木乃伊は暁に再生の夢を見る

2nd. Discovery #3










「いらっしゃいませ、マミーズへようこそ〜ッ」
 ―――結局、また一人で夕食を取ることになってしまった。
 八千穂を誘ったのだが、今日は寮で友人たちと自炊、という先約があったらしい。いいなあ、女の子たちは楽しそうで。
 賑やかな店内をぼんやりと眺めながら、九龍は誰もいない自分のテーブルを見る。本当なら、正面に友人が座っていたはずだ。……いいけどさ。これからいくらでも、食事をする機会なんて。
「ご注文の方はお決まりですか〜?」
 舞草がにこにこと話しかけてきた。考え込んでいた九龍は顔を上げて、彼女を見つめて、思わず言ってしまった。
「えーと、じゃあ舞草奈々子ちゃんを」
「えええ〜ッ、あたしですか〜ッ!」
 相変わらずオーバーアクションで、舞草は大げさに驚いてくれる。すぐに頬を染めて。
「あ、あのッ、まだ仕事中なので、『お持ち帰り』はダメですよ?」
「え、仕事中じゃなければ可能なんだ?」
「も〜ッ、葉佩くんってば積極的〜ッ!」
 本気にしているのか冗談だと思っているのかわからないが、それでもまんざらではなさそうに、舞草はトレイで軽く突っ込む仕草をしてくれた。
「あの、あの、とりあえず店長のオススメメニューがあるんで、それいかがですか? 五目ラーメンなんですけど」
「じゃ、それお願いします」
「ありがとうございます〜ッ」
 全開の笑顔で、舞草は厨房の方へ消える。急に戻ってきた一人の空間に、九龍は少し淋しさを感じてしまった。人と過ごす楽しさを、思い出してしまったがゆえの感情だ。
 慣れているはずだったが、やはり一人よりも、誰かといた方が絶対楽しいと九龍は思う。彼は、そうではないのだろうか。常に気だるそうでドライで冷めていて、どこか人を寄せ付けない雰囲気を持つクラスメート。
 取手とは保健室仲間だと、八千穂に言っていたようだ。いつも独りでいるらしい彼にとって、取手は友達と呼べる存在のはずなのに。
 思いを巡らせた時、《H.A.N.T》が震えた。驚いて取り出すと、その皆守からのメールだった。件名は、『墓地へ』。
『さっきは悪かったな。あんな風に言うつもりはなかったんだが。寮に向かいながら色々考えてみたが、確かに、八千穂の言うことも一理あるかもしれない。墓地に行くなら、俺も一緒に行くから誘ってくれ。用件はそれだけだ』
 ……初めてのメールが、これかあ。
 苦笑して、九龍は《H.A.N.T》をもてあそんだ。しかしホント、わからない奴だよな。飄々としてクールなくせに、いきなり苛立って感情ぶつけてきてみたり。かと思えば、すぐにこのメールだ。
 それでも、いつまでもギクシャクするよりは断然いい。少し嬉しくて、九龍はすぐに返信メールを打ち込んだ。
 二十二時、消灯後すぐ。墓地の入口で待ち合わせ。
 八千穂にも、同じ内容を送信しておく。送った途端、ほぼ同時に二人から了解のメールが返ってきて、九龍は思わず笑ってしまった。




 昨夜と同じ装備で、昨夜と同じように寮を抜け出した九龍は、墓地の入口で先に来ていた皆守と対面した。
「よう。相変わらずイカれた格好だな」
「……まだ言うか、お前」
 放課後の剣呑な言い争いなどなかったかのように、いつもの調子で言ってくる。憮然として返しながらも、九龍は変わらない態度を嬉しく思った。
 昨日発見した、墓石の下の穴はそのまま開いていた。持っていたライトで底を照らしてみるが、光は遠く小さく、かなり深いらしいことがわかる。
「ロープで降りるのか?」
 一番丈夫そうな太い木の幹にロープを巻いている九龍を見て、皆守が聞いてきた。
「ああ。空気の流れを感じるし、有毒ガスの臭いはしないし、普通に酸素もあるみたいだ。本当は中で火を燃やしてみるとわかりやすいんだけど、底が見えないからな。可燃物が落ちてたりしたら危険だ」
「……へえ、プロっぽい意見だな。本当に《宝探し屋》だったのか」
「あのな……信じてなかったのかよ」
「八千穂の言うことだからな。それに、お前は全然そんな風には見えない」
「……どういう意味だ」
 軽口を言い合いながら、しっかりと結びつけたロープを穴の底に垂らしてゆく。
「あれッ、皆守クン?」
 今来たのか、背後から驚いたような八千穂の声が上がった。制服のままだが、何故かテニスラケットを持っている。
「なんでいるの?」
「……悪かったな。考え直したんだよ」
 さっきの九龍と同じ調子で、皆守は憮然としてアロマを吸った。
「そっか、やっぱりなんだかんだ言って、皆守クンも友達思いなんだ。えへへッ、一緒に頑張ろうねッ!」
 一人で盛り上がる八千穂を横目に、がしがしと皆守がその癖毛をかき乱した。苛立って何か反論するかと思えば、それ以上何も言わない。九龍はこっそり笑ってしまった。
「じゃ、俺が一番に降りていいかな」
 邪魔にならないよう武器を身体に密着させて、ロープに手をかける。少しだけつまらなさそうな顔で、あたしも一番が良かったな、などと八千穂が呟いた。九龍はそれを聞き逃さず、わざとにやにやしながら言ってやる。
「八千穂ちゃん、インディ・ジョーンズ観たことある?」
「え?」
「ロープで降りた先に、毒蛇がうじゃうじゃと……」
「え、え、え、嘘ッ、いるの?」
 さすがに女の子らしく蛇は苦手なのか、八千穂は慄いたようにすくみ上がった。思わず吹き出してしまうが、すぐ安心させるべく微笑んで。
「大丈夫、とりあえず底にはいなさげだったから。もしいたら、俺が先に退治しといてあげるよ」
 それじゃ、お先に。
 言って、九龍は闇に身体を滑らせた。




 遺跡独特の、あのひんやりとした空気が全身を包んだ。ロープを滑り降りながら、器用に《H.A.N.T》を起動させる。
『ナビゲーションシステムを起動します』
 メール受信以外で、久々に耳にする機械音声だった。よろしくハントちゃん、軽くそう思った九龍は、まず次第にぼんやりと明るくなってゆく周囲に気づいた。どういう仕掛けなのか、今のところはライトも暗視ゴーグルも必要ないようだ。
 手を伸ばすと土ではない、ざらざらとした固い感触に触れた。自然のものではなく、切り取って整然と並べられた石の壁だ。
 途端に、視界が開けた。目の前に現れた、巨大な坐像と目が合った。驚いた九龍は足元を確かめもせず、呆然と見上げながら着地してしまった。幸いそこは普通の人工的な石の床で、罠や生物などの気配はなかったが。
「……うーわ、なんだこりゃ……」
 開口一番、思わず呟いてしまった。穴の途中で感じたように、地下とは思えないほど周囲は明るい。どこかに照明があるのかと思ったが、そういうわけでもないようだ。恐らく、古代の叡智というやつだろう。
 ―――そう、そこは紛れもなく《古代遺跡》だった。
 積み上げられた煉瓦のような石壁。ところどころに施された紋様。エジプトのピラミッドを連想させる壁画と、刻み込まれた古代神代文字。
「すっげ……」
 存在が確認されたからこそ派遣されたわけだが、それでもこの目で見るまでは、九龍も内心疑ってはいたのだ。
 本当にあったよ、古代遺跡。
 ロープを離して、絶句しながら辺りを見渡す。降りてきたその部屋は、それだけで探索のしがいがありそうな大広間だった。
 まず目に付いたのは、壁にもたれて座っている形の巨像だ。石を切り出して積み上げたのか、高さ十メートル以上はありそうだ。足の間の椅子と思しき部分に、強固な石の扉がある。上部には、球体が左右に羽根を広げた有翼日輪模様。中央には太陽とその光を浴びるようにして、また四つの太陽が描かれている。扉に鍵はないようだ。
 振り返ると、いくつか柱が倒れているのが見えた。埃で白く煙った向こうの方に、何か淡い光が揺れているのがわかる。確かめようとして、何気なくそばの柱に手をかけて、九龍はまた驚いた。これは、石の鳥居だ。
 小さな階段を下りて、くぐって表側から見上げると、正に日本の神社の鳥居そのものだった。そこにも、刻まれている神代文字。九龍はただ、言葉をなくすしかなかった。
 ―――何なんだろう、ここは。
 古代の遺跡であることはわかる。が、これは九龍が今まで見てきた、どの遺跡にも似ているようで似ていない気がするのだ。エジプトを基本にして、日本の文化を上乗せして、重ねて混ぜ合わせて融合させたような。……和洋折衷? いや、それ遺跡にも適用できる言葉か?
「葉佩クン〜」
 呆然としていると、上から八千穂の声が響いてきた。我に返り、九龍はロープのところへ戻る。見上げても地上は遠く、闇でしかないが、それでも声は確かに届いて。
「ちゃんとロープが揺れないように、押さえといてよ? 手を離したら、泣いちゃうからッ」
「おっけー、大丈夫!」
 しっかり握って、叫ぶように言った。と、呆れたような皆守の声が続く。
「ったく、うるさい女だな。いいから早く降りろッ」
「きゃッ、ちょっと揺らさないでよッ」
「大丈夫だ。下を見ずに一気に行け」
 手にしたロープが、波打つように揺れる。なんだか上の様子が想像できて、九龍は笑いながらも嫌な予感がした。
「きゃッ、ちょッ、ちょっとッ、きゃァァァァァァ―――
 あああ、やっぱりッ!
 空から降ってくるような、甲高い八千穂の悲鳴。次第に大きくなるそれに、九龍は落下地点を見極めようと、右往左往してしまった。ていうか八千穂ちゃん、今度はちゃんとスパッツ装備してんだね。まったく余計なことしてくれたな境のじーさん、ちょっと残念……とか思ってる場合じゃなくてっ。
 ちゃんと昇降用の器具を使ってはいたが、勢いがつくとさすがにそれなりの衝撃は来る。落ちる八千穂を受け止めようとしたが、やはり映画のようにしっかりお姫様抱っこ、とはいかないようで。
「きゃッ!」
「ぐえッ」
 体重にプラスされた重力で腹部に乗られ、思わず潰された蛙の呻きを上げた。
「痛たた……、わ、葉佩クン大丈夫ッ?」
 八千穂は慌ててどいてくれたが、回復にはしばらくかかりそうだ。ああ前途多難かも、そんなことを思いながら九龍は気丈に笑ってみせた。
「おッ? どうやら下まで降りられたようだな。どけ、そこにいると危ないぞ」
 続いて、のん気に皆守が滑り降りてくる。やはり運動神経は悪くないらしく、よっ、という軽い掛け声と共に、鮮やかな身のこなしで降り立った。
「ほう……」
 早速辺りを見渡して、目を丸くする。
「墓地の下に、こんな場所があったとはな」
「もうッ、皆守クンッ! ロープ揺らすなんてヒドイじゃない、落ちて骨でも折ったらどうするのよッ!」
 立ち上がって憤慨する八千穂に、皆守はいつもどおりアロマパイプを吸って、ゆっくりと吐いた。
「そうなれば、葉佩が受け止めてくれんだろ?」
 なァ、葉佩。まだ倒れている九龍を、悪戯っぽく見下ろしてくる。
「……はい、もう愛情込めて受け止めさせていただきます……でも待って、今ちょっと、ダメージ回復中」
「ほら見ろ」
 辛うじて言葉を紡いだ九龍に、皆守は満足げに八千穂を見た。彼女は何も言わなかった。もういいよといった風に横を向いて、そこで初めて目を輝かせる。
「うわ、すっごーい……遺跡? 地下にこんなのがあったなんて」
「さてっと。それじゃ、わざわざロープまで使って降りてきたんだ。取手の過去とこの《墓》が、どういう関わりを持つのか調べるとしようぜ」
「……うん、そうだよね」
 ひとしきりはしゃいでいた八千穂は、皆守の言葉に急に真剣な表情になった。ようやく起き上がれるようになった九龍も相槌を打つ。遺跡の調査もあるが、今夜はまず取手のことが最優先だろう。
「葉佩を先頭に、俺と八千穂は後ろから並んで行こう。八千穂、葉佩のそばを離れるなよ。この雰囲気だ、どんな罠や化け物が待ち構えていても不思議じゃない」
 おお皆守、なかなかの勘の鋭さじゃないか。お前《宝探し屋》になれるかもよ。
 そんなことを思いながらも口には出さず、九龍は装備を確認する。大丈夫、どこも異常なし。
「うッ、うんッ、わかった。念のため、テニスラケットを持ってきて良かったわ」
 手にしたラケットを構える八千穂を、九龍はぽかんと見つめてしまった。何で持ってるんだろうと思ってたけど、武器だったのか。
「……お前、そのラケットで戦うつもりなのかよ?」
 呆れた様子の皆守に、八千穂はむっとした顔になる。
「もちろんじゃないッ、あたしのこのスマッシュで―――えいッ!」
 ラケットが空を切った。ぶん、とものすごい音がしたような気がした。そういえば八千穂ちゃん、テニス部の部長なんだったっけ。
「ちゃんとボールも何個か持ってきてるよ。エアガンより破壊力ありそうでしょ?」
「へ?」
 まだラケットを振り回しながら、八千穂が九龍のMP5を見ていることに気づいて脱力してしまった。世界を股にかけるプロの《宝探し屋》が、エアガン装備でどうすんだよ。
「残念ながら、これは本物」
「え〜嘘ぉ、オモチャみたいなのに?」
「本物だったのか? あまりそうは見えないな。ああ、持っているのがお前だからか」
「お、お前らなあ……」
 好き放題言って信じようとしない二人に、まあいいか、と九龍は思った。本物だと示さざるをえない、そんな危険な事態にならないことを願おう。
「さッ、それじゃ張り切って行きましょッ!」
 八千穂はセーラー服の袖をまくり、やる気満々である。やっぱり来るんじゃなかったぜ、と言う皆守の呟きを聞いて、九龍も思わず肩をすくめた。
 行動する前に、《H.A.N.T》に二人の情報を登録しておく。これでIDを持つ自分だけではなく、彼らの異常も《H.A.N.T》が教えてくれるようになる。今まで九龍が登録したことがあるのは、ヘラクレイオンでの案内人サラーだけだ。まさか民間人、あげく高校生をバディにすることになろうとは。
 一行はまず、その大広間を探索してみた。中央には円形の堀のようなものがあり、その一番北に模様が浮かんでいる。さっき九龍が見た淡い光は、そこから立ち上っていた。
「何かを指してるみたいだな」
 地面の模様に見覚えがあって振り返ると、降りてきたロープのそばの鳥居に、同じ模様がついている。方角と、光。なんだか対応してるみたいだなと思う。
 東西南北それぞれに、別の模様の同じような鳥居があった。階段上部のものと合わせると、その数は全部で十二。が、奥にある石の扉はどれも重い閂が下りていて、開けられる状態ではなかった。
「高周マイクロ波との同期振動を確認……」
「なんだって?」
 《H.A.N.T》が調べた情報を読み上げると、皆守が訝しげに聞き直してきた。
「つまりこの閂、仕掛けか何かと連動してるってことだよ。『高周マイクロ波』の作用がない限り、扉は開かない」
 最初に降りてきた場所―――中央で淡い光が立ち上っている方向、一番北の扉以外は。
「どうやらあの光は、進める方角を指してるらしい。どういう仕掛けかわからないけど」
 扉の前に立って、九龍は後ろの二人を振り返った。
「罠という可能性もなくはない。でも、ここまで来たからには行くしかない。……いいな?」
 確認するように言うと、神妙な顔で八千穂が頷いた。皆守はアロマを吸って、一息吐いて、当然だと呟いた。
「じゃ、開けるぞ」
 危険が迫ればすぐ告げてくれる、《H.A.N.T》音声に注意しながら、三人で石の扉を引き開けた。音声はそっけなく、別区画への移動を告げる。相変わらずぼんやりと明るく、上に向かう階段が見えた。
 蜘蛛の巣はあるけど、随分綺麗なもんだな。
 周りの様子を伺いつつ、九龍は先頭に立って階段を上がる。刻まれている壁画は正にピラミッドそのもので、ここが新宿の地下だということを一瞬忘れそうになった。
 しかし床や壁の感じから推測するに、相当古い時代に作られた遺跡のはずである。それにしては何というか、比較的新しい空気の匂いがするというか。もしかすると近代、ここを発見して踏み込んだ人物がいるのかもしれない。
 九龍のそれはただの勘だったが、すぐに事実だと証明された。階段を上がりきったところで、羊皮紙に似たメモが落ちていたのだ。日本語だった。
『私の名は、江見睡院。明治時代を探検家として生きた、江見水蔭の孫である。この場所を訪れて七日目、ついに超古代文明の遺跡を見い出し、その入口に至る。かように巨大な遺跡を誰が何の目的で築いたのか? 私はこれより先に進み、その謎を解き明かしたいと思う。……もし私に何かがあり、この遺跡の謎が闇に葬られないように、そして、後続の同業者のためにこのメモを残す事にする』
 触れると紙が崩れる可能性があったので、一端《H.A.N.T》で撮影し、取り込んでから読み上げた。
「これって、ここを探検した人が書いたのかな」
「だろうね。どうやら、前人未踏じゃなかったみたいだ」
「でも……でもこんな立派な遺跡が発見されてたら、もっと有名になっててもおかしくないよね?」
 ぐるりとその場で一回転して、八千穂が周りを見渡した。
 そう、この江見という人間に『何か』があってしまったからこそ。このメモを残して先に進み、それから今日まで行方知れずとなっているからこそ―――この遺跡の存在は、いまだ明るみになっていない。そんなところだろう。
 九龍はそう考えたが、言葉にはしなかった。《宝探し屋》の世界ではよくある『何か』だが、一般人である八千穂や皆守には、限りなくフィクション上の出来事でしかないはずだ。単なる推測で、いたずらに怖がらせる必要はない。
「次の部屋だ。行くぞ」
 すぐそこにあった鍵のかかっていない扉を、九龍が慎重に開く。今度は細長い通路だった。
「見て、何か飾ってあるよ」
 八千穂が興味津々に指差した。左右のくぼみに台座が設置されていて、その上に土偶が置いてある。北に男性を模した男神、南に女性を模した女神。全部で五対。
「おい、ここのやつだけ何か違うぜ」
 皆守の指摘どおり、一番東の女神土偶だけ形が違っていた。いや、これは破損しているのかもしれない。頭部から胸部にかけ、右側が欠けている。
「粘土で修復できるってさ」
 《H.A.N.T》情報を伝えると、八千穂が不思議な顔をした。
「直すの? そうだよね、この子だけかわいそうだもんね」
「いや八千穂ちゃん、そういうことじゃなくて」
 可愛いなあと笑ってしまいながら、九龍は説明した。
「何か仕掛けがあるかもってこと。スイッチが出てきたり、新しい扉が開いたり」
「え、でも粘土なんて持ってないよ?」
「それが探せばあるんだな、きっとこの近くに」
 遺跡のギミックは、そこにある何かで必ず解除できる。それが九龍の経験だった。侵入者を拒む仕掛けであると同時に、先へ進むに相応しい者かどうか、古代人が見極めようとしているからだ。
 遺跡が宝を祀った単なる神殿でも、死者の眠る墳墓でも同じことである。幾多の罠も仕掛けも乗り越えて、知恵と勇気を持つ者だけが、《秘宝》を受け継ぐのに値する。埋葬された魂と対面するのに相応しい人間だと。―――ただし後者の場合は、更なる危険が伴うことが多いのだが。
 アラーの眠りを妨げる者、死の呪いに憑かれし運命なり。
 少しだけ考えて、九龍は笑った。白岐ちゃんが言ってたのは、このことなのかもしれない。今度こそ俺も呪われたりしてね、と自嘲してみる。けれど自分はもう、足を踏み入れてしまった。ならば、前へ進むしかない。
 とりあえず通路を進んでみると、少し開けた部屋があった。二つあった扉はどちらも開かず、やはり何か仕掛けを解く必要がありそうだ。中央に置かれた箱が見るからに怪しいが、それよりも壁にずらりと並んだ棺が気になった。博物館などでよく見かける、ミイラが収められているあの棺である。……うーん、罠かもしれないな。
「皆守、八千穂ちゃん、さっきの土偶の通路のとこにいて」
「わかった」
 おとなしく従う二人を見て、九龍は一番近くの箱に手をかけた。RPGでいう宝箱かな、などと思いながらゆっくりと開ける。案の定中身は古びた粘土で、よっしゃゲットトレジャー、ふざけてひとりごちた時だった。
 壁から、呻き声がした。見ると、立てかけられていた棺の蓋が倒れたところだった。
『敵影を確認』
 《H.A.N.T》が抑揚のない音声で告げる。敵影。敵影って。
「ミイラ……?」
 思わず、九龍は呟いた。呻きながら棺から出てきたのは、そうとしか表現のしようのない化け物だった。全身に包帯を巻き、オレンジ色の布のようなものをなびかせた、金色の仮面の人型である。それが、全部で三体。
「わわッ、何アレ!」
「黙って通してくれるって雰囲気じゃないな……」
 八千穂の驚いた声と、皆守の呟きが重なった。明らかに敵意を持って襲いかかってこようとしている化け物に、九龍は背中のマシンガンを構えた。人型ではあるが、生きている気配がしない。ならば《墓守》の一種か。
「二人とも、そこを動くな!」
 怒鳴りながらトリガーを引くと、突然の銃声に八千穂が悲鳴を上げた。銃弾は的確にミイラを捉えて、更に大きな断末魔を上げさせた。ヘラクレイオン遺跡の化け物同様、効果があるようだ。
 二人の安全を確保するために、九龍はわざと敵の懐へ入り込んだ。包帯の腕が伸ばされる前に、仮面の眉間に連続して三発。また、断末魔。
「葉佩クン!」
 八千穂が叫ぶ。至近距離に迫った最後の一体は、身体を回転させて蹴り倒した。怯んだところを、抜いたコンバットナイフで切りつける。この先銃弾は温存しておいた方がいい、そんなとっさの判断だった。確かに肉を斬る手ごたえがして、九龍は素早く跳びすさる。過たず、頚動脈を一閃した。血飛沫を予想しての、反射的な行動だったのだが。
 果たしてミイラは血を流すこともなく、呻きながら光の塵と化してゆく。空気に溶けて、蒸発するかのように。九龍はヘラクレイオンでの、サラーの言葉を思い出した。
 生き物に死が訪れると、魂は《バァ》と《カァ》に分かれる。《バァ》は離れるが《カァ》は墓と死体を守るべく、肉体に留まる。つまりあのミイラは既に死体であるのと同じで、生きている形を《カァ》の力でそこに留めているだけ。《カァ》が失われて滅びれば、塵となって消えるだけなのだ。
 ミイラだった光の塵と、銃声の余韻が壁に吸い込まれた。再度部屋が静寂に包まれて、九龍はマシンガンとナイフを収めた。
『敵影消滅』
 《H.A.N.T》の音声が響き渡る。安堵にため息をついて、九龍は箱から粘土を取り出した。注意しながら隣の箱も開けてみたが、もう化け物は現れないようだ。中身は薬品のような液体で、《H.A.N.T》が塩酸だと分析してくれた。……塩酸? おいおい、そんな危ないもん、こんなとこに保管しとくなよ古代人。
 わりと楽に片付けられたが、やはり遺跡に《墓守》は付き物のようである。気を引き締めて二人のところへ戻ると、耳を塞いだ八千穂が目を丸くしていた。
「……葉佩クン、すごい……」
 その銃、本物だったんだ。さすがに信じたらしく、尊敬の目で九龍を見つめている。けれどその奥にわずかな畏怖が浮かんだ気がして、九龍は苦笑してしまった。
 うん、まあ、それが普通の人の反応だよな。いくら化け物相手で、命が危険にさらされてるとはいえ、一般人はマシンガンぶっ放したりしないもんな。あげくここ、平和大国日本だし。
 住む世界が違うのだ、と九龍は思う。《宝探し屋》として、今まで化け物だけではなく、遺跡に巣食う生物も殺してきた。幾度も返り血を浴びて、自らも血を流して。それは九龍にとって当然のことで、半ば日常茶飯事で。
 《宝探し屋》は自分の天職だと信じている。この仕事を誇りに思っている。それでも―――それでも、だからこそ。
 だからこそ、彼らが過ごしていた學園の、普通の生活に憧れた。八千穂が退屈だと言った平穏を、限りなくうらやましいと思った。ないものねだりだと思った。
 流された感もあったが、二人の同行を本気で拒もうと思えば拒めたのだ。が、九龍はそうしなかった。それは少しでも彼らの『日常』を、近くで感じたかったからかもしれない。彼らをそばに置くことで、自分も近づくことができればと。
「すごい、すごいカッコイイ!」
 一瞬の茫然自失から復活したのか、八千穂が感極まったように言った。目をきらきらさせて、突然目の前で繰り広げられた、映画さながらのシーンを反芻しているようだ。やっぱり葉佩クンがいてよかった、と微笑んでくる。
「本領発揮、ってとこか。頼りになるな」
 皆守はというと、相変わらず変わりない態度だった。見かけに反して、と余計な一言をつけ加えることも忘れなかったが。
「おう見たか、任せとけ。さ、これで土偶ちゃんを直しましょ」
 ガッツポーズを取って、元気よく言ってみせる。すぐに二人に背を向けて、土偶を調べるふりをしながら、少しだけ天を仰ぎたくなった。
 《墓守》が、倒せば光となって綺麗に消えてくれる存在でよかったと思う。もし普通に血を流して死ぬ生物だったなら、彼らはこんな風に賞賛してくれなかったかもしれない。無残な死体に囲まれて、一人返り血まみれで佇む自分を、二人はそれでも同級生だと認めてくれるだろうか?
 皆守は当然ながら、今回のことに巻き込んだのは八千穂だと、彼女自身も思っているだろう。違う、巻き込んだのは拒否しなかった俺の方だ。遺跡を調査するため、取手を救う何かを探すため、けれど自分は無意識に、些細な欲望を満足させるため。……ああ、プロ失格。
 手に入れた粘土を欠けた部分に盛って、隣の土偶を参考に形を仕上げてゆく。
 とにかく、巻き込んだからには全力で守ろうと思う。大丈夫。誰も死なせはしないし、誰も傷つけさせはしない。呪いとやらが実在するならば、真っ先に自分が受け止めて全責任を取ろう。もちろんそんなことで、こんなところで己がくたばるわけがない。九龍のそれは誓いで、信念だった。
「ほい、完成」
 美術は得意ではないが、どうにか土偶を形にすることができた。色々巡らせていた九龍の思考を断ち切るように、何かが動く音。外れた音。
「どこかの鍵が開いたかな」
 さっきの部屋に行くと、南の扉が開いていた。落ちていた睡院メモには、棺がエジプトのものと酷似していること、この遺跡が祭祀用ではなく権力者の墓ではないかという推測が記されていた。
 やっぱりそうか、とわずか唇を噛む。あまり考えないことにして、九龍は扉を開けた。次の部屋はまた同じような、細長い通路と部屋で構成されていた。
 部屋の手前で、スイッチを踏んだような感覚。罠かと思う間もなく、向こうに見えていた壷がミイラに化ける。後ろの二人にここで待つよう告げて、九龍は銃を構えて目をみはった。
 さっきのミイラだけではなく、奥の方に浮かんでいる影がある。頭に水槽を乗せて、座禅のように足を組んだ化け物だ。な、何だあれは、どういうデザインなんだ?
 壊れやすそうな水槽を狙って撃つと、痛い痛いと呻くように泣いた。喋れるのか、などと感心している場合ではない。生物を殺める罪の意識が、九龍の脳裏を刹那よぎる。が、それでも確実に銃弾を撃ち込んだ。敵意を持って行く手を阻む限り、それはこちらに害を及ぼす存在なのだ。殺らなければ、殺られる。
「……お前、結構容赦ないよな」
 今度も楽に殲滅して一息ついた九龍に、皆守が言ってきた。まあね、と笑って答えてやる。
「生きるためだからな」
 何気なくつけ加えると、皆守は何ともいえない表情をした。目を細めて、眉を寄せて。例えるならそう、どこか眩しそうな顔を。
 そのままじっと見つめられてしまったので、九龍はきょとんと首を傾げてみせる。
「……惚れるなよ?」
 わざと冗談めかして笑ったが、皆守はアホかと流しただけだった。
「見て。なんか、船みたい」
 部屋の中央に進んだ八千穂が、そこにあった舵のようなオブジェを見て素直な感想を口にした。天井から吊り下がる、大きな石と連動しているらしい。
「鍵がかかってるな」
 ロフトのようになっている階段の、上の扉を調べて九龍は呟いた。まさか、面舵だか取り舵だかで壊すんだったりして。
「八千穂ちゃん、それこっちの方に回してみてくれる?」
「おっけい!」
 階段まで下りた九龍が言うと、八千穂は嬉しそうに舵を回した。すると扉に行き着く前に引っかかって、鎖が伸びて石が落ちる。破壊音。
「きゃあ! びっくりした……」
「床が崩れちまったな」
 できた穴を覗き込むと、小部屋である。梯子もついている。降りてみると、蛇の形をした杖のような物が、壁に備え付けられていた。どうやらこれがスイッチらしい。
「わりとわかりやすい仕掛けなんだな」
「ま、序の口だからなんじゃねえの」
 皆守の独り言に、九龍が笑って杖を引くと、上の扉の鍵が開く音がした。次の部屋だ。
 今度は少し広い部屋だった。東にある扉は、内側からロックされているようだ。睡院メモが落ちている。
『私はあの番人を《人に化ける者》の意味で化人=ケヒトと呼ぶ事にする。床や壁に残る塵や埃の堆積から、この遺跡に入り込んだのは、私が初めてではないはずだが、侵入者の荷物や遺留品が全く見当たらないのはどういう事だろうか? 考えたくはないが―――
「ん? 何?」
 メモを読み上げていた九龍が途中でやめたのを不思議に思って、八千穂が首を傾げてくる。あまり続けたくはなかったのだが、仕方なく最後まで読んだ。
『この閉鎖された空間で、あの怪物たちの腹と欲求を満たすのは、侵入者の存在に他ならないだろう』
「つまり奴らにとっては俺たちが食料、あるいはオモチャってわけね」
 わざと軽く付け足すと、八千穂はぶるぶると首を振った。
「ひょっとして、墓地で行方不明になった人たちって……」
 考えたくない答えに行き着いたのか、それ以上は口をつぐんでしまう。皆守は無言で眉を寄せて、上を向いて煙を吐いた。
 奥へ進むと、唐突に足場が消えていた。巨大な手を受け皿にしたような飛び石が、不規則に並んで点在している。
「うわあ、何これ」
「跳び移るしかなさそうだな」
 覗き込んだ皆守が呟いた。底は暗く、どれくらいの深さかわからない。飛び石の間隔がそんなに広くないことに感謝して、まず九龍が先陣を切った。後ろから皆守、八千穂と続く。
「あれ? 右側に何かあるよ……きゃあ!」
 跳んだ先で八千穂の悲鳴に振り返ると、気を取られた彼女が足を踏み外すところだった。スローモーションのように、揺らいで傾くセーラー服。
「八千穂ちゃん!」
 とっさに手を伸ばして腕を握ったが、九龍の体勢も悪かった。遅れて隣に跳んできた皆守が、驚いてバランスを崩した九龍の腕をつかむ。けれど引き上げるまで力が入らずに、二人ともずるずると手が滑って。
「皆守、離せ! お前だけでも……」
 言いかけた言葉は声にならず、一蓮托生で、三人は奈落に飲み込まれていった。






→NEXT 2nd. Discovery#4



20130129up


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