木乃伊は暁に再生の夢を見る

4th. Discovery #1
明日への追跡










 遺跡が、崩壊を始めていた。
 揺れる地面、倒れる柱。天井からは大小の岩が落ち、派手な砂埃を巻き上げている。
「……い、ってぇ……」
 軽い脳震盪を起こしていた九龍は、意識を取り戻して頭を振った。途端に激痛が走って、思わず唇を噛み締める。押し殺した声が、喉の奥で低い音を立てた。
 背中と、右足。痛みの中心が、じわじわと熱を帯びているのがわかる。やり過ごすべく深く息を吐いて、九龍は少しだけ目を閉じた。耐えられないほどではない。それに、痛いと感じるのは生きている証でもある。大丈夫、まだ動ける。まだ走れる。
 顔を上げると、倒れている父が見えた。その向こうには祭壇も見えた。祀られている物が何なのかは、遠目でよく確認できない。けれど《秘宝》が拒むなら、暴く権利は誰にもないと九龍は思う。彼らの意思を感じ、手伝い、促すのが《宝探し屋》だ。それができなければ、単なる盗掘者と変わらない。
 ―――思えば宝物庫に足を踏み入れた瞬間に、嫌な予感はしたのだ。
 それまで進んできた通路が薄暗かったせいで、一瞬目が眩んでしまった。部屋中に所狭しと並べられた金銀財宝は、その類を見慣れているはずの九龍でさえ、呆気に取られるほどの輝きだったのだ。
 まず、現地案内人の男が駆け出した。狂喜の声で何事か叫びながら、一番大きな金色の壷に手をかけた。とっさに行動できなかった九龍は、男を制止する父の怒号を聞いた。追って飛び出す、その背中を見送った。嫌な作動音。罠が発動する気配。視界を横切る光の軌跡。
 壷を抱きしめた男の喉が、笛のような音を立てた。そこに刺さった矢の先を、彼はきょとんと見つめていた。何か言おうとして、ごぼりと血を吐いて、ゆっくり傾いで崩れゆく。恐らく、己の死も自覚しないままに。
 反射的に伏せていた父は、どうにか矢の洗礼から逃れたようだった。無事を示して笑う顔に、九龍が駆け寄ろうとした時。
 遺跡が、大きく身震いした。
 地震ではなく、発動した仕掛けだった。九龍も父も男の死体も、唐突に揺れた地面に放り出された。どうやら、さっきの罠が引き金となったらしい。
 右足と背中に激痛が走り、目の前が朱に染まる。九龍が意識を失ったのは、ほんの刹那のことだったけれど。
 情けない、とひとりごちてみる。《宝探し屋》には、常に冷静な判断と強固な理性が要求される。まだまだ自分は未熟なのだと自らを叱咤した九龍は、素早く状況を再確認した。とにかく、第一に考えるべきはここからの脱出だ。
 がん、と音を立ててすぐ隣に柱が倒れた。
 《秘宝》は自分たちを拒んだ。むしろ拒んだのは陽の下へ出ること、発見されること自体だったのかもしれない。現に今、遺跡は自身そのものを無に還し、全てを地中に埋めようとしている。―――共に埋もれて眠るなど、冗談じゃない。
 震える拳を握り締めて、九龍は父に呼びかけた。伸ばした手はわずか届かず、虚しく空をつかむだけだ。うまく力が入らない。早く。早く起き上がって彼の手を取って、死にゆくこの遺跡から早く。
 苦しげに顔を上げた父が、大丈夫だと呻いた。先に出口を確保しろ。その言葉に頷いて、九龍は視線を巡らせた。
 入ってきた部屋の扉は、とっくに崩れて塞がれていた。手榴弾はもうない。爆発物を調合している余裕もない。わずか逡巡したとき、ふと頬にかすかな風を感じた。
 巻い上がる砂埃の動きで、空気の流れを視認する。東側の壁。刻まれた紋様で巧みに隠された、石と石の間。
 あと少しで届きそうだった手を、自らが立ち上がるための支えに変えた。激痛に歯を食いしばり、マシンガンを杖にして、ようやく揺れる地面に逆らえる。口の中の砂と血を吐き捨てると、九龍は赤く濡れた指で紋様をなぞった。
 すり減った文字は解読できなかったが、積み上げられた石の不自然さに気がついた。妙に隙間が開いているその一つを、力を込めて奥へ押しやる。思ったよりそれは軽く動いて、やがて人が一人這って通れるほどの横穴が開いた。わずかに差し込む、地上の光。
「出口……」
 思わず安堵の息を吐いた、その刹那だった。
 振り向こうとした、九龍の背後を。
 ちょうど、親子を隔てるように。生と死を、その運命を分かつかのように。
 ―――壁が、塞いだ。低く、鈍い音を立てて。









 時間割を確認した八千穂は、眠気を感じて大きなあくびをした。
 外は暗く、学生寮にも静寂が下りている。明日の朝練のためにそろそろ寝ようとベッドに座り、今日一日を反芻する。今夜も心地よい眠りが訪れそうだ。
 同じクラスの転校生のおかげで、八千穂の周囲はがらりと色を変えていた。今までには考えられなかったほどの非日常を、望みどおり満喫できている。退屈な寮生活から抜け出せたし、新しい友人も増えた。何より、彼といるのが楽しくて仕方がない毎日だ。
 一目で女子が騒いだ見目の良いルックスと、誰にでも分け隔てのない人懐っこさで、転校生は男女共に人気のある有名人と化しつつある。そんな彼と友達になれたこと自体嬉しいのに、更に八千穂は彼の秘密を知っているのだ。
 武器を操り罠を退け、世界中の《秘宝》を追い求める《宝探し屋》。まるで映画の主人公のように凛々しい姿は、それでも笑うと無邪気な子供のようで、その一挙一動にいつも見惚れずにはいられない。かすかな恋心も、ないと言えば嘘になる。まだ明確ではないけれど。
「ふァ〜あ……」
 もう一度あくびをして、目覚ましを確認するべく八千穂は時計を見た。消灯時間はとっくに過ぎているはずなのだが。
「あれ? ……げッ、止まってる!」
 動いていないことを知り、この間電池を取り替えたばかりの置き時計を振ってみる。おかしいなァと首を傾げていると。
 奇妙な振動音がした。部屋の中ではなく、窓の外からのようだった。
「……何の音?」
 不審に思って覗こうとした瞬間、強い光に網膜を射抜かれた。きゃ、と驚いて床に座り込み、眩んでしまった目をこする。
「何、この光……?」
 呟いてふと、學園に伝わる九つの怪談の一つが脳裏を過ぎった。
 『二番目の光る目』。
 真夜中、部屋で寝ていると突如窓の外がまばゆい光に包まれる。見ると、巨大な二つの目がこちらを覗きこんでいて―――
 嘘、と八千穂は戦慄した。目が合った生徒は、身体を焼かれて魂だけの存在になってしまうというのが怪談の結末だ。壁には影が焼きついて残されるらしいが、まさか、これがそうなのだろうか。それとも自分はとっくに眠って、おかしな夢を見ているだけなのだろうか。
 恐怖よりも好奇心が疼いたが、続いて入り込んできた煙のようなものに思考を遮られた。何これと思う間もなく、次第に充満してゆくのがわかる。
「ゲホ、ゲホッ!」
 咳込みながら、それでもなんとか確かめようとした。窓の外、巨大な目。そんなものが、本当にあるのかどうか。けれど煙は八千穂の視界だけでなく、意識まで奪おうとしていて。
「う〜ん……」
 呻いた声に、また振動音が重なった。限界だった。
 耐えられず手放した自我の最後、八千穂は何かの影を見る。
 巨大な二つの目ではなく―――人間の形をした、奇妙な生き物の姿を。





二〇〇四年十月六日





 教室に、授業終了を告げるチャイムが鳴り響く。
 かくりと落ちた顎に、九龍は慌てて睡魔を追い払った。
「では、今日はここまで」
 壇上では、教師が来週の小テストについて話している。一週間先のことより目先の休み時間なのか、生徒たちはすぐ友人たちとの雑談に興じ始めた。
 ……なんか、懐かしい夢を見たな。
 授業後半は、ほとんど舟を漕いでいた九龍である。教師の下手な英語をBGMに、取り留めのない夢が現れては過ぎていった。おぼろげに薄れるその幻像の中、一つだけ鮮明に瞬いた記憶。少しだけ自嘲して、九龍は思いを馳せる。
 背後で塞がれた壁は、どうやっても開かなかった。必死で叩いて、叫んで、拒絶した。自分のせいだと思った。脳裏に、叱咤する怒鳴り声が蘇った。
「……わかってるよ」
 呟いて、こっそり笑う。ため息で夢の余韻を消し去ると、次の授業のために教科書を片付けた。時間割を思い出しながら、なんとなく聞こえてきた声に耳を傾ける。
―――おい、昨日『トワイライトファイル』の特番観たか?」
「観た観た、異星人に誘拐されるって話!」
「誘拐された奴は人体実験されるんだってな? 地球人を調べるために、色々な実験をするらしいぜ」
 意気揚々と話をしている彼らに、九龍は思わず笑ってしまった。思えば3‐Cは、朝からそんな話で持ちきりだったような気もする。今更といえば今更の異星人話だが、テレビの影響というのは恐ろしいものだ。なんか高校生らしいよな、昨日観たテレビの話題って。
 当然、九龍は件の番組を観ていない。高校生活よりも本業優先の赤貧トレジャーハンターは、相変わらず遺跡でバイトの毎日だ。けれど以前のように、単独で潜ることは少なくなっていた。
 一週間前、《生徒会執行委員》椎名との戦いで、バディの大切さを噛み締めたせいもある。が、友人と呼べる存在と共にいることが楽しくて、誰かを伴わざるをえないというのが本音だった。プロ失格、と思わないでもないのだが。
 昨夜のバディは怪力スマッシュの八千穂と爆弾少女の椎名で、か弱い女の子二人―――というには語弊があるが、ともあれ彼女たちを守るために右往左往した九龍だった。新しい扉は開いていないとはいえ、危険な場所であることに変わりはない。いつもの倍は精神力を使ったせいか、今日は寝坊して隣室の皆守に蹴り起こされる、という珍しい朝を迎えてしまった。鍵も開けっ放しだったようで、どうやら疲労度は思ったよりも高かったらしい。……うう、ありがたいんだけどさ。どうせなら、もっと優しく起こしてほしいよな。派手に頭打ったっつーの。
 いまだ痛む後頭部を押さえながら、九龍は教室の後ろに恨めしげな視線を送った。机に両足を乗せた格好で、皆守がうとうとしているのが見える。授業は出ていたものの、ちゃんと聞いているとは思えない姿だ。ま、出席してるだけマシか。
 基本的にサボり魔の癖は相変わらずの皆守だったが、強引に登校や教室移動を誘う九龍がいるせいか、出席率が上がっていると八千穂が言っていた。彼女曰く『熱血転校生の不良生徒更正作戦』が、徐々に効果を現しているのかもしれない。
 そういえば、と九龍は隣の席に目を向けた。
 昼休み間近にも関わらず、まだ八千穂が登校していないのだ。昨夜はいつもより早めに切り上げて、普段どおりまた明日、と元気よく別れたはずだ。そんなに無理をさせた記憶はないのだが。
 もしかして、その『トワイライトファイル』とかいう番組で夜更かししたのだろうか。友人の七瀬なら何か知っているだろうか。体調が悪いのなら、お見舞いに行ってあげようか。そんなことを思ったときだった。
「そういや、放送はされなかったらしいけど―――金髪ナイスバディの異星人の女と、交配実験もされるらしいぞ?」
「まぢかよッ!」
 急に声をひそめた男子生徒たちに、九龍は吹き出すのを堪えてしまった。高校生男子たるもの、やはりそういう話は外せないらしい。
「金髪と交配かァ……」
「巨乳の美女と実験かァ……」
「……」
 うっとりとした口調で、彼らは何事かを妄想している。必死で笑いを抑えながら、九龍は微笑ましい目で事の成り行きを見守った。ていうか、金髪=巨乳の美女っていう発想が若いねえ君たち。いやまあ、俺も同い年なんだけどさ。その気持ち、わからなくもないけどさ。
「うッ、鼻血が……」
「おッ、俺ちょっとトイレに……」
 直接的な反応を引き出してしまったのか、男子生徒二人は慌てたように教室を出て行った。うーん、ある意味素晴らしい空想力というか、妄想力というか。
「……ったく、アホか。メディアに踊らされやがって」
 呆れたような声は皆守だ。うとうとしながらも、今の会話を聞いていたらしい。振り向いた九龍に苦笑して、そのまま教室のドアを眺めた。
「何か、俺はこの學園で過ごしているのが情けなくなってきたぜ」
「いいんじゃねーの? 立派に健全男子である証拠だと思うけど」
 肩をすくめて笑うと、皆守は少し眉をひそめて。
「九龍―――まさか、お前も金髪美女の異星人に興味があったりするのか?」
「まさか、って……ああお前は興味なさそうだな、皆守だもんなあ」
「……どういう意味だ」
 勝手に納得している九龍に、皆守はますます眉間に皺を寄せた。だって、ほら。お前が興味あるのは、カレーとアロマと睡眠だけだろ。
「ちなみに、俺はもう金髪美女には飽きたからね」
「……そうか、お前は外国にいたんだったな」
 何気なく言った本音を聞き止めて、皆守が呟いてくる。どこか温度を下げたような声を聞き流したまま、九龍は愚痴っぽく続けた。
「そ、なんか俺みたいな東洋人は可愛い坊や扱いされがちでさ。あげく職業がアレだから、金も結構持ってると思われて……ん? 何?」
 そこでようやく睨みつける視線に気づいて、九龍はきょとんと首を傾げた。ふんと目をそらした皆守は、独り言のように。
「異星人って言や、タコみたいな形って決まってるんだ。金髪美女なんて、んな都合のいい異星人がいるかよ」
「タコ?」
 オウム返しにした九龍は、更に首を傾げてしまった。タコってあれか、蛸足火星人。今時の異星人といえば、頭でっかちのグレイタイプじゃないのか。皆守ってば、意外に古いイメージ持ってんだなあ。
「UFOだの異星人だの、テレビや小説が創り上げた虚構に過ぎないさ。まったく……下らないぜ」
「あれ、でも異星人といえばタコ、ってことは、全面否定はしてないんだろ?」
「……」
 どこか言葉に詰まったように見える皆守に、不思議に思った九龍は言葉を重ねようとした。刹那。
「古人曰く―――『人間の姿は気味が悪くて好感が持てないが、慣れれば大丈夫だろう』……」
 驚いて見ると、いつの間にか教室の入口に七瀬が立っていた。いつものように本を抱えて、眼鏡を押し上げながら。
「他の星の人からしたら、私たち人間も異星人ではないでしょうか? それに、この広い宇宙の中で、深い叡智と文明を持った生物が人間だけのはずはありません。私は必ず銀河系のどこかに、知的生命体がいると信じています」
 熱のこもった口調で、畳み掛けるように言葉を紡ぐ。皆守は呆れているようだったが、確かに、と九龍は頷いてみせた。
 《宝探し屋》が生業とする《超古代文明》も、過去に訪れた地球外の知的生命体からもたらされたものだとする説がある。真っ向から否定はせず、可能性の一つとして考えるべきだと九龍は思っていた。
 そうですよね!と例によって熱くなった七瀬は、更に難しい単語を並べて熱弁を振るい始めた。世界初の異星人探査『オズマ計画』の、ドレイク博士が提唱した方程式を黒板に書き連ねる。え、N=(R*)×(fp)×……えーと、それノートに取るべきですかね?
「この方程式に基づいて計算した場合、既に今の時点でこの式で割り出される答えはゼロにはなりません。何故なら、既に銀河系には私たちの住むこの地球があるからです。どうです、これは異星人の存在を否定できないということを証明していると思いませんか!」
「なるほど!」
 力説のノリにつられて、九龍も大きく手を叩いた。暴走してはいるが、七瀬が言うと説得力があるのも事実である。九龍の同意に嬉しそうに頬を染めて、彼女は本を抱きしめた。
「きっといつか、その存在が明らかになる日が来ると私は思っています。皆守さんもそうは思わ……皆守さん?」
 そういえばやけに静かだなと思って見ると、皆守は壁にもたれて目を閉じていた。わざとらしく、ぐーぐーなどと寝息を立てている。あからさまに寝たふりだ。
「ふァ〜あ。お? 異星人談義は終わったか?」
「……」
 七瀬が冷ややかに見つめたが、皆守は気にしていないようだった。そんな様子に、九龍はこっそり苦笑する。なんかこの二人って合わないというか、相容れなさそうな雰囲気あるよな。かたや読書好き真面目少女、かたやカレー好きダルダル不健康優良児。
「まァ、もし異星人がいたら、俺も会ってみたいもんだぜ」
 まったくその気はなさそうな口調で、皆守がうそぶいた。ふふふ、と七瀬がからかうような笑みを浮かべる。
「気をつけた方がいいですよ? 異星人は、常に私たち人間を誘拐する機会をうかがっています。彼らは不思議な光で私たちを包み込み、自分たちの母船に連れて行って実験するんです」
「交配実験を?」
 思わずボケた九龍の背中に皆守の蹴りが入ったが、ああ、と七瀬は微笑んだ。
「さっき教室を出て行った男子がそんなこと話してましたね」
 って、聞いてたのか七瀬ちゃん。
「もちろん、そういう実験もされるかもしれませんね。異星人に雌雄の区別があるのかどうかわかりませんが」
 ……う、そうすると姿は金髪美女でも、中身は雄って可能性もあるんだな。さっきの奴らに教えてやったら萎えるかな、いやそんなことでは萎えないのが青少年ってやつか。
「彼らは実験が終われば記憶を消して、何事もなかったかのように元の場所に帰します。UFOの光が発せられた時に止まった時計は再び動き出し、誘拐された人の首筋には実験の痕跡である赤い斑点が残るといいます。世界各地には、実際に誘拐された例も多数ありますよ」
「んなバカな……」
 否定しようとした皆守の言葉を遮るように、七瀬は有名なニューハンプシャー州のヒル夫妻の例を挙げた。嬉々として続けられるその話を聞きながら、九龍は皆守を盗み見てみる。なんだか、表情をなくしているように見えるのは気のせいだろうか。
「あッ、いけない! つい長話を……」
 鳴り響いたチャイムの音に、七瀬が弾かれるように話を断った。図書室で本を整理しなくちゃならないんだったわ、とひとりごちて一礼する。
「それじゃ、また」
「ああ、またね」
 答えて九龍が軽く手を振ると、彼女は思い出したように足を止めた。教室のドアから顔を覗かせて、にっこりと笑って。
「……探索、頑張って下さいね」
「へ」
 聞き捨てならない一言に、思わず間抜けな声が出た。慌てて聞き返そうとするも、七瀬は既に姿を消している。ちょっと待て、探索。探索って。
「……おい、九龍。もしかして、七瀬の奴にお前の正体バレてないか?」
 渦巻いた疑惑を代弁するように、皆守がアロマを吹かしながら言った。可能性の大きさを考えて、九龍は力なく笑う。
「確かに、前からそんな気はしてたけど。七瀬ちゃんなら大丈夫……か?」
「……まァ、俺が困るわけじゃないからいいけどな」
 皆守は大きくため息をついて、呆れたように九龍を見つめた。
「だが、もうちょっと気をつけた方がいいと思うぜ? 不穏な生徒がいるとわかれば、下手すりゃ退学ってことにもなりかねない。せっかくこうして知り合ったんだから、そういう別れってのも寂しいだろ?」
「……へえ」
「なんだよ」
 思わず目を見開くと、皆守が露骨に眉を寄せた。全く気にせず、九龍は満面の笑みで言ってみせる。
「いや、皆守でもそういうこと思ってくれてんだなと……」
「なんだそれは」
「だって、俺と別れるのは寂しいってことだろ? いやー愛だね愛!」
「……いや、愛とかそこまでの話じゃなくてな……」
 一人盛り上がる九龍を横目に、皆守は再度嘆息して。
「まァ―――お前の場合、退学云々よりあの古びた遺跡の中で死ぬ可能性もあるがな……」
 少しだけ遠い目をした皆守に、九龍も知らず想像してみる。遺跡で迎える死は、《宝探し屋》の本望となるだろうか。
「そうだ、まだ聞いたことがなかったな」
 わずか目を伏せた九龍に気づかず、皆守が思い出したように聞いてくる。
「お前は何のために《宝探し屋》なんてやってんだ? 金か? 名誉か? スリルか?」
「……金と名誉とスリル、ねえ」
 彼の中の《宝探し屋》はそういうイメージなのか。まあそれが一般的か、と九龍は苦笑してみせた。
「金になる《秘宝》を狙う連中は、組織には属さない。上から依頼されて報酬をもらうより、単独で盗掘した方が儲かるからな。名誉だったら、普通に考古学者とかの方がいいんじゃないか? 《宝探し屋》なんて、わざわざ危険な職業じゃなくてもさ。スリル……うーん、そういうのを喜ぶハンターもいるけど」
 今まで出会った同業者を思い浮かべて、彼らはどうなんだろうと考えてみた。仕事をこなせばそれなりに金も名誉も得られるし、スリルなどは日常茶飯事だ。けれど、自分の場合は。
「……どれでもないのか?」
「そうだなあ」
 無意識に天井を見上げた九龍は、記憶の奔流に逆らってみる。崩壊する遺跡。塞がれた壁。何のために。誰のために。―――否、これは自分の意志。
「何かのため、とかじゃなくて……強いて言えば、単純に遺伝かな」
「は?」
 ぽつりと呟くと、皆守が訝しげな顔で聞き返してきた。わざと笑顔を作って、九龍は明るくつけ加える。
「言ってなかったっけか、俺の親父も《宝探し屋》でさ。カエルの子はカエル、みたいな?」
「……ああ、そういうことか」
 納得したように頷いた皆守だったが、すぐまた不審げに見つめてきた。どこか取り繕うような、九龍の違和感に気づいたのかもしれない。無意識に視線を外すと、ぎこちない沈黙が降りた。
「……そういや」
 ふと気づいたらしく、皆守が話題を変える。
「どうも静かだと思ったら、八千穂の姿が見えないな」
 言ってぐるりと教室を見渡した、次の瞬間。
「やばァァァいッ!」
 元気よく飛び込んできた女生徒が、机につまづいて派手にこけた。更に起き上がろうとして、またぶつかって倒れた。見慣れたお団子頭は、もちろん八千穂である。
「あいたたた……」
「噂をすれば、うるさいのがお出ましだ」
 アロマを吐いて皆守は呆れたが、九龍は見ていられずに手を差し伸べてしまった。
「だ、大丈夫、八千穂ちゃん?」
「あ、ありがと九龍クン。寝坊しちゃったんだよ〜」
「何時だと思ってんだよ、寝坊したって時間じゃないだろうが。俺のこと言えないぜ?」
 確かに、八千穂が遅刻というのは珍しいような気がする。九龍の手を借りながら、何か目が覚めたらこんな時間だったんだ、と彼女は照れ笑いを浮かべてみせた。
「昨日の夜時計が止まっててさ、だからかと思ったんだけど、朝見たら動いてるんだよ。それに何かヘンな夢見たせいか、床で寝てたみたいで首が痛くて……」
 そう言って首の後ろをさする八千穂を見て、九龍は目を見開いた。彼女のうなじの辺りに、ぽつんとできた赤い点。
「……八千穂ちゃん、虫にでも刺された?」
「え? あれ、何かできてる〜」
 持っていた手鏡で確認し、八千穂はしきりにそこを触る。
「墓地の森が近いせいか、窓から虫が入ってくるんだよね」
 唇を尖らせる彼女に、九龍はふと連想してしまった。
 ―――止まった時計と、赤い斑点。
 UFOから発せられた光に、時計は時を止める。誘拐された人の首筋には、実験の痕跡が残される。これってさっき、七瀬ちゃんが言ってたことそのままなんじゃ。
 結びつけてしまった九龍は、まさかねと即座に否定した。皆守なら、馬鹿馬鹿しいと一笑に伏すところだろう。思って視線を移すと、彼は絶句の表情で、手に持ったアロマパイプを落としそうになっている。
「……皆守?」
「ん? どしたの、皆守クン」
「あァ……いや、別に」
 慌てて無愛想を装う、その顔は血の気が引いているようにも見える。目を泳がせたまま、皆守はパイプをくわえ直して。
「ちょっと、気分が悪くなってきた。保健室で横になってくるわ……じゃあな」
 言って、教室から出ていってしまった。いつものサボりでもなさそうな様子に、九龍は生返事で背中を見送る。な、なんか本当に気分悪そうだぞあいつ?
「……? ヘンな皆守クン」
 八千穂も同じ感想を抱いたらしい。一瞬首を傾げたが、すぐに笑顔で九龍に向き直った。
「あ、そうだ九龍クン、実はちょっと相談に乗ってほしいことがあるんだけど。いいかな、放課後」
「ん? もちろん、八千穂ちゃんのためなら!」
 大げさに言ってみせると、八千穂は照れたように笑った。
「九龍クンって頼りになるよね。そんな長い付き合いじゃないけど、初めて逢った時から他のみんなとは違うなァって……あはは、あたし何言ってんだろ」
 頬を染めたような表情は、文句なしに可愛らしいと思う。思わず見惚れていると、そうだ、と思い出したように八千穂が言った。
「あのさ、名字じゃなくて、名前で呼んでくれたら嬉しいかな、なんて」
「あ、そっか」
 そういえば、と九龍は思った。皆守に影響されたのか、八千穂も同じ日から「九龍クン」と呼んでくれるようになっていたのだ。
「だって九龍クン、椎名サンのことは名前で呼ぶでしょ? ちょっと、うらやましいなって思ってたんだ」
「ああ……」
 確かに椎名のことはリカちゃんと呼んでいたが、特に意識したわけではなかった。彼女の一人称が名前だったせいで、そう呼ぶのが伝わりやすいだろうと思った結果だったのだ。
「わかった、じゃあ明日香ちゃん」
「……うん、ありがと九龍クン」
 言って頬を染める、その顔にまた見惚れてしまう。九龍クン、明日香ちゃん。いいなあ、名前で呼び合う仲って。青春って感じ。
 ちなみに皆守のことはまだ皆守と呼んでいたが、これも特に意識したわけではなく、単に定着した習慣が抜けないだけだった。何かきっかけがないと、いまいち切替が難しいと思う九龍である。皆守も名前で呼べって言ってくれたらいいんだけどね。
「とにかく、詳しい話は放課後ね。部活が終わったら話すから、コートの前で待ってて」
「了解!」
 敬礼すると、授業開始のチャイムが鳴った。席へ戻る八千穂のうなじを目で追って、やっぱりどう見ても虫刺されだよな、と確認した。






→NEXT 4th. Discovery#2



201300308up


BACK