木乃伊は暁に再生の夢を見る

4th. Discovery #4










 墓地の薄暗闇に紛れ、木にもたれて皆守はアロマを吸っていた。忍ぶように駆けてきた九龍を見て、例の墓石の穴を指す。
「一般生徒なら、あの遺跡どころか墓地に入ろうとも思わないはずだ」
「だな。やっぱり執行委員か?」
 いつものように《H.A.N.T》を起動させながら、垂らしたロープを滑り降りる。遺跡の静寂に変わりはないが、大広間中央の淡い光は北―――十一時の方向だ。
「新しい扉が開いてるってことは決定的、っと」
 光が差す方向へ階段を上がりながら、九龍は心持ち気を引き締める。とすると単なる逃亡の結果ではなく、執行委員として《転校生》を倒すためにこの場所に来たのかもしれない。
「でもなんか執行委員って、取手やリカちゃんの儚げなイメージが強いからさ。朱堂って、何か違うよな」
「……まあな」
 扉に手をかけた九龍は、知らず本音を呟いた。独り言だったが皆守にも聞こえたらしく、同じ苦笑混じりで同意してくれる。まあ、執行委員にも色々いるってことなんだろうけど。
 扉を開けると、壁に規則正しく石が飾られている通路だった。水晶に似た輝石は、それ自身が淡い金色の光を放っている。
「なんか、石好き黒塚の喜びそうなところだな……ん?」
 階段を上がって右の奥、扉の前に石碑が立っている。それはいいとして、その隣に落ちている紙切れ。過去にここを進んだ江見睡院なる人物が残した、いつものメモかと思いきや。
「な、なんか妙にピンク色なんですけど?」
 恐る恐る覗き込むと、ふわりと花の匂いがした。皆守のラベンダーのように優しいものではなく、きつく鼻をつく香水の香りだ。う、くしゃみが出そう。
「えーと、『アタシの名前は朱堂茂美……』」
 薔薇があしらわれたファンシーな便箋の、几帳面な文字を追う。あああ。頭痛がしてきた。
「キスマークつきで破壊力抜群だな、このすどりんメモ」
 手には取らず、指で示して皆守にも見せてやる。彼は露骨に嫌そうな顔をした。
「触るなよ。アロマと混ざって変な匂いになる」
「言われなくても触りません」
 ふーと嘆息し、気を取り直して石碑に向かう。《H.A.N.T》を使わなくとも解読できる、単純な古代文字だった。
『走れ。全てを失わぬうちに。倒せ。闇の奥で牙を磨く毒蛇を』
「……走って、倒す? 単純明快だこと」
 肩をすくめて、扉に触れる。開く前に振り向いて、にっこり笑ってみせた。
「皆守はここにいてもいいんだぞ?」
「アホか。あのオカマ野郎を直接問い詰めないことには気が済まない」
「言うと思った」
 笑いながらも、九龍は少しだけ考えた。異星人騒動からなし崩し的に遺跡探索に入ってしまったが、未踏の区画だけに普段より多くの危険が伴うだろう。大丈夫、と自らに言い聞かせる。大丈夫。守るべきものとして意識すれば、今度はこの手でしっかりと。
 部屋に足を踏み入れた途端、背後の扉が自重で閉まった。同時に、施錠された音。状況を確認する暇もなく、《H.A.N.T》が素っ気なく告げてくる。作動音を確認。
「……なるほど」
 上を見上げて、九龍は呻く。背後で、皆守も絞り出すように言った。
「吊り天井か」
 先端の尖った杭が、何本もこちらに剥き出しになっている。歯車が回るような振動で、ゆっくり降りてきていて。
「走れ、倒せ……」
 石碑の文字を反芻し、九龍は狭い通路になっているその部屋を見渡した。向こう側の扉のそば、見慣れた蛇の杖に目を留めて。
「来い、皆守!」
 腕を引いて、走り出した。飛びつくようにして、そのスイッチを引き倒す。これで罠が解除されるはず、と思いきや。
 いつもの手ごたえではなかった。何か、杖の内側で砕けるような感触があった。
「まさか」
「……壊れたのか?」
 戦慄した。古代の叡智とはいえ、人間の創り出したものに絶対はないと九龍は思う。長い年月を経て、正常に動作しなくなることもあるだろう。無論そういう状況も、今までに経験済みではあるのだが。
 もう一度、杖に手をかける。それ以上動く気配はない。天井から降る砂が、次第に焦りを募らせる。九龍は部屋の両端に並んだ石像を見て、天井を見て、開かない扉を見た。杭を見上げている、皆守を見つめた。
「ちッ……」
 舌打ちして、石像が掲げ持つ輝石を蹴り上げる。思ったより軽く外れたそれを手に、九龍は像の台の上に飛び乗った。
「おい、九龍!」
 伸び上がって、天井と壁の隙間に挟み込む。動きはわずか鈍くなったが、すぐに石は音を立てて破壊された。……黒塚がいたら、悲鳴を上げて止められてたかも。
「馬鹿、早くそこから降りろ!」
 気がつけば、杭がすぐ頭上まで迫っている。九龍は身を縮めながら、素早く石像を調べて確信した。
 ―――これは、仕掛けが壊れたわけではない。誤作動でもない。侵入者を試すため、最初からこういう罠なのだ。
 飛び降りた九龍は、そのまま皆守を壁に押しつけた。溝のようになっていた足元で、澄んだ水がはねる。
「ここにいろ!」
 驚く彼の肩を押さえて、九龍は天井を振り仰ぐ。木の杭は中央の通路の幅だけ設置されている。天井の両端、石像があるこの位置にはない。
「ここなら、あれが刺さることはないから」
「……どっちにしろ、天井ごと落ちれば潰されるぞ」
「大丈夫、信じろ」
「何を!」
 声を荒げる皆守に、九龍はにっこり笑ってみせる。
 《生徒会》の人間は素通りできるとしても、江見睡院のような侵入者がいたのなら、この罠も一度は作動したはずなのだ。
「石像には、かすり傷一つついていなかった」
 は、と見開かれた皆守の瞳を覗き込む。
「天井は石像を傷つけるような位置まで降りてこない」
 遺跡の罠は、侵入者を試すためのもの。例えば知恵。そして勇気。洞察力と、冷静な判断。
「つまり、罠は石像の上で止まる!」
 九龍の言葉と同時に、蛇の杖の奥から音がした。かちり、と歯車が合わさったような作動音の刹那、見計らったかのように天井が止まった。
「……」
「……」
 知らず縮めていた身体で、お互いの顔を見合わせる。見上げると、降りてきたときとは全く違う静かな動きで、天井がゆっくりと上がってゆくところだった。
『罠を回避しました』
 素っ気ない《H.A.N.T》音声と共に、名残りのように砂が落ちる。九龍は押さえつけていた手を離し、ふ、と笑って癖毛に乗った砂を払ってやった。
「ほら。大丈夫だっただろ?」
 気がつけば入ってきた扉も、反対側の扉も開錠されている。皆守は安堵に大きく息をついて、足元の溝から抜け出した。
「……さすがだな、と言うべきか。本当に壊れてたりしたらとか、考えないのか?」
「あ、もちろん蛇の杖を倒さないままだったら止まらなかったと思うよ。わざわざ古代人が残してくれたヒントを無視したってことになるしね」
 砂を払うべく犬のように頭を振って、九龍は皆守を振り返る。
「それに、墓は死を感じる意識に敏感なんだ。諦めや不安は死を呼び寄せて現実にする。常に生きることを考えて、慌てず取り乱さず状況を判断するのが《宝探し屋》ってわけ」
 九龍の話を聞きながら、皆守は取り出したジッポーを鳴らした。アロマに火をつけて、少し燻らせて。
「……頼もしいな。《宝探し屋》ってのはみんなそうなのか」
「まあね」
 笑顔で返して、九龍は扉を開けた。悟られないように、こっそり自嘲する。
 けれどどんなに意志を強く保とうと、どんなに生に執着しようと、避けられない運命があることを自分は知っている。だからこそ抗えと笑った顔を思い出して、深く息を吸い込んだ。そう、だからこそ。
 開けた扉の向こうには、この区画初めての化人がいた。敵さんのお出ましだな、と皆守が面倒くさそうに呟く。すぐ近くに蠍、その奥に見慣れない化人。両腕に無数の不気味な顔を持つ巨体だ。
「皆守はここにいろ」
「言われなくても」
 言うと同時に素早くマシンガンで蠍を倒し、続いて九龍はその巨体へ銃口を向けた。化人は地響きを上げながら迫ってくるが、目立つ腕を狙い撃つとあっさり光の塵と化した。よし、楽勝。
「うおっと!」
 拓けた部屋に躍り出ると、また新たな化人が目に入った。鞭のように両手を垂らし、大剣を背負った女性の姿。
 ふと、金髪美女がどうとか言っていたクラスメートを思い出してしまった。あいつらだったら、相手が化け物だってわかってても興奮の対象になるんだろうか。化人のお姉さん、金髪じゃないけどなかなかの半裸ナイスボディ。
 すかさず銃弾を撃ち込むが、ダメージは低いようだ。ならば、と銃弾で怯んだところをナイフで薙ぐ。恨みがましげな声に断末魔が重なる。 彼らは全て《カァ》が具現化したもので、実際には肉体を持たない敵とはいえ、肉を断つ感触と悲鳴は紛れもなく生物そのものだ。けれど、ためらいはこちらの命を危険に晒すだけ。九龍は銃とナイフを使い分けながら、確実に残りの化人を倒していった。
『敵影消滅』
 最後の悲鳴に、《H.A.N.T》音声が重なった。扉にもたれていた皆守が目を上げる。
「……お前、相変わらず容赦ないよな」
「お褒めの言葉ありがとう」
「別に褒めてない」
 てへ、と笑って銃を下ろし、ナイフを収める。刃が赤く染まっていないことに違和感を覚えた九龍は、皆守に気づかれないよう頭を振った。……慣れって怖いよな。
「さーてと……」
 誤魔化すように部屋を見渡して、また扉が施錠されていることに気づく。とりあえず隅に置かれていた宝物壷を開けると、丸い石版のようなものが入っていた。《H.A.N.T》の分析によると、鼓吹幡旗。
「つづみふえはた……? うーん、漢字って難しいよねえ。外国育ちの俺には読めないや」
「安心しろ、日本人でもそんなものはそうそう読めないだろうさ」
 《H.A.N.T》画面を覗き込んだ皆守が、呆れたように呟いた。
「花の頃に魂を祭るために使われる祭具、だって。お、石碑発見」
 近づいて読もうとするが、文字が磨り減っていて解読できない。刻まれたそれを指でなぞるようにしながら、九龍は思わず皆守を見上げた。
「……お前が読めないものを、俺が読めるわけないだろう」
「ごもっとも」
 訴える目に悟ったのか、彼はさらりと告げてくれる。うーんうーん、七瀬ちゃんがいたら簡単に読んでもらえたかもしれないのに。
 部屋の中央に立つ柱に目を向けて、九龍は石版を手に考え込んだ。柱の四面にはそれぞれ丸いくぼみがあり、どこかにはめ込めば扉が開くということなのだろう。ぐるぐる回って壁の絵柄の違いを確かめ、九龍はぽんと手を叩いた。花の頃に魂を祭る、ということは。
「つまり、花が咲いてる模様のとこにはめればいいんじゃん?」
「……《宝探し屋》がそんな適当なことでいいのか?」
「勘も必要なスキルだからね」
「……間違えれば何かが飛んできそうだが」
 皆守が無表情に壁を指して、ふんと鼻を鳴らした。いかにも矢か何かが発射されそうな射出口が開いている。
「じゃあ皆守、ちょっと離れてて」
 万が一を考えて、と笑うと彼はおとなしく従った。意外に過保護で心配性なはずの彼が、素直に言うことを聞く様子に少し驚く。……なんだ、結局俺のこと信用してくれてんじゃん。
 満開の花が彫られている面に石版をはめ込むと、開錠音がした。ほらね、と皆守に目配せして、九龍は新たに開いた扉を開けた。
 待ち構えていた化人を反射的に殲滅し、奥のはしごを用心深く上がる。顔だけ覗かせ、上の階を確認して。
「……おっけ、化人も罠もないみたい」
 ひょいと上がって、階下の皆守を手招きする。はしごを踏みしめるその足音を聞きながら、九龍は改めて辺りを見渡した。
 同じような形をした坐像が、ずらりと並んだ部屋だった。どれも向き合っているように見えたが、よく見るとあさっての方向を見ているもの、首自体がないものもある。
 隅の石碑によると、伊邪那岐の禊払いによって生まれた二十四の神を表しているらしい。
「座して向き合い尊き神について語り合った、ってことは向かい合わせろってことだな」
 一体一体調べて歩く九龍の後ろを、皆守が眠いだのダルいだの、カレーが食べたいだの言いながらついてくる。ああもう、わかったわかった。九龍は苦笑してベストを探った。
「ほれ」
 ぽん、とカレーパンを投げてやる。
「それやるから、ちょっとおとなしくしてろ」
 缶コーヒーのお礼だ。つけ加えると皆守は少し目を丸くした。ふんと鼻を鳴らしてみせたが、機嫌がよくなったのは一目瞭然だ。早速包みを剥いて食べ歩く彼を見て、九龍は笑いながら肩をすくめた。さすがカレー星人。
 首がないものは省くとして、向かい合っていない坐像は四体あった。てか、ご丁寧にあの蛇の杖がついてんじゃん。九龍は順にそれを倒して、坐像の首を動かしてゆく。
「で、これが最後……あれ?」
 手にかけた蛇の杖が動かず、《H.A.N.T》が情報を伝えてくる。動力連結部が破損、ワイヤーにて修復可能。
 破損。少しだけ、薄ら寒い気持ちになる。これがわざとなのか、それとも長い年月の間に本当に破損してしまっているのか。後者だとすれば、先ほどの吊り天井の部屋が思い出されて肌が粟立った。あのとき、本当に仕掛けが壊れていたなら。あのまま、天井が止まらなければ。
 どんなにもがいて足掻いて執着しても、訪れるときに死は訪れる。遺跡と共に埋もれて、永遠の眠りについて、そして。
「……九龍?」
 カレーパンをくわえたまま、皆守が訝しげに声をかけてきた。首を振って考えを断ち切ると、九龍は改めて作業に専念する。考えるな、ここは死者が眠る墓。死は死を呼び、死を引き寄せ、死に引きずり込んで死者とする。……えーと、ワイヤーワイヤー。代用できるかな。
 常時装備している腰のワイヤーガンを抜いて、ワイヤー部分を抜き取った。蛇の杖の根元に巻きつけ、固定して応急処置を施す。よし、これでとりあえずは動作可能。
 杖を倒すと同時に、すぐ近くで開錠音がした。九龍はそばの扉に目を向けて、落ちている睡院メモ―――否、すどりんメモに気づく。
「届けアタシの二酸化炭素、早くアタシの下にたどり着いて熱く抱きしめてちょうだい……」
 読み上げると、語尾が知らず苦笑混じりになった。ああ考えただけで鼻血が、と便箋の下に血痕までついている。
「待ってるわ、ハニー♪だってさ」
「黒塚といい、妙な人種に好かれる奴だなお前は」
「……ハニーって俺かよ……」
 脱力して肩を落とした九龍は、知らず情けない顔になる。おもしろいからという理由で朱堂のようなキャラは嫌いではないが、そういう対象として自分が狙われるとなると話は別である。
「んじゃ早く行って、熱い抱擁の代わりに熱い弾丸をぶちかましてやりますかね」
 マシンガンを示すと、皆守は我関せずと言いたげに天井を仰いだ。
 扉を開けると、いきなりの暗闇が辺りを支配した。
『敵影を確認』
 《H.A.N.T》が告げて、九龍は刹那緊張する。壁に埋め込むように彫られた石の像の、頭上の輝石が淡い光を放っているが、それだけでは暗すぎる。自分の周囲がぼんやりわかるだけで、あとは闇だ。
「ちッ」
 暗視ゴーグルの電源を入れ、熱源反応で確認すると、化人は全部で六体。
「おい、この状況はヤバくないか?」
「ちょっとだけそこで待ってろ!」
 皆守の台詞を聞きながら、九龍はナイフを構えて右へ走った。すぐ袋小路となったそこには二体の化人がいたが、確実にその《カァ》を削いで倒す。これで、もうこちら側に敵はいない。
「皆守!」
 素早く戻った九龍は、皆守の腕をつかんで引き込んだ。
「こっちなら安全だ、動くなよ!」
「おい、九龍!」
 言って逆側に駆け出して、途中にいた巨体の化人と蠍を倒した。勢いのまま角を曲がった、刹那。
「うわッ」
 目の前に、巨体がいた。とっさに銃を構えるが、その大きな腕に払われて銃口があさってを向いた。吠えた化人が、大砲のような両手を九龍に向ける。熱と、衝撃。
「ッ!」
 熱線視界が白く染まって、後方へ弾き飛ばされた。よろめいた背中が、強い力で抱きとめられる。ふわりと漂う、ラベンダーの香り。
「馬鹿、早くなんとかしろ!」
 驚いて振り返ろうとした九龍を叱咤する、皆守の真剣な表情が目に入った。彼は暗闇で見えないと思っているかもしれないが、ゴーグル越し、それは九龍の網膜に強烈に焼きついた。
 知っている。何も映さない彼の瞳が、時折強い光を宿すことを。そして、それが本来の彼なのだろうということも。
 ぶつん、と音を立ててゴーグルの電源が落ちた。突然訪れた闇に、けれど九龍は慌てず笑って。
「ホント心配性だなあ、皆守ってば」
 彼に、背中を預けたまま。サイトポインタを確実に合わせて、九龍は引き金を引いた。暗闇の中で過たず、呻くような断末魔。
『敵影消滅』
 静かになった部屋に、《H.A.N.T》音声と皆守のため息が響く。無茶するな、と耳元で声がした。
「怪我はないか?」
「おう、サンキュ。とりあえずあっち側に石碑があったから、戻って読まなきゃ」
 立ち上がろうとすると、支えるように腕をつかまれた。
「……転ばないように気をつけろよ」
 ぶっきらぼうながら、気遣う台詞は限りなく優しくて。
「やっさしいなあもう、大好き皆守!」
「阿呆」
 もったいないよなあ、と改めて九龍は思う。ルックスも運動神経も悪くないし、無愛想だけど優しいし。本来の皆守を知れば、女の子たち放っておかないだろうに。
「……なんだよ」
 九龍が笑ったのを気配で気づいたのか、皆守が不機嫌そうな声で言った。
「いや、惜しいなあって」
「何が」
「俺が女だったら、絶対皆守に惚れてるのにな」
 瞬間、皆守が盛大に吹いた。どうやらアロマパイプも吹き出してしまったらしく、少し離れた場所でからんと落ちる音がする。
「お、お前な……」
「うわ、そんなウケるとは予想外」
 別に笑ったわけではないとわかっていたが、九龍はおどけて言ってみせた。けれど周囲が怒りオーラに包まれた気がしたので、慌ててアロマパイプを探してやる。
「……まったく。そんな、ありえない仮定をしても仕方ないだろう」
 パイプを受け取りながら、呆れたように皆守は言った。ま、確かにそうなんだけどね。もしそうだったらこんなに仲良くなれてないはずだし、本来のコイツの良さに気づきもしなかっただろうし。
 考えながらも石碑の場所へ戻り、薄明かりを頼りに九龍はその文字をなぞった。が、しかし。
「読めない……」
「またかよ」
 ところどころが磨り減っていて、解読が難しい。これも、長い年月を経たせいなのだろうか。
「また勘で行くしかないのかな」
「あのな……」
 早々に諦めて、再度次の扉の方、石碑と対となる仕掛けがあるだろう場所へ向かう。
「でもほら、さっきは二十四の神の部屋だったじゃん。次に伊邪那岐の禊払いで生まれる神様は、アマテラスとツクヨミとスサノオの三貴子なんだよね。覚えてるか、今日ヒナ先生の授業で……ってお前は保健室で寝てたっけ。だから多分、その辺のギミックだよ」
 話しながら部屋の隅へ行くと、思ったとおり三つの仕掛けが配置されていた。台の上に鉄製の円盤と、レバーになっている蛇の杖。刻まれている紋様は、手前から太陽、海、月。
「アマテラスが太陽、ツクヨミが月、スサノオが海原を治める神様だから……したら、これは生まれた順番だなきっと」
 太陽、月、海。言って、その順に杖を引いてゆく。案の定、かちりと開錠音がした。
「……勘だけでも生きてゆけるのか、《宝探し屋》ってのは」
「まっさかー。ちゃんと知識に裏付けられてますってば」
 古事記読んでなかったらやばかったな、そんなことを思いながら扉を開ける。今度は普通に明るい区画だったが、敵影を確認、と《H.A.N.T》が聞き慣れた音声で告げた。
 即座に狭い入口付近から、壁を盾に敵を狙う。あっという間に三体を片付けると、部屋の奥から二体の女性型化人が向かってきた。血が見たいぞ、と呻くように告げて。
「お望みどおり、と言いたいとこだけど」
 飛び込んで、ナイフで払って、一体消滅。続けざま振り返って蹴り倒し、一閃。もう一体もすぐに光の塵と化す。
「お姉さんたち、血が流れないから見れないよね」
 皮肉げに言い捨てて、九龍はナイフを弄んだ。なんともいえない顔で皆守が見ていることに気づき、わざと明るく手を振ってみせる。
 改めて周囲を見渡すと、部屋の中央にある大きな扉が目に入った。蛇が向かい合った例の紋様が刻まれているということは、この奥に朱堂がいるに違いない。が。
「なんか、光のもやみたいなのがあるんですけど」
 調べると、《H.A.N.T》が強力なプラズマ流動を検知した。このままでは開錠どころか、扉に触れることもできないようだ。隣の石碑を読むと、有名な天岩戸をなぞった部屋であることがわかった。
「ウズメちゃんとタヂカラオくんを扉の横に配置するみたい。ってことは、朱堂がアマテラスか?」
 知らず苦笑した九龍につられたのか、皆守も脱力したように息を吐いた。
 部屋の奥には像が二体。笹の葉を持ち舞い歌う姿をした宇受売の石像は簡単に引きずってこれたが、手力男の像が動かない。強い摩擦抵抗により動作不可、と《H.A.N.T》が分析した。
 摩擦抵抗、ということは何かで滑らせてやればいいのだが、部屋にあった宝物壷にそれらしき物は入っていなかった。得たのは八咫鏡―――岩戸を開くための神器、つまり鍵となる石版が一つである。
「油の類って持ってたかなあ」
「……なさそうだな」
 九龍の広げた持ち物を覗き込んで、皆守が呟いた。マシンガンの応急手入れ道具はあるけど、そんな少量の油で足りるんだろうか。そう思ったとき、ふと皆守の口元に目がいった。
「そうだお前、ジッポー持ってたよな」
「あ?」
 これか、と皆守はポケットから銀色のライターを取り出してみせる。うーん、こっちはもう綿に染みちゃってるし。
「補給用のオイル、持ってないか?」
 そんな都合よく持ってるわけないか、と言ってからはははと笑ってみれば、皆守はなにやらポケットを探っている。
「あるのか?」
「……ああ、あった」
 言って、小さな缶をこちらに放り投げた。黒地に白くZIPPOの文字が入った、純正オイルのS缶だ。
「お……お前のポケット、四次元だったりする?」
「アホか。そろそろなくなりそうだったから持ってきて、そのまま忘れてただけだ」
「おお、なんてグッドタイミング!」
 助かるよと微笑んで、九龍は遠慮なく缶の中身を石像の下にぶちまけた。
「後で返すから」
 動くようになった石像を引きずりながら、壁にもたれて見守っているだけの皆守に笑いかける。宇受売の像と向かい合わせに配置すると、扉を包んでいた光が消えた。よっしゃ、後は鍵だ。
「今度は二つ必要みたいだな」
 錠前にある丸いくぼみを見て、皆守が呟いた。一つはさっき手に入れた八咫鏡だとして、もう一つは……あ、そういえば奥にまだ部屋があったな。
 南の部屋は施錠されていたので、西を選んで扉を開けた。途端に、その狭い場所にひしめく蠍の大群。
「団体さんのお出ましだ」
「めんどくさいなーもう!」
 本音を怒鳴って、九龍はガス手榴弾を手にする。慌てて耳を塞ぐ皆守を確認すると、群れの中心を狙って叩きつけた。
『敵影消滅』
「ほい、一瞬でさようなら、と」
 舞い上がる煙と砂埃に顔をしかめながら、九龍はすぐ隣にあった壷を開ける。中には赤紫色をした、丸い石のようなもの。
「……また、罠かな」
 壁に開いた射出口を確認して、九龍は一人呟いた。部屋には台座が五つ並んでいて、どれかにこの玉を乗せればいいのだろう。間違えれば、何かが飛んでくるというわけだ。
 建てられていた石碑には、黄泉から帰った伊邪那岐の言葉が刻まれていた。曰く、上瀬は駄目だ、下瀬も駄目だ。
「確かに、伊邪那岐の禊払いは阿波岐原っていう川の中瀬だったけど」
 《H.A.N.T》に打ち込んである古事記の情報と照らし合わせて、九龍は手にした丸い玉を転がした。
「ということは、真ん中の台か」
 皆守に離れてもらってから玉を乗せると、紫色の煙のようなものが噴き出して、どこかで開錠音がした。無意識にすくめていた首を戻し、九龍はほっと安堵の息をつく。
「随分毒々しい紫だな」
 ひとりごちる皆守だったが、彼が壁にもたれてアロマを吹かし、なんでもない風を装いながら、何かあればすぐ飛び出せるようにしていたことを知っている。九龍はこっそり笑いを堪えて、次に行くかと促した。
 部屋を出ると、先ほど鍵のかかっていた南の扉が開いていた。奥にあった宝物壷の中身はまた丸い石版で、勾玉の模様が刻まれている。
「これと、さっきの八咫鏡の石版を、っと」
 見比べながら、蛇の扉の前に戻る。《H.A.N.T》情報から、錠前は岩戸の前に捧げられた榊で、上のくぼみが上枝、下のくぼみが中枝を表していることがわかった。古事記では上枝に玉飾り、中枝に鏡、下枝に白い木綿と青い麻を飾ったとされている。下枝の部分はないみたいだけど、とりあえず上に勾玉、中に鏡ね。
 合わせると開錠音がして、錠前が落ちた。息をついて、九龍は肩をすくめてみせる。
「さ、アマテラス様のおなーりーってね」
 皆守の苦笑を背に、重い扉を押し開けた。入ってすぐ戦闘態勢を取れるよう身構えるが、まず目に入ったのは獣の姿をした石像だ。頭の上に輝石を乗せたそれは、部屋の向こうまでずらりと並んでいるようだった。
「朱堂は奥、かな」
 マシンガンを構えて、用心深く進んでゆく。そうだろうな、と皆守が九龍のすぐ後ろで相槌を打つ。石像の列が終わり、広く開けた場所が見えた、その刹那だった。
 足を踏み入れた、九龍の背後を。
 ちょうど、退路を断つように。とっくに癒えた過去の傷痕を、いたずらになぞるかのように。
 壁が、塞いだ。―――低く、鈍い音を立てて。






→NEXT 4th. Discovery#5



20130329up


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