日向クンが泣いている夢を見た。

 夢であることを認識しながらも、ボクは呆然とそれを眺めていた。

 前後の繋がりはよくわからない。彼がどうして泣いているのか、原因も理由もわからない。ただその泣き顔に、零れ落ちてゆく涙に、しばらく見惚れてしまっていた。

 日向クンはこの修学旅行のリーダーで、皆に好かれ慕われていて、ボクにとってもヒーローのような存在だ。落ち込んだり弱音を吐いたり、ましてや泣いているところなんて見たことがない。いつも凛としてかっこよく、誰に対しても平等に笑顔を向けてくれている。だからこそ。

「日向、クン」

 ボクの呼びかけに構わず、日向クンは静かに泣き続けている。誰かの涙をそんな風に感じるなんて、悪趣味かもしれないけれど。

 綺麗だ、と思ってしまった。

溶けそうなほど潤んだ目も、目尻に溢れる雫も、頬を伝う透明な線も、噛み締められた唇も。

 これはきっと、誰も知らない日向クンだ。

 気づいた瞬間、優越感にも似た暗い悦びがせり上がった。誰も知らない。ボクしか知らない。所詮ボクの夢の中の出来事でしかなくても、それでも。

 どうせ夢なのだから、心配する必要はない。本人に気兼ねすることもないと、ボクはぼんやり日向クンを見続けた。そうして、このまま涙が止まらなければいいと願った。 もっと泣けばいい、もっと泣かせたい。もっといろんな表情を引き出してみたい。皆が知らない顔をボクに、ボクだけに見せてほしい。

 そうすればきっと、ボクはキミの特別になれる。











「はあ……」

 目を覚ましてすぐ、ベッドの上で猛省した。

 南国のさわやかな陽気が、ますます自己嫌悪を煽ってくれる。どうしてあんな夢を見たのか、自分でも理解不能だ。日向クンとは、修学旅行が終わったら友達になりたいと思っているのに。もっと泣かせたいなんて何様だろう。

 夢は願望を表すと聞いたこともあるけど、そんなもの単なる一説でしかない。ボクは日向クンを悲しませたいわけじゃない、意地悪をしたいわけでもない。

「……でもちょっと、可愛かったかも」

 無意識に呟いてから、ぶんぶんと頭を振って夢の残滓を払う。だから何様だ。自戒すればするほど泥沼に陥りそうで、とにかくベッドから脱け出した。

 幸い今日は休日だから、わざと遅めにレストランに行くことにする。時間をずらせば、日向クンには会わないだろう。自分勝手だと思いつつも、ボクはいつもどおりでいられる自信がなかった。あんな夢を見た後に会って、どんな顔をすればいいのかわからなかったのだ。

 今日一日は、日向クンを避けて行動しよう。

 朝食を食べながら、頭を冷やすべく決意する。ボクの幸運なら、さりげなく回避できるはずだ。才能が不運の方向に働く場合もあるけど、それならそれで冷静に、臨機応変に対処すればいい。その不運はいずれ、更なる幸運に繋がるだろうから。

 コテージに引きこもれば、夢を反芻してしまうかもしれない。朝食を終えたボクは、気分転換も兼ねて第二の島に向かった。こういうときには読書がいい。独りで静かに過ごすには、図書館が一番適している。  とはいえ、我ながら浅はかだった。すっかり忘れていた。誰がどこにいるのか、事前に電子手帳で確認しておくべきだったのだ。

「……あ」

 早速の不運だ。図書館には、日向クンがいた。

 特徴的な髪型の、あの後ろ姿は間違いない。出入り口に背を向けて本に集中しているせいか、ボクが入ってきたことには全く気づいていないらしい。不幸中の幸い、というべきだろうか。今のうちに、そっと図書館を出てしまおう。

 気配を殺しながらも、ボクは周囲を見渡した。彼にしては珍しく、一人きりで読書に耽っているようだ。近頃の日向クンは人気者と化していて、皆から毎日のように誘われまくっている。考えてみればここ最近は、ボクも彼とおでかけできていない。食事や採集は一緒になることが多いから、あまり意識していなかった。

 だったらこれは不運ではなく幸運ではないかと、後退していた足を止める。日向クンはボクに会うためにここにいたのかもしれない、そんな都合のいい解釈まで芽生えてくる。

 声を掛けてみようか。せっかくだから、おでかけに誘ってみようか。

 さっきの決意なんてどこへやら、ボクは足音を忍ばせて近づいた。いきなり呼びかけると驚かせてしまうかもしれないから、できるだけ近くに寄って、小さな声で。

「……日向クン」
「ひゃッ!?」

 気遣って耳元で囁いた声は、かえって驚かせることになってしまったらしい。日向クンは高い悲鳴を上げて、大げさなほど飛び上がった。椅子から転げ落ちそうになるほどに。

「わ、だっ、大丈夫!?」

 まさかそんな反応をされるとは思わず、ボクまで驚きながら慌てて彼の腕をつかむ。おかげで椅子が傾くだけで済んだようだ。

「ご、ごめんね、驚かせるつもりは……」

 なかったんだけど。

 誠心誠意謝ろうとしたのに、ボクはそこで呑み込んでしまった。日向クンは机を支えに、眉尻を下げた情けない顔でボクを見上げている。まるで、今にも泣き出しそうな目で。

「……あ。えっと」

 一気に今朝の夢が蘇って、ボクは内心で戸惑った。むしろ夢よりこちらの方がリアルだと、当たり前の感想を抱いた。もしかして、正夢だったのだろうか。彼が泣いていた夢の背景は、この図書館だった?

「こ、狛枝か。びっくりさせるなよ」

 日向クンは耳を擦りながら、安心したように笑っている。普段あまり聞くことのない、弱々しくか細い声。涙を連想させるには十分だ。

「あ、うん、ごめん……」

 重ねて謝ったボクは、上の空で日向クンを見ていた。正確には、日向クンの右耳だ。さっきのボクの囁きがくすぐったかったのだろう、擦られたそこは桜色に染まっている。

 無意識のまま、ボクは手を伸ばした。色づいた耳朶が柔らかそうで、確かめたくなったというのが動機だけど。

「うわ、な、なんだよ?」

 指先が触れた途端、日向クンがびくりと肩を跳ねさせる。睨みつける目に、ボクの鼓動も合わせて跳ねた。潤んだ視線が、より泣き顔に近づいた気がしたからだ。

 もっと触れれば、夢と同じ綺麗な涙を見せてくれるだろうか。誰も知らないキミを。ボクしか知らないキミを。

「おい、狛枝?」

 訝しげな呼びかけを無視して、ボクは身を乗り出した。指よりも確実に、その柔らかさを感じたい。だから顔を近づけて、唇でそっと。

「ッ……!」

 食んでみた耳朶は、思った以上に柔らかかった。知らず力を込める前に、思いきり押しのけられてしまう。

「お前っ、なに、何、やって……!」

 言葉が出てこないのか、日向クンはぱくぱくと口を動かすだけだ。涙が滲む目はやっぱり綺麗で、やっぱりもっと泣けばいい、もっと泣かせたいと思った。涙を溜めて零してぐちゃぐちゃになった顔で、しゃくり上げながら嗚咽混じりにボクの名を呼んでほしい。

 今まで感じたことのない欲望が、嗜虐的に駆け抜けてゆく。

 多分、それが全ての始まりだった。











涙と耳朶
20160821 スーパーコミックシティ関西22発行無料ペーパー再録
20170415UP


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