木乃伊は暁に再生の夢を見る4th. Discovery #2 |
昼休み。 授業が終わるとほぼ同時に震えた《H.A.N.T》を開いて、九龍は少し驚いた。皆守からメールなんて珍しい、そう思ったのもつかの間。 『今保健室で寝てんだけど、腹減った。というか、カレーパンが食いたい。どこかに俺の願いをかなえてくれる神様はいないもんか。願いが叶うなら、俺の大切なお宝をやってもいいんだけどなァ。もうマニア垂涎のお宝を……』 ほー神様ねえ、と目を眇める。てか、普通にカレーパン買ってきてくれって書けばいいのにさ。 けれど珍しく顔色が悪かったことを思い出して、九龍は素直に売店でカレーパンを購入した。一個でいいか、俺はマミーズで違うもんを食べようかな。八千穂……じゃなかった、明日香ちゃんとか誘って。 「失礼しまーす」 静かにドアを開けて呟くが、保健室に瑞麗はいないようだった。白い衝立の向こうでゴロゴロしていた皆守が、気づいてがばりと起き上がるのがわかる。 「おッ、九龍! 俺からのメール読んでくれたんだな?」 ああもう、だからたかがカレーパンでそんな嬉しそうな顔するなっての。微笑ましくなりながら、これを餌にすれば皆守が何匹釣れるかな、などと思って吹き出した。 「ほら、神様からの施しだ」 「そうだよ、これこれッ」 ぽん、と袋を投げてやると、受け取って早速包みを剥いている。嬉しさに尻尾を振る犬を連想させたが、そのままかじりつく姿に九龍は思わず苦笑した。普通保健室、しかもベッドでカレーパンは食わないよな。ああほら、カレー臭が。ルイ先生、帰ってきたら怒りそうだぞ。 「九龍、お前も食えよ」 「へ」 パンを半分に割って、皆守がこちらに差し出してみせた。全部食べないとは本当に珍しいこともあるものだ、と九龍は目を丸くする。 「いやいいよ、お前それだけじゃ足りないだろ? 俺はマミーズに行って……」 「貴重なカレーパンを分けてやるって言ってるんだ、食えないのか?」 ……どういう主張だよそれは。そうは思えど皆守の目が剣呑に据わったような気配がしたので、つい受け取ってしまった。更に座れとばかりに、ベッドの隣を軽く叩かれる。いやあの、俺も嫌いじゃないけどさ、さすがにこう、毎日のようにカレー物ばかりってのは。 皆守と行動することが多くなってからは、昼食や夕食を共にする機会も増えていた。が、呆れるほどのカレー偏愛に、最近は少々辟易しているというのが本音だ。 彼がカレーばかりを食べるのは別にいいのだが、九龍にも同じ物を勧め、断ると目に見えて不機嫌になるのは勘弁してほしいと思う。うう、自分の好みを人に押しつけるなっての。 ため息をついて、九龍は仕方なくその隣に座った。ホントに嫌いじゃなくてよかったと一口かじって。 「で、マニア垂涎のお宝って?」 「ああ、カレー鍋だ。放課後に部屋まで持ってってやるよ」 あげくの果てにまたカレーかよ! すかさずツッコミを入れたくなる九龍である。 「今度、そいつで煮込んだ特製カレーで盛大にカレーパーティーでも開くとしようぜ」 「カレーパーティー……って、何だよそれ」 「ひたすらカレーを食う」 「……」 言っとくが俺の作るカレーは美味いぞ、と嬉しそうに笑う皆守を見て、反論する気力も失せた。ため息混じりにカレーパンを食べながら、さすがに俺も半分ってのは足りないかもしれない、そんなことを思っていると。 「? なんだよ」 早くも食べ終えたらしい皆守の、こちらを見つめる視線に気づいた。彼は少し微笑んで、アロマスティックに火をつける。香り始めたラベンダーに、九龍はどこか居心地の悪さを感じてしまった。……え、えーと。 なんというか、微笑ましく見守られてるような気がするんですけど。 「ほらこぼすな、ちゃんと食え。後でカウンセラーがうるせぇからな」 さ、更にオカンみたいな注意されてるんですけど! 一瞬むぐぐと喉を詰まらせたが、なんとか無事飲み下すことができた。この空気には覚えがある、初めて彼が「九龍」と呼んでくれたあの屋上だ。無造作に頬に触れて、怪我はひどいのかと聞いてきた。なんというか皆守って、優しいときは妙に優しいから調子狂う。 戸惑っていると、ふと衝立の向こうの影に気がついた。申し訳なさそうに引っ込んだ、長身の男子生徒。 「……取手?」 声をかけると、気弱そうな眼差しを覗かせた。 「なんだ、いたのか」 「あ……うん、ルイ先生を探してたんだけど……」 話しかける九龍に遠慮がちに微笑んで、取手はちらりと皆守をうかがった。つられて九龍も目をやると、先ほどの笑顔はどこへやら、なんだか冷たい視線が取手を見据えていて。 「カウンセラーなら留守だ。用が済んだら帰れ」 「……」 なんだ、何で急に不機嫌になってるんだ。九龍は思わずぽかんとしたが、彼はそっぽを向いてアロマを吐いた。 どこかぎこちない沈黙が、三人の間に降りる。耐え切れなかったのか、口を開いたのは取手だった。 「あ、あの、葉佩君……葉佩君はバスケットボール好きかい?」 「ん? ああ、本格的にやったことないから、やりたいなあと思うけど」 唐突な質問だったが、沈黙を打破したかったのは九龍も同じだ。にっこり笑って答えると、あからさまに取手の顔が明るくなって。 「今からでも遅くない、バスケ部に入ってみないか? 君なら大歓迎だよ、葉佩君」 「バスケ部かあ」 元々、部活動には憧れていたのだ。取手がいるなら楽しいかもしれない、そんなことをちらりと思うと、皆守が大げさにため息をついた。 「お前が帰宅部なのは、夜遊びがあるからじゃなかったのか」 「そうなんだけどさ、楽しそうじゃん部活って。皆守ももったいないよな、実は運動神経いいくせに。何か入ればいいのに」 「……まあ、昼寝部なら入部しないこともないが」 「昼寝部……って、何だよそれ」 「ひたすら昼寝する」 「……」 どんな部活だよ。九龍がどう突っ込むべきか悩んでいると、がらりと保健室のドアが開く音がした。 「……カレー臭いな。君か、葉佩?」 ちょうど目が合ってしまった瑞麗が、咎めるようにして言ってきた。九龍はぶんぶんと首を振って、皆守に指を突きつける。 「犯人はこいつです先生!」 「お前も食ってたじゃないか」 「……ふむ、二人とも同罪だな」 言い放つ皆守の言葉に、瑞麗の瞳が細められた。九龍は更に激しく首を振る。 「いや、だって皆守君の目が怖かったんですよ? 俺のカレーパンが食えないのか!って脅されてるみたいで」 「別に脅してない。お前が物欲しそうな顔してたから、わざわざ分けてやったんだ」 「いつ俺がそんな顔したよ」 「一つしかない貴重なカレーパンだったんだぞ?」 「ちょっと待て、買ってきてやったのは俺だろうが! 願いをかなえてやった神様を敬え!」 じゃれ合うような口論を始めた二人に、瑞麗は苦笑いでひらひらと手を振った。わかったわかった、と呆れるようにして。 「それより、言っておくが」 ちらりと鋭い視線を皆守に向ける。 「カウンセリングを受けるためにここへ来るなら当然だし構わんのだが、ベッド目当てでやって来ては、昼寝する奴がいて少々困っている」 うわルイ先生、あからさまに個人攻撃。本人は気にした様子もなく、平然とアロマを吹かしている。 「葉佩、君はそんなことしないでくれよ。あと、保健室で飲食も禁止だからな」 「……はい」 釘を刺す台詞に、九龍はおとなしく頷いておいた。ていうか、なんで俺が注意されてるんだ。理不尽さに背後の皆守を睨みつけると、彼はにやりと笑ってベッドに潜り込んだ。……まさか、共犯に巻き込むための半分こだったとか? 「てめ、神様に何たる仕打ち! 天誅!」 「ベッドはプロレスリングじゃない、保健室では静かに!」 勢いよく布団の上に飛びかかった九龍は、今度こそ瑞麗に怒られることになる。 それきり、皆守は放課後まで姿を見せなかった。あのままずっと保健室で寝ているのだろうか、本当に具合が悪いという可能性もあるかもしれない。あいつがカレーパン半分しか食わないって珍しいしなあ。 「じゃ、部活終わったらコートで。皆守クンにもメールしといたから、一緒に来てね」 帰り支度を整えた八千穂は、あまり気にしてなさそうな笑顔で手を振った。了解と笑って、九龍も手を振り返す。……皆守も呼び出しされたのか、大丈夫かな。 「葉佩君」 考えていると、授業を終えたばかりの雛川がにこにこしながら話しかけてきた。 「どう、授業でわからないことはない? あれば、どんな小さいことでも先生に訊いてね」 「はい、ありがとうございます」 その笑顔に癒されながら、九龍はなんとなく皆守の質問を思い出していた。何のために《宝探し屋》をやっているのか、その理由。明確に答えを告げることができなかった、自分自身に苦笑して。 「じゃあ、先生はどうして教師になろうと思ったんですか?」 「あら」 予想外の質問だったのか、雛川はわずか目を見開いた。が、すぐに笑って答えてくれる。 「私が高校生の頃、担任だった女の先生がいてね。とても生徒思いで、どんな時でも私たちを信じて守ってくれていた。そのときはまだ学生だったからわからなかったけど、自分よりも他人のために何かできる人っていうのはすごいな……って。いつか、私もそういう風に他人のために何かできる大人になりたいって思って。それで、教職という道を選んだのよ」 「そう、ですか……」 自分が《宝探し屋》になったのは、ひとえに父親の影響だった。彼に憧れ、彼のようになりたいと思い、同じ道を選んだ。そして、いつか。 「葉佩君?」 知らずうつむいていると、雛川が訝しげに声をかけてきた。九龍は慌てて笑顔を取り繕う。 「すごいなあ、さすがヒナ先生。やっぱり俺、先生のクラスに入れてよかったと思います」 「ふふ、先生こそ。葉佩君が先生のクラスに来てくれて嬉しいわ」 出席簿を抱きしめるようにして、雛川は少し頬を赤らめた、ように見えた。 「それじゃ、寄り道しないでまっすぐ帰るのよ? くれぐれも人気のない墓地の方へ行ったり、夜中に出歩かないようにね」 「はい!」 うわごめんなさい先生、俺ってば夜中に墓地に行っちゃってるんですけど。 内心は動揺しつつも、九龍は元気よく返事をしておいた。 「先生。こいつは、忠告に素直に従うようなタマじゃないですよ」 それを見透かしたかのように、唐突に声が割り込んでくる。たくましい身体に緑色のTシャツ、学ランを右肩にかけた生徒―――夕薙だ。 「よッ、こんちは。葉佩、あまり先生を困らせるなよ?」 顎の無精髭を撫でながら、相変わらず余裕を感じさせる微笑で言ってくる。 「べ、別に困らせてないぞ?」 「そうか?」 その微笑のまま見つめられて、九龍は後ろめたさに後ずさりたくなった。何を考えてるかわからない奴、って皆守が夕薙のこと言ってたけど、確かにそれ、納得できる気がする……。 「夕薙君、身体の具合はいいの?」 気遣う雛川の優しい声が、どこか緊張した九龍を和ませる。夕薙もふと表情を和らげて、担任教師に向き直った。 「ええ、まあなんとか。先生の授業を受けたくてね」 「まあ」 軽い台詞だったが、彼が言うと説得力がある上に嫌味っぽくないから不思議である。年の功というやつだろうか、雛川は嬉しそうに顔をほころばせた。 「でも、あまり無理しないでね。身体を壊したら、勉強どころじゃないんだから」 「ご心配かけます―――ん? そういえば、皆守の姿が見えないようですが」 またサボりですか、と教室を見渡す夕薙に、雛川の表情がわずか曇る。 「昼休み前に気分が悪くなったみたいで、保健室で休んでいるの。さっき瑞麗先生に様子を聞いたら、何か寝言で『カレー星人が〜』とか言いながらうなされているって……」 雛川はかなり心配そうな様子で言ったが、九龍は思わず吹き出したくなった。七瀬の話がよほど印象に残ったのか、そこにカレー臭が混じって悪夢になったのか。それにしてもカレー星人て。やっぱりタコの姿してんのかな。 「大方、夜更かしでもしてテレビでも観ていたんでしょう」 「だといいけど……」 例の『トワイライトファイル』という番組のことだろうか。下らないと言いつつも、皆守ってば意外とそういうの興味あったりして。 「あッ、そろそろ職員室に戻らないと」 笑いを堪えていると、雛川が慌てて出席簿を持ち直した。 「じゃ、二人とも身体には気をつけてね。あと最近、不審者が目撃されているっていう報告が出ているから。見つけても捕まえたりしようとしないで、先生に知らせてちょうだい」 「わかりました」 「了解です」 「それじゃ、さようなら」 教室を出てゆく雛川を見送りながら、九龍はふと疑問を抱いた。不審者、ってつまり學園の部外者ってことだよな。確かに閉ざされた敷地だけに、見慣れない人間がいたら目立つだろうけど。一体何が目的なんだろう。 「……正に、呪われた學園に咲いた一輪の花だな」 同じく雛川を見送って、夕薙が独り言のように呟いた。 「だが、世の中にはああいう花を手折ろうとする愚かな連中もいる。ただ己の保身と私欲のためだけに。そんな奴らは、この世から根絶やしにされるべき存在だ。そうは思わないか?」 向けられた目は冷たく、彼にしては珍しく攻撃的な表情に思えた。気圧されて頷くと、九龍の返事すら聞いてなかったかのように。 「そうだ。一人残らず消えてしまえばいい……」 続いた台詞は更に氷のようで、かすかに戦慄を覚えるほどだった。そんな九龍に気づいたのか、夕薙はいつもの笑みを浮かべて。 「変なことを訊いてすまない。ちょっと昔を思い出してな……。そういや、昼休みに図書室で面白い噂を耳にしたんだが。『二番目の光る目』―――君も聞いたことはあるか?」 話題を変えるように言って、夕薙は學園に伝わる怪談の一つを挙げた。ああ、と九龍は頷いて思い出す。 転校初日に八千穂が言っていた九つの怪談は、九龍も調べていたことだった。特に『一番目のピアノ』があの墓地と《生徒会》に関連することだとわかった後は、他にも何かあるに違いないと、独自に情報を集めていたのである。 「えーと、真夜中に光る巨大な目と、目が合った生徒は身体を焼かれて消えてしまう、だったっけか」 記憶を探って、九龍は少し考える。一番目の怪談には、《生徒会執行委員》だった取手が関係していた。その『光る目』とやらも《生徒会》が関わっている可能性があるのだが、今回は音楽室の幽霊話より非科学的な気がしてならない。夕薙も頷いて、考え込むように眉を寄せた。 「実際、この學園では何人もそうやって消えている者がいるらしい。失踪の理由として生徒たちが作った噂話というだけなら、どうということはないが―――この學園の人間の多くは、それをただの噂だと思っていないようだ。俺が面白いと言ったのはそこさ。この世に、人を焼き殺す目など存在するわけがないと思わないか?」 「……まあ、確かに」 人の精氣を吸ってミイラのように干からびさせるという、同じように非現実的な例が実際に存在したわけだが。難しい顔をした九龍をどう思ったのか、夕薙は眉を寄せたまま。 「消えた生徒と―――まるで、それを予期したかのように都合よく広められた噂。出来すぎた話だ」 つまり事実を隠すために誰かがわざと噂を広めたのかもしれない、と夕薙は考えているのだろうか。 「一年前、俺が転校してきてから今日までに聞いただけでも、そういった類の話はかなりある。特に寮の裏手にある墓地や、學園の歴史に関する話が多い。君は、もう墓地に行ってみたか?」 「え、あ、まあ、うん」 突然の質問に誤魔化せず、九龍はあいまいに頷いた。 「そうか、何か怪しい物を見つけたか?」 「……ああ、まあね」 その瞳が探るような光を浮かべていることに気づき、用心しながらも再度頷く。それ以上追及はせず、夕薙も頷いて。 「実は、俺も夜中に墓地へ行ったときに奇妙な光景を目撃したことがある。数人の生徒が集まって、何かを話しているのさ。内容は聞き取れなかったが、何故生徒が真夜中の墓地にいるのか……」 それいつのことだよ、と思わず聞いてしまいそうになった。まさかその生徒って、俺とバディたちだったりして。そんなことを思ったが、もちろん何も言わないでおく。どこかぎこちなく降りた沈黙を、鳴り響いた下校の鐘が破ってくれた。 「今日も、日が暮れる……」 鐘の余韻に、夕薙がぽつりと呟く。目を伏せたまま、独り言のように。 「葉佩。生きてこの學園を出たければ、誰も信じるな」 「……え?」 なんだ、それ。 一瞬何を言われたのかわからなくて、笑おうとして失敗した。生きてこの學園を出たければ―――ここが普通の学校ならば、あまりありえない仮定の言葉。 「お前……」 何か、知っているのか。 九龍が言葉を失っている間に、それじゃ、と言って夕薙は教室を出ていった。拒絶しているようにも見えるその背中を、しばらく見送る。ばたばたと帰り支度を整える、クラスメートたちのざわめきを耳にしながら。 「よォ。……どうした?」 入れ違いに教室に入ってきた、皆守と目が合った。固まっていた九龍を訝しげに見つめて、自分の席へ向かう。どうやら本当にずっと保健室で寝ていたらしく、鞄だけ取りに戻ってきたようだ。我に返った九龍は、慌てて教科書を片付け始めた。 「相談があるとか言って八千穂の奴、寝てるところにメール寄越しやがった。九龍、お前も呼び出されてんだろ?」 「ああ、うん」 「無視すると後がうるせェからな。ほら、行くぞ」 そう言う皆守の様子は、まるで理由をつけて自分を納得させているかのように見える。促す彼と並んで教室を出ながら、九龍はこっそり笑ってしまった。口では色々言いつつも、結局のところ皆守は八千穂に弱いのだ。結構お似合いのカップルなんじゃないかなあ。 人のまばらな階段を下り、下足箱を抜け、テニスコートに向かって校庭を横切る。まだぶつぶつ文句を呟く皆守も、なだめるようにして隣を歩く自分も、全てが同じ色に染まって見える夕陽。 生きてこの學園を出たければ、誰も信じるな。 脳裏に夕薙の言葉が蘇って、九龍は少しだけ校舎を振り返った。 そう、ここは『普通』ではない。来年三月になれば卒業して出てゆけるはずの、普通の学校ではないのだ。《生徒会》が支配する規則、失踪する生徒や教師、呪われた學園。そして、九龍も普通の高校生ではなくて。 まさか、と一つの可能性を思いつく。 誰も信じるな。九龍のしていることが夕薙に知られているとしたら、誰が《執行委員》なのかわからない現状を意味した忠告だったのだろうか。あるいは。 誰も、と彼は言った。そこには、夕薙自身も含まれているような気がした。とすれば―――とすれば? 「すみませーん!」 突然呼びかけられた声に、九龍の思考は中断された。見ると、ころころと足元に黄色いボールが転がっていて、テニスウェア姿の女生徒がラケットを振っている。 「ああ、はい」 拾い上げて投げると、受け取った女生徒はぺこりとお辞儀をした。仲間のところへ小走りに戻り、なにやらひそひそと話をしている。あの人たちC組だよね、テニス部見学かな、それとも気になる子でもいるのかな、ちょっとねえ、私だったらどうしよう! きゃあきゃあと盛り上がっている彼女たちに、九龍は笑って手を振った。黄色い声が更に大きくなる。あれ、もしかして俺って人気者? それとも皆守? 「……」 隣を見ると、仏頂面でアロマを吐いている友人が目に入った。無言のまま、不機嫌そうに九龍を睨みつけてくる。……うーん、違うかな。皆守って、なんか近寄りがたい雰囲気あるもんな。ルックスは悪くないんだから、もうちょっと愛想良くすればモテるだろうに。 「もったいないよな」 思わずひとりごちると、何がだ、と呟いた皆守にますます険しく睨まれた。 ちょうど練習が終わるところだったらしく、女子生徒たちは片づけを始めている。挨拶をしている八千穂の姿もある。もう少し早く来れば練習風景を眺められたかな、惜しいな、と九龍が思っていると。 「お待たせー! ごめんね、コートまで来てもらっちゃって」 テニスウェアのまま、八千穂が駆け寄ってきてにっこりと笑った。制服とはまた違う可愛らしさと健康的な色気、とでもいうのだろうか。あああ足が。スコートから覗く太腿が。 「何をおっしゃるやら、明日香ちゃんのためなら喜んで!」 無意識に吸い寄せられる視線を理性で押し止めて、九龍は大げさに言ってみせた。八千穂が顔を赤らめる。 「ありがとう、あたしのウェア姿気に入ってくれた?」 「そりゃもう当然!」 可愛いなあ、と九龍は今日何度目かの感想を抱いた。それが友情なのか淡い恋心なのか、自身にもまだはっきりと区別はできなかったが。 「何だよ、相談ってのは? ……ったく、具合の悪い俺まで呼びつけやがって」 いつもの飄々とした態度を変えず、皆守が半眼で八千穂を見据えた。思ったとおり短いスコートもすらりと伸びた生足も、彼には全く効果がないらしい。……お前さ、本当にこういうことにはドライなんだな。 「だって皆守クン、どうせ仮病でしょ?」 「お前なァ……そうやって、人を日頃の行いで決めつけるのは―――」 「実は、二人を信頼して相談するんだけど」 「おい八千穂ッ、俺の話聞いてんのか!」 夫婦漫才のようなやり取りに、九龍は思わず吹き出しかけた。けれど珍しく元気のない八千穂の声は、笑いをはばかるほどの真剣さで。 「あのね、最近、誰かに見られてるような気がするんだ」 「え?」 「……?」 うつむいた八千穂に、九龍も皆守も眉を寄せた。それは痴漢とか覗き魔ということなのだろうか。雛川が言っていた不審者を連想して、さすがに短絡的かなと九龍は彼女の話に集中する。 「あたしだけじゃなくて、同じ女子寮の女の子たちもそう感じる人がいて。覗きじゃないかって人もいるんだけど、あたしはそうじゃないと思うんだ。だからそれを証明するために、今夜二人に女子寮を見張っていてほしいの」 「なんで俺たちがそんなことを……。警備員に頼めばいいだろ?」 「警備員さんはダメだよ、証拠もないしマトモに取り合ってくれないもん。それに、こんな話信じてくれるかどうか……」 「何かわかったのかよ?」 「あくまで、あたしの推測ってだけなんだけど―――」 語尾を濁した八千穂は、意を決したように顔を上げ、勢い込んで言った。 「もしかして、これって異星人の仕業なんじゃないかって、そう思うのよッ」 「……はい?」 「へ?」 目を丸くした皆守に続き、九龍もかくりと脱力してしまった。い、異星人て明日香ちゃん、それはあまりに突拍子もないというか。 「悪いな、八千穂。よく聞こえなかったんで、もう一度言ってくれるか?」 耳にした単語が信じられなかったのか、彼なりの皮肉なのか、皆守が無表情に促した。八千穂は更に拳を握り締めるようにして。 「いいわよッ、これは異星人の仕業なんじゃないかと―――」 「お疲れさん」 台詞半ばでくるりと背を向けて、皆守は冷たく一言を吐いた。 「俺、先に寮に帰ってるわ。じゃあな」 「あッ、ちょっと皆守クンッ!」 まだあたしの話が終わってないでしょ、と八千穂が帰りかけた皆守の腕をつかむ。強引にそれを振りほどくと、皆守は苛々と癖毛をかき乱して怒鳴るように言った。 「馬鹿野郎ッ、どこの宇宙に女子寮を覗く異星人がいんだよッ! んなお前の下らない妄想に、健全な俺たちを付き合わせんな! なァ九龍?」 同意を求めて、皆守は脱力している九龍に目を向けた。九龍も力なく頷いて、八千穂に気づかれないようため息をつく。目的が誘拐とか実験なら、男子寮でも同様の噂が出てもよさそうだからな。女子寮を覗くために地球に来た異星人……見てみたいぞそれ。 「だって、月魅が言ってたよ? 異星人は、常にあたしたちを誘拐する機会をどこからかうかがってるって」 「やっぱり、七瀬の影響か」 心底呆れたように皆守が嘆息した。七瀬の話に異論はないが、八千穂は鵜呑みにしすぎではないかと九龍も思う。 「単純にも程がある……つくづくおめでたい女だな。どうせどこからか入り込んだ変質者か、男子生徒の覗きか何かだ」 「ひっどーい、そんな言い方しなくてもいいじゃない……」 あくまで冷たい皆守の言葉に、八千穂は大げさに泣きそうな顔を作ってみせた。胸の前で手を組んで、女優ばりに目を潤ませて。 「かわいそうな明日香……きっと異星人に誘拐されて実験されちゃうのね。うう……」 「安心しろ、異星人とやらが現れたらそのときは助けてやるよ。もし現れたら、な」 現れるわけがないという前提で、皆守がうそぶく。二人の会話を聞きながら、九龍は少しだけ考えてみた。 時計が止まっていたという八千穂の話と、うなじの赤い痕。もし本当に異星人が犯人だとしたら、それは誘拐の証拠ということだろうか。まさかな、単なる偶然だよな? 「九龍クン〜、九龍クンは皆守クンみたいに薄情なこと言わないで、協力してくれるよね?」 潤んだ目をねだるように向けられて、九龍は反射的に頷いていた。 「もっちろん! 愛する明日香ちゃんのため、たとえ相手が異星人だろうと変質者だろうと」 「おい、九龍」 はあ、と大げさなため息をついて、皆守が九龍の肩に腕を乗せてきた。そのまま、耳元で呟くように。 「お前が誰に愛を囁こうが止めはしないがな、八千穂の言うことをいちいち真に受けて、関わってたらキリがないぜ?」 「でもほら、異星人はまあアレとしても、覗きがいるってのは本当っぽいしさ」 「だからってなんで俺たちが……」 「何ボソボソ言ってんの?」 「……いや、別に」 八千穂の鋭い視線が飛んで、皆守は再度嘆息して九龍から離れた。 「あッ、わかったァ!」 そんな様子に、八千穂は手を打ち鳴らす。 「さては皆守クン、怖いんでしょ?」 「な―――ッ」 絶句する皆守に、追い討ちをかけるように満面の笑顔を浮かべて。 「そっかそっか、ゴメンね怖いのに無理言って。そうだよねェ、誰でも異星人は怖いもんね」 「……誰が怖いって言ったよ? 異星人なんて、いるはずもないものを怖がっても意味がない」 明らかに挑発だったが、皆守はまんまと乗せられてしまったようだ。しめた、とでも言いそうな笑みで八千穂はひらひらと手を振った。 「いいよ、強がらないでも。みんなには内緒にしておいてあげるから」 「……ちッ、お前の内緒ほど信用できないもんはないぜ」 「言えてる」 皆守の独り言に、九龍も小さく同意する。首を傾げた彼女を適当にあしらって、皆守はまた苛立たしげに頭をかいた。 「わかったよ……見張ればいいんだろ?」 「へへへッ、ありがと〜」 さすが女の子は強い、と九龍は感心してしまった。色々文句を言いながら、皆守も結局は落ちてしまうわけだ。やはり、彼女には弱いということだろうか。 「じゃあ、二人とも頑張ってね!」 八千穂の声援を背中に受けて、皆守が渋々ながらもテニスコートを後にする。今日はツイてないぜ、と言う呟きを耳にした九龍は、隣に並んで肩を叩いた。 「まあまあ、とりあえず飯でも食って機嫌を直せ」 「……お前のせいだ、奢れ。うまく八千穂に乗せられやがって」 乗せられたのはどっちだよと思ったが、はいはいと笑って頷いておく。お互い明日香ちゃんには苦労させられるね、と思いながら。
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