木乃伊は暁に再生の夢を見る

1st. Discovery #1
謎の転校生






二〇〇四年九月二十一日





『葉佩 九龍』。
 黒板に大きく書かれた自分の名前を一瞥して、九龍は生徒たちの方へ向き直った。
 一気に、好奇心の視線が突き刺さる。こそこそと囁く声も聞こえてくる。何て読むのかな、なんだ転校生って男かよ、やだちょっとカッコイイかも。
 ……ああ、動物園のパンダってこんな感じかな。
 どうも居心地が悪くて、九龍は内心苦笑した。別に目立つのは嫌いじゃないけど、むしろ好きな方だけど。ずらりと並んだ生徒たちを眺めていると、若い女教師がざわつく教室をたしなめた。
「みんな静かに」
 見た目を裏切らない、可愛い声だった。
「今日から、みんなと一緒にこの天香學園で学ぶことになった―――転校生の葉佩九龍君です」
 はばき・くろう、と生徒たちが囁き合う。初見一発で正しく読んでもらえた記憶がなく、今回も案の定だったらしい。変わった名前だからこそ、覚えやすいともいえるのだが。
「葉佩君は今まで外国で生活していて、先日、日本に戻ってきたばかりなの」
 早く日本に慣れて欲しいというご両親の希望で……と続く教師の説明を、九龍は他人事のように聞いて、もう一度よく噛み締めた。転校理由はあながち嘘ではないから、そこから正体がばれることはないだろう。しかし用心に越したことはない。
「私は担任の雛川亜柚子。私も今学期からこの學園に赴任してきたばかりなの、お互い卒業まで頑張りましょうね?」
 こちらを向いた教師の笑顔に、思わず見惚れて反応が遅れた。気がつけば、何故か敬礼の真似事をしていた。
「あ、はい、喜んで! いやー担任がこんな若くて可愛い先生でよかった、幸せ者です俺ってば、葉佩九龍ですどぞよろしくです!」
 あげく慌てたせいで、勢いのまま調子よく口が回ってしまった。
 一瞬だけ静まり返った教室は、次の瞬間またざわざわと騒がしくなる。結構タイプかも、可愛いじゃない、さすが帰国子女、そんな声が聞こえてきて。
 ……えっと、いいのかな、あまり目立たない方がよかったのかな。でもそんな、無理して不愛想なのって俺のキャラじゃないし。
 今回はいわゆる、潜入捜査みたいなものだと九龍は思う。ならば多くの情報を得るためにも、人懐っこくて世渡り上手という父親譲りの性格を、地で出した方が楽だろう。
 あれこれ考えていると、ふふッ、と雛川が笑った。
「こちらこそ、よろしくね。葉佩君」
 周りの空気が一瞬で和む、可愛らしい笑顔だった。また、見惚れてしまった。……うーん、俺って年上に弱かったっけか。過去にときめいたことのある女性たちの顔が、脳裏を駆け巡っていったりもした。
「それじゃ、葉佩君の席は―――
「ハイッハイッ!」
 言いかけた雛川の語尾を遮って、一人の女生徒が手を挙げた。教室の後方、窓に近い席。伸び上がるように右手を挙げているせいで、短めのセーラー服の裾から、裸の腰のラインが覗いてしまってたりする。
「なァに、八千穂さん」
「あたしの隣が空いてま〜す」
 高い位置でお団子を二つ作ってまとめた髪の、健康的で活発そうな少女だった。左目の泣きぼくろが印象的だ。目が合うとものすごく可愛いにっこりが返ってきて、九龍は思わずうろたえてしまった。……に、日本の高校生って、意外に積極的なんですね?
「そうね、この間の席替えで丁度、空いてたわね」
「きゃ〜、明日香、積極的〜ッ」
「ずる〜い、自分だけ〜」
 他の女生徒から口々に揶揄が飛んで、八千穂と呼ばれた彼女はそんなんじゃないよと笑った。そんなんじゃないのか、なんだ残念、と思ってしまったことはこの際置いておく。
「それじゃ葉佩君、八千穂さんの隣の席に。何かわからない事があったら、八千穂さん、教えてあげてね」
「は〜いッ」
 促されて、九龍は教室を奥へ進んだ。その間にも、好奇心剥き出しの視線がまとわりついてくる。全身がムズムズするようで耐えがたかったが、それよりも目に付くことがあった。
 空席。八千穂の隣だけではなく、誰もいない席が点在している。
「それじゃ、席について。出席をとります」
 欠席なのか、遅刻なのか、それにしては多すぎやしないか。雛川が読み上げる生徒の名前と照らし合わせて、九龍は少し眉根を寄せた。明らかに、名簿より机の数が多い。
 何だろうと思ったが、とりあえず気にしないことにした。次いで始まった初めての授業に興味津々で、すぐに気にならなくなった。





 ―――普通の高校生ってのも、大変なんだなあ。
 初日午前終了にして、九龍は早くも疲れ果てていた。何が苦痛かというと、授業である。
 勉強は嫌いではない。が、今まで『普通』ではなかった九龍にとって、それは未知の経験だったのだ。
 父親と一緒に世界中を回り、父と父の友人たちから学んだのは、《宝探し屋》として生きるための全てだ。銃器の扱い方、化学薬品の調合法、武術や護身術、古代の歴史、語学、サバイバル知識、ハンターとしての精神。
 五十分間机と椅子に縛られて、教師の話を聞いて、黒板をノートに写して―――そんな勉強方法は知らない。それでちゃんと、身につくのかどうかも不思議である。
「は〜。やっと昼休みかよ〜」
「お腹すいた〜!」
 半分とはいえ授業を終えた3‐Cの教室は、賑やかなざわめきに包まれている。食堂行く? 売店でパン買う?などと言った会話が聞こえてきて、九龍は耳をそばだてた。どちらも、空腹の自分には魅力的な場所に思えた。それらしい生徒についてゆくか、誰かに聞くか。そこは育ち盛りの十八歳、取れるときはちゃんと昼食を取らないと、の精神である。
「はーばーきークンッ」
 とりあえず机の上の教科書やノートを片付けていると、隣席から明るい声がかけられた。八千穂である。
「葉佩九龍クン、で、いいんだよね。あたしは八千穂明日香!」
 そういえばちゃんと自己紹介してもらってなかったっけ、と九龍は笑った。やちほ、あすか。どちらが名前かわからない、変わった姓だと思う。いや、名字の珍しさは自分も言えた義理ではないが。
「へへへッ。どう、この學園は? 楽しくやっていけそう?」
 基本的に根が世話焼きなんだろうな、と八千穂の笑顔を見ながら思う。あまり干渉されると危険だが、右も左もわからない九龍にとってはありがたい。しかも、こんなに可愛い女の子なら大歓迎だ。
「もちろん!」
 担任の先生も隣席の女の子も可愛いし。そう続けようとしたのだが、即行の一言で奪われてしまった。
「良かったァ! 転校してきたこと、後悔してたらどうしようかと思ってたよ。仲良くやっていこうねッ」
 ……もしかすると、あまり人の話を聞かない方なのかもしれない。結構マイペースで強引な性格なのかもしれない、そんな印象を受けた。
「……っと、あたしはこんな話をしたいんじゃなくて〜」
 人好きする笑顔のまま、八千穂は大げさに手を鳴らして。
「ちょうどお昼休みだし、校内を案内してあげようと思ってたんだ。ほら、早くしないとお昼休みが終わっちゃう。行こッ、行こッ!」
「え、ちょっと」
 感じた印象そのままに、八千穂は強引に九龍の腕をつかんだ。クラス中の視線が集まっている気がしたが、半ば引きずられるように教室を出てしまう。ちょっと八千穂ちゃん、意外に馬鹿力なんですけどっ。
 けれど校内案内は助かるし、可愛い女の子と仲良くできるのも嬉しい。廊下に出て八千穂の手が離れたのを、少し残念に思いながら、九龍はおとなしく甘えることにした。




 階段を一つ下り、最初に訪れたのは二階の図書室だった。
「たくさん本があるでしょ? この學園が創立された頃から遺っている本もあるんだって」
「ふーん。創立って明治元年、だっけ?」
 ここへ来る前に一通り目を通した、天香學園の資料を思い出す。何気なく呟いた一言だったが、よく知ってるね、と八千穂がかすかに目を丸くした。
「奥の部屋が書庫室になっていて、そういう古い貴重な本が収められているんだよ。え〜と、確かあの辺りに、図書委員の子が隠してる鍵があるはずなんだけど……」
 言いながら、八千穂は何やらうろうろと探し始めた。転校生に書庫室を見せてあげたいというよりも、単純に自分が入りたいから。そんな理由に変更されたような彼女を横目に、九龍は図書室を見渡してみる。
 本当にこの學園に《超古代遺跡》が存在しているならば、それらしき記述の文書があるはずだ。やはりその書庫室にあるのだろうか。図書委員とやらと顔見知りになれば、色々と情報が期待できるかもしれない。そんなことを考えていると。
「古人曰く―――
 唐突に、入口の方から声がした。振り向くと、一人の女子生徒が立っていた。
「書物には書物の運命がある。運命を決めるのは、読者の心である」
 落ち着いた声でそう言うと、彼女は手にした本から顔を上げた。肩の上で切りそろえられたボブカットの髪、大きめの丸い眼鏡。いかにも、おとなしくて真面目そうな少女である。
「本をお探しですか? え〜と……? 初めて見る方ですね」
 眼鏡の奥の理知的な視線が、九龍の顔の上をさまよった。そこで、彼女の左耳のイヤリングに気づく。揺れる髑髏はどこか「優等生」という彼女の第一印象から浮いているようで、それでいて、その雰囲気に合っているような気がした。
「もしかして、C組に来たという転校生ですか。初めまして、七瀬月魅といいます」
「あ、丁寧にども。葉佩九龍です」
 思わずお互いお辞儀などしてしまいながら、九龍は口の中で呟いた。ななせ、つくみ。また変わった名前だなと思う。
「ここの本を管理する図書委員をやらせていただいてます。ここにある本のことでわからないことがあったら、何でも聞いて下さい」
 ああこの子が図書委員か、と納得する。今も数冊の分厚い本を、重いだろうに胸に抱えたままだ。それだけ本が好きということなのだろう。
「ありがとう、もう是非お願いします。よかった、図書委員さんと友達になれたら心強いや」
 正体は明かせずとも、勤勉で読書好きな転校生を演出すればいい。そうすれば、彼女は貴重な情報源となるに違いない。
 一瞬でそんな打算的な思考が駆け巡ったが、笑顔と台詞に嘘はなかった。友人は多ければ多いほどいい、それが九龍の基本精神で、処世術だ。
「はい、いつでもどうぞ。そうだ。あなたに、友情に関する言葉を教えてあげましょう」
 思いついたように、七瀬は抱えた本のページをめくり始めた。
「古人曰く―――、『友情は瞬間が咲かせる花であり、そして時間が実らせる果実である』。真の友情とは、長い時間をかけて育まれていくものです。ですがそれが始まるきっかけは、至るところにあるのです」
 ほー、と九龍は感心してしまった。いや全くその通り、いいこと言うね古人さん。
「『友人が無ければ世界は荒野に過ぎない』―――心を閉ざさなければ、きっとこの新たな場所で、多くの友人ができることでしょう」
 まっすぐ目を見て微笑まれて、九龍も思わず微笑み返した。この學園に来てから、ちゃんと言葉を交わしたのは雛川、八千穂、七瀬のまだ三人だけれど。
 朝、敷地に足を踏み入れた時の、あの感じはもう消えてしまっていた。どうも自分は歓迎されていないような、そんな感覚だ。生来の前向き思考で忘れていたが、ここには確認されたという《超古代遺跡》とはまた別の、あるいは連動した、何か陰鬱な秘密を抱えているような気がして。
 とんでもない。別にどうってことない、どこにでもある普通の學校じゃないか。まあ俺自身『普通』の基準がよくわかってないってのは置いといて。
「あッ、月魅ッ! いつからそこに……」
 今頃気づいたのか、八千穂が素っ頓狂な声を上げた。かすかに眉をしかめて、七瀬がたしなめる。
「八千穂さん……。何か探しものですか?」
「えッ? え〜と……面白い本ないかなァって」
 ごまかすように八千穂が言うと、七瀬はため息をついてみせた。
「書庫室の鍵なら、そこにはありませんよ。私がいない時に、無断で書庫に入る生徒がいるので、別の場所に隠しました」
「なんだ、そうだったんだ……って、もしかしてバレてる?」
 悪びれず笑う八千穂に、九龍もつられて笑ってしまった。クラスは違うようだが、二人は友人同士なのだろう。なかなかいいコンビである。
「あそこには、皆さんの想像もつかないような、大変価値のある本が眠っているのです。黴と埃にまみれた紙の臭い、古いインクのすえた香り、ページをめくるたびに響く乾いた音……。それらの書物は、古人の遺業の信奉者だけが触れることのできる、貴重な過去の遺物なのです」
 本を抱きしめるようにして、七瀬がうっとりと言った。半ば頬を染めた表情と、歌うような口調に、九龍は彼女に対する印象を改める。ただの本好きではなく、ある意味愛の領域に踏み込んでしまった、一種の偏執狂といったところか。……呆れるというか、尊敬に値するというか。見かけによらず濃ゆいキャラだねえ、七瀬ちゃん。
「葉佩さんは、《超古代文明》という言葉を知っていますか?」
 などと思いながらぼんやりしていたので、急に話を振られたことに驚いてしまった。知ってるも何も、それが私の生きる道。内心の動揺を隠して、九龍はとりあえず頷いておく。
「それならば、話が早いですね。例えば、《オーパーツ》と呼ばれる古代の遺物の存在を見てもわかるように、確かに、地球上に高度な文明が栄えていたという可能性は否定できないと思うんです」
 ―――《超古代文明》とは、我々人類が築き上げたこの文明よりはるか以前に存在したといわれる、高度なテクノロジーを有した別の文明のこと。
 頭の中で文章を組み立てて、九龍は幼い頃見た書物に思いを馳せる。
 マヤ遺跡で発掘された水晶の髑髏。三十万年前に製造された螺旋状金属。航空力学に基づいて作られている、黄金の飛行機の装飾品。日本で出土した遮光器土偶のデザインは、宇宙飛行士の気密服に酷似しているといわれている。
 目を輝かせて資料に見入っている九龍に、父親は苦笑していた。遺伝だな、とそれでも嬉しそうに呟いていた。いつか誰も発見したことのない《秘宝》を見つけたいと、幼い自分は夢を抱いた。
「《超古代文明》かァ……。まッ、まァ、そういう歴史のロマンっていうの? 想像すると楽しいよね」
 熱のこもった七瀬に圧倒されてか、八千穂が合わせるように頷いた。案の定、七瀬が鋭い視線を向ける。
「八千穂さん……馬鹿にしてますね?」
「そッ、そんなことないよッ! ねェ、葉佩クン」
 ……って、何故そこで俺に振るか!
 ツッコミを入れたい気分だったが、八千穂の気持ちもわからなくはない。確かに、初対面の転校生を前にして、唐突に《超古代文明》だの《オーパーツ》だの、濃い話を語られては引きたくもなるだろう。
 しかし、七瀬は普段からこうなのだろうか。それとも転校生が《超古代文明》に興味を持っていることを、何かで感じ取ったのだろうか。実際に九龍は興味どころかつい先日、正にその文明に触れてきたところで―――だとしたら、大した第六感である。
「馬鹿になんてしてないよ、俺そういう話大好き。もっと聞きたいな、七瀬ちゃん」
 鋭い勘の持ち主であろう彼女に、嘘をついても仕方がないし、もとよりつくつもりもない。にっこり笑って歓迎すると、七瀬は少し頬を赤らめた。
「そんなに私の話に興味を持ってくれるなんてッ。嬉しいですッ!」
「ちょっと、葉佩クン……」
 少し呆れたように、八千穂が九龍を見つめてきた。フォローは求めたけれど、何もそこまで煽らなくても、そう言いたげな目だ。火に油の勢いで、七瀬の熱弁は続く。
「私も絶対、《超古代文明》は存在したと思うんです。葉佩さんはどうですか、本当に存在したと思いますか?」
「もちろん。でないと世の中、説明つかないことが多すぎ」
「そうですよねッ! 《超古代文明》が存在したのか否か―――はっきりとした証拠がないということは、逆に、そういう文明が存在しなかったとも言い切れないということですからね」
 なんだか盛り上がりつつある九龍と七瀬に、八千穂がおそるおそる口を挟んだ。
「まッ、存在してもしなくても、どっちでもいいじゃない。遠い昔の話なんだしさ」
「それは違いますッ!」
 語尾を奪い取る勢いで、七瀬が八千穂を見据える。
「《超古代文明》の遺産は、今もどこかで発掘される時を待っているんですッ。自分たちの叡智を受け継ぐ者を探して……」
「う……うーん、そう?」
 いまいち理解できないのか、八千穂は少し気のない返事で笑った。否、単純に七瀬のテンションについてゆけないだけかもしれない。
 実際に《超古代文明》に関わっている九龍としては、七瀬の言うことはもっともだと思った。古代人が未来における発見を拒むならば、遺産など抹消してしまえばいいだけだ。遺跡を作って祀って、眠らせる必要はどこにもない。
「実はですね……」
 と、七瀬が唐突に声を潜めた。
「私が思うに、この天香學園にも何か大きな秘密が隠されているような気がするんです」
 あまりに唐突過ぎて、反応が遅れた。え、ちょっと待って。それを探るためにきた俺としては、なんだか核心だぞそれ。
「書庫室に収蔵されているこの學園の歴史などが記された古い文献を読んでいると、至るところにそういう謎めいた痕跡が残されています」
 やっぱりか、と九龍は書庫室の方を眺めた。協会がどういう経緯でこの天香學園に目をつけたのか知らないが、古代文明好きで読書家の一生徒が気づいてしまうほどだ。これはやはり自分以外にも、そして協会以外にも、ここを探ろうという人間がいると思っていいだろう。
「この學園に秘密ゥ?」
 身近な話題になったせいか、八千穂が一転して興味津々といった顔になった。七瀬がさらりと肯定する。
「はい。私は、墓地が怪しいと睨んでいるんですけど」
 ―――墓地? 學園の中に墓地があるのか?
 思わず感じた違和感に、朝の感覚が重なった。
「校則で、墓地への立ち入りは禁止されてるけど。確かに、あそこは怪しいよねェ」
 八千穂の言葉に、更にそれが決定的なものとなった。
 あれだ。建物の奥に覗いていた、森のような木々の陰。あそこは、墓地だったのか。
「……あァッッ! もうこんな時間にッ!」
 弾かれたように、七瀬が大声を上げた。九龍も八千穂も驚いたが、時計を見た七瀬の方がよっぽど驚いていた。
「昼休みの間に貸し出している本を回収しなくちゃならないんだったわッ」
 あまりに慌てたせいで、トレードマークの眼鏡が少しずり落ちて、なかなか愛嬌のある表情になっている。雛川や八千穂とはまた別の可愛さがあって、九龍は思わずガッツポーズを取りたくなった。なんだか女の子のレベル高いよ、やったね天香學園!
「すいませんが、続きはまた今度。図書室も鍵を閉めて行きますから、また明日にでも来て下さい」
「了解〜」
「わかった、またねッ」
 追い出されるように図書室を出ると、急がなきゃ急がなきゃと呪文のように呟きながら、七瀬が本を抱えたまま走っていった。
「《超古代文明》の遺産かァ。なんだか面白そうだよねッ」
 燕尾服の裾のように揺れる、セーラー服の襟を見送りながら、八千穂がエヘヘと笑った。
「そうだ。今度、誰にも見つからないように、こっそり夜にでも墓地に行ってみない?」
「え」
 提案されて、九龍は内心ぎくりと固まった。それは正に今夜、自分が実行しようと思っていたことだったのだ。好奇心旺盛な八千穂のことだ、もし、自分の素性がバレるようなことがあったら。……考えるだけで恐ろしい。
「調べれば何か―――
 勢い込んだ台詞に、澄んだピアノの音が重なった。ん?と八千穂が首をかしげて。
「今、ピアノの音がしなかった?」
「……したね」
 ふと目を向けた九龍は、図書室の目の前が音楽室だったことに気づいた。
「この時間は誰も使っていないはずだけど……。もしかして、學園に出るっていう幽霊だったりして」
「幽霊? へえ、やっぱりそういう噂あるんだ」
 どこの国でも、古い建物や学校には付き物らしい。大抵は噂に尾ひれがついて広まった迷信だが、この學園では《超古代文明》にまつわる、遺跡の存在が確認されているのだ。あながち作り話でもないかもしれない。
「実はさ……大きな声では言えないけど、この學園には九つの怪談があるんだ」
 声を潜めた八千穂に、おや、と九龍は眉を寄せた。この手の定番は七つだが、九つもあるのか。
「その最初の怪談が、『一番目のピアノ』―――。誰もいないはずの音楽室からピアノの音がするっていう、よくある話なんだけどね。何でも昔、音楽室で事故があって。その事故で手に怪我をした女生徒の霊が、ピアノを弾きに現れるんだって。そしてキレイな手をしている人を襲って、精氣を吸い取っちゃうんだってさ。精氣を吸い取られた人は干からびて、ミイラのようになるとかならないとか……」
 確かによくある怪談話だが、いやに具体的だな、とも思った。どうせ単なる噂話だろうけどね、八千穂は朗らかに笑っている。
「本当だったら、面白かったのになァ」
 その笑顔に、罪はない。本当だとしたら犠牲者がいることを、彼女は考えもしないのだろう。そこにあるのは、純粋で無邪気な好奇心だけだ。
「ねェねェ、ちょっとドアの隙間から音楽室の中、覗いてみよっか? もしかしたら、幽霊を見れるかもしれないし」
 ドアに手をかけて誘われて、九龍もまた好奇心に負けた。悪戯っ子の表情で、八千穂がそろそろとドアを開ける。音楽室は薄暗く、あまり中の様子が伺えない。
 部屋の奥に、ピアノがあった。その前に、男子生徒と思しき影が佇んでいた。後ろ姿だが、おそろしく背の高い生徒だということがわかる。
「あれは……A組の取手クン?」
 知った姿だったらしく、八千穂が小さく呟いた。
「電気もつけないで、何してんだろ?」
 幽霊ではなかったようだが、それでも妙な空気だった。少し目を合わせて、また静かにドアを閉める。何か声をかけづらい雰囲気だねと言う八千穂に、どうやらトリデクンとは顔見知りではあるが、親しい仲というわけでもないらしい。九龍はそう推測した。
「行こ、葉佩クン。別の場所を案内してあげるよ」
 ドアを閉めた瞬間に、音楽室のことなど忘れた明るさで、八千穂が手招きをした。






→NEXT 1st. Discovery#2



20130111up


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