木乃伊は暁に再生の夢を見る

3rd. Discovery #4










 連れてけと言いながらも、皆守は相変わらずやる気がなさそうに見えた。半ば渋々伴って墓地に着くと、先に来ていた取手が笑いかけてくれた。
「皆守君も一緒なんだね」
「そっ。カレーパンの恨みは怖いぞ、取手」
 肩をすくめた九龍を、皆守が無言で睨みつける。取手はきょとんと首を傾げていたが、それ以上追求することはしなかった。
「しかし……《生徒会》もこの入口に気づいてるはずなんだけどな」
 転校初日に発見した形のまま、墓石の下で例の穴はぽっかりと口を開けている。遺跡の秘密を守りたいのなら、彼らは何故、塞ぐことをしないのか。わざと《転校生》を泳がせて、どこまで行けるのか見物しているのだろうか。うーん、ありえるかも。
 ロープを垂らしながら、九龍は周りに誰もいないことを再度確かめた。この一週間、ずっとそうだった。何度か遺跡に潜っているが、その間《執行委員》や《生徒会》はもちろん、あの墓守の老人に会うこともなかったのだ。校則で立ち入りが禁止されているなら、もっと厳しく見張られていてもいいのにと思う。
 ……やっぱりわざと、なんだろうな。監視カメラとかはなさげだけど、今もどっかから見てるのかもしれないし。
 ぐるりと月明かりの空を見渡して、九龍はロープに手をかける。身体を滑らせる寸前、気をつけてねと取手が声をかけてくれた。
『ナビゲーションシステムを起動します』
 《H.A.N.T》音声と共に大広間に降り立つと、遺跡はいつもどおりの静寂に包まれていた。が、中央にある例の光の方向が変わっている。前は北、今回は西だ。
 続いて降りてくる取手と皆守を見上げながら、九龍は示されている方へ進んでみた。思ったとおり鳥居の奥の扉の、石の閂が消えている。恐らく、椎名が開けたのだろう。この先が、彼女の担当するエリアということらしい。
「……こうやって順に開けてって、最後には何が待ってるんだろうな」
 扉に触れて、九龍は小さくひとりごちた。単純に残りの扉数から考えると、あと十人は《生徒会》の人間と対峙しなければならないことになる。その誰もが《宝》を差し出して、何かを忘れた者なのか。―――忘れたいほどの、辛い過去を持つ者なのか。
「僕は……」
 後ろにいた取手が、九龍の独り言を聞きとめた。
「僕はただ、命令されるがままに守ってただけだから、よくわからないけど……」
 気弱そうに呟いた後、まっすぐこちらを見つめて。
「でも、椎名さんも同じだと思うよ。きっと、苦しんでる。誰かが救ってくれるのを、待ってると思うんだ」
「取手……」
「……」
 九龍のわずかな逡巡を払うように、取手が優しく微笑んでくれる。皆守は何も言わず、ジッポーを鳴らしてアロマスティックに火をつけた。
「それじゃ、行くぞ」
 気合を入れ直して、扉を開ける。現れた階段を下り、奥の梯子を上ると、あの蛇が向かい合った大きな扉があった。
「……ここは、僕のいたところだね」
 取手が呟いて、それに触れた。今は開閉可能になっているが、九龍が独りで訪れた時にはどうしても開かなかった、あの部屋の反対側の扉らしい。この遺跡は区画ごとに区切られてはいるものの、どうやら全てはつながっている構造のようだ。《H.A.N.T》に新しい情報を入力して、九龍はそれを横目に階段を上がった。
 扉を開けた次の部屋は、いきなりの闇である。何も見えないことに緊張した九龍は、反射的に五感を研ぎ澄ませた。背後の二人が続いて部屋に入った途端、扉の鍵の閉まる音。
「罠……か?」
 思わず、硬い声で呟いた九龍だったが。
「大丈夫だよ、君がいれば怖くない」
「こう暗いと眠くなるな……」
 臆面もなく素で言う取手と、あくび混じりの皆守に、気が抜けて脱力してしまった。なんというか、マイペースだよなお前ら。
 もちろん、九龍も闇には慣れていた。遺跡を探索する《宝探し屋》にとって、それは常に隣に息づくものだった。不可思議な明かりが存在していた、今までが恵まれていたのだ。特に慌てることも、恐れることもない。
 暗視ゴーグルのスイッチを入れ、用心深く部屋を見渡す。明るい緑色の熱線視界の中、そこは縦に細い通路になっていて。
「……わー、嫌な予感」
 思わず、九龍は棒読みで苦笑した。最初の区画でも見た例の棺が、通路の壁両側にずらりと並んでいたのだ。
 これが全部化人のものだとしたら、隠れるところも何もない部屋で、どう戦うのが一番有利だろうか。考えながら、九龍が先頭でそろそろ進んでゆくと。
 かちり、と床の何かを踏んだ。作動音と、呻き声。―――やはり、化人か。
『敵影を確認』
 《H.A.N.T》音声より早く、九龍はマシンガンを構えていた。視認すると、現れたのは前方に四体、背後に二体。傘をかぶった骸骨のような化け物は、初めて見る化人だ。
「まずいな……囲まれたみたいだぜ」
 気配を感じたらしく、後ろにいた皆守が言った。どういう攻撃を仕掛けてくるのかわからないが、背後の化人はまだ距離が遠い。九龍は瞬時に判断して、近くにいた前方の敵を撃ち抜いた。まず、二体が消滅する。
「姿勢を低くしてそこにいろ!」
 何はともあれ、二人の安全が最優先だ。怒鳴るように告げて、九龍は前方残り二体に向かって飛び込んだ。死すべし、と言う化人の低い声。続いて飛んでくる、投げナイフのようなもの。
「げ、飛び道具かよ!」
 思わず吐き捨てるように言いながら、問答無用で一体を消滅させる。距離があるからと安心してはいられない、できるだけ早く片付けなければ。
―――ッ!」
 避け切れなかった切っ先が、わずか左腕をかすめるのがわかった。制服が裂けただけのようだが、衝撃に痺れが伴う。歯を食いしばった九龍は、もう一体を蹴り飛ばした。倒れたところを足蹴にして、至近距離で弾丸を食らわせる。絶命の表情と、耳にこびりつく断末魔。
 振り返ると、後ろにいた化人が皆守と取手に迫ろうとしているところだった。
「二人とも、下がれ!」
 命中精度の高いMP5だが、近すぎると彼らに当たってしまう危険もある。九龍は身を翻し、銃にセイフティをかけた。近くの一体をコンバットナイフでなぎ払い、もう一体の眉間に突き立てる。過たず、化人の悲鳴。光の塵と化した仮初めの命は、儚く壁に吸い込まれてゆく。
『敵影消滅』
 《H.A.N.T》が告げた。狭い部屋を見渡した九龍は、確認して少しだけ息をついた。本当は視覚、つまり暗視ゴーグルに頼らなくても戦えるのだが、今の自分は独りで行動しているわけではない。文明の利器でも近代兵器でも、使えるものは全て駆使して任務を全うしようと思う。結局、また巻き込んでしまっている一般人―――友人たちのために。
 改めて決意して、二人の無事を確かめるべく振り返る。が、それより早く左腕をつかまれた。その強さに、九龍は一瞬息を飲んだ。
「お前、怪我してないか」
 皆守だった。ゴーグル越し、緑色のレンズに硬い表情が映る。化人の攻撃がかすめたのを、あの闇の中で悟ったらしい。
「……大丈夫、制服が裂けただけ」
 笑ってみせるが、疑うようにそのまま腕を探られた。珍しく真剣なその顔を、もっとよく見たいと思った瞬間に、電池切れを起こしたゴーグルの視界が落ちた。
 突然の暗闇に驚いた九龍が身を引くと、逃げるなとばかりに強引に引き寄せられる。な……なんなんだまったく、大丈夫だって言ってるのに。皆守って意外に世話焼きの上、更に過保護だったりするのかな。
「本当に大丈夫かい?」
 皆守の後ろから、取手の心配そうな声がした。
「少しは、頼ってほしいな。そのために僕らはいるんだから」
「あ……うん、ごめん。ありがとう、取手」
 単独で戦ったことを、咎めるような口調だった。素直に謝ると、納得したのか皆守の手も離れる。一応ぶんぶんと左腕を振ってみて、九龍は怪我のないことを確認した。
 予備の電池はベストに入っていたが、この先また暗視が必要な場所があるかもしれない。九龍はゴーグルを押し上げて、さっき脳裏に叩き込んだ部屋の構造を思い描いた。このまま北に進むと扉、すぐ近くの棺に例の蛇の杖。つまり化人を倒さなければ、脱出できない仕掛けだったようだ。
「とりあえずさっさと出よう。もう敵はいないだろうけど、暗闇が危険なことに変わりないし」
 そばにいた皆守と取手の制服の袖を、手探りで軽くつかむ。こっちだと示して引くと、二人はおとなしく従った。
 杖を引き倒して扉を開け、進んだ次の部屋は広間のようになっていた。またぼんやりとした明かりが周囲を照らしていて、九龍は左二の腕の制服が裂けているのを知る。このくらいなら自分で直せるけど、ツギハギ学ランってものすごい貧乏学生みたいだよな俺。まあ、違いないか。
 情けない顔で破れた度合いを確かめていると、こちらを見ていた皆守と目が合った。
「……大丈夫だってば」
 それがどうも疑いの眼のように思えて、九龍は明るく言ってみせる。皆守はふんとため息をついて、視線をそらした。
 広間には何本かの柱と、西の奥に水のない堀があった。像のようなものも見えるが、まずその手前に置かれた壷が気になった。
「……怪しい壷があるね」
「まあ、これ見よがしだこと」
 取手の声に、九龍はわざとふざけて肩をすくめる。調べようとすると、案の定化人に化けた。
 蜘蛛と、背中にパイプを生やした人型が合わせて四体。そんなに強敵でもなく、わりと楽に殲滅する。残りの弾丸を確かめて一息ついた九龍は、堀の向こうの生首のような像と目が合った。
「うお、びっくりしたー」
 思わず慄きながら、二人に待っててもらって向こう岸へ跳んでみる。表面の古代神代文字から、《H.A.N.T》が伊邪那美の像だと告げた。
「イザナミ……奥さんの方か」
 更に刻まれている文字は、恐らくギミック解除のヒントなのだろう。曰く、『我が心の渇きを炎の涙で満たせ』。
「つまり、堀に水を入れろってことかな」
 呟いて戻ると、隣にオブジェがあった。天井まで届く筒状の柱の中に、液体が満たされているようだ。その前に彫られた炎の模様から、《H.A.N.T》が熱源反応を確認する。延焼剤にて発火可能。
「延焼剤ねえ……お、いい物発見」
 最初の区画で粘土が備えられていたように、ギミック解除に必要な物は予め用意されていることが多い。隅の宝物箱から古びた木炭を取り出して、九龍は二人に示してみせた。
 持っていたティッシュを使い、簡易的に延焼剤を作る。それを見ていた取手が、不安そうに声をかけてきた。
「勝手に燃やしちゃって大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫、ハントちゃんに間違いはなし」
「……随分と信用してるんだな、その機械を」
 半ば呆れたような皆守の台詞に、九龍はにっこり笑って《H.A.N.T》を撫でる。
「まあ《ロゼッタ協会》所属のハンターにとって、彼女は相棒みたいなもんだしね」
「え、女の子だったんだ?」
 手のひらサイズの携帯端末を見つめて、取手が真面目に驚いてくれた。
「だって女性音声だし」
「そっか、そうだね」
「他にも色々設定できるみたいだけど、綺麗なお姉さんの声が一番やる気出るかなって」
「……阿呆か、お前は」
 皆守も、今度は完全に呆れたようだった。
 完成した延焼剤をさっきのオブジェに放り込むと、一瞬だけ燃え上がった炎がギミックを解除した。弁のような仕掛けだったのか、水が流れて堀を満たす。東から、鍵の開く音。
 ほら、大丈夫だったろ。言いながら振り返ると、二人は堀に囲まれた伊邪那美神の像を見つめていた。
「……伊邪那美って、火を司る神を生んだために死んだんだよね」
「お、よく知ってるな取手」
 像を一瞥した九龍は、部屋の隅に落ちていた江見睡院のメモを発見した。例のごとく触れると崩れる危険があったので、《H.A.N.T》で撮影して読み上げる。
『スフィンクスを思わせる伊邪那美の像が、まるで侵入者を監視するかの如く見つめている。スフィンクスは生者の国に向かって立っていると言うが、根の国に堕ち、地上に戻ることを夢見た伊邪那美もまた、生者の国を眺めていたのかもしれない』
「そういえば椎名ちゃんが言ってたね、伊邪那岐と伊邪那美のエピソード」
 伊邪那美の神は火之迦具土の神を生んだ時、産道を焼かれて死んだ。それを知った夫の伊邪那岐は、根の国―――つまり死の国である黄泉まで妻を迎えに行く。
 椎名の言うように、それは古事記の記述通りだ。けれど、彼女はその先を知っているのだろうか。死んだ伊邪那美が帰ることはなく、伊邪那岐は独りで黄泉から戻ったという事実を。
「似たような話がギリシア神話にもあるんだ。妻エウリュディケに先立たれたオルペウスは、彼女を迎えに冥府へ降りる。でも伊邪那岐と同じく、連れ戻すことはかなわなかった」
 死んだ人間に会いたい、蘇らせたいと思う気持ち。それは日本でもギリシアでも、不可能だとする結末に変わりなく。
「古代も現代も同じ、か……」
 誰に聞かせるともなくひとりごちた九龍は、過去の自分に思いを馳せた。まだ子供だった。何も知らずに、無邪気に夢を見た。ねえ父さん、人を生き返らせることができる《秘宝》ってあるのかな。だったら世界中を探して、絶対にいつか見つけてみせるよ。そしたらきっと―――きっと。
「さすが《宝探し屋》だね、葉佩君。歴史とか得意なんじゃない?」
 こっそり自嘲した九龍には気づかずに、取手が尊敬の眼差しを向けてくる。
「あーうん、まあ、それなりに知識はあるけどさ。でも学校の勉強とはまた違うから、得意とは言い切れないかも。取手の得意教科は? やっぱり音楽?」
 取り繕って笑いかけると、取手は照れたように頷いてみせた。
「うん、あと数学と物理……かな」
「へえ、そうなのかー。皆守は?」
「……何で俺に振るんだ」
 扉に向かって階段を下りながら、九龍はずっと黙ったままだった皆守を振り返った。眉を寄せている友人に、負けじと唇を尖らせて。
「コミュニケーションだろー? せっかくバディなんだからさ」
「得意教科を聞いてどうするんだよ」
「んー、テスト前とか勉強教えてもらう」
「めんどくせぇ」
 ラベンダーのため息で低く呟くと、皆守はあさっての方を向いてしまった。それを見た取手が、罪のない笑顔で。
「皆守君は生物が得意だよね。そして音楽が苦手」
「取手、お前な……」
「音楽?」
 皆守の文句を遮り、九龍は嬉々として身体を乗り出してやる。
「ああ、だから音楽の授業は特にサボりがちなんだ?」
「……うるさい」
 苦々しげな舌打ちの後、てっきり例のツッコミ蹴りが飛んでくるかと思ったが、皆守は憮然として黙り込んでしまった。なんだよ、図星だったのか。笑ってしまいながら、九龍は階段下の扉を開ける。と、次の区画はいきなり化人がいた。
 すぐに気持ちを入れ替えて、横にいた骸骨を倒す。そのままパイプの化人二体に銃口を向けるが、とどめを刺す前に銃弾が尽きた。
「取手、頼む!」
 マガジンを入れ替える時間にできる隙を、背後の取手に託して身を伏せる。
「この曲を聴かせてあげよう……」
 囁いて、取手は両手を伸ばした。彼の手のひらにある目の模様の残像が広がり、音に似た衝撃波が飛んで、化人に悲鳴を上げさせる。おお、さすが元執行委員。感心しながら、九龍はコッキングレバーを引いた。
 幸い、柱やオブジェの多い部屋だった。取手に援護してもらって死角を利用し、九龍は確実に残りの化人を倒してゆく。皆守は扉にもたれアロマを吸いながら、黙ってそれを見つめているようだった。
「……葉佩君」
 敵影消滅。《H.A.N.T》音声と共に訪れた静けさの中、取手が興奮したように声をかけてきた。
「本当に、君は……なんていうか、強いんだね」
「そ……そうか?」
 まっすぐな瞳に否定も反論もできず、九龍はただ照れて笑いを引きつらせてしまう。
「うん、戦っているというより……踊ってるみたいに、綺麗だ」
「きれ……うえぇ?」
 うっとりと囁かれて、思わず頓狂な声が出た。な、なんか取手って、恥ずかしい台詞を恥ずかしげもなくさらりと言うけど、天然か、天然なのか? 聞いてる方が恥ずかしいぞ!
 無意識に真っ赤になると、つられたのか取手も頬を染めている。あああ、何なんだこれは、男二人でこの雰囲気は!
 どう打破したものか焦っている九龍の背後から、あからさまなため息が聞こえた。ラベンダーの香りと、大仰な舌打ちが混じる。
「み……皆守さん、なんだか不機嫌?」
「誰が不機嫌だって? 俺は眠いんだよ。早くしろ」
 振り向くと、剣呑な光を宿した半眼と目が合った。だったらついてこなければいいのに、とはさすがに怖いので黙っておく。
「……何か言ったか?」
「いーえ、なんでも」
 じろりと睨んでくる視線を避けて、九龍は探索を再開した。……綺麗、ねえ。そんなこと、初めて言われたぞ。
 だがそれは恐らく、敵が化人だからだろうと九龍は思う。《カァ》を削げば、塵となって跡形もなく消えるだけの存在。これで相手が普通の肉体を持つ生物だったなら、取手は同じ感想を抱くことはなかったかもしれない。―――だからこそ、容赦なく戦えるのも事実で。
 部屋の中央にあった像は、《H.A.N.T》が火之迦具土神の像だと告げた。
『愛しき妻の命を奪いし者、許すまじ。伊邪那岐神は「天之尾羽張」を抜き火之迦具土神の首を斬り落とした』
「あめのおはばり……剣の名前だな」
 呟きながら、九龍はヒントを刻む石碑をなぞる。つまり、それらしき物であの像の首を斬り落とせということか。確かに、伊邪那美の死因は息子の出産だったけど。……はー、神話って凄絶だよね。カグツチ君だって、母親を殺そうとしたわけじゃないだろうに。
 近くにあった扉は開かず、とりあえず狭い通路を奥へと進んでみる。と、また違う像が置かれているのが見えた。《H.A.N.T》が検出した神代文字によると、伊邪那岐の涙から生まれた神、泣沢女神の像。三つの石から作られており、それぞれが回転する仕掛けらしい。彫られている形は、どの面も違うようだった。
「絵柄を合わせろってことだろうな」
 皆守の言葉に賛同して、九龍は更に奥にあった石碑を解読した。
『嘆きより生まれし泣沢女神。顔は悲しみ、両手はうなだれたまま、天之香久山の麓に座り続けた』
「えーと、顔は泣いて、手はうなだれて、足は座らせる、と」
 呟きながら、そのとおりに絵を合わせてゆく。太古に作られたはずの仕掛けは、今も風化することなくちゃんと作動するようだ。西の方から開錠音を聞いて、九龍は改めて古代の叡智に感心した。恐らく、さっき閉まっていた扉だろう。戻って開けてみると、聞き慣れた《H.A.N.T》音声。
『敵影を確認』
「たいそうな歓迎ぶりだな……」
 あーだりィ、と皆守がため息を零した。狭いその部屋には、五体の化人がひしめいていた。
「えーいめんどくさい、伏せてろ二人とも!」
 九龍はベストからガス手榴弾を取り出すと、部屋の一番奥へ投げつけた。爆風に巻き込んで、一気に三体を片付ける。舞い上がる埃の中、更に銃で一体を倒すと、残り一体が攻撃を仕掛けてきた。土偶のような形の化人が、両手から炎を出してくる。
「眠い……」
「わ」
 熱を予想して構えた九龍は、ぐらりと傾いた視界に声を上げた。もたれてきた皆守が例によって避けさせてくれたのだと悟ると、そのまま化人に銃弾を食らわせる。敵影消滅。
「サンキュ、皆守」
 振り返って笑うと、彼はまだうとうとしていた。寝たふりか、ホント素直じゃない奴だな。まあ、そこが皆守らしいんだけどさ。
 宝物壷から得た剣の形のレリーフを、さっきの部屋の火之迦具土神像に差し込む。神話の記述どおり首が落ちるのを、九龍は開錠音を耳にしながら見ていた。東の一番奥の部屋。
 開いたその扉を押した途端、空気の流れを感じた。部屋に入って、天井を見上げてみる。どこかに排気孔があるようだ。
「葉佩君?」
 どうしたの、と不思議そうに取手が見つめてくる。
「いや、なんか薬品臭がするけど、換気がしっかりした部屋だなと思って」
「……犬みたいな奴だな、お前」
「そりゃー誰かさんみたいに四六時中アロマ吸って馬鹿になった鼻とは違、うおっと!」
 ぶん、と空気を切る音がしたのは皆守の蹴りだったが、九龍は辛うじて避けていた。そう何度も激しいツッコミ入れられてたまるか。てかお前、普段ダルダルのくせにこういう時だけ敏捷性上がってないか? その運動神経、もうちょっと有効に活用しろよ勿体ないなあ。
「……避けたな?」
「避けたよ? だってもう少し優しく突っ込んでくれなきゃ、九龍壊れちゃ……うぐッ」
 ふざけていた語尾が、もろに腹に入った蹴りのせいでくぐもった。こ、これも友達同士のじゃれ合い範疇に入るのか? 身体が丈夫じゃないともたない青春だな!
 息を詰めてよろめく九龍と、ふんと笑って満足そうに紫煙を吐く皆守を見て、取手がふわりと微笑んだ。
「仲いいんだね。……うらやましいな」
 ……うらやましがるような仲なのか、これは!
 呆気に取られて振り返ると、皆守もぎょっとしたように取手を見ていた。二人の視線を受け止め、取手はきょとんとしながらも笑っている。あまりにも天然な彼に突っ込む気力もなく、九龍は気を取り直して部屋を調べた。
 そこは伊邪那美像があったところと同じ作りの部屋で、東側に堀と巨大な首の像があった。
「伊邪那岐の像、今度は旦那の方か」
 表面には『我の赤き怒りを静めよ』と刻まれている。堀は血のような赤い水が満たされていて、薬品臭はどうやらこれが発生源のようだった。
 《H.A.N.T》が次亜塩素酸ナトリウム溶液を検出する。赤き怒り、つまり今度はこの液体を蒸発させろってことかな。そういえば化学の授業で習ったっけか、塩酸による気化が可能。
「塩酸? 持ってるのか?」
「残念ながらNo I don’t」
 聞いてくる皆守に首を振って、九龍は部屋を探索してみた。ワイヤーを張って高台に上がると宝物箱があったが、入っていたのは食塩だけである。食塩、塩化ナトリウムね。硫酸があれば塩酸が作れるんだけどな。
 頭の中で化学式を浮かべてみるが、所持品から調合するのはどうやら無理そうだという結論に達した。せめて電気分解ができれば塩素と水素を取り出して、塩化水素から塩酸が調合できるのだが。
「こないだの土偶の部屋にあったけど、戻るのも大変だしな……」
 考え込んでいると、向こう側の高台に梯子のようなものが見えた。
「ちょっと待ってて、あっちも探してみ……うぉわッ!」
 軽々と跳び移った九龍だったが、勢いがつきすぎて落ちそうになってしまった。慌てたように二人が追って跳んできて、同時に腕をつかまれる。心配そうな取手と目に見えて不機嫌な皆守に、てへへとごまかしながら梯子を降りると、鍵のかかった扉である。彫られているのは、人と鳥が向かい合った絵柄。
「何かをはめ込むみたいだね」
 模様の窪みを辿って、取手が呟いた。どこかで見た形だな、とベストを探った九龍は、一枚の護符を取り出してみる。
「これが合いそうだな」
 主にエジプトの遺跡でよく発掘される、ウジャトの護符と呼ばれる物だった。天空神ホルスの目を描いた小さな石板は、時折ギルドサイトに探索依頼が出されている《秘宝》だ。
「何だそれは、拾ったのか?」
「うん、こないだ潜ったときに……あ、そうか言ってなかったっけ」
 眉を寄せた皆守に、九龍はまたごまかすように笑った。
「調査と資金稼ぎのために、何度か独りで潜ってたんだ」
「君独りで?」
 大丈夫だったかい、と取手は驚いたが、皆守は何も言わずにアロマを吐いた。苛立ちのため息のような気がしたが、無言ってのが何か怖いな、と九龍が見つめていると。
「……知ってる」
 ぼそ、と言われた。……え、嘘。
「バレてたんだ?」
「当たり前だ。お前、夜な夜な寮を抜け出してただろ」
「あらら……」
 意外だと思ったが、確かに彼の部屋は隣で、不在を確かめようと思えばすぐに確かめられたのだろう。もしくは、墓地に行く姿を窓から見たのかもしれない。
「なんだ、そうだったのか。皆守はとっくに寝てる時間だと思ってたから、油断してた。……あ、じゃあひょっとして夕薙にも見られたりしたのかな」
「大和?」
 ますます眉を寄せた皆守が、なんでそこに大和が出てくるんだ、と呟いた。
「いや放課後に会ったんだけど、言われたんだよ。夜遊びは程々にな、って。意味ありげに」
「……」
「まあ、まさか墓地に行ってるとは思ってないだろうけど……ていうか、そこまでバレてないと思いたいけど」
 力なく笑ったが、皆守は否定も肯定もしなかった。そこでふと、九龍は以前から考えていたことを口にしてみる。
「そういえばさ、墓地って校則で立ち入り禁止なんだろ? でも俺はこうして簡単に、墓地どころか遺跡にまで侵入できてんだよな。だからわざと泳がせて、どこまで行けるか見物されてるのかなって思ったりして」
 おどけて言ってみせると、取手は神妙な顔で呟いた。
「ありえるね……《執行委員》を解放した《転校生》は、君が初めてのはずだから」
 そのまままっすぐ見つめられて、九龍は何故かいたたまれない気持ちになった。自分を見る取手の目は、時々崇拝者のそれだと感じることがある。
「葉佩君。君が転校してきてくれて……本当に、よかった」
「そ、そうか、いや俺は別にそんな、大したことは……」
 向けられる感謝の言葉は、身に余るような気がして面映い。思わず視線を外してしまうと、今度は皆守と目が合った。冷たく見据える半眼は、呆れているような睨みつけているような、複雑な色を宿していた。
「とにかくほら、先に進んでみよう」
 護符を窪みにはめると、鍵はすぐに解除された。扉を開けていきなり襲い掛かってきたコウモリは、九龍がもはや反射的な行動で殲滅する。静かになった部屋を改めて見てみれば、知っている景色である。
「え、ここってもしかして土偶の……」
「みたいだな」
 呟いた九龍に、皆守が頷いた。見渡して、取手も驚いている。
 《H.A.N.T》に入力していた地図で確かめると、間違いない。一番最初に八千穂と皆守を伴って踏み入れた、五対の土偶の部屋だった。じゃあ塩酸が手に入るじゃん、と九龍は感動してしまう。そうか、ここにつながってたのか。すごいな古代人、なんて親切設計。
 箱を開けても、もう棺から化人は現れなかった。無事塩酸を手に入れて伊邪那岐像の前まで戻り、二人を部屋の端まで下がらせて、九龍は思いきり息を吸い込んで止めた。念のためだ。
 祭壇のような場所に塩酸を注ぐと、赤い液体はみるみるうちに気化していった。部屋の入口で感じたとおり、やはり換気設備もちゃんとしているらしく、発生した塩素ガスはやがてどこかへ排出されてゆく。さすが古代人、九龍は再度感動した。
 乾いた堀の底には宝物壷があり、中身はまた剣の形をしたレリーフだった。神代文字を読むと、布都御魂剣。
「ふつみたまのつるぎ……神の扉を開く、高天原の剣か」
 呟いて、九龍は唇を噛み締めた。これで開くのはやっぱり、椎名ちゃんがいる部屋なんだろうな。あの、蛇が向かい合った模様の。
 火之迦具土と泣沢女の像の部屋に戻り、中央の長い階段を上がる。突き当たりにあったのは、やはり例の大きな扉だ。錠前には、さっき手に入れた剣の形の窪みがある。
「またこの扉か……」
 皆守のため息を聞いて、九龍は窪みに剣をはめた。消える錠前と押した扉の重い音に、緊張感を煽られながら。






→NEXT 3rd. Discovery#5



20130222up


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