木乃伊は暁に再生の夢を見る3rd. Discovery #2 |
任務完了で授業を受けたはいいものの、昼休みになると皆守はどこかへ消えていた。昼食はどうしようと考えながら図書室に寄った九龍は、途方に暮れて立ち尽くす羽目になっていた。 理由は、腕に抱えたファラオの胸像である。 「あの……よかったら、これもらっていただけますか?」 古代文明話で意気投合してしまった七瀬に、頬を染めて言われてしまっては断る術がなかったのだ。机の下から取り出された黄金の塊は、一瞬本物かと目を見張ったが、恐らくレプリカだろうと思われる。いや、思いたい。 「あなたのお部屋にこそ、相応しい気がするんです。大切にして下さいね」 結局受け取ってしまった九龍だが、偽物にしてはずっしり重いのが気になった。ていうかこれ、インテリア? 部屋に飾れと? な、なんか呪われそうなんですけど。 一応ありがとうと礼を言って図書室を出たものの、異彩を放つ黄金の胸像は目立ちまくって仕方がない。ただでさえ目立つ転校生なのに、周囲の生徒が何事かと注目しているのがわかる。……まさか、これ持ってって午後の授業受けるわけにもいかないしなあ。 一度、寮に置きに行くしかないか。そう考えた九龍の耳に、優しいピアノの音が届いた。音楽室を覗いてみると、やはり取手である。 「やあ、葉佩君」 弾いていた指を止めて、わざわざ立ち上がって迎えてくれる。抱えた胸像に驚いたようだったが、七瀬からもらったと言うとすぐに納得してくれた。彼女の古代文明偏愛は、取手もよく知るところらしい。そういえば取手って、七瀬ちゃんと同じA組だったっけ。 「ピアノの音が聞こえたからさ。昼休みまで練習?」 持つのが辛くなってきたファラオを下ろして、九龍は笑いかけた。取手は肯定しながらも照れくさそうに視線を外す。そのまま会話が途切れると、慌てたように言葉を紡いで。 「あ、あの、その……えと、君……音楽は好きかい?」 「え? ああうん、もちろん」 唐突な質問に、九龍は笑顔で答えてみせる。 「でも特に楽器とか弾けるわけじゃないから、取手がうらやましくてさ。ピアノって、子供の頃からやってないと駄目なんだろ?」 「そんなことないよ、君ならきっとすぐ弾けるようになると思う。ピアノだけじゃなくて、他の楽器でもなんでも」 思いのほか力強く、断言するように取手は言った。言い方が大げさだなと思ったが、恩人だというせいだろうか。彼にはどうも過大評価されているというか、神聖視されてしまっているような気がする。 「でも、そうか……好きならよかった。よかったら、またピアノを聴いてくれないか? 練習中の新しい曲なんだけど、是非君に聴いてほしいんだ」 言いながら、取手は鍵盤を押さえて雨だれのような音を響かせた。それが心地よくて、九龍は手近な椅子に座る。 「……やっぱり、うらやましいと思うな」 「え?」 「音楽って、なんか癒されるだろ。取手はそうやって、誰かを安心させることができる。俺は殺したりとか倒したりとか暴いたりとか、そういう強引なことしかできないからさ」 自嘲ではなく素直な感想だったが、浮かんだ笑みは苦笑だった。 「……でも、葉佩君は僕を救ってくれたよ」 取手の声は低く、囁くように優しい。目を閉じると、瞼の裏で木漏れ日が揺れた。 「君のその強引さで、僕は救われたんだよ」 「……」 奏でられる穏やかな旋律が、次第に睡魔を連れてくる。抵抗なく身を任せながら、九龍は夢うつつに否定していた。 それは、単なる結果だっただけだ。自分の目的はあくまでも遺跡で、《秘宝》で、捕らわれた《墓守》を解放することではなかった。 そう言っても、きっと取手は微笑むのだろう。目的は別にあってもいい、ついででもいい。君のおかげで、僕は《宝》を取り戻せたのだと。 容易に想像できるようで、九龍は少しだけ笑った。取手は何も言わずに、そのメロディを弾き続けてくれていた。 「―――葉佩君」 やがて眠ってしまった九龍に、取手はそっと指を止める。 「君にとって、僕のピアノは―――僕の隣は、眠りを許せるくらい安らげる場所だと思っていいのかな」 浅いまどろみの中で、九龍はその言葉を聞いていた。転校初日、空き地でいきなり寝てしまった皆守はどうだったのだろう。彼のことだ、隣に誰がいようがお構いなく、いつでもどこでも眠れてしまうのだろうけど。 慰めるように髪を撫でた、温かく優しい手を思い出す。 それが記憶の中の感覚なのか、ピアニストの綺麗な指が触れる今の現実なのか、意識を手放した九龍にはわからなかった。 予鈴で気がついて、思わず飛び起きてしまった。 取手に邪魔してしまったことを詫び、九龍は慌てて胸像を寮まで置きに走った。早くしないと昼食を取る時間がなくなると、焦った結果だったが遅かった。校舎に戻った時には、既に始業の鐘が鳴り始めていた。 睡眠は補えたとはいえ、九龍はうなだれながらも教室へ向かう。水さえあれば十日間くらい平気なサバイバル体質ではあるが、ちゃんと食事を取れる環境なら取るに越したことはないのだ。いっそサボって飯だけ食いに行くか、そんなことを思った時だった。 「おい、葉佩」 気だるそうな声は皆守だ。振り向くとジッポーを鳴らして、くわえたアロマに火をつけていた。 「お前、午後の授業真面目に出る気か? 何も勉強するためにこの學園に来たわけじゃないんだろ」 「……そりゃそうだけど」 「俺はこれから昼飯なんだ。お前も付き合えよ」 「へ?」 なんだお前、もしかして飯も食わずに昼休み中ずっと寝てたのか。そうツッコミを入れたくなったが、空腹の九龍にとってかなり魅力的な誘いだった。それに、皆守が誘ってくれること自体が珍しい。八千穂の言う今までの彼のイメージからすると、一人でさっさとサボってマミーズにでも行きそうなものなのに。 「うわ、付き合う! 俺なんかでよかったらもう、フツツカモノですがよろ」 「いや、あのな」 調子に乗った台詞を途中で遮って、皆守が呆れた目を向けてきた。 「付き合えっていっても、そういう意味の付き合えじゃなくてだな……。お前、まさかワザと言ってないだろうな?」 「ん? 何が?」 「……もういい」 皆守は呆れた表情のまま、ま、いいかとひとりごちた。すぐに心は昼食へ飛んだようで、さて何を食うかなと呟いた。 訪れたマミーズはさすがにすいていて、客も数えるほどにまばらだった。それでも学生服の姿がちらほら見えるのは、同じようにサボって来ている生徒たちだろうか。 「いらっしゃいませ〜、マミーズへようこそッ!」 「よォ」 元気よく迎えてくれた舞草に、皆守は相変わらずの無愛想さで応えてみせた。 「よォ―――って、あの〜、今は午後の授業中じゃ?」 タイムスケジュールは頭に入っているらしく、舞草が訝しげに首を傾げる。皆守はこともなげに、今日は自習だと告げた。 「自習ゥゥゥ〜ッ! なんて素晴らしい響きなんでしょ、あたしもサボってみた〜い。でも店長にクビにされたら困るし、う〜ん、う〜ん……あ、すいません! え〜と、それでは何名様ですか〜?」 勝手に盛り上がる舞草を微笑ましく思いながら、九龍は二人と答えた。見ればわかることだろうに、マニュアルなのだろう。満面の笑顔で、彼女は奥の席を案内してくれた。 「店員はさておき、學園の中にあるにしちゃいい店だろ?」 四人席の対面に座りながら、皆守が言ってくる。そういえば、と九龍は思った。 そういえば、皆守と来るのは初めてではないだろうか。むしろ、誰かと訪れるのが初めてのような気がする。昼は大抵屋上でパン食だし、夜は誰とも時間が合わず一人だったり、寮で自炊したりして簡単に済ませてたし。 「ここにいると學園という閉ざされた黄昏の町にいることを、一時でも忘れられるからな」 「……た、黄昏の町?」 なんだそりゃ、とオウム返しにしてしまったが、皆守は至って真面目な顔をしていた。……なんか、こいつって時々詩人化するよな。そんな言い方するほど、この學園が好きじゃないのかな。 「俺は、いつもの」 メニューも広げず言う皆守に、注文を取りに来た舞草は不服そうに唇を尖らせる。 「あの〜、いつもの、というメニューは当店にはございませんが〜」 「あー、カレーだよカレー。カレーライス。葉佩、お前はどうする?」 舞草をあしらうと、どうすると聞いておきながらも、皆守は九龍が見ていたメニューを取り上げた。勝手にページをめくって。 「まァこの店で俺のオススメといえば、この辺りだな」 強引に指されたのはカレーライス、カツカレー、カレーラーメン、カレー定食の四品である。な、なんだそのカレー尽くしな四択は。 「じゃあ俺もカレーライスで……」 「ははッ」 とりあえず無難に定番を選ぶと、声に出して笑われた。何事かと思えば、皆守が珍しく嬉しそうな笑顔を浮かべている。 「やっぱり、デフォルトでカレーライスだよな? さてはお前もカレー通だろ?」 いや、別にそんなことはないんだけど。そうは思ったが、本当に嬉しそうだったので黙っておいた。ああ、皆守ってカレーパン好きだったっけ。きっとパンに限らず、カレーが好きなんだろうな。自分が好きな物を人も好きでいるって、確かに嬉しいもんな。 「カレーライスお二つですね? ご注文を承りました。それでは少々お待ち下さいませ〜」 厨房に向かう舞草を追っていると、ポケットの中で《H.A.N.T》がメールの受信を告げた。おっとマナーモードにし忘れてた、九龍は慌ててそれを取り出す。 「……メールか?」 「みたいだ。誰からかな、と」 わずか眉を寄せた皆守の表情に気づかず、九龍は《H.A.N.T》を開いた。受信メールの件名は、『石が好き』。 「……」 無言でマナーモード設定にすると、それ以上見もせずに《H.A.N.T》を閉じた。まったく、件名だけでわかるよ差出人。なんか、内容も大体想像できるし。 「どうした? 読まなくていいのか?」 苦笑を引きつらせた九龍に、皆守が訝しげに聞いてくる。 「ああ、後でいいよ。今は皆守といるんだし」 いつでも読める記号の羅列より、目の前にいる生身の人間との時間を大切にしよう。そう思った九龍は《H.A.N.T》をポケットにしまい、顔を上げて、なんだか目を見開いている友人と目が合った。 「ん、どした?」 何か変なこと言ったかなと首を傾げると、皆守は瞬きをして、視線を外して、なんでもないと呟いた。その時。 墓地、という単語が飛び込んできた。思わず、九龍は耳をそばだてた。会話の元はなにやらこそこそと話し込んでいる、向こうの席の男子生徒二人だ。 「―――ホントだって。オレこの前見ちゃったんだよ! 夜の墓地で、あの墓守が何か埋めてたんだ。その、棺みたいなものを……」 「棺って……」 皆守にも聞こえたらしく、彼らをうかがっているのがわかる。男子生徒は更に声をひそめて。 「まさか、あそこってホントに死体が埋まってんのかよ」 「わかんないけど……何もわざわざ所持品を、棺なんかに入れなくてもさ」 確かに、と九龍も思った。転校初日に予想したように、埋まっているのが所持品でないとすれば、やはり行方不明者本人なのだろうか。あの墓地と遺跡の秘密を知ったがために、《生徒会》に処分された者たちなのだろうか。 「……なァ、確かめてみようぜ」 「けど、そんなことしたら生徒会が……」 「大丈夫だって、バレないようにすりゃいいんだから。それより、ホントに死体が見つかったら大スクープだぜ。新聞や雑誌社に情報売って、一儲けできるかも……」 どうやら、彼らは墓地に忍び込む計画を立て始めたらしい。あまり他人事とは思えずに、九龍はこっそり嘆息する。あいつら、まさか墓を掘り返すつもりなのかな。 「なあ、皆守」 彼らと同じように声をひそめて、九龍は目を眇めている皆守に聞いてみた。 「もし俺が取手に負けてたとしたら、棺に入れて埋められて……」 やっぱり、行方不明にされてたのかな。 質問は、最後まで言うことができなかった。刹那、皆守が表情をなくしたような気がしたのだ。けれどそれは一瞬で、すぐに舞草の明るい声にかき消された。 「お待たせしました〜」 「……お、来たか」 「ありがと、舞草ちゃん!」 運ばれてきたカレーの香りに、どこか張り詰めた空気が一気に和む。九龍は早速空腹を刺激されて、先ほどの会話を忘却の彼方へ追いやった。皆守も例外ではなかったらしい。 「冷めないうちに食おうぜ」 「……あれ?」 待ちかねたようにスプーンを持つ、その手は向かい合った九龍と同じ側、つまり左だ。 「お前、左利きだったっけ」 「何を今頃……」 皆守は軽く苦笑して食べ始めたが、九龍は少しだけ淋しい気持ちになってしまった。カレーが好きだとか左利きだとか、そんな些細なことすら知らない自分に気づいたのだ。そりゃ、まあ、出逢ってまだ一週間だけど。それに皆守って、あんまり自分のこと話す奴じゃないしな。 「……《生徒会》には《役員》とは別に、《執行委員》ってのがいるって話はしたよな」 「ん? ああ」 ともあれ、がっつく勢いで目の前のカレーを食べていると、皆守が思い出したように言った。 「文字通り、《生徒会》の決めた規則を執行する役目を負っている連中だ。一般生徒の中に紛れ込んでいて、普段は誰がそうなのかわからない」 「取手がそうだったように?」 「……ああ。常に俺たちを監視していて、いざとなれば処罰するというわけさ」 まったく、ロクでもない學園だぜ。喋りながらも皆守は着々とカレーを片付けていて、本当に好きなんだなと感心してしまった。 やがてほぼ同時に綺麗に平らげて、水を飲んで一息ついた。食後の煙草さながら、皆守がアロマに火をつける。うう、なんかカレーとラベンダーの匂いってミスマッチ。九龍はそう思ったが、皆守は気にせず煙を吐いた。 「わかるだろ? 俺が《生徒会》に目をつけられないようにしろって言った意味が。まァ、どこに監視の目があるかわからないし、気をつけようもないかもしれないが―――」 「……ふふふッ」 突然重なった笑い声に、皆守が言葉を切った。何気なくその声の方を見やって、九龍は一瞬我が目を疑った。店の入口近く、佇んでいる一人の女生徒。……えーと、同じ天香學園の生徒だよな? そんな感想を抱いてしまうほど、彼女の制服は改造されていたのだ。 黒いヘッドドレス、マント、袖や襟につけられたレースなど、いわゆるゴシックロリータという格好なのだろう。更に腰辺りまである長いソバージュの金髪、白すぎる肌や際立った大きな目、長い睫毛、濃いめの紅が引かれた唇のせいで、少女は本当に可愛らしい人形のようだった。 くすくす、と少女が笑った。無邪気な笑顔だったが、無邪気すぎるがゆえに、かえって邪気があるように感じられた。視線はさっきの男子生徒二人に向けられていて、微笑んだまま、少女は店を出ていった。 「あいつ……」 皆守が呟く。なんだ、ひょっとして知ってる子か。九龍がそう思った時。 「……おい、見ろよ」 男子生徒が訝しげな声を上げた。彼らのテーブルの上に、赤いリボンに包まれた小さな箱が置かれているのが見えた。 「なんだこの箱?」 「さっきまでこんなのなかったよな……おーい、奈々子ちゃーん。コレ何?」 二人は不思議そうに舞草を呼んで、そのプレゼントボックスを指した。やってきた舞草が、何気なくそれに触れて。 「あら、何でしょうこの箱は―――あひゃあああッ!」 唐突に、手を引っ込めた。絶叫して、驚いたようにトレイを落とす。 「は……はこはこはこはここの箱ッ、何かものすごく熱いんですけどッ! これこれこれってまさかば、ばくばく爆」 「爆弾?」 「何だって!」 「キャーッ!」 「どどどどうしましょうコレコレコレコ」 店中に一気にパニックが広がる中、九龍はその箱から上がる薄い煙に気づいた。かすかな薬品臭―――危険信号。 「落ち着け馬鹿ッ、いいからそこから離れて伏せろッ!」 立ち上がった皆守が舞草に怒鳴り、葉佩、と呼びかけてきた。何も考えられなかった。九龍はとっさに彼に飛びついて、テーブルの陰へ押し倒していた。 「なッ……」 驚いて見上げてきた皆守を一瞥し、九龍は更に飛び出そうとした。真っ先にかばうべき舞草は、まだ爆弾のそばに立ち尽くしている。間に合うかと体勢を整えた、それよりも早く。 「これはいけませんね」 低く、渋い老人の声がした。見上げるとバーテンダーと思しき、眼鏡をかけた白髪の男性が立っていた。 「あなたも伏せていなさい」 九龍にそう言うが早いか、箱をつかんで窓の外へ投げる。箱は派手な音と共にガラスを割り、その向こうで小爆発を起こすのが見えた。うおお、危機一髪。 通行人に当たったりしなかっただろうな、などと思いながらそれを眺めていた九龍は、少々乱暴に倒してしまった友人を振り返った。火薬じゃなくて薬品を利用した爆弾みたいだったから、そんなに殺傷力はないだろうけど。 「大丈夫か皆守?」 「―――ッ、お前……!」 「え?」 安堵に差し伸べた手が、拒否するように払われる。皆守はどうやら怒っているらしく、睨みながら声を荒げた。 「馬鹿か、お前は! 俺なんかかばう必要はないんだよ!」 「必要って……」 なんだその言い方、と九龍も怒りを煽られる。 「んなこと考えてる余裕あるか、かばいたいからかばっただけだ馬鹿!」 反論は予想外だったのか、皆守が絶句するのがわかった。なんで助けて馬鹿呼ばわりされなきゃならないんだ、そりゃフェミニストとしては馬鹿だったかもしれないけど、一番近かったのがお前なんだよ馬鹿アロマ! 「……さて、みなさん大丈夫ですかな?」 バーテンダーの老人がため息をついて、穏やかな笑顔で店内を眺めた。マスター、と舞草が安心したように息を吐く。客の無事を確認した彼の瞳が、ふと九龍を映して微笑んだ。 「おや、そちらの方はもしかして―――」 「ああ」 語尾を奪うようにして、皆守が不機嫌そうに答えた。 「うちのクラスに転校してきた、葉佩九龍だ」 何でお前が俺の紹介するんだよ。そう思って睨みつけたが、皆守はそっぽを向いてアロマを吹かしている。 「そうですか、私は學園内にある《バー・九龍》の店主で千貫厳十郎と申します」 「カオルーン? って、九つの龍?」 「はい、漢字で書くとあなたと同じ名前ということになりますね」 せんがん・げんじゅうろうと名乗ったバーテンダーは、にこにこと九龍に答えてみせた。どうやら皆守が紹介するまでもなく、転校生のことは知っていたようだ。 「私のところの営業は夕方からですから。忙しいお昼時は、時々ここでお手伝いをさせていただいてるんですよ。天香學園へようこそ葉佩さん。これからどうぞ、よろしく」 「あ、はい、どうぞよろしくです。てか、學園内にバーがあるんですか?」 アルコールしか置いてないわけではないだろうが、それでも學園という場所には珍しいような気がする。違和感を感じた九龍は、ここが閉ざされた敷地だったことを思い出した。そうかなるほど、先生たちのための店か。 「教師だけではなく、俺たちも行っていいことになってる。ただし、牛乳しか飲ませてもらえないがな」 「当然ですよ」 つまらなそうな顔で言う皆守に、千貫は穏やかに笑ってみせた。 「若人には牛乳が一番です。うちの坊ちゃまも、小さい頃から私が牛乳でお育て申し上げましたから。今は大変丈夫で大きく、立派な若人になられたんですよ」 「これは、何としたことじゃああァッ!」 その時突然ドアを開けて、怒鳴り込んできた老人がいた。校務員の境である。 「外を通りがかってみれば、派手にガラスが割れとるではないか! まったく、儂の仕事を増やしたのはどこのどいつじゃ!」 鋭い視線が客を見渡して、お主か、と言いたげに九龍で止まった。おい待て、何か問題があれば真っ先に疑われるのは俺なのか? 転校生だから? なんかそれって、転校生差別! 「違うんです〜」 睨み合う境と九龍の間に、慌てたように舞草が割って入る。 「爆弾みたいなのが突然爆発して〜奈々子怖かったですゥ〜」 猫撫で声は素なのか計算なのか、境は即行で懐柔されたようだった。そうかそうかと言いながら、そのままセクハラへ突入しようとしている。呆れた千貫が更に割って入り、それを制した。 「やれやれ、まあ少し落ち着いて下さい境さん。お騒がせしてすみませんね」 「む、千貫の……謝るということは、このガラスはお主が割ったんじゃな?」 瞬間、境が敵意をむき出しにした。千貫は物ともせず、微笑しながら頷く。 「ええ。あなたが公共物の管理をされるのが仕事のように、この場にいた生徒さんたちを守るのは私の役目ですから」 「なかなか言うのう、このモウロクバーテンダーが」 「いえいえ、それほどでもありませんよセクハラ校務員さん」 「……」 「……」 二人の間に、見えない火花が散った気がした。どちらも顔は笑っているだけに怖い。 「うわ〜、このお二人って、もしかして仲悪いんですか?」 「さあ、聞いたことないが……。ジジイ頂上決戦か?」 「外野は黙らっしゃい!」 呟く舞草と皆守を一喝して、境はモップを持ち直した。 「……仕方ない、外は儂が片付けるから仕事に戻んなさい」 「そうですか、それでは」 「よろしくお願いしま〜す」 千貫と舞草が笑顔で厨房に消えてゆく。何気なくそれを見送っていた九龍は、がしりと襟首をつかんだ皆守の手に引きずられた。うわ、猫じゃあるまいし。 「それじゃ俺たちも―――」 「待てィ」 便乗して逃げようという魂胆だったらしいが、見咎めた境に道を塞がれてしまう。 「お主らは儂の手伝いじゃ。どうせ、授業をサボってここにおるんじゃろうが。それならば、たまには大切な學舎のために働いてみたらどうじゃ」 どうも転校生というだけで目をつけられているようで、九龍はこっそり嘆息した。サボってここにいるのは俺たち二人だけじゃないんだけど。そう思ったが、おとなしくわかりましたと頷いておく。下手な波風は立てない方がいい。 「……ちッ、俺は付き合わないからな」 つかんでいた手を離し、皆守は呆れたように踵を返した。九龍が声をかけるも、そのまま店を出ていってしまう。まあ、予想どおりの反応か。 「なんじゃ、友達甲斐のない男じゃのう」 「まったく、おっしゃるとおりで」 ドアを見つめる境の呟きに、九龍は肩をすくめてみせた。 渡されたモップで真面目に片付けて、ようやく解放された頃は既に休み時間に突入していた。次の授業は出席しておかないと、八千穂ちゃんがうるさいんだろうな。見送ってくれた舞草に手を振りつつ、どっと疲れた気分で店を出ると。 すぐそこに、皆守がいた。九龍を見て、わずかな笑顔を浮かべて。 「よう、遅かったな」 「遅かったなって……お前、まさか待っててくれたのか?」 口にしてみたその事実は予想外で、思わずぽかんとしてしまった。とっくに校舎に戻ったと思っていたのだ。またどこかで惰眠を貪って、そのまま放課後までサボるに違いないと。 「なんだ、知ってたらもっと早く終わらせたのに。やっさしいなあ皆守ってば!」 「……別に、お前を待ってたわけじゃない」 九龍の満面の笑みに、アロマを燻らせていた皆守の視線が揺らいだ。 「ただ教室に戻るのも、掃除をするのも面倒だっただけだ。それで、たまたまここでぼんやりしてたら、お前が通りがかったってわけだ」 「へー。たまたまここでぼんやり、ねえ」 「……それだけだからなッ」 言い捨てる口調はわかりやすすぎて、九龍はますます嬉しくなってしまった。照れ屋の友人は眉間に皺を寄せて、憮然としてこちらを睨んでいる。それを覗き込むように。 「皆守ってさ、ホントそういう嘘が苦手―――うげッ!」 言いかけた台詞と息が、腿を蹴られた衝撃で詰まった。黒塚の時脇腹に入ったそれよりは弱いとはいえ、痛いことに変わりはない。うーわ、照れ隠しに蹴るのかお前は。 「はいはい、皆守さんの足の長さはよくわかりましたからもう!」 ホールドアップで降参の意を示すと、皆守はふんと紫煙を吐いた。それよりも、と呟いて視線をマミーズに向ける。 「それよりも、さっき物騒な話をしてた奴ら。あれはうちのクラスの連中だ」 固い口調に、九龍も腿を払いながらそれを追った。 墓地を調べる相談をしていたようだが、早速《生徒会》に目をつけられたということだろうか。見計らったように彼らのテーブルに置かれた爆弾を思い出して、あの人形のような少女を連想する。うーん、あんな可愛い子が爆弾魔? シュールだなあ。 とりあえず校舎に入ろうぜと促す皆守を追いかけた九龍は、一階職員室前でざわめきを耳にした。飛び込んできたのは、悲鳴じみた雛川の声だった。 「そんなのって……おかしいと思います!」 思わず、立ち止まる。どうやら職員会議中らしい。 「食堂で爆発があったんですよ? 幸い怪我人はなかったものの、これは早急に対応すべき件では―――」 「ですから、まずは生徒会に報告書を上げてですね。……いいですか、雛川先生」 なだめて言い聞かせるような声は、学年主任のようだった。 「この學園で起こる全てのことは、生徒会の了解の元にあるのです。恐らくは食堂で不埒な会話をしている生徒でもいたのでしょう。生徒会による処罰であった可能性もありますなあ」 「生徒会……処罰……?」 呻くような雛川に、九龍は同調して唇を噛み締める。この學園では《生徒会》が規則だと、皆守も言っていた。教師の鑑を思わせる雛川のことだ、理解も納得もできないのだろう。 「新任はこれだから困りますな」 「生徒会の指示に従っているからこそ、秩序が保たれているというのに」 さっさと会議を終わらせた教師たちが、次々に職員室を出てゆく。孤立した雛川を思い、九龍は知らず拳を握った。 《生徒会》。教師も生徒も巻き込んで、あの遺跡に関する秘密を學園ごと閉じ込めようとしている組織。 「……行こうぜ、葉佩」 皆守が促した。目を合わせると、彼も苦虫を噛み潰したような顔をしていた。 「……なあ皆守、《生徒会》って何なんだ?」 「俺に訊くなよ……」 独り言めいた九龍の呟きに、皆守はため息を吐いて。 「言っただろ、連中には目をつけられないようにしろって。あまり詮索しない方が身のためだ、それでなくてもお前は夜遊び好きの《転校生》なんだからな」 アロマパイプを持った左手で、突きつけるように諭される。そうやって、前の《転校生》にも色々と世話を焼いてやったりしたのだろうか。九龍が思いを巡らせた時だった。 「よう、甲太郎じゃないか」 かけられた声に振り返ると、階段のところに男が一人立っていた。癖のある短髪と、無精髭に顎の傷。たくましくがっちりとした身体つきに、緑色の半袖Tシャツを着ている。その右肩にかけられているのが学ランだと知り、九龍は少し驚いた。体育教師だと言われても納得してしまうところだった、同じ生徒なのか。 「校舎で顔を合わせるのは久しぶりだな」 人好きのする笑顔で、彼は皆守に話しかけてくる。なんだか癖のありそうな男だなと九龍が見つめていると、笑顔のまま見つめ返された。 「彼が例の転校生か?」 「あァ……そうか、葉佩はこの先輩に会うのは初めてだったな」 先輩、と強調して皆守が笑った。男は大げさに肩をすくめてみせる。 「おいおい、同級生に向かってそれはないだろう」 「同級生?」 「ああ。こいつは物好きにも、俺たちより二年も長く高校生をやってるのさ。名は、夕薙大和」 頷きながら、皆守が説明してくれた。ゆうなぎ、やまと。二年も長くということは、彼は既に二十歳になるのだろうか。 「一応、同じクラスだ。俺より教室にいる率は低いがな」 「え? 皆守よりもサボり魔ってことか?」 思わず口にした何気ない感想だったが、夕薙はやれやれとため息をついた。 「甲太郎……初対面の人間の前で、言いたい放題言ってくれるな」 「事実だろ、大和?」 そのやり取りを聞きながら、九龍はふと気がついた。皆守と、名前で呼び合う生徒は初めてではないだろうか。確かに二人とも、大人びた雰囲気をまとう共通点がある。もしかすると、一番気の合うクラスメート同士なのかもしれない。 「君も海外から来たそうじゃないか」 意外に思って皆守を見ていると、夕薙が話しかけてきた。 「俺も父親の仕事の都合で海外をあちこち回っていたんだが、その間に身体を壊したりなんだりして、日本に戻ってきたんだ。単位不足で進級できずに、前の学校にも少々居づらくなっていたところを、一年前、この學園に受け入れてもらったってわけだ」 「……じゃあ、俺と同じ《転校生》だったわけか」 親近感を覚えて、九龍は言いながら笑顔になった。まさか同業者ってことはないだろうな、そんな警戒心も抱いてしまったが。 「なんだかんだで入る間口は広い學園だからな。色々訳ありの奴が揃うのも、当然といえば当然か」 ひとりごちる皆守の目が、ちらりと九龍を一瞥する。……訳ありってお前、それ俺のこと言ってんのかよ。 「まあ、人にはそれぞれの事情ってのがあるものだ。そうだろう、《転校生》君?」 「え」 唐突に同意を求められて驚くと、夕薙はどこか意味深に微笑んだ。 「君の噂も色々と聞いてるよ」 「う、噂?」 思わず引け腰になりながら、九龍は曖昧に苦笑してみせた。その台詞の裏にあるものを読もうとするが、余裕のある微笑は何を考えているのかわからない。それ以上夕薙が何も言わないのを見て、皆守が話題を変えた。 「それで、これから授業が始まるってのにどこへ行くんだ?」 「―――ああ」 頷いて、夕薙は笑顔を翳らせる。 「五時限目は久しぶりに授業を受けに出たんだが、やはりまだ身体があまり本調子じゃないらしい。まったく、情けない話だよ」 いかにも丈夫で強そうに見えるのだが、なるほど二年も長い高校生活は健康上の理由だったようだ。どこが悪いのか知らないが、人は見かけによらないなと九龍は思った。 「悪いが、一足先に寮に戻るよ。それじゃまたな、《転校生》―――いや、確か葉佩だったな。そのうちゆっくり話でもしよう」 「ああうん、またな」 手を挙げて答えると、夕薙は笑って去っていった。その背中を眺めながら、皆守が呟く。 「何を考えてるかわからないって点じゃ、あいつも白岐並みに謎な奴さ」 そういうお前も、よくわからない奴だけどな。思わずツッコミを入れたくなった九龍だが、それよりも気になっていた疑問を口にした。 「夕薙が転校してきた時も、皆守は色々と世話焼いてやったりしたのか? 今の俺にしてくれてるみたいに」 「……別に、お前の世話を焼いてるつもりはない」 心外だと皆守は眉を寄せ、すぐ馬鹿にしたような笑みを浮かべて。 「まあ、大和は見てて危なっかしい転校生じゃなかったからな。お前と違って」 「……」 明らかに皮肉を交え、お前と違って、と強調されてしまった。反論できない九龍は、皆守を睨んだまま仏頂面になる。確かにあの夕薙と比べれば、なんだか納得させられてしまうのが悔しい。 そんな九龍をおもしろそうに眺めて、皆守は教室に向かう階段を踏んだ。半ばで、思い出したように足を止める。 「そういえば、さっきのメールは何だったんだ?」 「メール? ああ、マミーズでの」 同じく足を止めて、忘れてたと九龍は苦笑した。何気なく聞いてきた皆守を振り返り、見下ろしながら肩をすくめる。 「石が好き、だってさ」 「石……」 それだけでわかったのか、皆守も苦笑した。そのままゆっくりとアロマを吸って、背を向けた九龍に声をかけてくる。 「葉佩」 「ん?」 再度振り返ると、すぐ間近に皆守がいた。階段の段差のせいで、眠そうな目線は九龍を見上げる形になっている。うかがうような探るような、その瞳を新鮮に感じていると。 「……ッ!」 突然、顔に向かって息を吹きかけられた。鼻腔を直撃する、ラベンダーの強い香り。 「な、何す……!」 ラベンダーだけではない、カレーの匂いも混じっているような気がして、九龍は激しくむせてしまった。な、なんなんだ一体! 涙目で訴えてくる友人に構わず、もう一度アロマを吸って皆守は階段を上がってゆく。すれ違いざま、かすかな独り言を置き去りにして。 「……気に入らないな」 立ち止まって咳込んでいた九龍に、その苛立ちは届かなかった。
→NEXT 3rd. Discovery#3 |