木乃伊は暁に再生の夢を見る3rd. Discovery #1あの炎をくぐれ! |
言うことを聞かなかった、それだけだったのだ。 だから、叩いた。石で、思いきり叩いた。ぎゃん、という声がした。 「……ベロック?」 それきり、犬は動かなくなった。泡を吹いて、目を見開いて。 「ベロック、どうしたんですの?」 そっと、頭を撫でてみる。ふわふわした犬の毛並。一緒に寝ると温かくて気持ちよくて、大好きだった。 少女は首を傾げて、両親の部屋に行った。父と母は、何か話し込んでいたようだった。 「お父様ァ」 厳しい顔をしていた父は、少女の声に笑顔を咲かせる。 「おお、何だい? 私の可愛い天使」 広げられた腕の中に飛び込んで、少女は父を見上げた。 「リカのワンちゃんが、動かなくなっちゃったのォ」 「ベロックが?」 「うん、リカの言うことを聞かないから、石で叩いたの。そしたら動かなくなっちゃった。ベロック、お休みしてるの?」 なんてことを、と母が呻くのが聞こえた。哀しみとも、絶望ともつかない響きだった。再度、少女は首を傾げる。どうしたのお母様、何故そんな顔をするの? 「リカ、ベロックはね、もう死んでしまったのよ……」 「『死』……?」 初めて聞く言葉。少女は小さな舌の上で転がして、その単語を反芻した。 「お母様、『死』って、なァに?」 しゃがみ込んで少女と視線の高さを合わせ、母は静かに言ってくる。 「あのね、リカ。この世界で暮らす生き物たちは、みんな『限られた命』を持ってるの。その命がなくなって、永遠のお別れが来ることを『死』というのよ」 「永遠のお別れ……? それじゃ、ベロックとはもう遊べないの……?」 少女には、『命』も『死』も理解できなかった。ただ、それだけはなんとなくわかった。自分が、石で叩いたからだ。大好きだったのに、もう一緒に遊べないのだ。 「そうよ、ベロックは―――」 「遊べるともッ」 言いかけた母の台詞を遮って、父が割り込むように告げた。 「リカは何も心配することはない。リカは何も悪いことなどしていないんだから」 「ほんとォ?」 母はまだ哀しそうな顔をしていた。けれど父がそう言うのなら、間違いない。 「本当さ。その証拠に、父様が新しいベロックを連れてきてあげよう」 「わ〜いッ、お父様、ありがとう!」 今度は、ちゃんと言うことを聞いてくれるだろうか。聞かなかったら、石で叩こう。そしてまた、新しいベロックを連れてきてもらえばいい。 母が咎めるように父に呼びかけた。その聡明な顔が、歪んで崩れて溶けてゆく。お母様。待って、お母様。 「お父様、お母様はどうしたの?」 「……」 沈黙。すすり泣く声。黒い服。何も言わない父の手を、少女は握り締めている。 「どうしてお母様はあんな箱の中に寝てるの? いつになったら起きるの?」 もう礼拝の時間なのに、母は目を閉じたままだ。白い顔をして、花に囲まれて。 「……リカ……」 父は振り向かない。ただ呆然と、独り言のように。 「お母様は、死んでしまったんだよ……」 「死んでしまった……?」 繰り返すと、笑いがこみ上げた。ふふッ、なァ〜んだ。それなら大丈夫。それなら大丈夫。 「いつものように、お父様が新しいお母様を連れてきてくれるんでしょう? ね、お父様?」 少女は無邪気に問いかけた。父は何も言わず、少女の手を離した。 「お父様……?」 ふらふらと、歩いてゆく後姿。涙でかすむ教会。 「どこへ行くの? お父様……お父様ァァァッ!」 呼びかけは届かない。お母様はいなくなった。お父様も、新しいお母様を連れてきてくれない。お父様もどこかへ行ってしまった。独り。独りだ。 「……みんな、いなくなればいい」 呟いた言葉は、自ら言い聞かせるかのように。 「そうすればお父様が帰ってきて、全部、元通りにしてくれる。きっと……」 二〇〇四年九月二十九日 あくびを噛み殺すと同時に、授業終了のチャイムが鳴った。 「あ〜眠い……」 誰かさんの口癖を真似て、九龍は寝ぼけ眼をこする。駄目だ、眠すぎ。かといって、サボって昼寝ってのもなあ。 ―――あれから一週間。九龍は誰も伴わず、たった一人で、毎晩のように遺跡を探索し続けていた。昨夜も気がつけば睡眠時間は四時間弱、少し控えた方がいいかもしれない。 一人で遺跡に潜るのは調査のためもあったが、一番の理由は資金稼ぎである。 《ロゼッタ協会》所属のハンターには、クエストと呼ばれる収入源があった。審査に合格した依頼者と、《宝探し屋》を斡旋する協会をつなぐギルドサイトだ。 依頼といっても、博物館に収めるような古代の発掘物だけではない。希少な宝石の類から武器、植物、食材に至るまで、彼らが求めている《秘宝》は様々。協会を通さず、ギルドから入手物を直接依頼者に送ることで、報酬を得るのが《宝探し屋》のバイトだった。 自分の生活のためだけだから、手伝ってもらうのもなんか抵抗があるんだよな。 そんな小さなプライドのせいか、バイトのことは皆守にも八千穂にも取手にも言わなかった。遺跡を隅から隅まで探索して、宝物壷や珍しい物を見つけては持ち帰る、その繰り返し。罠や仕掛けなどは既に解除してあるので、特に難しいことはない。ただ、どこから溢れてくるのか、化人だけは相変わらずうろうろしていたのだが。 単身バイトに明け暮れているのは、もう一つ理由がある。―――次に進むべき道が、見つからないからだ。 行ける場所は調査し尽くした。一度通った道は難なく進めるのだが、取手がいたあの部屋で行き止まりになる。その先に同じような扉があるのに、どうしても鍵が解除できないのだ。それは大広間に残り十一もある、どの扉も同じことで。 自分のいたエリア以外はわからない、と取手は言っていた。《生徒会執行委員》として、そこが《墓守》を任されていた区画だと。 皆守や八千穂によると、《生徒会》には《役員》とは別に《執行委員》という存在があり、規則を違反している者がいないか、一般生徒に紛れて監視しているという。つまり誰が執行委員なのか、向こうが名乗り出ない限りわからないのだ。と、いうことは。 「次の執行委員の接触を待つ、しかないか……」 思わず呟いた独り言は、休み時間のざわめきにかき消された。彼らなら、自分の担当する区画の扉を開けられるはずだ。 高周マイクロ波との同期振動を確認。扉を塞ぐ石の閂に、《H.A.N.T》は相変わらずそう告げている。 ……高周マイクロ波ねえ。 ぼんやり考えながら、九龍は取手との戦いを思い出す。彼が倒れて吐き出した、煙のようなもの。 あの《黒い砂》が異形の化け物と化した時も、《H.A.N.T》は同じものを検出していた。《執行委員》は、それとの同期振動が確認された鍵を解除することができる。 それってやっぱり、《黒い砂》が取り憑いているからなんだろうな。 遺跡を探索しながら、九龍も色々考えてみた。協会にも報告したが、調査してみる旨の返信だけで、その後は調査中の素っ気ない連絡ばかりだ。一体、《黒い砂》とは何なのか。単純に《カァ》が具現化したものなのか。 考えるだけ無駄な気がして、そのうちわかるだろうと諦めてしまった。元来あれこれ悩む性格ではないし、一人くらいそれを知る人間もいるだろう。九龍が遺跡に侵入し、取手を倒して解放したことは、既に《生徒会》にも伝わっているに違いなくて。 《生徒会》、イコール《墓守》でもあるならば。 ―――《墓》を侵す転校生を、黙って見ているわけがない。 「葉佩クンッ」 考え込んでいた九龍に、隣席から八千穂が声をかけてきた。いつもどおりの元気の良さである。 「ね、この休み時間に図書室に行ってみない? さっき月魅にメールしたら、いるって言ってたからさ」 月魅。そうか、七瀬ちゃんがいたか。 目からウロコの勢いで、九龍は立ち上がった。この一週間は図書室に行っても古事記を読解することに必死で、七瀬に聞いてみるという選択肢を失念していた。 「葉佩クンだって気になってるよね、あたしも見たもん。あの時の取手クン」 放課後の中庭で、何かに追いかけられているような取手の姿が思い出される。確かに、取手は呟いていた。《砂》だ、《黒い砂》だと。 「あの後、墓地の地下でも取手クンの身体から黒いのが出てきたし。《黒い砂》って一体何のことなんだろう、って考えてたら、授業なんて全然耳に入ってこなくてさ」 ……それで一週間、ずっと上の空で授業受けてたのか八千穂ちゃん。 人のことを言えない九龍は、心の中だけで苦笑しておいた。何しろ夜は遅くまで墓場で金稼ぎ、である。興味のない授業は、ほとんど寝ているといっても過言ではない。 「ねッ、葉佩クンはまたあの遺跡に行くんでしょ?」 「え、ああもう、もっちろんだよ! だって俺、そのためにここに来たわけだし!」 まあ、ていうか、既にあれから何度も行ってるんだけどね。ごまかすように拳を握り、わざと大げさに言ってみせる。やっぱりね、と八千穂が笑った。 「なんてったって、世界を股にかけてお宝を探し求める《宝探し屋》だもんね〜。うんうん、なんかそれってめちゃめちゃカッコイイと思うな!」 一応気を遣って声は小さくしてくれたが、それにしても白昼の教室だ。誉められて悪い気はしないとはいえ、誰かに聞かれてないか焦って周りを見回してしまう。と、とりあえず大丈夫だったみたいだけど。 「あ、それにね、あの地下遺跡で見た壁画とか壁の飾りみたいのって、どっかで見たことがある気がするんだ。確かに前にテレビで……ほら、口ヒゲの教授がよく出てきてさァ、なんかほら、こう石っぽいっていうか、砂っぽいっていうか……」 テレビ? 口ヒゲの教授? 実際に遺跡など見慣れすぎている九龍にとって、八千穂が思い出そうとしている何かは検討すらつかなかった。石っぽいとか砂っぽいって、遺跡なんだから当たり前だろうに。 きょとんとしていると、ふわりとラベンダーの香りがした。振り向くと、ため息をついている皆守の姿。 「……一体どういう記憶力をしてるんだ、お前は」 「あ、皆守クン」 呆れて仕方なく声をかけてしまったらしく、くしゃくしゃと自分の癖毛をかき乱している。 「お前が言いたいのは、エジプトのピラミッドだろ」 「ああッ、そうそうッ!」 八千穂は合点して手を叩いたが、九龍はずっこけてしまいたくなった。なんだ、そんな定番で有名どころすら思い出せなかったのか。 「あのオバケが出てきた棺桶みたいのって、そのまんまピラミッドに置いてありそうなのだったよね。そうだ、皆守クンも一緒に図書室行こうよッ」 「はァ?」 突然の誘いに、皆守が目を丸くした。 「何で俺が……」 「いいじゃない、一緒に探検した仲でしょ? ねェ、葉佩クン」 「お、そうだな。行くか皆守!」 にっこり笑って、同意する。相変わらず飄々とした態度の皆守だったが、それでもあの一件以来、なんとなく『友人』として距離が近くなった気がしている九龍である。 「だよね〜ッ、ほら、葉佩クンだってこう言ってるんだし!」 「……取手の件では成り行き上、付き合ったがな。これ以上、俺を巻き込むな。所詮、俺には関係のないことだ」 ああ、また言ってるよこいつ。 そっぽを向いてアロマを吹かしている皆守を見て、九龍は眉をひそめてしまった。そう言いながらあの時は結局、俺も八千穂ちゃんも取手のことも助けてくれたくせにな。 「……関係なくなんかないもんッ!」 冷たい言葉をそのまま受け取ったのか、八千穂が怒ったように声を荒げる。 「だって、友達の友達はみな友達って言うじゃない」 「友達って……誰と誰がだよ」 「だから、葉佩クンと皆守クン。で、葉佩クンとあたし。ほら、皆守クンとあたしも、もう友達じゃない」 「お、お前な……」 呆れる皆守に強引な理論を突きつけて、八千穂は胸を張ってみせた。 「ホントは白岐サンにも話を聞いてみたかったんだけど……どこに行っちゃったんだろ」 「どうしてそこで白岐が出てくるんだ」 「だって白岐サンって、あたしの知らないこといっぱい知ってそうだし。せっかくだから、色々話とかしてみたいな〜って」 確かに、と九龍も教室を見渡してみたが、彼女の姿はなかった。あの《墓》に関する何かを絶対に知っているだろう白岐には、一度ちゃんと話を聞く必要がある。―――話してくれるかどうかは別として。 「あ、ほらッ。早くしないと休み時間終わっちゃうよ。行こッ、二人とも!」 「おい、八千穂―――」 えへへッと笑って、八千穂は一人教室を飛び出していった。その後姿を見つめ、皆守が嘆息しながら九龍に向き直る。 「まったく、なんて強引な女だ。葉佩、お前はどうするんだ?」 「どうするも何も……」 転校してきて一週間、彼女の強引さは身にしみてわかってしまっている。苦笑すると、そうかと皆守は呟いた。 「じゃあ、俺はこの辺で―――」 「葉佩クンッ! 皆守クンッ! 早く早く〜ッ!」 二人が立ち止まったままなのに気づき、八千穂がドアから顔を覗かせて呼んでいる。九龍は手を挙げて是の意を示したが、皆守は無言のまま答えない。 「もォ〜皆守クン! まだ〜?」 「……うるさいッ、人の名前を連呼するな」 「じゃあ、早くおいでよ〜ッ!」 「……」 「ねェってば! 皆守クン、聞こえてる?」 あまりにしつこい八千穂に、皆守はパイプを噛むようにして呻いた。苛々と頭をかいて、大仰にため息をついて。 「わかったよッ。行けばいいんだろ、行けば!」 半ば怒鳴り声だった口調に、クラス中の生徒が驚いてこちらを見るのがわかった。それでなくてもあの皆守が授業に、転校生と仲良さそうに、など、どうやら最近は意外な面を見せて注目されつつあるらしい。 「くそッ……だから八千穂に関わるのは嫌だったんだ」 皆守はぶつぶつとひとりごちている。それでも結局関わってしまう、そこが彼の優しいところだと思う。 「葉佩、お前もこれから覚悟しておいた方がいいぞ」 「……お前もな」 覚悟しなければならないのはむしろ皆守の方ではないか、そんなことを思って九龍は同情した。 「まァ、あいつも悪気があってやってるわけじゃないのはわかるがな……。仕方ない、面倒なことはさっさと済ませるに限る。行こうぜ、葉佩」 そんなフォローも彼らしくて、渋々教室を出る背中に笑ってしまった。 図書室には他に人影がなく、七瀬が一人で本を整理していた。短い休み時間までも、図書委員の仕事に精を出しているらしい。 「これは八千穂さん。葉佩さんに皆守さんまで……」 訪れた三人を、少し驚きながら迎えてくれる。 「みなさんおそろいで、私に何かご用ですか?」 「あァ、俺はどうでもいいんだがな」 興味なさそうに本棚を眺めて、皆守がすかさず言った。 「こいつらがどうしても、お前に訊きたいことがあるそうだ」 「そうですか……」 明らかに機嫌がいいとは思えない皆守の言い方だったが、気にした様子もなく七瀬は九龍に微笑みかけた。 「私の持っている知識が何かのお役に立てるなら、嬉しいです。遠慮せず、何でも訊いて下さいね」 古人曰く、未来は予測するものではない、選び取るものである。望む未来を手に入れるためには、正しい知識と情報が不可欠だと、七瀬は質問を促してくれた。 「んじゃ、早速なんだけど。《黒い砂》って、何か知らないかな」 「《黒い砂》……ですか?」 切り出した九龍に、七瀬は少し不思議そうに呟く。 「そうなのッ、取手クン―――は、関係なくて、えっと、その……」 慌てて八千穂が語尾を濁した。取手のためにも、あまり名前は出さない方がいいと判断したのだろう。しどろもどろになっている彼女に、皆守がやれやれと助け舟を出した。 「人体に異常な影響を及ぼす黒い砂状の物について、何か聞いたことはないか?」 「あ、そうそうそれ、そういうこと! 皆守クン、あったまイイ〜!」 おおさすが皆守、冷静でわかりやすくて論理的。八千穂と同じく九龍も拍手したくなったが、呆れた目を向けられたのでやめておく。 「そうですね……まず第一に考えられるのは、カビだと思います」 「カビ? って、あの……パンとかに生える?」 「ええ。カビは微生物の一種で、学問的には真菌と呼ばれています。その主な活動は、動物の死骸や枯葉などを腐敗、分解させて土に還すことですが、人体に悪影響を及ぼすこともあります。皮膚から侵入してかぶれや炎症などを起こしたり、呼吸によって体内に取り込まれることにより、肺炎などを引き起こしたりもします」 「う〜ん、なるほどねェ……」 考え込んでいる八千穂を横目に、九龍も記憶を探ってみた。確かにあれは単なる砂ではなく、意思を持った生物のように見えたが。 「他に《黒い砂》のようなものといえば、砂鉄かあるいは、何かの灰か……。呪術的な分野にまで話を広げると、もっと様々な可能性が出てくると思います。今ここでその全てをお話しするのは、時間的に難しいかと……」 あの場所が古代遺跡であり《墓》である限り、もしかすると呪術的な何かという可能性の方が高いかもしれない。九龍はそう思ったが、八千穂が首を振って七瀬を制した。 「あ、いいよいいよッ。そういう色んな可能性があるって、わかっただけでも今は十分。あとそれから、日本とエジプトについて訊きたいんだけど」 「日本とエジプト、ですか?」 八千穂なりに遺跡から共通点を感じて、好奇心が疼いたのだろう。彼女が言い出すまでもなく、今までの調査から九龍も感じていたことだった。基本的に記紀神話を題材にしていると思われるあの遺跡だが、中にはエジプト神話を模したレリーフや扉も確かにあったのだ。 「そうですね、大きな共通点はピラミッドです」 あっさりと答える七瀬に、八千穂が不思議そうな顔をする。 「え、でも……日本にはピラミッドなんてないよね?」 「いいえ。ちゃんとありますよ?」 微笑む七瀬に、九龍も思い当たった。そうか、日本ピラミッドってのがあったな。 「有名なのは広島県にある葦嶽山ですね。昔から神武天皇陵であると言い伝えられ、山頂や山中に点在する巨石群は古代遺跡の跡であるいわれてきた霊山です。ピラミッド研究家である酒井勝軍氏が、山頂でピラミッドの頂点石である《太陽石》と、それを取り巻く《磐境》を発掘したことにより、この山を世界最古のピラミッド―――日本ピラミッドであると唱えたのです」 七瀬のピラミッド熱弁は続いていたが、九龍はあまり耳には入っていなかった。断片をつなぎ合わせることに集中してしまっていたからだ。 山をピラミッドとする日本に、《天香》という名を持つ學園。それは《天を欠く山》、地に向かう山。つまり墓地の地下に広がる遺跡は、逆さピラミッド型になっていると考えられる。そしてその頂点である一番底に、埋葬された者がいるのかもしれない。―――いや。 おかしい、と九龍は思った。太陽に向かって建設される通常のピラミッドは、魂が神となるよう願いが込められているという。ならば、逆さピラミッドにおける死者の魂は。 冥界に堕ち、永遠に闇の中で苦しむように。地中深く閉じ込めて、二度と、日の当たる現世に戻ることができないように。 ―――封印、という単語が浮かんだ。 「……あの、こんな話で少しはお役に立てたでしょうか?」 恐る恐るといった様子で、七瀬が小さく聞いてきた。どうやら、かなり難しい顔をしてしまっていたらしい。我に返った九龍は、慌てて笑顔を作る。 「少しどころか、もうばっちり! さすが七瀬ちゃん!」 「そう言ってもらえると、私も嬉しいです」 本を抱きしめて、七瀬は微笑んだ。望む回答がはっきりと得られたわけではないが、情報としては十分だろう。 ―――少しだけ。 少しだけ、九龍は躊躇を感じた。単なる《宝探し屋》である自分に、あの《墓》を暴く資格があるのだろうか。このまま奥へ進んでゆくのは、本当に正しいことなのかと。 「……ん、そろそろ休み時間が終わるな。優等生さんたちは、次の授業の準備でもした方がいいんじゃないのか?」 ふと時計を見上げた皆守が言って、九龍の思考は中断された。やばッ、と八千穂が焦り、七瀬がそれに続く。 「大変、教室に戻らないと。とりあえずみなさん、先に出て下さい。私はこの本だけ片付けてから行きますから」 「うん、色々話聞かせてくれてありがとね、月魅ッ!」 「ええ、それではまた」 ぱたぱたと図書室の奥へ駆けてゆく七瀬に手を振り、八千穂がじろりと皆守を見上げた。 「皆守クン、まさかまたサボるつもり?」 さっきの『優等生さん』という台詞に、どこか嫌味を感じたらしい。皆守は八千穂の眼力を物ともせず、ため息と共にアロマを吐いて。 「七瀬のウンチク話のおかげで、俺の脳にはそろそろ休息が必要なんだよ」 「とかいって、ホントは今まで立ったままウトウトしてたんでしょ」 「……するかッ」 即行で八千穂の言葉に反論した皆守は、その眠そうな目を九龍に向けた。 「葉佩、お前はどうするんだ?」 「ん?」 聞かれて、思わず首を傾げる。サボるつもりなら一人でさっさと出て行けばいいものを、こうやって律儀に聞いてくるあたり、期待されているのかと思ってしまうではないか。一緒に俺も、とか言ってほしいのかな。うーん、まさかな。 「じゃ、俺は授業に出る」 少し考えて、九龍は答えた。皆守がふんと笑う。 「さすがは優等生君。じゃ、そういうことで……」 「皆守と一緒に」 「……は?」 踵を返そうとした皆守が、ぽかんと九龍を見つめてきた。鳩が豆鉄砲、そんな言葉を連想させる表情で。 「何言ってんだ? 俺は行かないって言ってるだろ」 「おッ、熱血転校生の不良生徒更正作戦?」 嬉しそうに盛り上がる八千穂を一瞥して、皆守はくるりと背中を向けた。 「……なんだそれは。そんなもんに付き合ってやるほど暇じゃないんだよ」 「あ、ちょっと皆守クンってば!」 そのまま舌打ちをして、図書室を出て行ってしまう。無視された八千穂は、怒ったように膨れてみせた。 「せっかく葉佩クンが誘ってくれてるのに〜。葉佩クンと皆守クンって、何かいいコンビになりそうな気がするけどなァ」 後半は独り言らしく、考え込むように眉根を寄せている。コンビかあ、と九龍もつられて考え込んだ。 転校初日の印象から、八千穂は彼と仲が良いのだろうと思っていた。が、実際は今まであまり喋ったことがなく、まともに会話したのはあの屋上が初めてだったというから驚きだ。保健室仲間と称した取手とも、普段からつるんでいるわけではないらしい。既に九月も後半だというのに、いまだクラスに馴染めずにいるというか、馴染まずにいるというか。 ああそうか、と九龍は思った。きっかけを作ったのは意外に世話焼きらしい皆守の方だったが、今はきっと、それが逆になっているのだろう。自分の方が皆守を放っておけないのだ。 「ね、追っかけてあげなよ。ずっと一人は淋しいもん」 微笑む八千穂の台詞に、だから即行で同意した。応えて、大げさに構えてみせる。 「おっけー、皆守更正作戦ミッションスタート!」 「うん! えへへ、それじゃまた後でね!」 笑いながら手を振って、九龍は図書室を出た。天気がいいから屋上だろうと予測して、案の定二階の階段で追いつく。皆守はうるさそうに、目を細めて見下ろしてきた。 「……お前も大概しつこい奴だな。大体俺が授業に出ようが出まいが、お前には関係ない―――ん?」 いつもの口癖でラベンダーの吐息を零した皆守は、廊下を歩いてくる背の高い影に気がついた。取手だった。 「やあ、葉佩君」 「おう、取手っ」 相変わらず青白い顔で囁くような低い声だったが、それでも表情は明るく見える。 「この前は、その……色々とありがとう。君に、これを渡そうと思って来たんだ」 長めの腕を伸ばされて、九龍は反射的に両手を差し出した。その中に落とし込まれる、小さな鍵。 「僕が管理している音楽室の鍵だ。この學園は何かと管理が厳しいから、鍵がないと入れない部屋が多いんだ。大切に使ってくれれば嬉しいよ」 「え、いいのか、ありがとうな!」 受け取って、九龍は素直に礼を言った。その気になれば學園内の鍵くらい開けられる自信はあるが、勝手に開けて入るのと、管理者から鍵を渡されて入るのとでは全然違う。その場所に踏み入ることを、許されたような気がするからだ。 「そんなに喜んでくれるなんて……。君に渡して本当によかった。ありがとう、葉佩君」 照れ臭そうに微笑んで、取手は少しうつむいた。その頬がかすかに赤く染まって見えたのは、気のせいじゃないかもしれない。……う、いや、ごめん取手。仕事に使えそうな物があったら、勝手に拝借しようかなとか思ってたよ。 「取手、お前もう身体の方はいいのか?」 皆守の台詞はぶっきらぼうだったが、それでも気遣っている様子だった。取手は顔を上げ、明るく頷いてみせる。 「うん、以前みたいに頭痛がすることもなくなったし、何より本当に……気分がいいんだよ。それに今は、ピアノを弾くのが楽しくて仕方がないんだ」 「そうか。なら、これでめでたく保健室仲間も解消だな」 「あ……でも、ルイ先生はもう少しだけ継続してカウンセリングを受けなさいって。もう一度改めて、自分の過去とまっすぐ向き合うことが必要だって」 あの後、瑞麗には簡単に報告しておいた。遺跡のこと、取手のこと、《墓守》のこと。もちろん九龍の正体だけは明かさなかったが。 取手は襲った女子生徒に謝りたいと言った。けれど悪戯に刺激することはないとしたのも瑞麗だった。《墓守》の呪縛―――《黒い砂》のようなものが抜けた後も、取手は《力》を失ってはいなかったのだ。 「精氣を奪うことができるのなら、与えることも可能なはずだ。……どうだ、取手?」 瑞麗のその助言により、女子生徒は回復に向かっているという。本来は勝気で明るい生徒とのことだ、そのうち心身ともに立ち直れることを願いたい。 「自分の過去とまっすぐ向き合う、か……」 それじゃ、と立ち去る取手の背中を眺めて、皆守がぽつりと言った。 「あいつは……お前のおかげで救われたんだろうか」 完全な独り言に遠い余韻を感じて、九龍は思わず彼の瞳を覗き込んだ。目が合うと、あからさまに眉をしかめて舌打ちされた。 「ちッ、俺はもう行くからな。お前は勝手にしろ」 「皆守!」 そうは行くかと、九龍は続いて階段を上がる。三階廊下で再び追いつくと、振り向いた皆守は更に不機嫌そうな顔をしていた。 「……それで、お前は一体どこまでついてくる気なんだ。言っとくがな、俺は絶対教室なんかには行かない―――」 「ん〜、石の匂いがするねェ〜」 「……」 突如台詞を遮った不気味な声に、九龍と皆守は互いに顔を見合わせた。この声はもしかして、と思えばやはり、廊下の真ん中に待ち構えるようにして立つ黒塚がいた。 「葉佩君、君……僕の知らない石の匂いがするね」 「え、そ、そうか?」 どうも彼が苦手である九龍は、無意識にじりじりと後退した。自分の制服を嗅いでみるが、そもそも『石の匂い』がよくわからない。それよりもなんだかラベンダー臭い気がするのは気のせいだろうか。そこに皆守がいるせいか。それともまた移ってるのか。 同じだけ距離を縮めた黒塚は、壁際に九龍を追い詰めてきた。いつも持っている鉱石のガラスケースを、小脇に抱え直して。 「はッ、まさか!」 「うわッ!」 もう片方の手で、ぐいと顎をつかまれる。同じくらいの身長が災いして、至近距離で正面から見つめられる羽目になった。 「まさか、この學園に僕の知らない素敵な秘密の石スポットを見つけたのかい?」 「い、石スポット?」 「くッ……この短期間のうちに、まさかそんなことが可能とは! なんて恐ろしい転校生なんだ……」 勝手に盛り上がる黒塚に、九龍は引きつった笑みを浮かべた。た、確かに遺跡は石スポットに違いないだろうけど、そんなに悔しがるようなことか? ていうか顔近いって、そんな迫らなくても話できるって、おいこら、黙って見てないでなんとかしろ皆守! 救いを求めて視線を投げると、皆守は少し離れた場所でアロマに火をつけていた。大きく息をついて、呆れたようにこちらを観察している。 「ふ……ふふふふふ、いいだろう。僕も負けはしない」 なにやら宣戦布告じみた台詞で、黒塚は九龍の頬を撫でてきた。ひっと息が詰まり、逃れるべく首を振る。さささ触るな、俺は石じゃねえぞ! 「いつか君の秘密の花園を、僕が暴いてみせるよ……」 ……って、だからなんでそんな怪しい言い方になってんだお前は! ツッコミも喉元で凍りついてしまった九龍の、脇腹にいきなり衝撃が来た。呻く声すら出せずに、ぐらりと身体が傾く。 「その辺にしとけ、黒塚」 一瞬何が起こったのかわからないまま、倒れた九龍は自分を見下ろす皆守を見た。両手をポケットに入れて、片足を上げた状態で。 「み、皆守お前、ツッコミ厳しすぎ……」 軽くとはいえ、足で蹴られたのだと悟る。おかげで石男の拘束からは逃れられたが、それにしても乱暴すぎないか。うう、制服に足跡ついてるかも。 「おっと、急がないと授業が始まるよ。次は僕の大好きな地学なのさ、ふふふん。じゃあね〜」 何ごともなかったかのように黒塚は言って、踊りながら去っていった。 「……理解に苦しむぜ……」 見送って苦笑する皆守だったが、九龍はそれをそのまま言い返してやりたくなる。よりによって蹴るか、蹴るのか、友人を。 「おい、いつまで倒れてんだ」 あげくこれである。九龍は恨めしげな目を向けて、呻きながら呟いた。 「お前、もうちょっと優しくだな……」 「これくらいで壊れるようなタマか?」 見下ろしたまま、皆守は目を細めて笑う。挑発するような笑みで。 「それとも、あのまま餌食になった方がよかったのか」 「餌食……」 ざわり、と鳥肌が立った。対象は果てしなく『石』であって九龍ではないのだが、だからこそ余計に黒塚が恐ろしくなる。うわああ、と思わず頭を抱えてしまった。 「あああ、助けて下さってありがとうございます皆守さん〜!」 「ふん」 わかればいい、と皆守は素っ気なく言った。 ていうか、ツッコミは俺じゃなくて黒塚の方に入れるべきじゃないのか。偉そうな皆守にそんなことを思いつつ、九龍は脇腹を押さえながら立ち上がった。と、廊下に落ちる小さな鍵に気づく。ぶら下がったプレートは『美術室』。……あれ? さっき取手からもらった鍵は、音楽室だったはず。 「多分白岐のだな。あいつはあれでも美術部員なんだ」 鍵を覗き込んだ皆守が、すぐ隣の美術室を指した。 「覗いてみるか?」 「そうだな、拾得物は届けないと」 学ランの埃を払って、九龍は扉をノックしてみる。誰、と白岐の静かな声がした。 「あなたは……」 絵を眺めていたのか、ドアを開けると椅子に座った彼女と目が合った。床に流れる長い髪に、重くないのかなと考えてしまいながら、九龍は鍵を差し出した。 「あの、これ。落ちてたから」 笑いかけると、白岐は少しだけ目を丸くして。 「……黙っていれば、それはあなたの物になったのに。どうしてわざわざ私に返したりするの?」 「どうしてって……白岐ちゃんのだろ?」 思わず、きょとんとしてしまった。彼女こそ何故そんな言い方をするのだろう。 邪気のない九龍に、白岐は視線を外してうつむいた。しばらく黙り込んだ後、ありがとうと静かに呟く。 「それはあなたに預けるわ。好きに使えばいい」 「へ? でも、あの」 「私はスペアがあるから大丈夫」 言いかけた台詞は、問答無用で遮られてしまった。……え、えーと。これは彼女も取手と同じく、いつでも来ていいと許してくれたことになる、のか? 「葉佩さん」 予想外の申し出にうろたえていると、白岐が改めて視線を投げてきた。 「この學園には、得体の知れぬ大きな闇が潜んでいるわ。それでも目を瞑り、耳を塞ぎ、息を潜めて自分を殺すことで、平穏を手にすることはできる。あなたはその、仮初めの平穏を破るためにここへ来たというの?」 「……そんなつもりはないよ」 よっぽど嫌われてるのかな俺、と九龍は苦笑してしまった。淡々としているからこそ、彼女は冷たく非難しているように思えたのだ。 もちろん、學園の平和を壊すために自分はここにいるのではない。が、《墓》へ潜ることが結果として同じことになるなら、反論できる立場ではないのだろう。それでも。 「……白岐ちゃんは、平穏が仮のものだってわかってるんだよな」 それでも、九龍はまっすぐ白岐を見据えて言った。 「だったら、それはいつか破れて当然だということも知っている」 「……」 「そんなのは決して、『平穏』とは言わないってことも」 「……」 白岐が目をそらした。しばらく沈黙した後で、低く呟いた。 「……あなたは、強い人ね」 諦めとも、賞賛ともつかない口調。 「だけど、誰もがあなたのように強く在れるわけではない。それだけは覚えていて」 そのまま、背を向けてカンバスに集中してしまう。話すことはもう何もないと暗に言われたような気がして、九龍は知らず肩をすくめた。 「……俺は強くなんかないよ、白岐ちゃん」 ずっと黙ってやり取りを聞いていた皆守が、ちらりとこちらを見た気がした。俺は、強くなんかない。それは取手にも言った台詞。 「他に用がないなら、もう出ていって」 「……わかった」 振り向かない背中が拒絶しているように見えて、九龍は素直に従った。そっと開けたドアの音に重なるのは、忘れられないあの記憶。 ―――九龍は、強いから。 脳裏に、叱咤する声が蘇る。振り返るな。立ち止まるな。お前なら、行ける。 「強い、か……」 美術室から出た後で、九龍はぽつりと呟いた。誰に向けたわけでもない、自問の独り言だった。それを耳にした皆守は、扉にもたれ天井を見上げて。 「まあ、少なくとも弱くはないと思うがな」 呟きと共に、ラベンダーを吐いた。気持ちを穏やかにするというその効果を実感したくて、九龍は無意識に大きく息をつく。刹那。 ―――ぽん、と。 軽く、頭に手が乗せられた。優しいぬくもりが慰めるように髪を撫でて、すぐに離れた。 驚いて皆守を見るが、彼は上を向いたままだ。……え、何、今の。 「始業の鐘か……」 見計らったように鳴り響くチャイムに、皆守がひとりごちた。九龍の視線を無視したまま、どこか諦めの含んだ吐息で。 「何かもう、屋上まで登るのも面倒になってきたな。どうせ寝るなら教室でも同じだ。行こうぜ、葉佩」 そのまま屋上への階段ではなく、教室に向かう渡り廊下へ歩いてゆく。その後姿に九龍は呆然としてしまったが、すぐにガッツポーズを取りたくなった。 と、とりあえずなんか知らないけど、やったぜ八千穂ちゃん! 俺の粘り勝ちでミッションコンプリーテッド!
→NEXT 3rd. Discovery#2 |