木乃伊は暁に再生の夢を見る

1st. Discovery #0










 大仰な金属音に、九龍は思わず振り返った。
 走る緊張感と、脳裏で響く危険信号。幼い頃から慣れ親しんできた遺跡の、『罠』が発動した時のような、あの感覚。
 閉じ込められたときは、まず落ち着くこと。
 父の言葉を思い出して、無意識に深呼吸をする。
 墓がお前を試していると思え。鍵も出口も、必ず用意されている。冷静になれ。神経を研ぎ澄ませ。
「どうかしたかね?」
 突然立ち止まった九龍に、前を歩いていた引率の教師が声をかけた。
「……え? や、いえ、別に」
 集中が霧散して、慌てて現実をかき集める。街と學園を隔てる鉄扉が、音を立てて閉められたところだった。
「なんでもないです、ただ、大きい学校だなあと思って」
 素直な感想で笑みを浮かべると、初老教師の表情が和らいだ。
「歴史ある學園だからね。君たち生徒が三年間を過ごす、いわば一つの町のようなものかもしれないね」
 迷子になる転校生も多いから、担任や同級生に色々案内してもらうといい。
 教師の言葉を聞きながら、再度、九龍は門を振り返った。
 さっきの感覚は、あながち間違いではないだろう。東京新宿のど真ん中、私立天香學園高等學校。外界から遮断された全寮制だけあって、大小様々な建物が立ち並ぶ敷地は広い。この學園のどこかに、自分の求めるものがある。
 少しだけ考えて、九龍はこっそりと笑った。任務のためとはいえ、憧れの高校生活が満喫できるのだ。普通に卒業するのは無理かもしれないが、幼い頃から非日常の中、死と隣り合わせで生きてきた自分が。
 用意した書類を、もう一度頭の中で確認する。
 葉佩九龍、1986年5月12日生まれ。本籍東京都、身長171センチ体重55キロ、血液型B型、視力2.0。
 偽名なども考えたが、どこかでぼろが出たときに面倒なので、結局嘘偽りない履歴書を作成した。心残りは部活に入らなかったことだろうか。世間一般的な『高校生』になれる、こんな機会はもう二度とないかもしれないのに。
 貼り付けた証明写真には、どこにでもいる18歳の少年が写っていた。とかしっきりの黒髪直毛と、まっすぐ見据える大きめの黒い瞳。やや童顔ながら、目鼻立ちは悪くない方だと自負する九龍本人は、その人懐っこい笑顔が周囲に及ぼす影響をあまりわかっていない。
 調査対象は、日本の全寮制高校敷地内。その閉鎖された場所に違和感なく潜入できる容姿から、仕事が回されてきたのだろう。万年人材不足の協会は、まだほんの新人ですら派遣せざるをえないのかもしれない。もしくは生い立ちを知る幹部が、葉佩九龍は金の卵だと推薦したのか。とにかく油断は禁物、浮かれてばかりもいられないというわけだ。
 見上げると、透き通った青空が広がっていた。東京で見る空の色は、エジプトよりも碧が薄い気がする。頬を撫でる初秋の風に、九龍はほんの2週間ほど前に、辛くも終えた初仕事を思い出していた。





「……なんだ、思ったより楽勝」
 呟いて、九龍は蠍の死骸を見下ろした。マシンガンをセイフティに戻し、もう一度ぐるりと辺りを見渡す。エジプト・カイロ市南西区、地下六キロメートルの海の底。紀元八世紀に没した、古代都市ヘラクレイオンの神殿。その最深部。
「まだここまで辿り着いた人はいないらしい、って本当ですか」
 他に生体反応がないことを確認して、九龍は背後を振り返った。老人は安堵の息をつくと、神妙な顔で頷いてみせる。現地案内人として同行してくれた、老商のサラーだ。
「本当じゃ。新米にこの遺跡は荷が重かろうと思っていたのじゃが……まさか、ここまで来れるとはのう。大したもんじゃ」
「いや、あの……」
 今まで誰も果たせなかったことが不思議なくらい、簡単な仕事だったんですけど。
 サラーの様子があまりにも真剣だったので、本音は心の中に留めておくことにした。言葉が過去形になったのは、ここが最終目的地だということに気づいたからだ。部屋の奥に見える、石造りの祭壇。その上に。
「ありましたよ。《玉座の碑文》」
 これ見よがしに祀られている石版を指差して、九龍は苦笑した。
 ―――《宝探し屋》―――通称、トレジャーハンター。それが、九龍の本当の姿だった。
 エジプトに本部を置く《ロゼッタ協会》は、世界最大のトレジャーハンターズギルドと言われている。古代の文化遺産を発掘し、調査内容及び発掘物を依頼人に渡すことを目的とする組織だ。そのための《宝探し屋》の育成、派遣、物資や情報の支給などを主な業務としている。
 九龍がその協会からライセンスを受け、正式に《宝探し屋》として登録されたのはつい先日のことだった。支給された専用の小型携帯端末《H.A.N.T》―――協会に属する《宝探し屋》の証―――を握り締めて、一人感動したものだ。
 若干18歳にしてそんな特殊な職業に就いたのは、ひとえに同じ《宝探し屋》だった、父親の影響である。
 物心ついたときから、自分も父と同じ道を行くのだと信じていた。共に行動して様々なことを吸収し、確実に《宝探し屋》としての知識と経験を身に着けていった。ゆえにこの年齢で協会の資格が取れたのも、九龍にとっては当然の結果だったといえる。
 日本の同世代に例えるならば、有名大学に合格したようなものかもしれない。喜びと共にそれを報告する身内は、あいにく既に存在しなかったが。
 すぐに命じられた初仕事が、このヘラクレイオン遺跡だった。巣食っていた蠍を排除し、ありがちな仕掛けも罠も突破して、先ほど難なく最深部へと辿り着いた、というわけだ。
「筋がいいし、素質もある。お前さんはきっと、いい《宝探し屋》になるじゃろうな」
「ま、遺伝ということですかね」
 サラーの賛辞に、照れた九龍は肩をすくめてみせた。
 父に自覚があったかどうかは知らないが、自分は《宝探し屋》として育てられたようなものだった。《ロゼッタ協会》ではまだまだ新米扱いとはいえ、既に腕は中堅並みだと自負している。これくらいの遺跡なら、楽に探索できて当然だろう。
 祭壇を調べて、特に罠らしい仕掛けもないことにまた拍子抜けした。慎重に石版を手にすると、《H.A.N.T》の機械音声が《秘宝》の入手を告げてくる。はい、わりと呆気なく任務完了。そう思った時。
 唐突に、地面が揺れた。反射的にマシンガンを構えた九龍は、音の方へ銃口を向けてセイフティを外した。罠ではない、これは。
「何か来ます、下がって!」
 叫んだ次の瞬間、大きな塊が壁を破壊して飛び込んできた。舞い上がる埃の中、現れたものに思わず目を丸くしてしまう。……うわ、なんというか。
「いかにも、ボスって感じ?」
 それは一見巨大な犬だったが、明らかに普通の生物ではなかった。口が縦に割れていたり、腹から内臓がはみ出ていたりと、グロテスクなことこの上ない。
 恐らくこの化け物が、《秘宝》と遺跡を守る《墓守》なのだろう。威嚇するような咆哮に眉をしかめて、九龍は皮肉げに笑った。
「……俺、わんこ好きなんだけどな」
 台詞半ばで、ためらいもせず引き金を引く。武器は遺跡に棲む蛇や蠍や蟲を退けるための常備が主だが、何事も、備えあれば憂いなし。つまりそういったいわゆる「化け物」と対峙するのは、九龍にとっては珍しいことでもなかったのだ。
 父の背中を見ながら、世界中の遺跡を回ったとき。ライセンス取得の研修で、先輩ハンターの助手を勤めたとき。彼らは様々な姿で、侵入者を熱烈歓迎してくれたものだった。
「秘宝を入手するための、試練だと思えばいい」
 父はそう言っていた。遺跡が、古代人が、我々を試しているのだと。自分たちの領域に踏み入ることを許すべきか、遺産を手にするに相応しい者かどうか、見極めようとしているのだと。
 多種多様の《墓守》がいるが、大抵は実体のない亡霊ではなく、普通に刀剣や火薬などの武器も効果がある。それは現代の《宝探し屋》にはありがたいことで、今回の墓守も九龍の敵ではなかった。銃弾の雨にやがてあえなく倒れ、断末魔を上げて、瞬時に光の塵と化した。
「生き物は、死が訪れると魂は《バァ》と《カァ》に分かれるといわれておる」
 壁に吸い込まれてゆく塵を眺めながら、老商サラーが呟いている。
「《バァ》は肉体から離れるが、《カァ》は肉体に留まり、供物を食べて、墓と死体を永遠に守るといわれておるんじゃ」
 古代エジプトの葬祭文書をなぞるサラーを見て、九龍は手元に視線を落とした。硝煙の染み付いたMP5A4サブマシンガン、手に馴染んだナイフ。さっき自分が殺した蠍たちは、墓守として生まれ変わることができるだろうか。それとも今の化け物と同じように、役目を終えて光となり、死後の世界へ旅立っていったのだろうか。
 《宝探し屋》は、常に死が伴う危険な職業である。それは重々承知の上だが、それでも、九龍はその道を選んだ。選ぶしかなかった、ともいえる。元来自信家で楽観主義者である気質から、そう簡単に自分が死ぬわけがないと思っていた。実際強運の持ち主なのか、今までも数々の困難を乗り越えてきたのだが。
 遺跡を脱出したところで、九龍は過去最大の危機を迎えることになった。
「ご苦労だったな」
 複数の銃口が、サラーに突きつけられていた。黒い装甲服の不気味な兵士たちと、中央には指令役と思しき車椅子の男。
「私のために、わざわざ秘宝を持ち帰ってくれて感謝するよ」
 明らかに「敵」と認識できる、嫌味に満ちた口調だった。《秘宝の夜明け》―――レリック・ドーンと呼ばれる国際的テロリスト集団だと、後から知って納得した。目的のために手段を選ばず、遺跡の盗掘、襲撃、強奪などを繰り返しているという。《ロゼッタ協会》と対立する組織だと聞いてはいたが、実際会い見えたのは初めてだったのだ。
「渡してもらおうか、《玉座の碑文》を。逆らえば、老人の命はない」
「……」
 勝ち誇った笑みを浮かべる男に、九龍は唇を噛み締めた。自分一人なら、まだなんとかなったかもしれない。けれど銃口は相変わらずサラーに向けられて、静かに命令を待っている。人質を取られては、もはやおとなしく従うしかなく。
「儂に構うな、何があっても渡すんじゃない!」
 気丈に言う老人を、車椅子の男は馬鹿にしたように笑った。
「《秘宝》は、探されるのを待っている。自ら真の姿に戻してくれる者を待っているのだ。そう、私のような者を」
「……選民思想ってわけ? おめでたいことで」
 負けじと、九龍も鼻で笑ってやった。
 《秘宝》は常に正しき者を選び、真実を求める者の手に渡るという。ゆえに男が言うことも一理あるが、それはお前が決めることじゃないと嘲りたくなる。だからといって、自分でも《ロゼッタ協会》でもない。選ぶのは古代遺跡であり、《秘宝》自身だ。《宝探し屋》は彼らの意思を感じ、手伝い、促すだけだ。それが父の教えだった。
「……どうやら、これ以上話しても時間の無駄のようだ。殺れ。ただし、《秘宝》に傷は付けないように注意しろ」
 男の命令に、兵士たちが銃を構えた。殴り倒されたサラーに駆け寄って、九龍は男を睨みつけた。目をそらすことも、死を覚悟することもしなかった。
 ここは、死者が眠る墓の上だ。己を強く保たなければ、引きずり込まれてしまうだろう。少しでも傾いたが最後、運命は果てしなく闇へと堕ちるだろう。
 だったら、抗うしかない。精一杯の意志の力で、生に執着すれば。
 その刹那、墓から亡霊たちが溢れ出した。男たちが無駄に銃を乱射している間に、混乱に乗じて逃げ出した。砂漠を越えればオアシスがあったはずだという、サラーの言葉を信じた。二人の装備は遺跡を探索するためのもので、砂漠越えには適していなかった。行けども行けども砂の世界で、やがてサラーが倒れた。残り少ない体力を振り絞り、九龍は彼を担いで歩こうとした。
「奥底に輝きを秘めた、いい瞳をしておる」
 サラーはそう言って、眩しそうに九龍を見ていた。若すぎる東洋人の新米《宝探し屋》に驚いていたようだが、初対面からどこか優しい目を向けてくれていた。聞けば、同じ年頃の息子が日本に留学しているという。まっすぐで気持ちのいいお前さんのような若者が、あの子の友人になってくれていれば心強いのう。遠い異国の地に思いを馳せる、その呟きが蘇る。
 こんなところで、死ぬわけにはいかない。
 サラーを背負い、朦朧とした意識の中で、九龍は陽炎に歪む青空を見上げた。
 まだ死ねない。まだ、自分は何も見つけていない。もがいたっていい、みっともなくったっていい。諦めるな。受け入れるな。
 視界が、次第に狭くなる。足が重くて、砂に埋もれて、やがて動かなくなる。襲ってくる耳鳴りと、幻覚と。
 背後で、扉が閉まるイメージ。何かが発動したときの、嫌な作動音。どうやっても開けられず、必死で叫んでいる自分。壁が崩れ始める。柱が倒れる。怒鳴り声。拒絶。涙。―――ああ、泣いているのは俺だ。
 砂の上に倒れたことを、九龍は自覚しないでいた。主の異常を読み取った、《H.A.N.T》の機械音声が淡々と告げる。血圧低下、心拍数低下、自発呼吸に異常。うるさい、わかってるよと思ったのを最後に、九龍の意識は途切れて、そして。
「……目が覚めたかね?」
 気がつけば、白い天井があった。《ロゼッタ協会》所属医療チームの、専用セスナの中だった。《H.A.N.T》が発するヴァイタルサイン、つまり生命維持波形を受信した医師に助けられたのだった。
「典型的な脳の震盪症による、一時的な意識消失だ。命に別状はない」
 脱水症状を起こしていたが、バディであるサラーも無事救出されたようだ。穏やかな顔でベッドに眠る彼を確認して、九龍は砂まみれの《H.A.N.T》に感謝した。さすがハンター御用達、頑丈に作られているらしく傷一つない。
 どこの組織にも属さない根無し草だった九龍が、《ロゼッタ協会》を選んだ理由の一つに、この小型携帯端末があった。これが主のヴァイタルサインを刻み続ける限り、ハンターに「行方不明」はありえない。必要ならば、救助と応援が即時派遣される。砂漠で遭難しても、遺跡で迷子になっても。―――発動した罠の向こうに、閉じ込められたとしても。
『メールを受信しました』
 少しだけ胸の痛みを思い出したとき、その《H.A.N.T》が知らせてくれた。送信者は《ロゼッタ協会》、件名は「探索要請」。……無事初仕事を終えたと思ったら、もう次の任務の命令か。協会も人使い荒いなあ。
「えーと。日本にて、超古代文明にまつわる遺跡の存在を確認。場所は東京都新宿区に所在する、全寮制『天香學園高等学校』―――高等学校?」
 読み上げた九龍は、予想外の依頼に驚いてしまった。本メールを受信した担当ハンターは、準備が整い次第現地へ急行せよと記されている。全寮制の高校ということは、学生として潜入することになるのだろう。
 医師に言われるまま書類を用意しながら、それでも心は既に新しい生活へ飛んでいた。日本で、東京で、高校生。偽りでもつかの間でもいい、密かに憧れていた日常と平穏。
 仕事は迅速に、素性は明かすな、などと当たり前の注意をしていた医師が、最後に笑って激励してくれた。その一言だけが、九龍の耳に残った。
「お前さんに、《秘宝》の加護のあらんことを」





 ―――《秘宝》の加護のあらんことを。
 學園の門が閉じた音に、誰かの言葉が重なったような気がして、九龍はまた歩みを止めた。あの医師ではなかった。もっと懐かしい、記憶の底から響いた声。
「葉佩君」
 立ち止まった転校生を、教師が促した。《ロゼッタ協会》が用意した制服は真新しく、着心地がいまいち馴染まない。それがかえって背筋を伸ばされるような気がした。
 天香學園の男子制服は標準的な学ランだが、右袖の内側に肘までの赤いライン、左袖には青く縁取る輪があしらわれている。その変わったデザインの腕を挙げて、九龍は元気よく返事した。追うように届く、遠いカラスの声。
 視線を向けると、建物の奥の方に森のような影が見えた。なにやら大都会に似つかわしくない、陰気臭い雰囲気だと思った。怪しいと告げてくる本能と、《宝探し屋》の勘。學園の敷地内みたいだけど、あの森は何だろう。とりあえず、要チェックかな。
 ポケットの中で、九龍は《H.A.N.T》を握り締めた。教師に追いついて歩調をそろえ、校内に入る前に再度頭上を仰ぐ。抜けるような秋晴れの青空を、飛行機雲が割いていた。
 目的を達すれば、すぐにでもここを去ることになる。長くても、卒業までの半年間。短い學園生活になるかもしれないが、それでも。

 転校第一日目は、まだ始まったばかりだった。






→NEXT 1st. Discovery#1



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