「舐めたいなあ」

 そう呟いた声の主は、隣で会議資料をまとめている狛枝だ。何の脈絡もないその台詞を、日向は一瞬聞き流してしまった。

 舐めたいってなんだ、ああ食べたいの聞き間違いか、さっき昼休憩のチャイムが鳴ったから、早く食堂に行こうという意味か。

 勝手に解釈しながら、黙々と議事録の続きをパソコンに打ち込んでゆく。大規模な復興計画から地域住民のサポートまで、未来機関の業務はなんでもありだ。ゆえに会議の議題もあちこちに飛躍しがちで、書記は面倒な仕事の一つだった。

「ねえ、日向クンってば」

 狛枝が少し甘えたように呼びかけてくる。背後に立つ気配を感じて、日向は画面を睨んだまま口を開いた。

「もう少し時間掛かるから、先に食堂行っててくれていいぞ」

 あとはデータ入力だけだが、それまでに昼休みが半分終わってしまいそうだ。気を利かせて言うと、何故か大きく嘆息された。

「そうじゃなくてさ」

 キーボードを打つ右手が、狛枝の左手に制される。硬質な義手と手袋の感覚を意識した途端、強く握って持ち上げられた。椅子が百八十度回転し、狛枝と正面から向き合う体勢になる。

「舐めたい、って言ったんだよね」
「……は?」

 にこにこと笑う狛枝に、日向はわけがわからず戸惑った。聞き間違いではなかったようだが、意味がわからない。

「な、舐めたい? って、何を?」

 恐る恐る訊ねて、知らず背中を仰け反らせる。よく見ればいつの間にか、つい先ほどまで賑やかだった会議室には誰もいない。二人きりという現状に、嫌な予感を覚えてしまった。

 同僚かつ恋人でもあるこの男は、しょっちゅう常軌を逸した行動に出る。彼の思考を推測するに、こうしてわざわざ向かい合う形で舐めたいなどと請われたら―――

「あ。日向クン、やらしい想像してる」
「誰がだ!」

 ぐるぐると渦巻く頭の内を見透かされた気がして、日向は慌てて否定した。狛枝がのんびり首を傾げる。

「ご所望とあれば、キミの好きな場所を舐めてあげてもいいんだけどさ。残念ながら、今言いたいことはそうじゃないんだよね。もしかして、フェラされるかもって期待しちゃった? 白昼堂々職場で、いつ誰が入ってくるかもわからない会議室で……あはっ、それも楽しそうだね!」
「お前な……ふざけてないで、早く昼飯行ってこい」

 やらしい想像をしたのはどっちだと、日向は心底呆れてしまった。とりあえず腕を払おうとしたのだが、更に強くつかまれてしまう。義手だからだろう、その力は恐ろしく強い。

「別にふざけてないよ。ボクが舐めたいって言ったのは、キミの目なんだ」
「はあ? どうしてそうなるんだ」

 全くもって意味不明だ。力一杯訊き返す日向に、狛枝は興奮したように身を乗り出した。

「だって、真剣にパソコンを睨むキミの目が、ものすごく綺麗で美味しそうに見えたんだもん」

 美味しそうってなんだ、人の目に食欲を刺激されるなんてどういう趣味だ。困惑する日向に構わず、狛枝は力説を続ける。

「キミの外見って全体的に地味なんだけど、目だけ不思議な色してるんだよね。琥珀というか、榛というか。光に透けると透明な飴玉みたいで、どんな味がするのかなって興味そそられちゃった。ね、ちょっとだけ舐めていい?」
「こっ断る、冗談じゃない!」

 理由と経緯はわかった。だがだからといって、普通は実行しようとしないだろう。というか雑菌とか感染症とか、目を舐めるのってあまり良くないんじゃなかったか?

「えー、キスみたいなものだし今更でしょ? キミの身体の中で、ボクがキスしてないところなんてないのにさあ」

 ドン引きする日向に、狛枝は不満げに唇を尖らせている。仕草や表情は駄々を捏ねる子どもでも、台詞の内容はとんでもない。いや、確かに事実だけど……違う、今はそういう話じゃない。

「ねえ、駄目?」
「駄目だ」
「どうして?」
「……」

 狛枝凪斗という男は相変わらず理解不能だが、付き合いが長いだけに知っていることも多々ある。一度決めたら妙に頑固だったり、こんな風にねだってくるときは決して譲ろうとしなかったりだ。

「ね。お願い、日向クン」

 押し問答に縺れ込めば、余計な気力体力を消耗する。下らない言い争いのせいで、午後の業務に支障が出ないとも限らない。意地を張るのも面倒臭くなってきて、日向は深いため息を吐いた。

「はあ……もういい。好きにしろ」
「えっ」

 もはや諦めの境地だ。顔を輝かせた狛枝が、早速上半身を倒してくる。

「何、突然どうしたの、本当に好きにしちゃっていいの?」
「お、おい」

 反射的にそむけようとした顎が、両手で強引に固定されてしまう。どうにでもなれと覚悟を決めたつもりでも、いざ舌舐めずりされると恐怖しか感じない。こうなったら直前で目を閉じてやろうか、瞼ならまだダメージは少なくて済むはずだ。そんなことを考えたとき、人差し指と親指で無理やり左目をこじ開けられた。

「う」

 同時に、ぬるりとしたものが粘膜に落ちる。なんともいえない感覚に、全身が一気に総毛立つのを感じた。下瞼を這って、丁寧になぞる熱。狛枝がかすかに笑う気配。

「……っや、めッ!」

 舌が本格的に動きかけたところで、日向は耐えきれず狛枝を突き飛ばした。痛みや刺激はないが、なんだか大声で喚いて暴れたくなるような、寒気を伴う気持ち悪さだ。

「きっきも、きも……っ」

 自身の涙か狛枝の唾液か、視界はぼやけて歪んでいる。意識すると、またいいようのない悪寒に襲われた。

「ん? 気持ち良かった?」
「悪かったに決まってる!」

 悪態を吐きながら、日向は拭うように左目を擦る。これは後で洗った方がいい、いや今すぐ洗いたい、目薬も欲しい、なんか消毒したって思えるようなクール系のすっきりするやつだ!

「うーん、予想よりしょっぱかったかな。きっと涙の味だね」

 泣きそうになっている日向をよそに、狛枝は呑気に感想を述べている。

「飴玉みたいに甘くはなかったけど、また今度舐めさせてほしいな」
「嫌がらせかよ、こんなもの一度で十分だろ!」
「とんでもない! 繰り返し舐め続けることでキミの新しい性感帯として開発を痛たたた!」

 上機嫌な言葉の途中で、日向は狛枝の耳を引っ張ってやった。開発ってなんだ、花村みたいなこと言うな、絶対に気持ち良くなんてならないからな!

「ああもう、とにかく洗ってくる……」
「あ、待って」

 脱力しながら立ち上がると、満面の笑みでまた腕をつかまれた。嫌な予感に襲われて、日向は恐る恐る振り返る。

「……なんだよ?」
「まだ右目が残ってるでしょ」
「みっ……?」

 おい待て、両方舐める必要はあるのか。

 驚愕に引きつった日向は、突っ込みを喉元で凍りつかせたまま、迫る狛枝の笑顔を見つめるしかなかった。











狛日眼球舐めプレイ?
20160727UP


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