど」 「下っ端とか言うな」 「下っ端じゃないか。こんなあからさまに怪しい場所の視察に駆り出されて、あげくボクなんかとツーマンセルなんて、ねえ?」 髪と同じく色素の薄いその目は、現状を楽しんでいることが明確だ。揶揄混じりの問いかけに、日向も言い返す気力が失せた。 「下っ端の自覚あったんだな、お前」 「当然だよ、ボクは希望の」 「はいはい、踏み台」 適当にあしらって、歩みを再開する。視察といえば聞こえはいいが、つまりは暗に絶望の残党を殲滅、できれば根こそぎ取り締まれという指令なのだ。下っ端が聞いて呆れる、と日向は内心で苦笑した。 世界を滅亡に導いた絶望たちと、反目し復興させようとする未来機関の対立は、いまだに各地で続いている。数は少なくなったとはいえ、強い勢力を持ったまま潜伏している残党もいるようだ。 この街での目撃情報を得て、機関上層部は日向と狛枝に白羽の矢を立てた。前科―――基、実績のある二人が適任だろうということだ。未来機関において日向創と狛枝凪斗の名前は、良い意味でも悪い意味でも有名らしい。 思えば最初のきっかけは、本当に純粋な視察だった。復興計画を立てる調査のため、二人が視察団の一員として出張した地域に、たまたま大規模な残党グループが網を張っていたのだ。 当然、向こうは武力で抵抗した。前に出た交渉役の狛枝を射殺しようとしたのだが、途端に全ての銃が詰まって使い物にならなくなった。鈍器や刃物を手に襲いかかってきた連中は、日向がほぼ一人で鎮圧してしまった。結果、未来機関は大勢の残党たちを取り締まることに成功した。 狛枝の幸運と、日向―――カムクライズルのありとあらゆる才能の賜物だ。そんな称賛を受けて以来、二人は表向き視察という名目での出張が増えた。カムクラの才能には幸運も含まれているから、一人で大丈夫だと日向は主張したのだ。だが狛枝が譲らず、結局二人一組が常となって今に至る。 「裏稼業というか、汚れ仕事というか……」 下っ端といえば下っ端だが、一応は極秘任務ともいえる。ため息混じりに呟いて、日向は知らず口元を緩めた。 狛枝の言うとおり、その気になれば昇進は容易いだろう。だが椅子にふんぞり返って命令を下す立場など性に合わないし、それが贖罪になるとも思えない。自ら前線に立ち真っ向から絶望と対峙しているのは、自分なりのけじめであり後始末のつもりだ。絶望でしかなかったカムクライズルの才能を、未来に繋ぎ活かすために。 「裏稼業、ねえ。だったらやっぱり、何か仕込むべきなのかなあ」 左手を持ち上げて、狛枝がのんびりとひとりごちている。彼のそれは元超高校級のメカニックによる義手で、以前からロケットパンチだの機関銃だの、物騒な装備を薦められていると聞いた。 「そんなことしたら、今以上にメンテが大変だろ? 左右田だって、支部に常駐してるわけじゃないんだ」 振り向かないまま、日向は呆れて釘を刺してやる。ただでさえ面倒臭がりやの狛枝は、普段からメンテナンスを放置しがちなのだ。この上余計な機能をつければ、周囲の負担が増えかねない。 「わざわざ左右田クンに頼らなくたって、キミがいれば何も問題ないじゃない」 「……甘えるな。俺はお前の専属技師でも世話係でもない」 あまりにも予想どおりの答えに、日向は背後を睨んで言い切った。えー、と狛枝が唇を尖らせる。 「ボクだって、いざというときのための武器が欲しいんだけど。丸腰ってさあ、なんか心もとなくない?」 「別に」 後方支援の機動隊は海上に待機しているから、いつでも応援を呼ぶことはできる。とはいえ、二人の持ち物は通信用の携帯端末のみ。未来機関はできるだけ穏便な制圧を望んでいるため、表向きはあくまでも視察の形を取り繕っているのだ。 「武器なんてお前の意思だけで十分なんだよ、この幸運チート野郎」 「だからキミに言われたくないって言ったよね、この才能チート野郎」 互いに軽く罵り合いながら、二人は人影のない大通りを進んでゆく。残党の目撃情報があったのは、この先の雑居ビル周辺らしい。端末で位置を確認しようとした日向は、ふと気がついて足を止めた。 「……何。どうかした?」 狛枝も隣で立ち止まり、不思議そうに周囲を警戒している。差し掛かった広い十字路に、やはり人の気配はない。 「いや」 日向は小さく笑って、ひび割れたアスファルトの向こう側を指した。壊れた信号機が半ばで折れ曲がり、オブジェのようになっているのが見える。 「横断歩道では、渡る前に一旦停止して安全確認」 「は?」 呆れた、と狛枝が鼻を鳴らした。足下の白い線は消えかけていて、そこが横断歩道かどうかすら定かではない。 「こんな人も車も通ってない道路で、何言ってるのさ。真面目にも程が……」 刹那、空気を斬る音がした。 何かが目の前を飛んで通り過ぎたかと思いきや、ものすごい風が吹き抜けた。一瞬の後、遠く左の方で爆発が起こる。派手な破壊音と、もうもうと舞い上がる煙。 「……ええと」 反射的に身を屈めていた二人は、さすがに呆然として顔を見合わせた。 「ロケットランチャー、かな?」 「RPG7か、パンツァーファウストかもな。何にせよ、対戦車兵器だ」 明らかに、自分たちを狙った奇襲攻撃だ。立ち止まらず歩き続けていれば、今頃二人とも巻き込まれていただろう。これは『幸運』の賜物か、それとも。 「兵器かあ。日向クンってば、とうとう戦車扱いなんだね」 「俺だけじゃなくて、お前も込みだろ」 弾頭が発射された方角から、何語かもわからない怒号が聞こえてくる。成功か、仕留めたか、確認しろ、などと問答されているのかもしれない。よかった、と狛枝が笑顔になった。 「ボクたちの歓迎式典、開催してくれるみたいだね」 「ああ。それじゃ、喜んで出席させてもらうとするか」 呑気に言いながらも、二人は声の方へ駆け出している。連中は恐らく、先ほどの一撃で決めるつもりだったのだろう。すぐ二発目が来ないということは、大した勢力でもなさそうだ。 「そういえばこの間お前を狙ってた残党グループ、何故かいきなり足場が崩れて自滅したよな。そんなのと戦うなら、対戦車兵器くらい用意しないと」 「そういうキミだってその後、司令塔を失った残りの雑魚を片っ端から千切っては投げ千切っては投げ」 「千切ってないし投げてない、ッ」 唐突に会話を断った銃声を、二人は瓦礫を盾にしてやり過ごした。思ったより近い。連中も奇襲が失敗したことに気づいたのかもしれない。 「対戦車兵器に拳銃か。人海戦術で襲ってこないところを見ると、少数勢力かな」 推測した日向は、端末で本部へ緊急信号を発信しておく。機動隊が着く頃には片付いているかもしれないが、念のためだ。 「ああ狛枝。武器が欲しいなら、連中のを奪うってのはどうだ?」 半壊したビルの壁から、日向は相手の様子をうかがった。何それ、と狛枝が不満げに眉をひそめる。 「簡単に言ってくれるね」 「簡単だ。正面から突っ込んで、弾丸を避けて相手の銃を蹴り落として奪う」 「……簡単じゃないよ。そもそも弾丸を避けるって時点で、何をどうしていいのかボクにはさっぱりわからない」 「銃口の向きから弾道を予測して、引き金が引かれる一瞬前に動くんだ。飛んでくる弾を実際に目で見て避けるよりは、簡単だと思うぞ。それに」 ビルの右側を片手で促して、日向はにっと笑ってみせる。 「お前の幸運なら、弾丸の方が避けてくれるだろ?」 「……」 挑発じみたその笑顔を、狛枝はしかめ面のまま受け止めた。ややあって大きく息を吐き、おもむろに左の方へ歩き出す。 「キミがそっちから行けばいい。囮ならボクの方が適任だ」 「あ、おい!」 「そうだ。話は戻るんだけど、さっきの。新しく赴任してきた、病院送りの間抜けな上司の話ね」 制止する日向を振り返った狛枝は、思い出したように悪戯っぽく微笑んで。 「その人、日向クンの悪口を言ったんだ。それだけ」 「え」 「じゃ、あとはよろしく。心配しなくても平気だよ」 狛枝は笑顔で言い残すと、瓦礫を踏んでさっさとビルの向こうへ行ってしまった。止める暇もなかった。 「悪口、って……」 しばらく立ち尽くしてから、日向はぽつりと言葉を落とす。同じ組織の上司を相手に、無駄に才能を発揮するんじゃない。後ほど改めてそう忠告してやるつもりだったのに、何も言えなくなってしまった。 単に自分が気に入らなかったからではなく、日向を侮辱されたからか。基本的に人当たりの良い狛枝が、己の才能で天罰を願ったのだ。恐らくは相当、聞くに堪えない罵詈雑言だったに違いない。だからボクのせいじゃないよ上司の自業自得だよと、本人はしれっと笑ってみせるだろうけれど。 「……というかお前の心配なんて、するわけがないだろ」 頭を振って気持ちを切り替えて、日向は狛枝とは逆の方向へ走り出した。心配だとすればむしろ彼の幸運によってもたらされる被害、及び彼を狙う残党の方だ。どんな突拍子もない事故が起こるか、知れたものではないからだ。 「まあ、俺がフォローすればいいか……」 当たり前のようにそう考えている時点で、狛枝の望むがまま操られている気分になる。フォローといっても上への報告、各方面への謝罪、つまりは後始末と尻拭いばかりだ。これがいわゆる不運と呼べるものかもしれないと思うと、わずか苦笑がこみ上げた。 カムクラの幸運に代償はないからこそ、狛枝の分まで引き受けることができる。たとえほんの少しでも支え補っていけるなら、彼の隣にあり続けたいと願う。 とにかくあらゆる才能を総動員させて、日向はビルの間を駆け抜けた。とりあえず形だけでもと空を仰いで、作戦の成功と相棒の無事を祈る。 祈らずとも、二乗の幸運が絶対的な味方にあることを知りながら。
ダブルチート 〜 たとえばこんな未来狛日 〜 |