木乃伊は暁に再生の夢を見る1st. Discovery #3 |
「―――のように、次亜塩素酸ナトリウム溶液は、塩酸によって気化します」 六時限目。壇上では化学の教師が、眠りを誘う話し方で講義を続けている。 思いついたままノートに化学式を落書きしながら、九龍はぼんやりとそれを聞いていた。 《宝探し屋》にとって、化学薬品の調合も重要な知識である。ゆえに一般的な高校の授業で教わることなど、とっくの昔に習って覚えて実践したものばかりだ。 「その時に発生する塩素ガスは有毒なので、くれぐれも取り扱いの際は注意を―――」 いつだったかな、父さんの研究室で遊んでて、小さな爆発事故を起こしたのは。 思い出して、九龍は少し笑った。俺自身に怪我はなかったけど、書類をいくつか駄目にしてしまって。怒られると思って、黙って逃げて隠れたよな。あの後、結局怒られたんだっけ。 授業終了のチャイムが鳴る。教師の一言で、九龍の回想は中断されてしまった。 「では、今日の授業はここまで」 それを合図に、生徒たちが一斉に立ち上がる。一日を無事終えたことで、みんな晴れやかな顔をしている。ノートを閉じて、九龍も立ち上がった。 さて。それでは暗くなるのを待って、《宝探し屋》葉佩九龍、出動といきますかね。 必要な備品は、既に寮の部屋に届いているだろう。まずそれを確認して、とりあえずの情報収集に出かけよう。その後銃の手入れをして、準備を整えて。 放課後の計画を立てていた九龍は、背後の気配と広がった香りに気がつかなかった。 「おい、転校生」 「わッ!」 突然声をかけられて、驚いて振り返る。なんだ誰だ、と思えば皆守である。 「何、びっくりした顔してんだ」 お前が驚かせたんだろうが! そう怒鳴ってやりたかったが、相変わらず半分閉じたような眠そうな目に、怒る気も失せた。 「確かに俺はサボりも多いが、せっかくこうして授業に出てきたんだ。クラスメートとして歓迎してくれよ」 あげくアロマパイプを揺らしながら、飄々とそんなことをのたまわれる。ていうかお前、今の授業出てたのか。反撃したくなって、九龍は胸の前で両手を組んだ。わざと高い声を作って。 「うわー大歓迎、サボり魔と名高い皆守くんが授業に出てきたのは、ひょっとして転校生の俺と友好を深めるためだったりして? 嬉しいね、愛のなせる業だね、九龍感激ッ!」 瞬きを繰り返しながら見つめると、皆守は露骨に嫌そうな顔をした。 「いや、喜べといって、そんな目で見られても困るんだけどな」 ……いや、俺もそんなまともに受け答えされても困るんだけどな。 もちろん、九龍にとってはほんの冗談にしかすぎないのだ。だから真面目に取らず、はいはいとでも軽く流してくれればいいのにと思う。 もしかして、こういうやり取りに慣れてないのかな。そういえば言ってたな八千穂ちゃん、皆守はいつも独りでいるって。確かに、友達とかあんまりいなさげだよなあ。 「もう授業も終わったし、寮に帰るんだろ? 一緒に帰ろうぜ?」 そんなことを考えていたので、だから驚いた。一瞬何を言われたのかわからず、次いで、何故だろうと疑問を抱いた。 八千穂といい、このクラスは世話好きが揃っているのだろうか。それとも自分という転校生が、世話を焼きたい気分にさせてしまっているのだろうか。嘘、俺ってそんなに頼りなく見えるのかな。そそっかしく見えるのかな。だったらちょっとショックだな。 ともあれ断る理由はなかったので、九龍は皆守に従うことにした。なんだかいまいちよくわからない男だけど、悪い奴ではない。それが皆守について、九龍が出した結論だった。 「それじゃ、行こうぜ」 既に支度を終えていたらしく、皆守は何も入ってなさそうな鞄を持ち上げる。 「校則で、生徒は放課後になると速やかに校内から出なければならないことになっている。違反した者は《生徒会》が厳しく取り締まっているせいで、みんな従順なものさ。俺が転校生のためを思って、《生徒会》には気をつけろと言った意味がわかるだろ?」 教科書を片付けていた手を止めて、九龍はまじまじと皆守を見つめてしまった。え、俺のためを思って? 「まさか皆守、本当に愛のなせる業だったりして……」 心に浮かんだささやかな疑惑を、思わず口に出してしまった。皆守が絶句して、目を丸くする。手にしたパイプを、半ば落としそうになりながら。 「いッ、いや、別に俺には、そういう気はないから誤解するなよ?」 いや、別に俺にもそういう趣味はないけどさ。 吹き出してしまいそうになるのを堪え、今度は心の中だけでそう言っておいた。あくまで、クラスメートとして忠告してるだけだからな。皆守はまだ念を押すように続けている。 「平たく言えば《生徒会》―――それが、この學園のルールってわけさ。どこの学校にだって、規則ってのはあんだろ? 別に珍しいことじゃない。そいつを、たまたま《生徒会》が決めてるってだけの話だ」 ……うーん、なんかそれが珍しいことである気もするが。 あまり学校というものを知らない九龍も、充分違和感を感じることができた。それならこの學園を仕切っているのは、教師たちではなく《生徒会》ということになる。大人ではなく、子供である生徒たちが権力を持っているのだ。 チャイムが鳴った。普段と違う音は、どうやら下校のチャイムらしい。どこかで聞いたことのあるメロディに、何故か少し懐かしい気持ちになった。 「下校の鐘の音だ……。行くぞ。早く支度しろ」 皆守に促されて、九龍は教室を後にした。 九月下旬の日の入り時間は、確実に早くなっているようだ。 すっかり日も暮れて、夕焼けに染まる放課後の中庭を通りながら、皆守が軽く案内してくれた。 「この中庭を北に行くと温室。南に行くとテニスコート。体育館と『マミーズ』って食堂の間を行くと俺たちのねぐら―――学生寮だ」 皆守の指差す方向を見て、へえ、食堂があるのかと九龍は感心した。生徒は寮で自炊を余儀なくされるのかと思っていたのだ。それにしてもマミーズ、て『お母さん』の意味か? まさか、食堂の名前が『ミイラ』ってことはないだろうな。 「男子寮と女子寮は隣り合ってるが、忍び込もうなんて思うなよ? 《生徒会》が見回りしてるし、侵入者があれば警報も鳴るらしいからな」 相変わらずアロマパイプを口元で揺らしながら、皆守が釘を刺すように言った。ちょっと待て、俺がそんな男に見えるのか。境の爺さんじゃあるまいし。 「まァ、忍び込むも込まないも、お前から見て興味のある女がもういれば……の話だが」 反論する前に、どうなんだと言いたげな質問が飛んでくる。うーん興味かあ、と九龍は今日出逢った女の子たちを思い出した。 「そうだな、八千穂ちゃんは元気で可愛いし、白岐ちゃんは神秘的で美人だし、七瀬ちゃんも真面目で口説きがいありそうだし、ヒナ先生も癒し系でいいよな」 「……」 列挙すると、皆守が奇異の目でこちらを見ていることに気づいた。えーなんだよ、お前はどうなんだよ。女の子に興味なくして、何が楽しい學園生活だよ。 「まァ、転校してきたばかりで卒業まで先は長い。焦って、ヘマをやんないことだ。女ってのは、面倒な生き物だからな……」 悟ったように言う皆守に、九龍は少しだけわかってしまった。つまり、女=面倒な生き物という方程式を、彼は身を持って経験したことがある、ということなのかもしれない。 何があったのだろう。本気で恋した子に、こっぴどく振られたとか。それともそれなりにモテそうな奴だから、身に覚えのないことで色々ひどい目に合ったとか。 純粋な好奇心が頭をもたげて、九龍は知らず笑ってしまった。思えば同世代の男の友人など、今まで周囲にいたことはなかった。いずれも年上で、子供扱いされて、恋愛話の一つもできなかったように思う。 皆守ともっと仲良くなれたら、いつかそういう話もできるだろうか。下らないことで笑い合える日が来るだろうか。それこそ、自分が憧れていた高校生活の一部分ではないだろうか。 「……うーん、青春だね」 「……は?」 聞きとがめた皆守が訝しげな顔で、九龍を振り返った時だった。 「こら、そこの男子ッ! 寄り道しないで帰らないとダメだぞッ!」 元気のいい女生徒の声は、遠くからでもよくわかる八千穂である。二人を見つけて、嬉しそうに走り寄ってきた。 「ちッ、うるせェ女に見つかっちまったぜ」 癖毛をかき乱すようにして、皆守が天を仰いだ。思わずジーザス、とアテレコしたくなる表情である。八千穂はにこにこと笑いながら、目の前で立ち止まった。 「皆守クンもいいとこあるよね。何だかんだ言って、葉佩クンに親切だし〜」 「誤解すんな。この転校生くんに、授業のフケ方を教授してただけだ」 根が天邪鬼なのかへそ曲がりなのか、それとも単純に照れ隠しなのか。皆守はアロマを吐き出すと、あさっての方角を見てうそぶいた。 「なかなか飲み込みが早くてな。サボり同盟としては、有望な人材だ」 「……へえ?」 そうだったのか、そりゃ初耳。九龍はわざと意味ありげに、にやにやと皆守を覗き込んでやった。さっき物珍しげな目をされたお返しだ。八千穂はそんな九龍に気づかず、皆守の嘘をまともに受け取って、怒った顔で腰に手を当てた。 「ちょっとォ、皆守クンッ? そんなこと、葉佩クンに教えたらダメじゃないかッ! 大体、授業をサボっても何もいいことないじゃないッ。後で補習とか受けたり、内申書にも―――」 「ちッ、デカイ声出すんじゃねェよ」 延々と続きそうな八千穂の説教を、皆守が観念したように断ち切った。ため息と共に紫煙を吐き出して。 「冗談に決まってんだろ?」 「え……?」 「どうせ、こいつが学生寮までの道を知らないと思ってな。この學園の敷地内で迷子になりゃ、捜すのはクラスメートの俺たちだ。そんなかったるいことはご免だからな。その手間を省いたまでの話だ」 なるほど、そんな理由だったのか。納得して、九龍は改めて辺りを見回した。こんな広い敷地内で、迷わずまっすぐ寮にたどり着けるかと聞かれたら、答えは否だ。記憶力はいい方だし、方向音痴でもないが、なにしろ寮のある場所自体を知らないのである。皆守に声をかけられるまでは、まず誰かに教えてもらわねばと思っていたのだ。 「そっか。な〜んだ、心配して損しちゃった」 あからさまに、八千穂がほっとした表情になった。皆守が眉を寄せる。 「八千穂……。お前、俺をどういう目で見てんだよ?」 「え〜っと、不健康優良児」 即答されて、皆守は盛大にむせた。ひとしきりゴホゴホと咳き込んだ後、何だそりゃ?と文句のありそうな口調で呟く。 「だって、そんな感じなんだもん。ねッ、葉佩クンもそう思うでしょ?」 「言えた!」 聞かれるまでもなく、八千穂の的確な表現に、九龍は笑ってしまっていた。ナイス八千穂ちゃん、それも《H.A.N.T》に情報追加しとこう。 「だよねェ。ほら、皆守クン。葉佩クンもそう思うって」 「ふんッ、転校初日で俺の何がわかるってんだよ」 「転校初日だからこそ、だろ?」 まだ笑いながら、九龍は皆守の拗ねた台詞に言い返した。 「だって今日会ったばかりのお前のことなんて、何もかもわからなくて当然じゃないか」 皆守は少し意外そうな顔で、微笑んだままの九龍を見ている。だから皆守、それが不本意だってんなら、俺や八千穂ちゃんと友達になればいいんじゃないかな。そうすれば俺たちも「不健康優良児」ではない、本来のお前を知ることができるだろうから。 「やっぱり皆守クンってさ、誤解されやすいんだよ」 九龍と同じことを思ったのか、八千穂が笑顔で続ける。遠くから彼女を呼ぶ声がかかったが、話に夢中で届かないようだ。 「大体、この天香學園だって充実した高校生活を送らせるための全寮制だって―――」 「明日香〜ッ!」 再度声がかけられたが、それでも八千穂は気づかない。 「おい、呼んでるぞ八千穂」 見かねた皆守が促した。声の主を見ると、テニスルックの女子生徒たちである。 「何やってんのッ? 早く着替えないと、コーチに怒られるよ?」 「やっばァ!」 八千穂は急に慌てて、ダッシュの姿勢を取った。 「特別レッスンが始まっちゃう! それじゃ、二人ともまたね」 なるほど、テニス部だったのか。想像すると、彼女にぴったりな部活のように思えた。 「やれやれ、騒がしい女だぜ」 去ってゆく八千穂を見て、皆守がため息混じりの煙を吐く。それじゃ俺たちも帰るとするかと言う台詞に、ラベンダーの香りが重なって、九龍は知らず顔をしかめた。 なんか、いちいち花の匂いがする男って、どうなんだろう。 「ふわ〜あ、眠い。真面目に授業なんか出るもんじゃないぜ。寮に着いたら、ひと寝入りすっかな」 ため息を吐くまでもなく、どうやら皆守はそのアロマを常用しているらしい。制服などに染み付いているのか、彼の一挙一動その後に、必ずラベンダーがまとわりつく。 行こうぜと先を歩く皆守を見つめ、けれど九龍は笑っている自分に気がついた。聞くともなしに、独り言めいた級友の呟きを聞きながら。 「この學園は敷地内に色々と設備が整っているのはいいが、校舎から寮が遠いところが難点だな。それに、寮の裏手に墓地があるってのも頂けない話だ。こんな場所だが、来ちまったものは仕方がない。お前も気楽にやるこった」 ―――皆守は知らない。彼が当然のごとく消費している日常に、九龍がどれだけ憧れていたかを。 例えば、クラスメートと取り留めのない話。夕焼けに映える放課後の校庭、部活動をしている生徒たち。その声を耳にしながら、友人と並んで歩く帰り道。 「……なんだよ?」 振り向いた皆守が、笑顔の九龍を訝しげに見つめてくる。 「んー、なんでもない。これからよろしくな、皆守」 「……お前、変な奴だな……」 呆れながら待っててくれる彼と、鞄を持ち直して追いつく自分と。 沈みかけた夕陽を浴びて、全てが同じ色に染まっているのだろうと思った。 ―――変な奴はお前だ、皆守。 さっきの台詞を反芻して、九龍は大きな声で言い返してやりたくなった。 食堂と体育館の間を通り、寮の手前にある空き地に差し掛かったときである。ちょっと食堂ってマジで『Mummys』かよ『ミイラ』なのかよと突っ込んで、大して不思議に思っていないらしい皆守が、その空き地に寝転がった瞬間におかしいと思ったのだ。 「駄目だ、寮までもたねェ」 「……は?」 「寝る」 呟いた瞬間に、彼は目を閉じた。呆然としている九龍を横目に、すぐに寝息をつき始めた。おいおいおい、ちょっと待て! 眠りに入るまで〇.三秒、お前はアレか、ノビタクンか! 豊富とはいえない日本の知識を総動員させて、九龍は心の中でツッコミを入れた。そんな、あと少しの距離が我慢できないなんて、どれだけ寝ぼすけなんだこいつは。 寮はすぐ目の前で、ここまでくれば九龍もわかる。本格的に寝始めたらしい皆守を、放っておいて先に帰ることも考えた。無理やり起こすことも考えた。けれどなんとなくはばかられて、結局、九龍はその隣に腰を下ろしてしまった。うーん、義理人情ってやつかな。一応、案内してもらった恩もあるしなあ。 手持ち無沙汰になって、ポケットから《H.A.N.T》を取り出す。手のひらサイズの携帯端末は、少し珍しいデザインではあるが、小型パソコンみたいなものだと説明すれば周囲も納得するだろう。これが九龍にとっての高校生の必需品、携帯電話代わりというわけだ。 協会からメールが届いていることを知って、確認しておく。天香學園のサーバーに届いた九龍宛のメールを、《H.A.N.T》に転送する手続きが完了した旨だった。 しかし一日目にして、調査しなきゃいけないこと山盛りになったなあ。 今日得た情報をまとめて打ち込みながら、九龍はぼんやりと振り返る。気になることは色々あるが、まず何はともあれ墓地だろう。 顔を上げると、寮の裏に鬱蒼とした森が見えた。空を横切る黒い鳥は、カラスかと思いきやコウモリである。見慣れているとはいえ、何故か不気味な影を落とすから不思議だ。 少しだけ寒気を感じて、隣の皆守に視線を転じる。平和そうな寝顔はさすがに年相応で、ホントよくわからない奴だな、と改めて思う。口元のアロマパイプが落ちそうになっているのを見て、危ないな火ィついてんのかな、と苦笑して手を伸ばした。 「ん……?」 気配で起きたのか、わずかに皆守の目が開く。 「……なんだ、転校生か」 「葉佩九龍だ」 まだ名前覚えてくれてないのかと思いつつ、二度寝しそうになっているその瞳を覗き込んだ。 「寮はすぐそこだろ? こんなとこでうたた寝したら、風邪ひくぞ」 「ああ……」 聞いているのかいないのか、皆守はあくびを噛み殺している。ようやく立ち上がって、アロマに火をつけ直した。銀色のジッポーライターは、遠目だと正に煙草に火をつけているようにしか見えない。 「あのさ、そのラベンダーって、穏やかな眠りを誘う効果があるんじゃなかったっけ。お前、常用しすぎじゃねえの?」 だから、いつでもどこでも眠くなるとか。 九龍の言葉に、皆守は少しだけ笑った。夕闇が影を落として、それはどこか自嘲に見えた。何も言わない彼に、九龍が言葉を重ねようとした時。 「みぎゃァァァ」 「……?」 ふいに、妙な声がした。すぐ近くからだった。 「みぎゃうゥゥゥん」 「何だ、このペンギンの首を絞めたような鳴き声は?」 皆守が妙な比喩で首をかしげる。見渡すと、既に薄暗くなっていた周囲から浮き上がるように、派手な衣装の少女が現れた。 ひらひらしたオレンジ色のエプロンと、黄色いワンピースにフリルのついた襟と袖。包帯を巻いたようなデザインが、九龍のよく知っている何かを彷彿させて、彼女の持っている金色のトレイに気がついた。可愛らしく踊る、アルファベットは『Mummys』。あ、もしかして。 「ペンギンの首なんて絞めたらダメですよ〜こんばんは〜」 人懐っこそうな笑顔で挨拶する彼女に、「その制服はマミーズの……」と皆守が呟いている。やっぱりミイラか、ミイラなのか。 「あッ、あたし、新人店員の舞草奈々子っていいます〜」 コスプレまがいの服に気を取られていたが、なかなか愛嬌のある美少女だった。猫のような大きな瞳と太めの眉、口角の上がった唇が可愛らしい。豊かな表情や、外側にカールさせた肩までの髪が、八千穂と同じく活発な性格であろうことを推測させる。 「今の声はお前か?」 皆守がぶっきらぼうに聞いたが、舞草はあまり気にならなかったらしい。そうです、と元気よく答えて。 「一日中走り回ったんで、喉がカラカラで……。あなたたち、この學園の生徒ですよね? はじめましてェ〜」 素で営業スマイルなのか、花が咲いたような笑顔である。あからさまに無関心な皆守を押しのけて、九龍は身を乗り出した。 「はじめまして葉佩九龍です、俺今日ここに転校してきたばっかで、食堂があるなんて全然知らなくて! もーこんな可愛い店員さんがいるなら、毎日でも通おうかな!」 調子に乗る九龍を、呆れた顔で皆守が見ている。舞草は驚いたように、最近の高校生って積極的〜と笑ってくれた。 「もしかして、あたしにも春が到来するかも……」 トレイで顔を隠し、上目遣いに頬を赤らめる。九龍はその仕草にやられてしまったが、やはり皆守には無効だったようだ。 「で、何だってマミーズの店員がこんなところにいるんだよ?」 全く表情を変えず、アロマを吹かして社交辞令的にそう言った。 「実は、店長に店のチラシを寮の全部のポストに入れて来いって言われて。朝の八時からやって、さっきようやく全部終わったんです。もう腕や脚がパンパンで……」 「そいつは御苦労なこった」 「でもこれも輝けるマミーズの未来のため。さァ、次は先生たちの家のポストに入れに行くわよッ。奈々子、ファイトッ、おォォォッ!」 勝手に盛り上がって、勝手にガッツポーズを決めて、舞草は歌いながら走り出した。マミ〜ズ、マミ〜ズ♪ みんなのマミ〜ズ♪ 「……いいなあ、マミーズ行くの楽しみになってきた。なあ皆守、今度一緒に食いに行くか」 くるくる回るミイラ少女を見送り、九龍はクラスメートに誘いかけた。相変わらず無表情のまま、そうだなと気のない返事をして、皆守はあくび混じりに言う。 「ふァ〜あ。俺は部屋に戻って寝るとするかな。お前も今夜は出歩かずに、部屋に届いている荷物の整理でもしてろよ」 じゃあ、また明日、学校でな。 寮の入口で別れた皆守は、何気なくそう言った。無意識に、九龍はそれを反芻した。じゃあ、また明日、学校でな。そんな簡単な挨拶も、九龍にとっては感動するほど大切なことだったのだ。 「おう、また学校で!」 歩いてゆく背中に返事すると、振り向かないまま、彼は軽く手を振ってくれた。
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