木乃伊は暁に再生の夢を見る

4th. Discovery #3










 まだ十月頭とはいえ、さすがに日が落ちると肌寒い。
 マミーズで夕飯を済ませた九龍と皆守は、月明かりがぼんやりと照らす中、共に女子寮に向かって歩いていた。
「お前さ、昼にカレーパン食って夜にカレーライスって、よく飽きないよな。てか、昨日もカレー食ってなかったか?」
「何を食おうが俺の勝手だ」
 言い返した皆守の声はまだ不機嫌そうで、九龍は台詞をそのまま返してやりたくなった。
 例のごとく、マミーズでは皆守にカレーを勧められた九龍である。が、無視して別のメニューにしようとしたら、問答無用で同じカレーを注文された。勝手に決めるなと怒れば、あからさまに不機嫌になる始末。あのな、俺はお前と違うんだよ、たまにはカレーじゃないものを食いたいんだよ!
 このカレー星人め、睨みつけてふと思い出す。そういえば、とにやりと笑って。
「お前、保健室でうなされてたんだって? ルイ先生が言ってたらしいぞ、カレー星人って何だよ」
「……何?」
「あ、ひょっとして明日香ちゃんの言うとおり、本当は異星人が怖いんじゃ……うわッ」
 揶揄の台詞が言い終わらないうちに、皆守の蹴りが飛んでくる。だからお前、そのツッコミ激しすぎるっての!
「ちッ」
 辛うじて避けた九龍を睨んで、皆守は誤魔化すように舌打ちをした。あのカウンセラーめ、と忌々しげに呟いて、吹き抜ける風に身を震わせる。
「しかし、寒いな。九龍、お前は寒くないか?」
 ……さりげなく話題をそらしたな。
「寒いわ、あっためて皆守さん!」
「おッ、おいッ、そんなにくっつくな!」
 勢いで腕にすがりつくと、慌てたように邪険に振り払われた。また足が出ることを見越して身構えるが、寒かったら毛布でも取ってこい、と怒鳴られるだけに終わる。あれ、てっきり蹴りが飛んでくるかと思ったのに。
「なんだよ、寒いときは人肌が一番なんだぞ? 雪山で遭難して寝袋に包まって温め合う人のぬくもり! どんなにありがたいことか!」
「アホか、飛躍しすぎだお前は。ここは雪山じゃない」
 呆れたように言い捨てて、皆守はひとりごちた。
「やっぱりやめときゃよかったぜ、俺としたことがつい……。大体、こんな危険なことを同級生の俺たちに頼むか? 異星人相手に誘拐―――いや、変質者相手に怪我でもしたらどうするんだよ……」
「ああ大丈夫、その辺はちゃんと明日香ちゃんも人選した結果だろ? ほら、なんたってここに戦闘のプロが」
 にっこり笑って自分を指した九龍に、皆守は大げさにため息をついた。
「……お前に全て任せておけば、俺は何もしなくていい気がしてきた。しかし、これで風邪でもひいたらシャレにならないぜ。それに―――ん?」
 台詞半ばで、電子音が鳴る。メールを受信しました、と告げたのは九龍の《H.A.N.T》である。
「お前の携帯か?」
「だな……あれ?」
 ポケットからそれを取り出した途端、再度同じ音声が響く。
「またか。もしかして女からか? お前も隅に置けないな」
 《H.A.N.T》を開いた九龍は、皆守の言葉に苦笑した。差出人は一通目が八千穂、二通目は七瀬だ。まあ、女には違いないけど。
「えーと」
 ざっと読んで、更に苦笑する。八千穂は後で差し入れするから頑張ってね、という激励メールだった。彼女から事の次第を聞いたらしい七瀬は、異星人と遭遇した場合の注意を書いてくれていたが、字数オーバーで肝心なところが切れている。
「ん?」
 読み終えた九龍が《H.A.N.T》を閉じると、軽快な着メロが鳴り響いた。今度は皆守の携帯らしい。ポケットからそれを取り出した彼は、液晶画面を見て訝しげな顔をした。
「八千穂からだ。『どう、もう異星人に接近遭遇した? 月魅が言うには―――』」
 九龍に来たメールと、そっくり同じ文章を棒読みで読み上げる。
「……八千穂の奴、まさか俺たちが異星人と接触するのを期待してんじゃないだろうな?」
 言った途端に、今度は九龍と皆守の携帯が同時に鳴った。顔を見合わせてお互いの受信メールを確認するが、また八千穂から同じ内容だったらしい。
「『そんなトコでたむろしてないで―――』って、あいつ、どっかから俺たちを監視してんじゃないだろうな」
「え、でもお風呂って気持ちいいよね〜って書いてるぞ? ってことは今入浴中? 風呂からここが見えるわけ?」
 思わずきょろきょろと辺りを見回しつつ、女子寮の脇道へ入る九龍を、皆守は呆れた目で見守っている。あのさ、お前さ、ホントに十八歳の健全男子高校生か? もっとこう、何か反応してもいいと思うんだけど。
「おッ皆守、あそこの窓が開いてるぞ!」
「……なんでお前はそんなテンション上がってんだよ。こんなところでおかしな真似をして、騒ぎにでもなったら大変なことになるぜ」
「でもほら、いかにも覗いて下さいみたいな……」
「おいッ」
 伸び上がろうとした九龍の襟首を、皆守ががしりとつかんで引き戻した。うわ、首絞まる! 首絞まるっての!
「とにかくさっさと見廻りを済ませて―――
「いっひっひ」
 九龍を引きずる皆守の背後から、突然含み笑いが響いた。目を向けるといつからいたのか、まだまだ現役のセクハラ校務員・境である。
「ええ眺めじゃのお」
「このクソジジイッ、音もなく現れやがって!」
 堂々と覗き中らしい彼は、何やら持参の台に乗ってだらしなく鼻の下を伸ばしていた。怒鳴りつける皆守に、気にした様子もなく手を挙げて。
「いよォ、誰かと思えばカレーレンジャーと葉佩ではないか」
「誰がカレーレンジャーだッ!」
「ひひひッ、こんな夜中に女子寮の周りをうろついているとは……さてはお主らも、か?」
 意味ありげに向けられた視線を受け止めて、皆守がまた怒鳴りつけようとした。恐らく否定しようとしたそれを、遮るべく九龍は身を乗り出す。
「ちょっと聞いて下さいよ境さん、邪魔しやがるんですよこのカレーレンジャーが!」
「馬鹿、大声出すな!」
 襟首をつかんでいた手が、腕ごと九龍の首に回って口を塞いだ。制服に染みついたラベンダーの香りを、むせ返るほど吸い込んでしまって一瞬頭がくらくらする。だ、だから息! 息が苦しいんだって!
「言っておくが、俺は違うからな」
 背後から九龍の口を塞いだまま、皆守が境を睨みつけた。
「隠さんでもいいわい。じゃが、覗くのなら暗闇に煙草の火は目立つぞ?」
「だから俺は違うって言ってんだろうがッ! それにこいつは煙草じゃない、アロマだア・ロ・マ!」
 お前こそ大声出してんじゃないか、そう言ってやりたくて振りほどこうとすると、拘束する力が更に強くなった。お前、運動神経だけじゃなく意外に馬鹿力の持ち主でもあるのか?
「しかしあれじゃな、この場所を探し当てるとは。葉佩、お主もなかなかやるのお」
 もがく九龍を見つめて、境は一人で感心している。うんうんと勝手に頷くと、それじゃ儂は別のスポットへ行くからの、と暗闇に紛れて去っていった。
「……まさか、あいつが異星人騒動の犯人じゃないだろうな?」
「むぐ、ぐ……あ、ありえる」
 ようやく解放された九龍は、咳込みながら老人が去った方を眺めた。でも、そうだったらもっと前から明日香ちゃんが騒いでると思うんだよね。あの爺さん、ここに来てからずっと覗きを繰り返してそうだし。
「まァ、いい。さっさと見廻りを終わらせて、寮に帰るとしようぜ」
 息をついている九龍をおもしろそうに見下ろして、皆守がアロマを吐いた。月明かりにその紫煙の行方を追って、九龍は強く香るラベンダーを意識する。……うわ、また俺にも移ってやんの。
 嘆息しながらも、九龍は皆守の後について逆側の脇道へ回った。もちろんそこにも誰もおらず、境の姿もない。
「異常なしだな。もう見廻りはこれくらいでいいだろう」
「そうだな」
 とりあえず、俺は風呂に入ってこの匂いを落としたいよ。そんなことを思いつつ、九龍が頷いたときだった。
「ちょっと、君たち」
 背後から、軽い声がかけられた。驚いて振り向くと、革ジャンに派手なショッキングピンクのシャツを着た、見慣れない男が立っている。唇の端にぶら下がるよれよれの煙草と、オレンジ色のサングラス。九龍を映した目が、親しみを込めて細められた。
「ハローッ」
 感じた印象そのままに、男は軽い調子で挨拶をしてきた。どもハロにちわ、と反射的に軽く応えた九龍に、苦笑混じりの笑みを浮かべて。
「君は初対面の人に随分フレンドリィなんだな? 最近は不審者も多いから、気をつけた方がいいぞ」
「初対面の人にフレンドリィって、それはお互い様じゃないですかね」
 にっこり笑って返すと、少し眉が寄せられた。皆守が同じように顔をしかめる。
「なんだ、このおっさんは」
「おっさん……って、俺はまだ二十八歳だ!」
「威張るなよ。俺たちから見れば、十分おっさんだろ」
「うぐ……だからガキの相手は嫌なんだよ……」
 もっともなことを言われて、男は言葉に詰まった。気を取り直すかのように、わざとらしく咳払いをして。
「俺は鴉室洋介。ペット探しやら素行調査やら、依頼されたことを色々と調査するのが仕事さ。まァ、平たく言えば私立探偵ってヤツだな」
 あむろ・ようすけさんねえ。九龍は改めて彼の全身を眺め、何かを思い出して少し笑った。確かに、いかにも探偵ドラマの影響を受けてそうな格好ですこと。
「えーっと、君たちはこの學園の生徒かい?」
 無愛想にパイプをくわえている皆守よりも、親しみやすそうな九龍に的を絞ったらしい。実は色々と訊きたいことがあってね、と鴉室は人好きのする笑顔を浮かべた。
「その前に」
 そんな鴉室と九龍の間に立ち塞がるようにして、皆守が口を挟む。
「天香學園は完全な全寮制で、関係者以外は敷地内に入れないようになっている。何故探偵がこんなとこにいるのか、説明してもらおうか?」
「ふむ、そこの無気力高校生君の言うことももっともだ」
「……」
 顎を撫でて納得する鴉室の言葉に、皆守が無言で眉根を寄せた。無気力高校生君。おお探偵さん、ナイスあだ名。
「実は、俺は探偵といっても普通の探偵じゃなくてね。仕方がない、姿を見られた以上、君たちには話しておく必要があるかもしれないな。一回しか言わないから、よく聞いておくんだ」
 鴉室は神妙な顔つきになって、低い声で切り出した。もちろん、向けた視線は皆守ではなく九龍である。
「遠い昔、遥か彼方の銀河系での話だ。我が銀河連邦警察は、宇宙の秩序を脅かす邪悪な異星人を追って、この地球を調査対象としていた」
 早速皆守が胡散臭そうに顔をしかめたが、九龍はうんうんと続きを促してみせる。よくまあそんなでまかせを思いつくもんだ、と感心しながら。
「君たちが悪魔や化け物として恐れている存在は、正に異星人に他ならない。その悪の異星人たちと戦うために、俺のような宇宙刑事が世界各地に派遣されているってわけだ」
 おお、宇宙刑事だって。これまたえらく広げたね。
 どこまでこの話を貫き通すのか、どういうオチをつけるのか、九龍は興味津々である。鴉室は少し言葉を切って、ちらりと九龍を見た。更には―――と言いかけた後、うかがうような目をそらす。そのまま、ぽりぽりと頭をかいて。
「……まだ聞くの?」
 刹那、悲鳴と共に彼の長身が吹っ飛んだ。見ると、皆守が両手をポケットに入れたまま、片足を上げて彼を睨みつけている。……うわ、相変わらずお見事なツッコミ蹴り。
「え……延髄が……くぉらァァァッ! いきなり蹴りやがって、何すんだこのガキッ!」
 倒れ込んだ鴉室はものすごい剣幕で怒鳴ったが、皆守は冷ややかにそれを見下ろして。
「真面目に聞いてれば、突拍子もない話並べやがって。さっさとこの學園にいる理由を話してもらおうか」
 どうも嫌いな類の冗談だったのか、半眼がいつも以上に据わっている。鴉室は圧されたように引いて、話せばいいんだろと呟いた。
「……俺はこの學園で行方不明になった生徒の、親に依頼されて来たんだよ」
 なるほど、と九龍は納得した。そういえば行方不明の生徒たちって、警察も捜索を打ち切ったって明日香ちゃんが話してたっけか。だったら興信所に、って親もいそうだよな。
「なんでもその生徒は、ある日この學園で忽然と姿を消し、いまだに見つかっていないそうじゃないか。家出にしては不審な点が多いし、學園もこれ以上の捜索には協力できないって言ってるらしい。だから俺が雇われたってわけさ、不法侵入など違法調査を承知でな。色々調べてみると、この學園はなかなか興味深い。俺は、ここには何かあると思うね。隠された秘密ってヤツがな」
 無言のまま、九龍は皆守と目を合わせた。行方不明の生徒というのは、ほとんどが《墓地》に入り込んだ者や《生徒会》に処分された者なのだろう。伊達に宇宙刑事、否、私立探偵を名乗るだけあるということか。
「しばらくはどこかに潜伏しながら、この學園を調べさせてもらうさ」
 自信たっぷりに鴉室はそう言ったが、九龍は少しだけため息をついた。基本的に悪い人間ではなさそうな彼の無事を願おう。
「言っておくが、先生にチクっても無駄だぜ? この學園には一応、俺の協力者もいることだしな」
「え?」
「おっと、じゃあ俺は調べるとこがあるんで行くぜ。またな、ベイビー」
 大げさにかっこをつけて決めると、探偵は身を翻して走り去っていった。恐らく、彼が雛川の言っていた『不審者』なのだろうが。
「……ベイビーだってさ。あの探偵さん、どうも俺らをガキ扱いしてるよな」
「ガキ扱いされてるのはお前だけじゃないのか」
「なんでだよ」
「信じかけてたんだろ? 宇宙刑事」
「え、だって本当だったらおもしろくないか? 変身とかできるんだぜ」
「……」
 皆守は呆れたように九龍を見て、あいつが覗きの犯人という可能性もあるな、とつけ加えた。うーん確かにあの探偵さん、見るからに女の子好きそう。でも、協力者って一体誰なんだろ。
「ああ、そういや買っておいたの忘れてたぜ」
 ふと思い出したように皆守が言って、制服の両ポケットを探った。少し冷めちまったなと呟きながら、缶コーヒーを取り出して。
「お前にも一本やるから飲めよ」
 ほらよ、と左手の缶を差し出される。え、何、お前優しくないか今日?
「ありがとう皆守、もー大好き愛してる!」
「わかった、わかったからそんなにくっつくな!」
 感極まって抱きつくと、腕を突っ張って引き剥がされた。嫌そうな顔はしているが、今度も足が出ることはない。……あれ、今一瞬物足りないなーって思っちゃったよ。やだやだ、蹴られるツッコミが癖になってたりして。
 受け取ったコーヒーは、まだちゃんと温かかった。両手で包むように持って、九龍は再度礼を言う。おう、と皆守が微笑んだように見えた、そのときだった。
 脇道の、向こう側。草むらを移動するような、何かの音。
「……ん?」
 訝しげに、皆守が見やる。九龍の感覚が人の気配を捉えた、その瞬間。
 振動音がした。機械的な音が、地を這うようにして響く。続いてフラッシュでもたかれたかのような、まばゆい光の点滅。
「うッ―――!」
 九龍はとっさに視線をずらしたが、皆守はまともに見てしまったようだった。衝撃で足元をふらつかせた彼の腕を支えると、白い煙が充満し始めた。
「ゲホッ、ゲホッ、なんだ、この煙はッ!」
「吸うな、皆守!」
 催涙か催眠かもしくはただの煙幕か、何にせよ人為的に撒かれた煙だ。ぐっと息を止めると、また強い光が網膜を射抜いて、そして。
「お、おい九龍ッ!」
 皆守が見つめる先に、奇妙なシルエットが浮かび上がっていた。スポットライトの中心に佇む、妙に細身の影。
「ワレワレハ」
 その物体が言葉を発した。少々耳障りではあったが、れっきとした日本語だった。
「ワレワレハ、コノ惑星カラ、六十九万光年ハナレタ星カラヤッテキタ」
 ……え、えーと。
 最初の驚きから一気に冷静さを取り戻して、九龍はどこからツッコミを入れるべきか迷ってしまった。何か機械を通しているようなわざとらしい音声が、かえって胡散臭さを強調している。と、とりあえず自己紹介ありがとう、六十九万光年の異星人さん。
「九龍……やっぱり、この宇宙に異星人はいたんだ」
「へ?」
 呆れてその影を見つめていた九龍は、皆守の真剣な口調にぽかんと間抜け面になった。見ると、彼は目を見開いて半ば言葉を失っている。待て、お前ひょっとして、本気で驚いてる?
「ワレワレヲ探シテハナラナイ。ワレワレノ調査ノ邪魔ヲスレバ―――タダチニ母船カラ、多クノ同胞ガコノ惑星ヲ攻メニクル」
 妙に芝居がかった口調の異星人に、皆守は息を飲んで呻いた。
「七瀬たちの言っていたことは正しかった……」
「え、ちょ、皆守?」
 思わずその腕をつかんで、大丈夫かと揺さぶってみる。彼は微動だにせず、ぐっと拳を握り締めて。
「今、俺たちは地球人の歴史的瞬間に立ち会っているんだッ!」
 ―――うわ、皆守が壊れた!
 いつも冷静な彼が珍しく取り乱す様子に、九龍もつられて動揺してしまう。どどどどうしよう、ここは俺も乗っておくべき? そうだよこれぞ第三種接近遭遇だよ、俺ら地球人代表として恥じないよう毅然とした態度を取るべきだよ、とか?
「……繰リ返ス。ワレワレヲ探シテハナラナイ。ワレワレヲ―――
 突然、ブツッという音がして異星人の声が切れた。続いて周囲が真っ暗になる。―――今のは、ブレーカーが落ちた音だろうか。
「きゃァァ、何、停電?」
「何で突然? そんなに電気使ってないよね?」
「あれ? 何、この太いコード? 外に伸びてるんだけど」
 案の定、隣の女子寮から悲鳴が降ってくる。……勝手に電気を拝借してたわけですか、ご苦労様です異星人さん。
 すぐ暗闇に慣れた九龍は、改めてその『異星人』を観察した。月明かりに照らされた、その正体は。
 頭、というか顔の大きな男子生徒だった。生徒というのは、辛うじて見えた制服からそう判断できただけだ。首元に見える紫色のフリルレースと、恐らく改造したのであろうベルボトムは、明らかに普通の男子生徒とは思えない。更に、唇には一輪の薔薇がくわえられている。
「……」
「……」
 しばらくは皆守も、その男も無言だった。さてどうする異星人、と九龍が事の成り行きを見守っていると。
「ワレワレヲ―――
 未知との遭遇演出を続けることにしたらしく、男は往生際悪く台詞を繰り返そうとした。が、それは最後まで言えずに。
「おぐォッ!」
 皆守の投げた缶コーヒーが、見事その顔面に直撃する。悲鳴を上げて倒れた彼を冷ややかに見つめる皆守は、いつもの皆守に戻っていて。
「悪い悪い。つい投げちまった」
 全く悪いとは思っていない軽さで、アロマに火をつけ直している。呻きながら悶えて転がる男子生徒に、九龍は少しだけ同情してしまった。中身の入った缶コーヒー……破壊力ありそうだな。
「ちょっとアンタ、痛いじゃないのよッ! 当たりどころが悪くて死んだらどうすんのッ」
「やかましいッ!」
 ぎゃんぎゃんと吠えるエセ異星人に怒鳴りつけて、皆守は癖毛をかき乱した。野太い女言葉も気にならないほど怒っているらしい。
「この野郎、驚かせやがって。紛らわしい登場すんじゃねェッ!」
 一瞬本気で信じてしまった己の失態を、誤魔化すようにも思える剣幕だった。男子生徒は気にした様子もなく、高笑いでそれを一蹴する。
「オーホホホッ、気に入ってくれたかしら?」
 開き直ったのか、彼は軽やかに近づいてきて悪びれずに微笑んだ。つか、近くで見るともんのすごい濃ゆいキャラなんですけど異星人さんッ。
 くるりと渦を描いて額に垂らした一房の前髪。つぶらな瞳にアイシャドウは濃く、真っ赤な口紅に髭剃り跡も濃い。身体のラインはしなやかで細身のくせに、顔だけが大きく目立つせいで妙にバランスを狂わせる。えーと、これはいわゆる、オカマさん?
「そこのアナタ、アタシの華麗なる演出に感じちゃったでしょ?」
 うふふと含み笑いながら、熱い視線を向けられる。か、感じたというか呆れたというか、まあ笑いのツボには入ったかもしれないけど。
 それを遮るように、皆守が距離を縮めて問い詰める。
「さては、お前が異星人騒動の犯人だな? おとなしく、そのマスクを取ってもらおうか」
「キィィィッ、地顔よ地顔ッ!」
 漫才のような掛け合いに吹いてしまいながら、九龍は皆守に賛同した。確かにマスクだと思っても仕方がないくらいの違和感だ。境や鴉室探偵も怪しいといえば怪しかったが、異星人騒動はさっきの演出で決定的だろう。
「アタシの名前は朱堂茂美、美しく茂ると書いてシゲミよ。すどりん♪って呼んでね」
 台詞の最後にハートマークをつける勢いで、スドウと名乗った生徒はしなを作る。
「アナタたちは皆守甲太郎と、そっちは転校生の葉佩九龍」
「……なんで俺たちの名前を?」
「この學園のイイオトコは全員、このすどりんメモに網羅してあるの」
 手帳を取り出して、朱堂はフフフと笑ってみせた。おお、と九龍は顔を輝かせて。
「皆守、俺らイイオトコだって!」
「オカマの美意識基準選択で喜ぶなッ」
 どか、と軽く背中に蹴りが入った。いやお前を選んでるってことは、普通にちゃんと見る目あると思うぞこのオカマさん。
「このメモにはそれ以外にも、色々と気づいたことを書いてあるのよ。えーと、例えばそうね……」
 女子寮から漏れる光で、朱堂が手帳をめくって読み上げる。
「キレイな眉の描き方とか、小顔に見せるメイクでしょ? リバウンドしないミクロダイエット、着痩せする服選びでしょ? そして天香學園における女生徒の生態と傾向―――でしょ?」
「……」
 手帳を閉じた朱堂は、反応をうかがうようにこちらを見つめてきた。まっすぐ視線を受け止めて、皆守が低く呟く。
「……お前が八千穂や他の女生徒たちを監視していたんだな?」
「そうよ、何故ならアタシはビューティーハンターだから。さァ、アナタたちもアタシを呼びなさいッ、ビューティーハンターとッ!」
「ビューティーハンター!」
 ノリにつられて思わず大声で言ってしまった九龍の口を、皆守がまた背後から慌てて塞いだ。だからなんでお前はそんなテンション上がってんだよ、と耳元で呟かれる。
「ちッ、この変態野郎ッ。まァいい、こんな馬鹿らしいことは今夜限りでやめにしてもらうぜ」
「ご苦労なことね。女生徒のことなんて放っておいて、寮で寝てればいいものを」
 くわえていた薔薇の花を弄んで、朱堂が他人事のように言った。ふん、と皆守が笑う。
「言われなくとも、お前を捕まえたらそうするさ。なァ、九龍?」
「おうよ! 寒い夜は一緒に寝て温め合うのが一番だもんな!」
 解放された口で即行同意した九龍だったが、それだけでも癪なので、反撃とばかりに寄り添ってやった。皆守が絶句する。
「……は? お前、それはどういう意味だよ……」
「あら、アナタたちそういう関係なの? 実はアタシも馬刺しとイイ男には目がないのよ、なかなか気が合うわね」
 興味深そうな朱堂の言葉を聞いた途端、九龍はものすごい勢いで引き剥がされた。背中から蹴り倒されて、更にそのまま足蹴にされる。うわもう、足跡つく足跡! てかお前、そんなに過剰反応することないだろ!
「み、皆守さん、ドメスティックバイオレンス……」
「暴力夫は苦労するわよ、葉佩ちゃん」
「誰が夫だ!」
 情けない声をあげた九龍に再度蹴りを入れて、皆守は憤慨して怒鳴りつけた。そのまま、怒りの矛先が朱堂に向かう。
「とにかく俺たちと一緒に来い。なんで女生徒を付け回すのか、たっぷり理由を聞かせてもらおうじゃないか」
「……ふふん、アナタたちにアタシが捕まえられて?」
 朱堂が挑戦的な微笑を浮かべて、皆守がスタートダッシュの態勢を取る。立ち上がった九龍も、よっしゃ行くぜとばかりに身構えた時だった。
「ちょっとォ、何か外で男の声がしない?」
 女子寮の窓から聞こえた声に、三人は思わず固まった。
「もしかして、例の痴漢じゃないの?」
「マジで〜? ちょっと、武器になりそうな物ある?」
「あたし剣道部だから、木刀持ってるよ」
「私も弓道部だから弓があるわ。待ってて、今用意するから」
「包丁とかなかった? あ、ここに金属バット」
 なにやら不穏な空気をかもし出す頭上の女生徒たちに、九龍も皆守も、朱堂も一瞬顔を見合わせた。ぎこちなく、朱堂が片手を上げる。
「……それじゃ、アタシはこの辺で」
「おう、またな―――ってなわけにはいくかッ!」
「ぶはッ!」
 予想外だった皆守のノリツッコミに、吹き出した九龍はスタートが遅れた。駆け出す皆守の背中を慌てて追うが、意外に朱堂の足も速い。
「あァァァッ、あれを見て! 雛川先生が着替えてる!」
 わざとらしく後方を指す朱堂の叫びを、九龍はいまだ爆笑していてよく聞いていなかった。そして雛川にも女教師の着替えにも興味がないと思われる、皆守に通じるわけもなく。
「ここは学生寮だ、教師たちの住んでる家は別の場所。雛川が見えるわけがない。つくんならもっとマシな嘘をつくんだな」
「フンッ、やるじゃない。シゲミ、ダァァァッシュ!」
 オホホホ、という馬鹿にしたような笑い声と共に、朱堂は走るスピードを上げた。あっという間に見えなくなるその姿に、皆守が舌打ちをして。
「逃がすかよッ。おい九龍、お前はいつまで笑ってんだ!」
「だ、だって……」
 まさかノリツッコミしてくれるとは思わなかったんだって。笑っているせいで走る足も頼りなく、朱堂どころか皆守にすら距離を離されつつある九龍である。もちろん、普段なら軽く追いつけようものなのだが。
「野郎……どっちに行ったんだ?」
 暗闇で見失った朱堂を探して、皆守が寮の前で立ち止まった。ようやく追いついた九龍は、息を切らしながら辺りを見渡す。
「オカマの脚力、ナメたらあかんぜよォォォッ!」
 どこからか響く嘲笑の声が、その位置を知らせてきた。―――今のは、墓地の方角か?
「あっちかッ!」
 皆守が睨んで駆け出したのも、思ったとおり墓地の方である。
「おい、九龍ッ。俺があいつを追いかけるから、お前は部屋に戻って武器になりそうなものを取ってこい。あのオカマがおとなしく捕まるとは思えないからな」
 振り向いて言う姿が珍しく生き生きしているように見えて、九龍は思わず言い出し損ねてしまった。あの、あのさ皆守、あいつって。
 もしかして、《生徒会執行委員》だったりしないか?
「詳しくは後でメールを送る。武器は任せたぞ、じゃあな」
 早口で言うと、皆守はすぐ身を翻して行ってしまった。……あの異星人演出、よっぽど腹が立ったのかな。本気で動揺してたもんな、あいつ。
 背中を見送って、とりあえず九龍は男子寮へ戻る。朱堂が執行委員だとしたら、女子寮の異星人騒動は彼の監視が引き起こしたものなのだろうか。今まで対峙した執行委員―――取手と椎名を思い浮かべて、わずか九龍は苦笑した。なんか、執行委員のイメージ変わったなあ。崩れた、とでもいうか。
 とにかく、彼がそうならまた戦いは避けられないだろう。墓地から遺跡の中へ逃亡する可能性もある。ならば、新しい扉が開くいい機会かもしれない。対化人、対執行委員の心構えで臨んだ方がいいな。
 自室へ戻り、あれこれ武器を用意していると、《H.A.N.T》がメールの受信を告げた。皆守からだった。件名は、『早く来い』。
『今、墓地にいる。あの朱堂とかいうオカマを追っていったら、野郎……こともあろうにあの地下の遺跡に続く穴に入っていった。勘弁してくれよ……。俺一人であんな変態と狭い場所に入るのは非常に(←ここ四倍角)イヤなんで、早く来てくれ。待ってるからな』
 文面のそこかしこが、ああいうキャラは苦手なんだよと暗に訴えているように見える。俺はおもしろいから結構好きだけど、余程嫌なんだろうな皆守の奴。てか俺と一緒だったらいいってことは、俺が身を挺して変態・朱堂から守れってか?
 複雑な気持ちでいつものベストを身につけると、ポケットに入れたまま飲めなかった缶コーヒーを思い出した。すっかり冷めてしまったそれを弄んで、机の上に置いて、少しだけ九龍は笑う。皆守は皆守なりに、きっと色々気を使ってくれているのだろう。しょーがないなあ。
 少し考えて、カレーパンを手にする。お礼を兼ねたご機嫌取りだ、と思いながら。






→NEXT 4th. Discovery#4



20130322up


BACK