木乃伊は暁に再生の夢を見る

4th. Discovery #5










 息を飲んだ。一瞬、身体が凍りついた。
 ―――あのときと、全く同じ。
 記憶が怒涛のように蘇って、九龍は言葉を失った。地面が揺れている。天井が落ちてくる。塞がれた壁を、自分は必死に叩いている。違う、今は状況が違うはず。
「み……」
 皆守、と。呼びかけて、振り向こうとして、躊躇した。動けなかった。
 振り向いて、そこに誰もいなかったら。ただ、石の壁があるだけだったら。侵入者を拒んだ罠が、二人を永久に断絶していたら。あのときと同じように。あのときと同じように。
「……九龍?」
 ふいに、訝しげな声がした。普段どおり聞き慣れた、気だるそうな皆守の声。
「どうしたんだよ」
 とっさに答えられず、ぎこちなく首を回して、視界の端にようやく彼を捉えた。壁の向こう側ではなく、自分のすぐ後ろに。いつもの眠そうな目で、こちらを見る友人の姿。
「よ……よかった……」
 震える手を伸ばして縋りつくと、安堵に全身の力が抜けた。慌てた皆守が、倒れ込んだ体重を受け止めてくれる。
「おい、どうした?」
 抱きつくような格好になったまま、九龍はそのラベンダーの香りを吸い込んだ。そうやって、存在を確かめるかのように。
 ここにいる。自分のすぐそばにいる。手も届く、握り締めることができる。
「オーホホホホッ!」
 自らを落ち着かせていると、突然、高笑いが静寂を破った。朱堂だ。
「何よ何よ固く抱き合っちゃって、やっぱりそういう関係なのねッ! キィィィうらやましい妬ましい!」
 スカーフを噛み締めて勝手に悶えている姿に、ツッコミを入れる気力も失せたのか、皆守は深くため息をついた。ぽん、と九龍の頭に軽く手を乗せて。
「大丈夫か?」
「……ああ、悪い……」
 もう一度深呼吸して、九龍は顔を上げた。
「ちょっとまあ何というか、トラウマがね」
 本気で心配そうな皆守を見て、てへ、と笑顔を作ってみせる。そうすることで、ようやく本来の自分を取り戻せた。
 ―――九龍は、強いから。
 塞がれた壁越しに聞こえた声は、今でも鮮明に思い出せる。崩壊する遺跡の地鳴りをくぐり抜けて、はっきりこの耳に届いた言葉。
「大丈夫」
 呟きは皆守に向けたのか己に言い聞かせたのか、九龍にもわからなかったけれど。
―――俺は、強いから」
 にやりと笑って、MP5のセイフティを外す。少しだけ黙った後、ああ、と皆守が呟くのがわかる。不穏な空気に負けじと、朱堂が艶っぽい視線を投げてきた。
「ウフフ、ここまで追ってくるとはなかなかやるじゃないの。でも、せっかく会えたのに残念ね。この《墓》の存在を知ってしまったからには、アタシはアナタを処罰しなくちゃならない。何故なら、それはアタシが《生徒会執行委員》の一人だから」
「ああうん、それもうわかってるし」
 鼻で笑うようにあしらって、まっすぐその目を見据えてやる。照準は、ためらうことなく眉間に合わせて。
「あん、やる気かしら葉佩ちゃん? アタシも燃えてきたわ……」
「そんなことより」
 なんだか攻撃的になっている九龍を制するように、皆守が静かに口を挟んだ。くねくねとしなを作る朱堂を睨みつけながら。
「八千穂や女生徒を監視していた理由を教えてもらおう。まさか、《生徒会》の掟に違反した者がいないか見張るためか?」
「焦っちゃイ・ヤ。アナタたちには、アタシの《力》を見せてあげるわ」
 台詞と同時に、朱堂が突き出した唇から投げキッスを送る。心底嫌そうな顔をした皆守は、ジェスチャーでそれを払い落とした。
「どんな生物も、機械のように同じ動作を寸分違わずに行うことはできないでしょ? でも、もし仮に極度に繊細な筋肉と神経を持つ生物がいたとしたら―――その生物は類稀な身体コントロールができるに違いない。そう……例えば」
 台詞を切って朱堂が取り出したのは、ダーツの矢だった。それを一本、二本と指先で弄ぶようにして。
「同じ的を突き続けることさえ、可能になるでしょう。アタシの《力》は、狙いを付けたものを百発百中で射抜くこと。アナタは、アタシのダーツから逃げられるかしら?」
「……じゃ、俺だけを狙ってくれるかな」
 挑戦的な朱堂の態度に、九龍も挑戦的に笑ってみせた。彼の狙いはまず、《転校生》である自分だろう。それなら、やられる前に倒してしまえばいいだけのこと。皆守に被害が及ぶ危険はない。
「あら、恋人を傷つけたくないということかしら? ステキよ葉佩ちゃんッ!」
「誰が恋人だ!」
 力一杯否定する皆守に、九龍は笑って振り向いた。
「サンキュ、皆守。お前がそこにいてくれてよかった」
 一瞬目を見開いて、皆守が何かを言いかける。それを朱堂の声が遮った。
「アナタのハート、もらいます」
 心底楽しそうに言うなり、いきなりダーツが飛んでくる。百発百中で狙いを定められているなら、ダーツよりも早く行動して避ければいい。そう思っていたのだが、突然の攻撃が予想外の隙を生んだ。すると。
「ああ、眠いッ!」
 全く眠気を感じさせない口調で、皆守が怒鳴った。同時にぐいと頭を押され、その上をダーツが飛んでゆく。
「み、皆守?」
「眠いんだよ、俺は!」
 そのまま蹴られるように横に倒されて、またそこにダーツが刺さるのが見えた。わ、わざわざ眠い宣言する意味がないぞお前!
「皆守ちゃん、愛の力かしらッ! 妬けるわァァッ!」
「やかましいッ!」
 悶えている朱堂を一喝して、皆守が九龍の額を小突く。
「ほら。さっさと終わらせて、寮に帰って寝ようぜ」
「え、あ……うん」
 そう言う表情が妙に優しくて、見たことない顔のような気がして、九龍は一瞬ぽかんとしてしまった。その隙に飛んできたダーツが、寸でのところで髪をかすめる。はらりと数本が床に落ちる。
「アタシって何て罪なオカマ……このままイイ男をキズモノにしちゃうなんて」
「……すどりん」
 一人悦に入っている朱堂に、九龍はにっこり笑って声をかけた。名字ではなく愛称の呼び方に、あら、と朱堂が目を丸くする。不穏な笑顔に気づいたのか、皆守が黙って離れてくれた。
「嬉しいわ、でもハニーって呼んでくれたらもっと嬉……ぐはッ!」
 最後まで聞かず、九龍はフルオートで引き金を引いた。銃声よりも大きな悲鳴で、朱堂が顔を仰け反らせる。
「し、茂美感じ、ちゃ、うぎゃッ!」
「的が大きくていいねーすどりん!」
 笑いながら、その大きな顔に向かって銃弾を撃ち込む。さすがに《執行委員》も三人目で慣れたのか、それとも相手が朱堂だからなのか、九龍は遠慮なくMP5を操った。
「ちょ、ちょっと葉佩ちゃんってば、アタシに何発ぶち込むつもり……ぶち込むだってイヤン茂美ったら、ギャッ」
「とりあえず、あと三十発!」
 ダーツを投げる隙も与えず追い込むと、九龍はマガジンを入れ替えた。レバーを引いて、また照準を合わせる。
「ああん、愛の鞭ってやつなのね……ッ!」
 やがて、彼は悶えながらばったりと倒れた。身体が燃えるぅぅ!と叫んだ野太い悲鳴が、例のごとく噴き出した《黒い砂》にかき消される。《H.A.N.T》が警告を鳴らしてくる。
「真打ち登場、か」
 砂が形作ったのは、太陽に似た頭と魚の尾びれを持つ大型の化人だった。《H.A.N.T》の言う高周マイクロ波に呼び寄せられるのか、蛇型の化人も群れ集ってくる。
 まず雑魚から片付けるべく、九龍は片っ端から蛇を撃った。飛びかかる牙を避け、軽やかに回転して背後に回り、死角から確実に息の根を止める。その手際は、九龍の戦闘を見慣れているはずの皆守も目を奪われるほどで。
 そのとき、大型化人の攻撃が放たれた。最後の蛇を倒した九龍は、突然のことで避け切れなかった。皆守の反応も遅れた。
「……ッ!」
「九龍!」
 光球に似たそれをまともに受けて、焼けるような痛みが来る。衝撃に二、三歩後ずさった九龍の背中を、皆守が駆け寄って支えてくれた。
「大丈夫か?」
「め、目が……」
 網膜に光の余韻が踊り、眼球の奥が痛くて開けられない。固く瞼を閉じて呻くと、耳元で皆守が舌打ちするのがわかった。
「……だったら、俺が目になってやるから」
「え」
「まっすぐ構えろ!」
「り、了解!」
 叱咤する口調に、九龍は慌ててマシンガンを構えた。そのまま撃て、という言葉に従って引き金を引く。化人の悲鳴。
 闇は慣れていたし、気配だけで敵を倒すこともできる。けれど皆守が助けてくれるなら、今はその声を頼りにしたいと思った。誰かに背中を預ける心地よさを感じたいと思った。肩に置かれた彼の手に、なんだか二人羽織みたいだな、そんなことを連想して笑う余裕もあった。
 次第に、視力が回復する。銃弾を浴びる化人が、悶えて悲鳴を上げているのが見える。もっと光を、切なげに訴える断末魔。それは光の塵と化し、ピンク色のコンパクトに変わって落ちた。
『安全領域に入りました』
 《H.A.N.T》が告げた。息を吐いて、九龍はコンパクトを拾い上げた。
「……助かった。ありがとう、皆守」
 振り返って笑うと、ああ、と彼も笑ってくれた。気まぐれに避けさせてくれるだけの普段とは違う、満足そうなその笑顔は珍しくて。
「……なんだよ?」
 見惚れる九龍の視線に気づいて、皆守はすぐいつもの無愛想な表情に戻ってしまった。いやお前さ、なんつーか、本当にもったいないって。 あ、でもひょっとしたら、そのギャップが女の子ウケする可能性もあるか。不良生徒更正作戦の次は、人気者化作戦を実施してみようかな。
 一人ほくそえんで色々考えていると、倒れていた朱堂がようやく起き上がるのが見えた。
「へへッ……やるじゃねェか、いいモン喰らっちまったぜ……あら?」
 九龍が無言で差し出したコンパクトに、男言葉は瞬時に引っ込んで。
「そ、そのコンパクトは、アタシが初めて買ったコンパクト……何、この気持ち! 何なの、ずっと忘れていたこの湧き上がる感情はッ!」
 スポットライトでも浴びていそうな雰囲気で、朱堂はキラキラと頭上にコンパクトを掲げてみせた。うーん……取手やリカちゃんのときはこう、もっと感極まるような、涙を誘うような何かがあったはずなんだけど。
「……放っておいて、帰ろうぜ」
「だな」
 呆れて歩き出す九龍と皆守の後ろを、朱堂は慌てて追ってきた。
 無事大広間から地上に上がると、いつもより疲労感が強いような気がした。一人まだ熱く盛り上がっている朱堂に、九龍はやれやれとため息をつく。原因は言うまでもない。
「ああッ……アタシの負けね葉佩九龍……完敗よ。アタシもオカマの端くれ。潔く、これからはアナタに力を貸してあげるわ」
「え、そ、そうなのか?」
 墓地に戻るなり押し付けられた連絡先を、九龍は苦笑しながら受け取った。取手のときも椎名のときもそうだったが、何故だろうと純粋な疑問を抱いてしまう。倒した執行委員には、自分が救世主か何かのように見えるのだろうか。ただ結果として、彼らの大切な宝物を取り戻してあげたというだけで。
「さて―――
 何も言わず事の次第を見ていた皆守だったが、アロマを吐きながら口を挟んだ。
「それじゃ、白状してもらおうか。何で女子寮を監視していたのか」
「そ……それは……ほら、料理は見て覚えろって言うでしょ? それと同じよ」
「……料理と覗きとどんな関係があんだよ」
 皆守の口調はあくまで冷たく、口ごもる朱堂を容赦なく責める。
「わけのわからないこと言いやがって。もういい、女どもに突き出して―――
「ちょ、ちょっと待ってッ! つ、つまり〜女らしさを磨くためには、女の研究をしないと」
「……はい?」
 思いっきり眉を寄せた皆守に、朱堂は意気揚々と続けてみせた。
「仕草や言葉遣い、男に好かれる性格や化粧やファッション。そういうデータを集めることで、アタシはより完全なる女へと近づいてゆくの。つまり全ての女たちは、アタシの美しさの糧となるのよ」
「じゃ、お前が女子を付け回して観察していたのは……」
「アタシは、女になんて興味はないわ。興味があるのは、女たちのデータだけ」
「……」
「でも、いいわ。アタシを女どもの前に突き出しなさい。アナタたちに、美を追求する者を裁く権利があるのならッ!」
 びし、とポーズをつけて指を突きつけて、朱堂は己に酔いながら返事を待っている。皆守があからさまに頭を抱えた。
「……何か、頭痛がしてきたぜ。どうする、九龍?」
 お前に任せる、と嘆息した皆守に、九龍も深いため息をついて。
「うーんまあ、見逃してやってもいいんじゃないか? いわゆる覗きとも言えないみたいだし、明日香ちゃんたちにもどう説明していいやら……」
「葉佩ちゃん……アナタ……」
 振り向くと、朱堂が目を潤ませてこちらを見つめていた。その迫力に、九龍は思わず顔を引きつらせる。
「ありがとう。アナタのような人に出逢えて、アタシ幸せ……」
「そ、そう、それはよかった」
 言いながら距離を縮められ、じりじり逃げていた肩をがしりとつかまれた。
「せめて、お礼にアタシのこの熱い唇を……」
「え、いやそれはちょっと、うわ」
 拘束は思いのほか馬鹿力で、仰け反って距離を取るのが精一杯だった。間近に突き出された赤すぎる唇に、うわ食われる!と九龍が青くなったとき。
 鈍い音がして、目の前の大きな顔が消えた。あれ、と思うと、皆守が蹴りを繰り出した姿勢のまま。
―――ったく、この変態が」
 アロマを吐いて、心底嫌そうに言い捨てた。声もなく倒れた朱堂は、どうやら気絶してしまったらしい。た、助かったけど、ホント相変わらずのツッコミだなお前。
「やれやれ……今日は長い一日だったな」
 それじゃ帰るとしようぜ、とあくび混じりに促してくる。白目を剥いて卒倒している朱堂を振り返って、九龍はこっそり十字を切っておいた。ご愁傷様、安らかに眠りたまえ。……化けて出ないでね?




 寮の部屋に帰ると、いつもより強くラベンダーが残っているような気がした。まあ仕方ないか、と九龍は笑う。すどりんの薔薇臭よりは全然落ち着くし、なんかもう、俺も慣れてきたし。
 先に装備の手入れを済ませて、風呂上がりはすぐ寝られるよう準備を整えておく。じゃあ湯が冷たくならないうちに、と着替えのジャージを持ったときにドアがノックされた。皆守だ。
「約束したからな」
 ドアを開けると、我が物顔で足を踏み入れてきた。既に風呂には入った後らしく、いつもの部屋着にタオルをかけ、手に鍋を持っている。―――鍋?
「ああ昼休みに言ってた、マニア垂涎のお宝ってやつか?」
 特に変わった様子のない普通の鍋だったが、ありがたくもらっておくことにする。てかカレーパン一つ、じゃなかった、カレーパン半分とこれを交換かよ。ワラシベ長者になった気がするぞ俺。
「今から風呂か?」
 鍋を机に置いた皆守は、九龍が手にしたジャージを見て言った。ああと返事をしたが、そのまま黙ってこちらを見つめている。
「何?」
「……いや、話したくなければいいんだが」
 きょとんと首を傾げると、皆守は少しだけ視線をそらした。
「その……トラウマってのは、何なんだ?」
「ああ」
 すどりんのいた部屋のあれか、と九龍は明るく笑ってみせた。
「あそこ、背後で壁塞がったじゃん? 過去に同じような罠でちょっと、な。お前が俺のすぐ後ろにいてくれてよかったよ」
 言って、無意識に目を伏せる。状況が違うとはいえ、振り向いて皆守の姿がなかったら、自分はまた後悔していただろうか。
 あのときも、死ぬほど繰り返した。壁を叩きながら、怒鳴り声を背に走りながら。一人地上に這い上がり、崩壊する遺跡を呆然と眺めて、何度も何度も自分を責めた。手をつないでいればよかった、もっとそばにいればよかった、もっと―――もっと。
「……」
 皆守はそれ以上訊かなかった。ただ黙って、ゆっくりとアロマを吸い込んだ。知らずうつむいていた九龍は、その手が伸びてきたことに気づかなかった。
 顎を上向かせられて、皆守の顔が間近に迫る。至近距離に驚く間もなく、もろに吹きかけられたアロマの煙。
「なッ……」
 当然のごとく、九龍は直接的な匂いにむせた。げほげほ咳き込んでいると、皆守が頭に手を乗せて、あやすように撫でてきた。何すんだよと言いかけた文句を遮って。
「精神安定剤だ」
「え?」
「ラベンダーは緊張や不安を和らげる。安眠効果もあるからな」
 ……いや、別にそこまで重度のトラウマってわけでもないんだけど。
 九龍はそう思ったが、どうやら慰めてくれているらしいので、黙ってされるがままになっておいた。心身ともに傷はとっくに癒えている。今はただ一生忘れられない記憶として、鮮明に焼きついて痕を残すだけだ。
「……じゃあ、また明日な」
「ああ」
 頭を撫でていた手が、軽く叩いて静かに離れた。揺れる瞳はどこか遠く、何かを渇望するかのように。
「おやすみ」
 小さく笑って、皆守は部屋を出ていった。その背中を見送った九龍は、残された香りで深呼吸してみる。優しく穏やかな眠りを誘い、心を落ち着かせてくれるラベンダー。皆守がこれを必要とする理由を、九龍は知らない。
「……ま、いっか」
 ひとりごちて、手にしたジャージを持ち直す。机の上に鎮座した、妙に存在感のあるカレー鍋に苦笑しながら。






→NEXT 5th. Discovery#1



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