木乃伊は暁に再生の夢を見る

3rd. Discovery #3










 六時限目、化学。
 教室の前で目を離した隙に、また皆守は消えていた。ダルダルなのに逃げ足だけは速いんだから、と八千穂が怒る。
「授業サボってばかりいると、どんどんサボり癖がついちゃうよ。せっかく同じクラスになったんだもん、みんなで一緒に卒業したいじゃない?」
「……そうだね」
 同感ではあったが、九龍は曖昧に笑っておいた。
 きっと、その前にあの遺跡の調査は終わるだろう。進路に悩むことも、受験勉強に追われることもなく、自分はここを去るのだろう。帰る場所などない。ただ、次の《秘宝》を求めて遺跡に潜るだけだ。
「じゃ、実験始めようか」
 そんな九龍に気づくことなく、八千穂は楽しそうにビーカーを掲げてみせた。らしくもなく感傷的になっているのは、また移ってしまった花の香りのせいだろうか。そう思った時。
「何だ、この箱?」
 教室の奥で、男子生徒の声が上がった。箱、と九龍が第六感を弾かれた次の刹那には、爆発音が轟いていた。
「え、な、何?」
 一気に、生徒たちが騒然となる。男子生徒の悲鳴が上がる。耳が、耳がという叫び。
「大変、早く保健室に行かなきゃ!」
 慌てる八千穂の声に、幼い笑い声が重なった。まただ、と九龍は声のした方を振り返る。思ったとおり、あの人形のような少女が教室の扉から覗いている。くすくす、と無邪気な笑顔。
「あの子、A組の椎名サン……?」
 八千穂も気づいたのか、扉から姿を消した少女を見つめて呟いた。マミーズの爆弾騒ぎに続いて、もう間違いないだろう。―――執行委員だ。
「あ、ちょっと葉佩クン!」
 駆け出して追いかける九龍に、八千穂も慌ててついてくる。
「ね、待って! 椎名サンだよね!」
 すぐそこで追いつくと、少女は緩慢に振り返った。あら、と小さな唇が紡ぐ声は、ふわふわと間延びして囁くように。
「リカのこと、ご存知なんですかァ? ふふふ、そちらが噂の《転校生》さんですのね」
 マントの裾をつまんで、小首を傾げて挨拶される。
「はじめまして。A組の椎名リカと申しますゥ」
「……ども。噂の葉佩九龍です」
 少し皮肉げに自己紹介したが、椎名には伝わらなかったようだ。仲良くして下さいですゥと無邪気に微笑まれた。
「椎名サン、さっきはどうして理科室を覗いてたの?」
「ふふふ、あの人たちは、校則を破った悪い人たちなんですの。だから、罰を下さなくてはならなかったんですゥ」
「罰って……どういうこと? まさかあの爆発、アナタがやったの?」
「えェ」
 強くなった八千穂の口調を物ともせず、椎名はあっさりと肯定した。同じだ。取手もそうだった。人を傷つけることに何のためらいもなく、罪の意識もないままに、ただ《墓守》の本能に捕らわれて。
「リカはァ、何でも爆発させることができるんですの。分子と分子をォ、ぶるぶる〜っとさせて、蒸気がしゅわ〜って出て、それでバーンですの」
「……えーと?」
 詰問しようとしていた八千穂は毒気を抜かれたらしく、きょとんと椎名を見つめた。何でも爆発させることができる、それが彼女の得た《呪われし力》なのか。関係のない人間まで巻き込む可能性がある、危険な力ではないか。
「試しに、あなたたちもバーンってなってみますかァ?」
 笑顔に、ざわりと鳥肌が立った。楽しんでいるようにも見える分、これは取手よりもひどいかもしれない。思わず後ずさると、また可愛く微笑まれた。八千穂が割って入る。
「ダメだよ、そんなこと! だって、もし死んじゃったらどうするつもりなのッ?」
「『死』、ですかァ?」
 椎名は頬に両手を添えて、可愛らしく小首を傾げた。
「それだったら、別に構わないと思いますゥ〜」
「構わない、って……」
 絶句した八千穂に、九龍も言葉を失った。あまりにも軽すぎる彼女の口調と、続けられた台詞が戦慄を連れてくる。
「だって、それならお父様がいくらでも代わりを用意してくれますの。『死』なんて、全然大したことではないですわよねェ?」
 ―――なんだ、それは。
 九龍は愕然としながら、人形のような少女の視線を受け止めた。まっすぐ貫いてくる栗色の瞳は、透明で綺麗なガラス玉に似ている。穢れなき無邪気さを湛える、幼い子供のような。
「……どうして、そんなお顔をするんですの?」
 何も言えない九龍に、椎名が訝しげに聞いてきた。何か言わなくてはと思うのだが、言葉が紡げない。
 取手は《宝》を差し出して、姉の死を忘れた。椎名も、同じ《執行委員》だ。何かを差し出すことによって、『死』という概念そのものを封印したということだろうか。
「……人の『死』ってのはな、そんなもんじゃない」
 突然、静かな声が響いた。どこにいたのか、階段を降りてきた皆守だった。皆守クン、と呟いた八千穂には目もくれず、真剣な表情で椎名を見つめている。
「死んだ奴には、二度と会えない。誰も、そいつの代わりになんてなれない。……お前は、本当に『死』の意味がわからないのか?」
 責めるわけでもなく、諭すわけでもなく。続けられたそれはただ、淡々とした確認だった。椎名の微笑がわずかに曇る。弱々しく、首を振る。
「……嘘ですわ、そんなの……」
「嘘なんかじゃないさ。なァ、葉佩?」
「……」
 そのまま視線を向けられて、九龍は無意識に顔を歪めていた。小さく疼いた痛みに、胸を押さえていた。
 ―――二度と、会えない。誰も、代わりになんてなれない。だから。だから、俺が。
「お前も知ってるのか。その痛みを……」
 うつむいた顔を上げると、似たような感情を浮かべた目とぶつかった。お前も、と皆守は言った。彼も、誰かを亡くしたことがあるのだろうか。同じ痛みを感じたことがあるのだろうか。
「一体……一体、何ですの? 急に出てきて、わけのわからないことばかり言って……」
 降りた沈黙に、椎名も心なしか動揺したようだった。むずがるように首を振って、早口で反論する。
「あなたたちの言うことは、全部でたらめですわッ。リカは知ってるんですの、死んだ人を死の国に迎えに行くことができるって、あの遺跡の中に書いてあったんですものッ」
「何……?」
 遺跡、という言葉に反応した皆守に、椎名は艶然と微笑んで。
「伊邪那岐の神様は、伊邪那美の神様が死んだ時、ちゃ〜んと死の国である黄泉まで迎えに行ったんですのよ。だからいずれお父様が、お母様もベロックもお友達も、何もかも全部リカのところに連れて帰ってきてくれるんですもの」
「お前……」
「あなたたちなんて、リカ、大ッ嫌いですわ。それでは失礼しまァす」
 台詞の強さとは裏腹に、ちょこんと可愛くお辞儀をして、椎名は振り返りもせず去っていった。九龍と皆守は黙ってそれを見送っていたが、一人、八千穂が憤慨したように言った。
「もォ〜、わけわかんないッ。どうしてあの子はあんなことするの? どうしてあんな―――
 半ばで彼女も悟ったのか、言葉をなくして口元を押さえる。まさか、と呟いて。
「まさか、あの子も取手クンと同じ……?」
「……ああ」
 問いかけられて、九龍は力なく頷いた。遺跡のことを知っていた。決定的だ。《転校生》の噂を耳にしながら接触してこなかったのは、今まで様子を見ていたということだろうか。
「大ッ嫌いですわ、だってさ」
 嫌われちゃったみたいだね、と八千穂に笑いかける。これで椎名は《転校生》を処分しようと動き始めるかもしれない。けれど。
 皆守の言葉に怯んだ彼女の動揺を、九龍は感じ取っていた。死んだ人間はいずれ『お父様』が連れて帰ってきてくれる、そう信じたがいがゆえに、頑なに主張しているように見えた。
 きっと、彼女も知っているのだ。身近で『死』を経験したことがあるのだ。だからこそ、その痛みを否定しようとして。忘れようとして。
「……葉佩―――
 黙り込んだ九龍に、皆守が声をかけてきた。椎名に対した時と同じ、静かな響きだった。
「お前が何をしにこの學園に来たのかなんて、俺にはどうでもいいことだ。だがな、死にたくなければもう、あの遺跡のことは忘れろ」
「……」
 命令じみた語尾には、どこか切実な何かが含まれていた。九龍はすぐに答えられず、その瞳をじっと見つめる。あの目だ、と思った。取手のことは放っておけと言った、あの冷たく乾いた瞳。
「……忘れられると思うか?」
 しばらくの沈黙の後、ふ、と笑みが漏れた。
「《宝》があるなら、探して見つけるまで。それが古代の《秘宝》でも、取手や椎名が差し出した《宝》でも同じことだ。―――俺は、《宝探し屋》なんだからな」
 そんなつもりはなかったのに、少しだけ突き放した口調になった。皆守は視線を外して、絞り出すように言葉を吐く。
「……嫌なんだよ。面知ってる奴が死ぬってのは」
「皆守……?」
 ―――それは、過去に誰かが死んだからか。
 言いかけた憶測を、九龍は喉の奥に飲み下した。お前の知っている誰かが、以前《生徒会》に処分されたのか。それは、やっぱり《転校生》だったのか。珍しく苦しげな、彼の表情に躊躇した。きっと、触れてはいけない傷口なのだろうと思った。
「ちッ。何言ってんだかな、俺も」
 見つめている九龍に気づき、皆守はごまかすように舌打ちをした。踵を返して、背中を向けて。
「……チャイムが鳴ったら、いつまでも校舎に残ってないでさっさと帰れよ」
「皆守クンッ」
 八千穂の呼びかけも無視して、そのまま去っていってしまった。追うように、チャイムが鳴り響く。
「あ……授業、終わっちゃった。もう放課後だね」
 部活行かなきゃな、と呟く八千穂と共に、九龍はとりあえず教室に戻った。爆弾騒ぎでざわめく生徒の中に皆守の姿はなく、既に帰ってしまったようだ。ため息をつきながら支度を整えると、下校の鐘が鳴るところだった。
 八千穂と並んで、校舎を後にする。夕焼けの中庭に立ち止まると、彼女がぽつりと言った。
「あの遺跡って、何なんだろう」
 墓地を眺める視線を追い、九龍も遠く思いを馳せる。
「……椎名サンが取手クンと同じ生徒会執行委員なら、椎名サンの大切なものも、あの遺跡の中にあるってことだよね」
 大切なもの。それを取り戻せば、椎名は『死』の痛みを思い出すのかもしれない。封じれらた《宝》と、また取り憑いているだろう《黒い砂》。ならば、彼女との戦いは避けられないということになる。
 そうやって次の扉を開くために、《生徒会》の人間を退けて。力づくで進んで、進み続けて。
 ―――最後に自分が得ようとしている、《秘宝》とは一体何なのか。
「ね、葉佩クン」
 考え込んでいると、八千穂が微笑みながら覗き込んできた。
「まだ転校してきて少ししか経ってないけど、葉佩クンとあたしはもう友達、だよね?」
「……なに、今更」
 突然の確認に、当たり前じゃないかと笑ってしまった。九龍の即答を聞いて、八千穂は更に笑顔を輝かせる。
「皆守クンだって葉佩クンのこと友達だと思ってるから、あんなこと言ったんだよね」
「……そう、だな」
「ね、だからさ。皆守クンも、葉佩クンが困ってたらきっと力を貸してくれると思う。あたしもそうだから」
 テニスコートから声をかけてきた女生徒たちに手を振って、八千穂は笑った。
「それじゃあたし、部活行くね。何かあったら連絡してね。その代わりあたしも、困ったことがあったら葉佩クンに相談するからッ。じゃ、またね!」
 駆け足で去ってゆく八千穂を見送り、九龍は少し苦笑した。つまり、墓地に行くなら声をかけろということだろう。
 椎名は、待っているだろうか。墓を侵す《転校生》を処分するべく、執行委員として《墓守》として、あの扉の奥にいるだろうか。遺跡を守るため、自らの《宝》を守るため。
 ―――死にたくなければ、遺跡のことは忘れろ。
 静かに告げた、皆守の言葉を思い出す。さっき言えなかった台詞を、脳裏の友人に呟いてみる。俺は大丈夫だよ、皆守。死にたくないとか、そう考えること自体が既に死を招いていると思うんだ。だから、俺は大丈夫。根拠? うーん、《宝探し屋》のカンってやつかな。信じろよ、これでもプロなんだぜ?
 必ず反論してくるだろうしかめ面を想像して、九龍は唇を歪めた。微笑と、自嘲。そうだ、自分はプロだ。プロならプロらしく、一般人は巻き込むべきではない。
 更に椎名の武器である爆弾は、広範囲に危険が及ぶ可能性が高い。守るものがあれば人は強くなれる、それは経験上の真理だが、それだけ負担がかかることもまた事実だった。
 ―――皆守と八千穂ちゃんは連れてゆけない。やっぱり、独りで行こう。
 決意して、九龍は《H.A.N.T》を握り締める。ここしばらくはバイトで単身潜っていたわけだし、苦になることはない。大体、最初からそのつもりだった。それが当然なのだ。普通の高校生を伴い、協力を得ること自体が異常だったのだ。何か、特殊な技能を有する者ならまだしも。
 そう思った時、絶妙のタイミングで《H.A.N.T》がメールを受信した。その特殊な技能を持つ、取手からだった。




『君の力になれればいいんだけど』
 探索を誘ってみた取手の返事は、興奮したように是の意を告げていた。恩返しをしたい、と書かれていた。……いや、恩なんてとんでもないというか、うう、なんか調子狂う。
 簡単に夕食を済ませて寮に戻った九龍は、複雑な心境で銃の手入れをしていた。執行委員の力を失っていない取手は、一般人である八千穂や皆守よりもきっと役に立ってくれる。任務遂行を優先するプロとしての、そんな打算もあったのに。
 その時、遠慮がちなノックの音がした。銃の部品を広げたままだった九龍は、わずか緊張して返事する。俺だ、と答えがあった。
「……皆守?」
 驚いて、ドアの鍵を開ける。いつもの部屋着ではなく、まだ制服を着たままの彼がそこに立っていた。
「……墓地に行くのか」
 床に広げたままの武器を見て、かすかに眉をひそめる。とりあえず一番端の部屋とはいえ、誰かに見られたらまずい。九龍は皆守を招き入れて、またドアを閉めた。
「止めに来たのか?」
 構わず手入れを続けながら言うと、皆守はふんと鼻で笑った。
「止めても無駄なんだろ?」
「おや、よくわかってらっしゃる」
 からかうように肩をすくめて、九龍は手早く銃を組み立ててゆく。
「……執行委員が接触してきたからな。多分、次の扉が開いてる。《宝探し屋》としては、未知の領域に踏み込まないわけにはいかないってことで」
「……」
 皆守はしばらく黙ってそれを見ていたが、やがてぽつりと言った。
「椎名を、救うためなのか」
「……ん? ああ、お前はそう思うのか」
「違うのか?」
 あっさり言うと、皆守は訝しげな顔をした。否定はしないけどな、と九龍は笑う。
「取手の時にも言ったけど、つまりそれは結果としてそうなるだけなんだ。俺は単なる《宝探し屋》で、自分が誰かを救うことができるなんて思わない。けど俺が動いて誰かが救われるなら喜んで協力したいし、無視もできない。それだけだよ」
「……」
 皆守は、何も言わなかった。沈黙が降りて、アロマを吐く息の音がして、葉佩、と小さな声が呼びかけた。
「お前は……そうやって救いを求める者、全てを受け入れてゆくつもりか?」
 ―――それは、以前にも言われた台詞だった。
 取手のような人間を、この先もいちいち助けることはできないだろ。あの時は、決めつけられた苛立ちの言葉だったが。
 見上げると、視線が交錯した。ただ無意識のまま口にした、純粋な質問のようだった。九龍を映して揺らぐ瞳は、限りなく透明で何も読めず。
「……うん、まあ、全部が全部救えるわけじゃないだろうけどさ。伸ばされた手は、つないでやりたいと思うんだよね」
 再度うつむいて、作業に専念する。網膜に焼きついた、過去の記憶が蘇る。握ろうとした大きな手。あと数センチで届かなかった指先。―――二度と、後悔しないように。そう思うのは誰かのためではなく、限りなく自分のエゴだけれど。
「……そうか」
 皆守が呟いた。九龍は顔を上げて、わざと明るく言ってやった。
「安心しろ。助けが必要な時は、お前の手もつないでやるからさ」
 銃の部品を置いて、左手を差し出して。にっこり笑った九龍は、一瞬絶句した皆守の表情を見逃さなかった。
 無意識かもしれない。自覚はないのかもしれない。けれど彼はすぐいつもの調子に戻り、アロマを吐いて鼻で笑ってみせた。
「それはありがたいこった」
「当然。皆守のこと愛してるもーん」
 ふざけた九龍の台詞に、皆守は今度こそ絶句する。パイプを落としそうになるほど動揺したらしいその顔を見て、九龍は思わず吹き出してしまった。
「お、お前、今の顔……」
「……笑うなッ!」
 一気に眦を吊り上げた皆守が、怒鳴りながら背中を蹴ってきた。既に慣れてしまった感のある九龍は、はいはいと流しながらも笑いを抑えきれない。
「あはは、なんか嬉しいな、こういうの」
「蹴られて喜ぶな!」
「だって、友達みたいじゃん?」
「何言ってんだ、お前は……」
 もう一度どかりと九龍の背中を足蹴にして、皆守は呆れたようにため息をついた。
「……『みたい』、じゃないだろ?」
「え」
 今度は、九龍が言葉を失う番だった。真意を測りかねて見つめたが、皆守はそっぽを向いてアロマを吹かしている。そのまま思い出したように話題を変えた。
「そういえばお前、独りで行くのか?」
「え? あ、うん、そう思ってたんだけど」
 彼がぐしゃぐしゃと癖毛をかき乱すのは、苛立ちか怒りか照れ隠しの表れだ。また吹き出しそうになりながら、九龍は素直に返答した。
「今日は、取手と二人で行こうと思って」
「取手と? なんで取手なんだ」
「なんでって……元執行委員だし、あの力もまだ使えるし」
 準備と片付けに没頭していた九龍は、その表情の変化に気がつかなかった。驚きの後、わずかに不機嫌をにじませた皆守の目が据わる。
「ほら、椎名ちゃんの力って爆弾だろ? 今度は八千穂ちゃんとかお前とか、普通の人間を連れてくのはさすがに危な、もごッ!」
 突然、九龍の口に何か大きな塊が突っ込まれた。台詞も息も詰まって目を白黒させると、皆守の左手が持つ物体に気づいた。……何? カレーパン?
「な、なにふ、ぐ」
 どこに持っていたのか、早業で袋から取り出したカレーパンを突っ込まれたらしい。何すんだよと文句も言えず、九龍は恨めしげに睨みつけた。彼はアロマと共に、笑んだような吐息で。
「……食ったな?」
「ふぇ?」
「貴重な俺の食料を食いやがったんだ。交換条件だ、連れてけ」
「……へ?」
「そいつに登録できるバディは二人なんだろ」
 言いながら、皆守は顎で《H.A.N.T》を示した。いやまあそうだけど……てか、どういう主張だよ。めちゃくちゃ自分勝手だな。
 とりあえず口の中のパンをかじっていると、皆守が独り言のように呟いてきた。
「……何を言ったって、お前が遺跡に潜ることをやめないのなら仕方がない。確かに、俺には取手のような力はないが」
 肩をすくめて、皮肉げに笑う。
「一度、首を突っ込んじまったんだ。だったら、最後まで見届けるのが筋ってもんだろ?」
「……」
 へえ、皆守がそんな責任感の強い奴だとは知らなかった。そう言ってやりたかったが、頬張ったパンに揶揄は塞がれてしまう。うぐぐ、窒息させる気かお前は!
「じゃ、また墓地でな」
「い、いやいやちょっと待て!」
 九龍は慌ててパンを飲み下し、くぐもった声で呻いた。
「普通の人間を連れてくのは危ないって言っただろ、今更だけど!」
「……助けが必要な時は、つないでくれるんだよな」
 からかうように、皆守が手を伸ばしてくる。にやり、と笑みを刻みながら。
「だったら、危険なことは何もないだろ?」
 なにしろ愛されてるらしいからな、俺は。
 明らかに嫌味混じりの台詞が、九龍の文句を封じ込めた。くそう、かなり動揺してたくせになんだよその反撃は、その余裕は!
 何も言えなくなった九龍に満足したのか、皆守は再度じゃあなと言って背を向けた。ドアを開ける寸前、思い出したように振り返る。
「ああ、カレーパン」
「?」
「明日は、お前が奢れよ」
「……勝手に食わせたくせに」
「食ったのはお前だ。違うか?」
 問答無用で言われて、九龍は仕方なく頷くしかなかった。深く、ため息混じりに。
 やっぱりよくわからない奴だと、その背中を見送りながら。






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