木乃伊は暁に再生の夢を見る5th. Discovery #1星の牧場 |
早朝の電算室に、虚ろな目をした生徒たちが集まっていた。 それぞれがパソコンに向かい、不可思議な色をした画面に見入っている。 「みなしゃん、おはようでしゅ。今朝もこの神聖なる倶楽部へようこそでしゅ」 彼らに向かって挨拶をしたのは、巨大な体躯の男子生徒だった。その外見に似合わない少年のような声が、静寂の降りた部屋に響き渡る。 「ここはか弱き子羊たちの集う、神聖なる神の牧場。羊の囲いは束縛ではなく、神の特愛の印なのでしゅ。神の子羊たちは、ここでは誰もが等しく救われる権利を持つのでしゅ」 説教じみた台詞を聞いているのかいないのか、生徒たちはぼんやりと画面を見つめたままだ。 「さあ、ヘッドホンを耳に! モニターに目を! そして神の光をその身に! 辛い日常から、背負ってしまった罪から、解放される手立ては一つだけでしゅ。汝の隣人を愛せ―――」 操られるように従う生徒たちの、生気のない声が続く。汝の隣人を愛せ。 「隣人に心を開き、惜しまず与えることによって、救いはもたらされるのでしゅ」 汝の隣人を愛せ、汝の隣人を愛せ。ぶつぶつと呪文のごとく、その言葉が繰り返される。光を放つ画面が、呼応するようにきらきらと輝く。 「自らを投げ打って他者の幸せを願うこと―――それこそが、幸せへの第一歩なのでしゅ。さァ、心を開いて神の声を受け入れるのでしゅ。そうしたら、ボクがみんなの悪い魂を吸い取ってあげるでしゅ。そして、みんな一緒に幸せになるでしゅ―――」 少年の声に悪意は何もなく、だからこそ、電算室は異様な雰囲気に包まれていた。汝の隣人を愛せ。呪文は、まだ続いている。汝の隣人を愛せ。汝の隣人を愛せ―――。 二〇〇四年十月十四日 四時限目が終わった3‐Cの教室は、マミーズや売店を目指して走り出す者、早速持参した弁当を取り出す者、それぞれが穏やかなざわめきに包まれていた。 九龍はいつもどおりのあくびを一つ、教科書を片付けながら昼食に思いを馳せる。どうしようかな、やっぱりマミーズかな。そういえば、秋のスタミナ料理フェアとかやってたっけ。 「明日香、一緒にお昼食べようよ〜」 「ゴメ〜ン。あたし、行くとこあるから……」 耳に入ってきた声に、九龍はふと顔を向けた。教室を出ようとしていた八千穂が、仲のいいクラスメートに両手を合わせて謝っているのが見えた。いつもながら元気だよな明日香ちゃん、思って九龍が眺めていると。 「あッ九龍クン、どう、元気してる? 何か悩んでることとか、ない?」 「……へ?」 視線に気づいた八千穂が笑顔になって、わざわざ席まで戻って話しかけてきた。唐突な質問にぽかんとしてしまった九龍を、咎めるように眉をひそめて。 「えッ、もしかして何かあったの? もォ〜九龍クンってば水臭いよ!」 「いや、特に悩みというほどのことは……」 しいて言えば昼飯何を食おうかなとか、晩飯はどうするかなとか、悩みとはいえない程度のものなんですけど。あ、あと遺跡の新しい扉はいつ開くのかなとか。 曖昧に笑って、内心苦笑する。いずれにせよ、そんなに大げさなことではないだろう。 朱堂の件から一週間、新たな《執行委員》の接触はない。次の扉を開くためには待つより他ないのだが、それでも九龍はその状況を楽しむことができていた。 憧れていた學園生活に加え、友人たちを伴っての遺跡探索。踏破した区画で命が危険にさらされることは滅多になく、彼らはそれぞれの個性を生かして九龍をサポートしてくれる。もちろんプロとしては迅速な調査が好ましいとはいえ、だって開かないんだから仕方ないじゃん?という元来の性格で楽観視している九龍であった。 ―――ああ、そういえば悩みらしい悩みといえば一つ。 ため息混じりに、九龍は教室の後方を盗み見た。廊下側の出口に一番近い席、皆守が目を閉じて惰眠を貪っている。チャイムの音に気づかなかったらしい。 彼も相変わらず気まぐれに授業に出たりサボったり、九龍の仕事に付き合ってくれたりしている。が、どうも心配性で過保護な部分が、日々次第に度を増しているような気がしてならないのだ。眠いダルいで何もしないくせに、少しでも九龍が無茶な戦い方をすると、明らかに怒って不機嫌になる。最近では、バディに誘わないだけでも不機嫌さをかもし出す始末だ。 あのさ俺、皆守ってもっとクールでドライな奴かと思ってたんだけど。多分クラスメートとか先生とか、一般的な評価はそれだと思うんだけど。……まあ、いいんだけどさ。 「悩みがあったら、あたしに何でも相談してよね! あたしね、最近は少しでも多くの人に親切にしようって決めてるんだ」 考え込んでいる九龍の思考を遮って、八千穂が元気いっぱいに続けた。 「そうすることで、自分も幸せになるんだって教えてくれた子がいるの。え〜っと、何だったっけな、な……何時のニンジン……あれ? 違うな、と、とにかく! その子の話を聞いてるだけでも、すっごく幸せな気分になっちゃうんだッ」 ニンジン?と首を傾げた九龍に、八千穂は誤魔化すように満面の笑みを浮かべてみせた。時計を見て、ぽんと手を打って。 「あ、早く行かないとお昼のセミナーが始まっちゃう!」 言いたいことだけ言って、じゃあまたねと背を向ける。途端に、ふらりと足をもつれさせた。 「明日香ちゃん!」 傾く身体を認めて、九龍は慌てて立ち上がった。が、それより早く彼女を支えた腕がある。いつの間にそこにいたのか、皆守だった。 「おい、何やってんだ。大丈夫かよ?」 さっきまで席で寝ていたくせに、こういうときはさすがに素早いというべきか。だからお前、その運動神経何かに生かせっての。 「八千穂……お前、顔色悪くないか?」 大丈夫大丈夫と笑う八千穂を、皆守が訝しげに見つめている。九龍も改めて彼女を見て、確かに言えたと眉を寄せた。いつもどおりの明るい表情に隠されていたが、どこか青白くやつれているような気がする。 「ええッ? そんなことないよ、大丈夫だってば。でも皆守クンがそんな心配してくれるなんて珍しいね。えへへッ、ありがと。じゃ、二人とも、また後でねッ」 元気よく手を振って、八千穂は教室を出て行った。彼女が去るのを待っていたかのように、女生徒たちがひそひそ話し出す。 「明日香、最近付き合い悪いよね。テニス部にもあんまり顔出してないみたいだし……」 「ほら、噂のあの倶楽部に通ってるみたいだよ」 「あーアレね、アタシもちょっと気になってるんだけどね。どうする、今度行ってみる?」 「うーん、でもちょっと怖いよね〜。それよりお昼、行こッ」 なんだなんだ何の話だと思いながら、九龍は教室を出てゆく彼女たちを見送った。同じ疑問を抱いたのか、皆守が顔を見合わせてくる。 「……何の話かわからないが、詮索しても仕方ない。俺たちは昼飯にしようぜ。マミーズでいいか」 「あ、うん」 促された九龍は、反射的に頷いてから動きを止めた。彼とマミーズに行って、カレー以外のものが素直に食べられた試しがない。 「どうした? 早く来いよ」 一緒に昼食を取ることが当然のように、皆守が教室の出口で振り返る。確かに友人との食事は九龍の憧れで、毎日のように実行できている今は嬉しくて仕方がないのだが。……ああ、コイツがカレー星人でさえなけりゃよかったんだけどな。 微妙な気持ちのまま、結局習慣的に皆守とマミーズに訪れてしまった。まあいいやカレーだったらカレーで、と諦めている時点でなんだか毒されているような気もする。 「いらっしゃいませ、マミーズへようこそ!」 店内は昼時でさすがに混んでいたが、すぐに舞草が飛んできてくれた。 「何名―――」 「二人」 出迎えた彼女に素っ気なく告げて、皆守は店内を見渡した。うッ、と舞草が大げさに引くポーズを取る。 「な、なんだか微妙に先手を取られましたね……」 「毎度毎度、わかりきったことを訊くからだ」 少し悔しそうな彼女に、皆守はふんと鼻を鳴らしてみせた。 「だって、マニュアルに書いてあるんですもん〜。大事ですよねえ? マニュアルって」 「俺もそう思う」 同意を求める舞草の表情が可愛くて、九龍は大きく頷いた。チェーン店であるマミーズの店員には、ちゃんとしたマニュアルが徹底的に叩き込まれるのだろう。 「ですよね、ですよね! 葉佩くんってば、接客業向いてますよ! あ〜ん、葉佩くんもここで一緒にアルバイトできたらよかったのに〜」 「あ、それ楽しそう!」 トレイを抱きしめる舞草に、九龍は少し本気で言った。ファミレスでアルバイト、それは正に高校生らしい青春の一ページではないだろうか。 乗り気な九龍を見て、皆守が目を丸くする。舞草を見て、また珍しそうに九龍を見て。 「……お前、この服が着たいのか?」 「いや待て、なんで男がウエイトレスの格好するんだよ」 確かに、マミーズ天香學園店にはウエイトレスしかいないみたいだけど! 「あ、きっと似合いますよ葉佩くん!」 「ってあまり嬉しくないから奈々子ちゃん!」 「そしたらあたしが葉佩くんの研修担当しますから、一緒にマニュアル覚えましょうね!」 なんだかすっかりその気になっている舞草に、九龍は頭を抱えたくなった。こ、このフリフリミイラなミニスカートが俺に似合うってか? 女の子の感性はよくわからん……。 「そもそも接客業のマニュアルといえば聖書、聖典も同然ですからね! 基本を尊重してこその接客業務、きっと葉佩くんもすぐ完璧なウエイトレスに―――」 「ってあくまでウエイトレスかよ!」 「わかったわかった」 漫才のようなやり取りを始めてしまった二人に、皆守がなだめるように割って入る。 「だったら、いつまでも客を待たせてないで案内してくれ」 「ああッ、あたしとしたことがなんという失態を! ダメよ奈々子落ち着いて、こんなときこそ笑顔でスマイル!」 そう言ってまた一人で盛り上がる舞草を、本当に楽しそうだなあと九龍は尊敬の気持ちで眺めてしまった。いつも元気で明るく笑顔を絶やさない彼女は、マニュアルなど関係なくウエイトレスの鑑ではないかと思う。 「は〜い、それでは二名様、お席へご案内致しま〜す!」 皆守のアロマの匂いのせいで、ほぼ特等席となっている奥の二人席につく。水とお絞りを持ってきてくれた舞草が、思い出したように話しかけてきた。 「そういえば、お二人ともご存知ですか? 最近女生徒さんが話してるのをよく聞くんですけど、デジタル部っていう部が主催してる《隣人倶楽部》って集まりがあって〜」 「デ部が主催?」 水を飲みかけていた九龍は、皆守の台詞に噴いてしまいそうになった。お前、それはいくらなんでも略しすぎじゃないか? 「はい、それに参加すると不思議とみんな穏やかな気持ちになっちゃって、その上ダイエット効果もあるって評判らしいんです〜。もォ〜あたしも参加してみたいかな〜なんてッ。ね、どうです、葉佩君も一緒に」 「でもダイエットなんて、スタイルいい奈々子ちゃんは必要ないんじゃ?」 「きゃ〜ん葉佩くんってば、お上手〜!」 世辞ではなく本心だったのだが、はしゃいだ舞草はトレイで軽くツッコミを入れてきた。女の子ってそんなに太ってないくせに、何かとダイエットダイエットって気にするよなあ。 「……まったく、少し冷静になって考えてみろ。胡散臭いにもほどがあるだろ」 少し不機嫌な様子で、皆守が呆れたように呟いた。負けじと舞草も言い返す。 「でもでも、ホントに評判なんですよ? それに倶楽部の代表をやってる、タイゾーちゃんがもうめちゃめちゃプリティで! 一度でいいからあのホッペをぷにぷにしてみたい〜」 「プリティ?」 タイゾーという男性名に相応しくない形容のような気がして、九龍は思わず聞き返した。舞草はまだ話し足りないようだったが、向こうの客からかけられた声に慌てて仕事に戻る。ではごゆっくりどうぞ、と残して去っていった。 「ホッペぷにぷに、ねえ……」 その後ろ姿を眺めつつ、九龍は唸るようにして呟いた。ぷにぷにしたいホッペを持つ男子生徒。なんか、想像できないんだけど。 ぼんやりしていると、皆守の手が突然こちらに伸ばされた。九龍は反射的に驚いて、とっさに身を引いていた。過剰な反応に彼も驚いたのか、目を見開いて動きを止める。九龍の頬に触れようとした手を。 「な……何?」 「……」 降りた沈黙に、わずかな空白。 ふ、と皆守が微笑を浮かべた。手は方向を変えて、備え付けのメニューを持ち上げる。何事もなかったかのように開き、ページを繰る指。椅子を傾けて固まってしまった九龍は、唖然としてそれを見つめた。……お、お前まさか今、ホッペぷにぷにを俺で実践しようとしたんじゃないだろうな。 どうも最近皆守が人懐っこいような気がする、と九龍は思っていた。どこか馴れ合いを拒む雰囲気を持つ彼だったが、九龍に対しては最近それが薄れている気がするのだ。友人として認めてくれている証拠なのかもしれないが、それでも戸惑わざるをえない。 海外生活が長い九龍は、日本においてはスキンシップ過多かもしれないという自覚はある。そんな自分と一緒にいる皆守が、それに慣れてしまうことはあるだろう。けれど。 彼は、自分の領域を頑なに守るタイプだと思っていた。ゆえに人との間に壁を作り、人の領域にも踏み込んでこようとしない。他人のことなど関係ない、どうでもいいといった言動は、正にその表れなのだろうと。 だからこそ、戸惑ってしまう。遺跡での過保護な態度も気になるが、日常でさえ、気がつけばすぐ近くにいる。無造作に触れてきたりする。基本的に距離を置いたような言動は変えないくせに、だ。それはまるで、気まぐれな猫に似ていると思う。 俺が言えた義理じゃないけどさ、人との距離の取り方とか、パーソナルスペースとか、お前全然気にしてないだろ。それとも、今まで俺みたいな友達がそばにいなかったからこそか? だから、コイツも理解できてないとか。ああ、ありえる。あれ、だったら俺のせい? 自分で蒔いた種? ぐるぐると考えながら、真剣にメニューを選んでいるらしいその顔を眺める。彼に出逢ってから、何度となく抱いた感想はいまだ健在だ。 ―――ホント、よくわからない奴だよ。 「《隣人倶楽部》、か」 九龍の視線にはまったく気づかず、皆守はぽつりとひとりごちた。 「胡散臭い噂なんてのは、この學園には珍しくもないが。……噂の真偽はともかく、八千穂のことが心配か?」 アロマパイプを揺らしながら、うかがうように問いかけてくる。渦巻く思考を振り切って、当然だろ、と九龍は即答した。 「ただでさえ、トラブルメーカーな明日香ちゃんなんだからさ」 「……そうだな」 頷いた皆守はわずかに嘆息したが、すぐに皮肉げな笑顔を作ってみせた。 「まァ、にわか同好会なら飽きっぽい八千穂のことだ、すぐ元に戻るだろ。余計な気を回すだけ無駄かもしれないぜ。さて、今日は何にするかな」 言いながら彼が広げているのは、やっぱりカレーが並んだページである。九龍は知らず天を仰いで、自分の考えに結論を出した。 ―――ああ、よくわからない奴で当然だった。何故なら、コイツはカレー星人なんだからな。 案の定カレーを注文した皆守に、無理やり同じメニューを食べさせられた九龍は、半ばぐったりしてマミーズを後にすることになる。……いやカレー、好きだよ? 美味いよ? でもほら、そんな毎日食うほど大好物ってわけじゃないんだよ。俺は普通の地球人なんだよ。 「マミーズのカレーは確かに美味いんだがな……まァ、俺だったらもう少しフェヌグリークを効かせて―――」 「フェヌグリーク?」 「スパイスの一種だ。日本名はコロハといってだな」 「……はあ」 また長そうな皆守のカレー講釈を聞き流しながら、下足箱で靴を履き替えていると、目立つゴシックロリータ少女が目に飛び込んだ。あら、と九龍に気づいて微笑んだのは椎名だ。 「こんにちは、お二人さん」 マントの裾をつまんで、ちょこんとお辞儀をしてくる。出逢ったときも人形のような可愛いらしさはあったが、今はそれに生気と明るさが加わって、更に可愛くなったと九龍は思う。 「ちょうどよかったですわ、葉佩クンにお知らせしたいことがありましたの。葉佩クンはもう、《隣人倶楽部》という集まりのことをご存知ですかァ?」 「……やれやれ、今日は随分とその名を聞く日だな。まさか、お前も参加希望者なのか?」 九龍の返事を待たずに、皆守がアロマのため息を吐いた。ご冗談を、と笑った椎名は、ちらりとそれを一瞥して。 「神様にも、ただの隣人にも、リカを救うことなんてできませんでしたわ。それができたのはただ一人だけ……ね、葉佩クン?」 小さな手が、そっと九龍の手に触れた。ちゃんと体温の感じる少女の手に、九龍は満面の笑顔を返す。 「俺は、手を差し伸べただけだから。リカちゃんが救われたって言うのなら、それはリカちゃん自身の力だよ」 「……葉佩クンは、とってもあったかい方ですの」 握り締めた手に頬を染めて、椎名はにっこり微笑んだ。が、その顔がわずかに曇る。 「ただ、あそこには葉佩クンのお友達が熱心に通っているようなので、ご忠告申し上げた方がよろしいかと思ったんですの。あの集まりは、とォっても危険ですの。このままではきっと、葉佩クンのお友達も大変なことになってしまいますの」 明日香ちゃんのことか、と九龍は唇を噛み締めた。元執行委員の椎名が言うのだ、『危険』な集まりに間違いはないのだろう。 「葉佩クンは、どうなさいますの? 放っておおきになりますの?」 「まさか」 即答すると、椎名は嬉しそうに微笑んだ。やっぱり葉佩クンは素敵ですわ、と続けて。 「気をつけて下さいね。この學園には、まだまだ葉佩クンの知らない怖い人がたくさんいますの。リカが必要なときは、いつでも呼んでほしいですの」 「うん、ありがとリカちゃん。また連絡する」 九龍の笑顔にお辞儀を返して、それでは、と椎名は去っていった。手を振る九龍を横目に、皆守が独り言のように呟く。 「……ちッ、八千穂の奴、予想以上に面倒なことに首を突っ込んでるみたいだな。どうも、お前が転校してきてから、厄介ごとに出くわすことが多くなった気がするな……」 「俺のせいかよ」 む、と唇を尖らせた時である。突如響いてきた不気味な含み笑いに、九龍は思わず肌が粟立った。振り向くと、思ったとおりそこには黒塚が立っている。 「それはね〜この地の石たちが葉佩君を呼んでるからさ」 いつものように鉱石入りのガラスケースを撫でながら、黒塚は一人納得したように頷いた。 「僕にはわかるよ、君はこれを受け取るのに相応しい人物だ。葉佩君、これを君に」 大げさにポーズをつけて押しつけられたのは、小さな鍵だった。遺跡研究会、とある。 「これがあれば、例え僕がいなくてもあの神聖な部屋に入ることができる……どうだい? 晴れて石研の一員として認められた今の気分は?」 「え、う、嬉しい、かな?」 勢い疑問形になるが、じりじりと迫るように話してくる黒塚のせいで、そう答えざるをえない状況になっている。だ、だから顔近いんだって! 「ふっふっふ、そう言ってもらえれば僕も嬉しいよ〜。あの部屋で一日を過ごせば、きっと君にも石たちの囁きが聞こえてくるはずさ。僕はそのときが訪れるのを楽しみに、一時の眠りにつくとしよう」 「眠りって何だよ……」 皆守の小さなツッコミなど聞こえなかったように、黒塚はくるくる歌い踊りながら去っていった。 「ラララ〜♪ 石は何でも知っている〜♪」 「……やれやれ、お前も大した奴に見込まれたもんだな」 自作のテーマソングらしい、妙な歌声が遠ざかってゆく。完全に呆れている皆守同様、九龍も深くため息をついた。 「なんで俺、仲間だと思われてんだろ。やっぱり石の匂いがするのかな」 制服を嗅いでみるが、相変わらず石の匂いがわからない。情けない顔をしていると、皆守が無造作にその腕をつかんだ。自分の顔の前まで引き寄せて、すん、と鼻を鳴らして。 「……ラベンダーの匂いしかしないが」 「そりゃお前のが移ってるせいだ」 ますます情けなくなって、九龍は再度嘆息する。なんか、俺もそのうち鼻が馬鹿になりそう。ふんと笑った皆守は、さて、と時計を見た。 「じゃ、俺は用事があるから行くぜ」 「へ?」 用事って何だよ、と思ったが彼のことだ、どうせ屋上か保健室で昼寝だろう。 「昼休みが終わるまでまだあるし、お前も適当に過ごすといい。またな」 「ああ、午後の授業も出ろよ!」 聞いているのかいないのか、軽く手だけ挙げて答えない背中を見送る。残り時間は俺も昼寝しようかな、と九龍は少し考えた。昨日もバイトで遅かったしなあ。 とりあえず今夜の探索のためにも、夜食を買っておくべく売店に寄る。まだ人だかりができている店内から適当にパンを選んで、九龍は屋上へ続く階段に足を向けた。 「ああ……どうしてお昼の売店はいつでもこんなに混んでいるでしゅか……」 そのとき、少し離れた場所にうずくまっている、大きな男子生徒の呟きが聞こえた。 「今日も、ボクは焼きそばパンが食べられないのでしゅね……」 独り言のようだったが、あまりにも切なげな口調に九龍は足を止める。確かに、昼休みの売店は戦場だもんな。焼きそばパン……あったかな。 「あ、あった。よかったらこれ」 適当に買ったパンの袋から、選んで一つ差し出した。驚いて振り返った男子生徒は、目を見開いて九龍を見つめた。 無邪気な赤子を、そのまま巨漢にしたかのような容姿だった。大きな身体に無理やり学ランのボタンを閉め、伸びた間からピンク色のTシャツが覗いている。ポケットにもあしらわれたピンク色に、ハートの刺繍とTAIZOの文字。……あ、まさか。 コイツが、タイゾーちゃん? 「……見ず知らずのボクに、これをくれるでしゅか?」 改めて見ると、なるほど舞草の言うとおり「ぷにぷに」したい頬である。巨体ではあるが、だからこそいわゆる癒し系とでもいうのだろうか。声も口調もほのぼのと可愛らしい。 「同じ學園の生徒だし、見ず知らずってわけでもないって」 にっこり笑って、九龍は焼きそばパンを渡した。ソースの匂いに顔を輝かせた生徒は、遠慮がちに顔を上げて。 「あの……お金……」 「いいよ百円くらい」 「や、えと……その、ありがとうでしゅ」 九龍の笑顔に負けたのか、彼は頷いて大事そうにパンを受け取った。 「あの、キミはもしかして、C組の……」 「ああうん、転校生。葉佩九龍」 名乗ると、彼は少しだけ顔を曇らせた。キミが《転校生》でしゅか、と言う小さな呟きに、九龍はかすかに違和感を覚える。 《転校生》。それは、単なる名称としての響きではなく。 「葉佩くん……キミは、ボクを見ても笑わないんでしゅね……こんなボクの姿を見ても……」 「ん?」 笑うって、何が。首を傾げると、彼が思いついたように立ち上がった。 「そうだ、何か悩みはないでしゅか? 辛かったり苦しかったり寂しかったりすることがあれば、ボクが何でも解決してあげるのでしゅ!」 「へ?」 同じようなことを八千穂に言われた気がして、そうだったと九龍は戦慄した。 この生徒がタイゾーちゃんだとしたら、《隣人倶楽部》の代表だ。それは椎名が危険だと言った、八千穂が通うセミナーの主催者ということになる。 「キミの中の悪い魂を、ボクが吸い取ってあげるのでしゅ!」 「悪い魂……」 呟いて、九龍は眉を寄せた。吸い取る、とはどういうことだろうか。舞草がダイエット効果云々と言っていたが。 「悪いココロは楽しい毎日には必要ないはずでしゅ。キミも一度、セミナーに参加してみればわかるでしゅ!」 難しい顔をした九龍をどう思ったのか、彼は少し声を荒げて宣言した。 「授業が終わったら、すぐ放課後のセミナーが始まるのでしゅ。四階の電算室で待ってるでしゅよ」 にこにこと笑顔のまま、彼はそう言って手を振った。もう一度焼きそばパンの礼を告げて、地響きに似た足音で去ってゆく。……悪い奴、ではなさそうなんだけどな。 己が正しいと信じて疑わないような彼の言葉に、九龍は何かを連想した。ああ《執行委員》かと納得したときには、大きな身体はもう見えなくなっていた。
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