見上げると、青空に薄いうろこ雲が広がっていた。

 ペットボトルを横に置いて、日向は知らずため息を吐く。瞼が重い。秋晴れの気候と陽気のせいか、わずかな睡魔が降りつつあるようだ。

 周囲からは遠く心地良いざわめきと、鳥のさえずりと、穏やかな風に樹木が揺れる音。今日の仕事も滞りなく終わった。あとは別区画を回っている機関員と合流して、帰って報告書をまとめればいい。

「……大あくび」

 ふいに指摘されて、日向は苦笑に口を閉じた。隣に座った狛枝が、不服そうな顔で缶コーヒーを啜る。

「どうせ、昨日もあまり寝てないんでしょ。キミじゃなくてもできる仕事なんだから、適当に切り上げちゃえばいいのに」

 言葉の端に棘があれど、不器用な気遣いは十分に伝わってくる。まともに付き合えば長々と説教されるので、はいはいと軽く受け流しておいた。

 朝から二人で担当区画を歩き回り、午前中で視察を終わらせた。この広い公園の一角のベンチに落ち着いて、コンビニ飯で簡単に昼食を済ませたのは、つい先ほどのことだった。

 街に絶望の根は残っていないか、残党の影はないか、定期的に警戒するのも未来機関の仕事だ。普段はデスクワークに従事している二人だが、時折こういった仕事も命じられる。日向自身、いわゆる外回りは嫌いではない。実際に自分の足で歩いてみれば、世界の復興と平和を実感できるからだ。

 狛枝も日向とのコンビには慣れたもので、表向きは文句を言いつつも真面目にノルマをこなしてくれる。ゆえに最近では早めに視察が終わる日も多く、こうして時間を持て余すこともあった。

 集合時刻までまだ少しあるから、同僚たちへの土産を探すのもいいかもしれない。大きく伸びをした日向は、ふと公園に入ってきた子どもたちの集団に気がついた。

 小学生だろうか、それぞれが奇抜な衣装に身を包んで列を成している。賑やかで微笑ましい様子に、思わず口元がほころんだ。

「何かのイベントかな」
「ああ、ハロウィンじゃない?」

 日向の視線を追って、狛枝も少し笑う。

「さっき、商店街の掲示板に貼り出してあったのを見たよ。ハロウィン仮装パレード、って」
「そういえば、そんな時期だったな」

 言われてみれば、子どもたちの格好はそれっぽいものばかりだ。誰もがカボチャの形のバッグを手に、にこにこと笑顔で歩いている。

「子どもたちだけなのか」
「そうみたいだね。大人の付き添いがないってことは、それだけこの街が平和な証拠かな」

 そもそもハロウィンでもなんでも、イベントが行われること自体平和だといえる。報告書に加えておくかと思いながら、日向は目を細めて子どもたちのパレードを見守った。

 お化けや狼男や吸血鬼など、大体定番の衣装が人気のようだが、何の仮装なのかわからない子もいる。なんでもありだなと眺めていると、ふと先頭の女子と目が合った。黒と橙色の魔女の格好をしていて、小学校高学年くらいだろう。パレードの中では年上だ。

 にっこりと、彼女が笑った。反射的に笑顔を返すと、彼女は子どもの列を引き連れて、日向たちがいるベンチまでやってきた。

「お兄ちゃんたち、トリックオアトリート!」
「え」

 手頃な標的だと思われたのかもしれない。可愛らしい声で言われて、日向は動揺してしまった。セオリーとしてはここで菓子を渡せばいいのだろうが、あいにく何も用意していない。こういうイベントがあると事前に知っていれば、先ほどのコンビニで準備できただろうに。

「あー、えっと……」

 知らず、救いを求めるように狛枝を見やる。狛枝はどこか困ったように目を泳がせてから、ひょいと肩をすくめてみせた。

「全員分のお菓子はないんだけど、いいかな?」

 言いながらコンビニの袋を探る彼に、日向は少し尊敬してしまった。商店街の掲示板を見たと言っていたから、こうなることを予想して何か用意していたのだろうか。あるいはたまたま自分用に買った物か、支部で待つ仲間たちへの手土産か。

「全然大丈夫だよ、あとでみんなで分けるから!」

 小さな魔女は嬉しそうに応えると、満面の笑顔で手を伸ばしてきた。狛枝がその可愛らしい両手の上に、何やら素朴な包みを載せる。

「ハロウィンっぽくなくてごめんね、それしか持ってなくてさ」
「ううん、ありがとうお兄ちゃん!」
「ありがとう!」

 次々と礼を言われた狛枝は、眉尻を下げて恐縮している。ありがとう、じゃあね、バイバイ。手を振る子どもたちに、日向も遅れて手を振った。

「お前が子どもに優しいって、なんか意外だ」
「何それ」

 唇を尖らせる狛枝に、思わず笑いがこみ上げる。普段あまりそんな素振りを見せないだけに、新たな一面を知った気分だ。

「けど、ちゃんと用意があるなんてさすがだな。皆への土産か何かだったのか?」

 出張前にはあれが欲しいだのこれが欲しいだのと、仲間たちに頼まれることがよくある。女性陣のリクエストは食べ物類も多く、以前は地方限定の菓子を買ってこいと西園寺に言い渡されたりもした。今回日向は何も聞いていないが、狛枝の方に集中したのだろうか。

「皆っていうか……別にお土産とかじゃなくて、単純にキミに渡すつもりの物だったんだけど」
「ん? なんで俺? ああ、もしかしてハロウィンやりたかったのか?」
「そうじゃなくて」

 狛枝は緩く頭を振ると、足を組んで嘆息した。

「あの女の子にあげたの、草餅だったんだよね。さっきコンビニのレジの横にあった、最後の一つ」
「……」

 え、と日向は無言で目を見開いた。何の気遣いだとか、だったらさっさとくれればいいのにとか、言葉が浮かんでは消えてゆく。

「疲れてるときは甘い物がいいって言うし、キミ最近食べてないって言ってたし、お疲れ様って出してあげたかったんだけど、タイミング見失っちゃった」
「と、トリックオアトリート!」
「遅いよ」

 苦笑と共に、狛枝が空になった袋を振ってみせる。別にコンビニの草餅程度、食べようと思えばいつでも食べられるのだが、食べられないとなると無性に食べたくなってくるから不思議だ。

「はあ……まあ、子どもたちが喜んでくれるならいいか」
「だね。あ、ちなみにボクもう何も持ってないからいたずらしていいよ?」
「遠慮しとく」
「えー」

 何故か不満げな狛枝の声を耳に、日向は賑やかなハロウィンパレードを見送った。帰りにもう一度別のコンビニに寄ろう、できれば和菓子屋がいい、などと考えながら。











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