木乃伊は暁に再生の夢を見る

5th. Discovery #4










 いつもの大広間に降り立った途端、突っ伏して呻く朱堂と、そっぽを向いてアロマを吹かす皆守が目に入った。お前ら、早速何かあったのか。もしかして相性最悪なんじゃないか、この組み合わせって。
「……南、だな」
 大広間の淡い光が指す方向を確かめて、九龍は再度背中の大剣を背負い直した。そういえば何だそれは、と皆守が声をかけてくる。
「ああこれ、ここで拾ったんだ。いい加減化人も強くなってきたし、コンバットナイフじゃ追いつかないかなと思って。ちょっと重くて扱い辛いのが難点だけどね」
 鞘から抜いて、少し振ってみて、また収める。銃でも剣でも槍でも爆弾でも、どんな武器でも臨機応変に扱えるよう、訓練してきた九龍である。
「そうよ葉佩ちゃん、アナタもうちょっと太って力つけた方がよくなくてッ? あん、でもマッチョな筋肉美もステキだけどォ、葉佩ちゃんみたいに無駄のない細身のしなやかな身体ってそそられちゃ……うぐッ」
 例のごとく皆守の蹴りを受けた朱堂は、台詞半ばで地面に倒れ込んだ。ああ、なんか俺の分までツッコミ受けてくれそうだすどりん。
 苦笑しながら、新たな区画の扉を開ける。現れたのは、木枠で支えられた坑道のような通路だった。また今までとは随分雰囲気が違う。辺りを観察しながら、狭い道を抜けてはしごを何度か上がる。先頭が九龍、続いて皆守、最後が朱堂。
「こんな暗いところに連れ込むなんて……ウフフ、二人きりになりたいわ、ぐ」
 含み笑い混じりの語尾は、呻き声と化して押し黙った。どうやら皆守がはしごを上りながら足蹴にしたらしい。退屈しないのはいいけど全く危機感ないよなこれ、と九龍は背後をうかがってみる。皆守の不機嫌オーラは、いつもより強そうだ。
 上りきると、待ち構えるようにして石碑が立っていた。東にはすぐ例の蛇の扉があり、アタシのいた部屋だわ、と朱堂が呟く。
『八人の娘の中でただ一人、櫛名田比売のみが生き残った。足元に目をこらし同じ道を辿るべし』
「八椎女、か」
 石碑を読んだ九龍は、肥後が言っていたことを思い出した。順にオロチの生け贄とされた八人の娘の、残った最後の一人がクシナダヒメだ。
「足元に何かあるのかな」
 呟いて、先頭に立って狭い通路をそろそろと進む。暗視が必要なほどではないが、今までの区画に比べるとかなり暗い。三歩ほど先は既に闇に包まれている。
 近づくと、赤いスイッチのような石板が並んでいるのが見えた。いかにも踏めば即罠発動、という怪しげな仕掛けに見える。まあ、定番だね。
「無闇に踏まない方がいいんじゃないか?」
「だな。俺に続いて跳んできてくれ」
 皆守の言葉に頷いて、九龍はまず二枚を一気に飛び越えた。その先は坂になっていて、先がどうなっているのかよく見えない。八人の娘の中でただ一人生き残った、ということは、スイッチは全部で七枚あるんだと思うけど。
 後方に声をかけて、また同じ距離を跳ぶ。二枚を飛び越えて、最後は……三枚?
「ああん、待って葉佩ちゃん〜」
 跳ぼうとしたタイミングで悩ましげな声をかけられて、思わずかくりと膝の力が抜けた。やばい、飛距離が足りない!
 下りた踵が、最後の石板に触れた。なんとか前へ体重を乗せて耐えようとしたところに、後ろから朱堂が跳んできた。九龍がそこにいるとは思わなかったのか、きゃあと叫んでもつれるように倒れ込む。とっさに手をついたが、朱堂に馬乗りされるような格好になってしまった。同時にゴゥン、と何かが作動した音。―――罠だ。
「あらやだ茂美ってば、葉佩ちゃんをバックから攻めちゃった!」
「いやすどりん、そんなこと言ってる場合じゃ……」
「何やってんだ、走れ!」
 続いて跳んできた皆守が叫んで、後方を指した。
「何か来るぞ!」
 振り向くと、かすかに揺れる地面に気づいた。遠く向こうから、何か大きい物が転がってくる気配がする。あれは―――岩? 大岩? うっそ、インディ・ジョーンズかよ!
「走るのよ! アタシたちの愛のために!」
 慌てて立ち上がった朱堂が真っ先に駆け出した。こんな狭い通路では、どこに避けても潰されるのは必至だろう。とにかくこの先に回避できる場所があることを祈って、九龍も走り出す。
 坂を上って降りたところ、大きな亀裂が床に口を開けていた。この向こうなら、転がる巨岩から逃れられるというわけか。
「早く、葉佩ちゃん!」
 先に跳んだ朱堂が、手を伸ばして呼んでいる。地面を蹴って、九龍は軽々と向こう側へ着地した。続いて、皆守も跳んでくる。が、跳び切ったそこは扉があるだけの場所で、思ったよりも狭すぎて。
「お、お前らどけ!」
「うわ!」
「きゃああん!」
 慌てて身体を反転させた九龍を、朱堂が背中から受け止めた。二人を避けるべくバランスを崩した皆守を、九龍が正面から受け止めた。そのまま、三人は折り重なるようにして倒れてしまった。
「いやあァァ、来るわよォ!」
 朱堂の悲鳴を背に、九龍は迫ってくる岩を皆守の肩越しに見た。地響きを立てながらそれは亀裂に転がり落ちて、はるか下の方まで落ちてゆく。しばらくしてから、ようやく遠くで砕ける音。ま、まあ、定番だね。ともあれ、助かった。
「……大丈夫か?」
 抱きしめる格好になった、皆守の背中を叩いて声をかける。ああ、と頷いて半身を起こした彼の、癖毛が耳をくすぐって、九龍は思わずぎゃあと悲鳴を上げてしまった。うわわ鳥肌たった、お前のそれは密かに武器だよ、状態異常・悪寒だよ!
「……」
 何か言いたげに、皆守がその姿勢のまま見つめてくる。罠を回避した遺跡は元の静寂に包まれていて、互いの呼吸まで聞こえるほどの至近距離で。な、何? 何か、妙に真剣な目なんですけど皆守さん。
「いやん、アタシを葉佩ちゃんごと押し倒すなんて、皆守ちゃんってば精力的なんだからァ」
 九龍の後ろで朱堂が言って、皆守の顔が一気にしかめられた。無言で立ち上がると、九龍ごとまとめて足蹴りにしてくる。一瞬息が詰まった九龍に対し、朱堂には大したダメージではなかったらしい。若いっていいわねェとまだ盛り上がっている。
「俺はとばっちりかよ、突っ込むならすどりんだけに突っ込めよ!」
「ついでだ、気にするな」
「突っ込むなんて嫌だわ茂美、大・歓・迎」
「……」
 今度は皆守もさすがに気力が失せたらしく、天井を仰いで苛々と髪をかき乱した。なんでこんな奴と、と低く言い捨てる。うーんやっぱりこの二人、犬猿の仲っぽい……。
 ため息をついて、九龍は改めて扉に向き直った。金属の枠と取っ手がつけられた木製の扉だ。どこか鳥居を連想させる木枠を見上げて、ゆっくりと引き開ける。
 次も天井が低く、薄暗い部屋だった。欠けた杯に似たオブジェがあったが、ギミックではないようだ。
「これは酒船石、だな」
 呟いて、大きな石に触れる。丸い皿のようないくつかのくぼみが、彫られた細い溝でつながっている。これで酒や薬を調合したとされているが、詳細はよくわかっていない花崗岩だ。
「この区画はヤマタノオロチの話がなぞられてるみたいだし、八塩折の布石かな」
 八塩折とは、スサノオが用意させた強い酒のことである。それをオロチに飲ませ、酔い潰れて寝込んだところを退治したというエピソードだ。オロチも酒には弱いんだな、と古事記を読んだ図書館で、笑ったことを思い出した。
 特に仕掛けはないようだったので、隣にあったはしごを降りる。更にもう一段降りて通路を抜けると、少し天井が高い部屋に出た。
「蛇の杖があるけど……固定されてるな」
 別に仕掛けがあるのかもしれない。思ってまた進むと、しめ縄が張られた奥に石碑が見えた。
「……読めるか?」
 疑わしげに皆守が聞いてくる。九龍は刻まれた文字を指でなぞり、なんとか、と答えて読み上げた。
『西から東へ満たされるように、北から南へ流れるように注ぐがよい』
「どういうことだろ」
 《H.A.N.T》に打ち込んで、とりあえず先に足を進めてみる。木の壁で囲まれた小部屋の奥に、小さな社。酒船石も転がっているようだ。
「開かないな……何か仕掛けを解除するのか」
「アタシたちの愛がもっともっと強くなりますよーに」
 柏手を打つ朱堂を無視して、更に奥へ進む。そこには木の台の上に備えられた、大瓶が点々と並んでいた。全部で八つだ。
「これのことか、さっきの石碑」
 つまりこれを西から東へ、北から南へと動かしてゆけばいいのだろう。九龍は《H.A.N.T》で位置を確認して、まず一番北の西にある大瓶を回した。かちりと何かが合わさった音。その東に瓶はないので、次はその南。次に東。そうやってジグザグに歩きながら、順に瓶を回してゆく。最後に南西の瓶を回すと、小部屋の中から音がした。
 社へ戻ると、思ったとおりその扉が開いていた。中には杯が置いてある。
「なるほど、八塩折―――オロチを眠らせるための酒ってわけね」
 中には何も入っていなかったが、これが何かを解除する鍵だということだろう。
 手に取ると、奥の扉の開錠音がした。が、それだけではなかった。《H.A.N.T》の音声が敵影を確認、と告げた。熱源反応には八体、さっき大瓶があった場所だ。
「オカマにケンカ売るとはいい度胸だわ」
 早くもダーツを構えてやる気の朱堂にならって、九龍もMP5を構えた。
「すどりん、援護よろしく!」
「了解よ〜!」
 まず、のろのろと歩いてきたミイラのような化人を撃つ。人型だと無意識に眉間か心臓に合わせてしまう照準をずらして、九龍は剥き出しの足を狙った。体勢を崩したところに、朱堂がダーツを放つ。その後ろからまたミイラと、着物を着た化人が、ゆっくりではあるが一斉に迫ってくるのが見えた。数が多い。
「皆守、すどりん、耳を塞げ!」
 木枠で支えられている区画だけに、多少の不安はあったのだが、九龍はガス手榴弾を取り出した。ひび割れがある場所ならまだしも、この遺跡は全体としてそんな柔な造りではない。それは今までの探索から得ていた確信だった。
 投げつけて、すぐに小部屋に身を寄せて爆風を避ける。轟音の中から断末魔を拾うが、一撃必殺とはいかないようだ。煙をかき分けるようにして近づいてくるのは、残り二体。
「ここにいてくれ」
「おい、九龍!」
 大剣を抜き、皆守の呼びかけを背中に受けて、九龍は小部屋を飛び出した。どうしても威力としては弱い9ミリパラベラムのMP5より、近距離戦に持ち込めば剣の方が一気に片をつけられる。
 着物の化人を認めると同時に、身を縮めて懐に飛び込んだ。手前で身体を回転させ、遠心力も利用して剣を振るう。呻く悲鳴と、血の流れない肉体。光となって消えるだけの存在のくせに、その感触は手のひらから確実に伝わってくる。
 肉を斬るこの手ごたえを嫌って、銃ばかり好んで使っていたときもあった。生物の命を直接自分の手で奪う罪悪感からではなく、その感覚に慣れてしまうことが怖かったのだが、結局、今では麻痺してしまった。
 それでも、五感は伝えてくる。彼らは生きている。生きている形を《カァ》の力で留めながら、ちゃんと生物としてそこにいる。《墓守》の本能のまま、ただ侵入者を排除するためだけに―――いや。
 ならば、化人とは一体何なのか。何故ここにいるのか。元々この地に住んでいた生物が、墓の呪いや瘴気に触れて、化け物と呼ぶしかない異形になったのか。死んでなお《墓守》として留まるよう、この遺跡に捕らわれているのか。……何なんだ? 化人ってのは、一体どういう存在なんだよ?
「危ない、葉佩ちゃん!」
 最後のミイラの攻撃が来て、九龍は思わずよろめいた、ああ眠い、と皆守の声がした。閃いたダーツの直撃に、敵は一瞬のうちに光と化す。天に召されるように、儚く消える塵。
『敵影消滅』
「やったわ、愛の勝利よ!」
 《H.A.N.T》音声で殲滅を確認すると、朱堂がくるくると踊りながら言った。九龍は息をついて、背後で支えてくれている皆守を見上げる。
「サンキュ……痛ッ」
「独りで突っ走るな、馬鹿」
 ごん、と頭に拳が落ちた。
「いや、別に突っ走ったわけじゃ……ご、ごめんなさい」
 皆守の目が怖かったので、素直にうなだれて謝っておく。もちろん、内心ではこっそりため息をついている。
 朱堂のダーツにもいえることだが、銃弾にも爆弾にも限りがある。ならば一人突っ込んで接近戦に持ち込んだ方が、効率がいいに決まっている。立ち止まってどうしようもなくなってしまう前に、戦えるときに戦うのが正しいプロの仕事だ。
 睨みつける視線を背中に感じながら、扉の前に建てられた石碑に触れる。以前マミーズの爆弾騒ぎのときにも感じたことだが、皆守はどうやら誰かにかばわれることを嫌っているらしい。
 大丈夫だよ、と九龍は心の中で呟いた。大丈夫、俺だって自己犠牲は大嫌いだ。だから、早くタイゾーちゃんの目を覚ましてやらないとね。
『遠呂智を討つには八塩折。最初と最後は必ず火を吹く。他の頭は交互に火を吹く』
 刻まれた文字を読み上げて、九龍は扉に目を向けた。壁の向こうが、熱を持っているような気がする。火の罠が待ち構えているのかもしれない。
「皆守は、暑いの平気?」
「……暑いと何もしたくなくなる。寒いと眠くなる」
「わかりやすいなお前。すどりんは?」
「熱い愛のキスなら喜んでッ!」
 言って唇を突き出す朱堂に苦笑して、九龍は扉に手をかけた。
「じゃあ受けてみますかね、オロチの熱いキス」
 部屋に入ると予想どおり、《H.A.N.T》が作動音を確認した。
「ああッ、アナタの愛に焦がされるゥゥッ! と思ったらトラップ?」
「とりあえず、走れ!」
 すぐ左へ折れている狭い通路を、九龍が先頭で走り出す。突き当たりに、大蛇の頭を模した石像が口を開けて待ち構えている。それは徐々に熱を持ち始めて。
「これが火を吹くのか」
「どどどどうするのダーリン!」
「最初と最後は必ず火を吹く、とりあえずこいつが吹く炎はすぐ来るぞ!」
「すぐって、きゃああ!」
 九龍が通路を右へ折れ、続いて皆守、朱堂が折れるとすぐに火が吐き出された。また向こうの突き当たりに石像が見えて、九龍は石碑の言葉を思い出した。いくつか同じ石像が、同じように配置されているのだろう。
「他の頭は交互、ってことは次の頭は今は吹かない、今のうちにあの角を曲がれ!」
 了解よぉ、と叫んで朱堂が走り出した。早く、と皆守を促して九龍も続く。三人が角を曲がると同時に、すぐ背後で吐き出される熱。
「な、なんだかぐるぐる回ってるわね、ここ!」
 次の頭をやり過ごし、走りながら朱堂が言った。どうやら渦を巻くように中心へ向かう、回廊の部屋になっているらしい。炎は、その通路のぎりぎりまで届いているようだ。
「ちょ、これ、最初と最後は必ず火を吹くって、最後はどうするのよ! ていうか、最後ってどこよォ?」
「……あれだ」
 行き止まりになって、壁が道を塞いでいる。そこには今までとは違う、赤い色をした石像がある。何も考えず、九龍は杯を手に走り出した。
「九龍!」
 馬鹿野郎、と怒鳴られたような気がした。目の前が真っ赤になった。とっさに背中の大剣を抜き、盾にして天井へそらす。それだけでは防ぎきれなかった火が、制服の腕に燃え移った。舌打ちして、手にした杯を石像の前に置く。……酔い潰れて、眠りやがれ!
 火が肌を焼く前に、腕ごと壁に叩きつけて消した。炎の色が赤いのは温度が低い証拠だ、大した火傷ではないだろう。
 石像から蒸気が噴き出し、一瞬それが炎に包まれる。塞いでいた隔壁が下りて、《H.A.N.T》が罠の回避を告げた。
「ふー、これで少しは涼しくなるな」
 駆け寄ってきた二人に無事を示して、九龍は手を挙げてみせた。が、皆守の目が怒ったように険しく睨みつけてくる。
「……手。火傷しただろ」
「大丈夫、ちょっと制服が焦げただけ。それに、痛みには慣れて」
「そういうことじゃない!」
 いきなり怒鳴られて、驚いて言葉が詰まった。それきりそっぽを向いてアロマを吹かしている皆守を、九龍は何も言えずにぼんやりと眺める。なんだよお前、何怒ってんだよ?
「ねえ、葉佩ちゃん」
 そんな二人を見て、朱堂が優しく声をかけてくる。
「アタシ、葉佩ちゃんのこと好きなの。アタシのせいで、アタシをかばって、怪我なんてしてほしくないと思ってるの。皆守ちゃんも、そうじゃないかしら。ほら、あの《隣人倶楽部》とかいう人たちには欠けてる言葉」
「……《汝自らを愛するが如く》―――?」
「そう、何時のニンジンを……あら?」
 何か違うわねと首を傾げる朱堂に、九龍は思わず吹き出してしまった。すどりんの記憶力、明日香ちゃんと同等か。
「皆守」
 笑いながら、九龍は皆守の背中に声をかける。
「俺は自分を犠牲にしてまで、お前らを守ろうとしたわけじゃない。ただ誰かがやらなければならないことなら俺がやる、それだけだ。敵にしろ罠にしろ、プロである俺が対応するのは当然だろ? その方が全員の生存率も高くなるしな」
「……」
「それに心配しなくても、俺はこんなところで死んだりしないよ」
「……」
 皆守は黙ったまま、九龍の言葉を聞いていた。その自信はどこから来るんだ、と低い声で呟いたような気がした。聞こえなかったふりをして、九龍はただ微笑んでみせた。
 自信じゃないよ、と心の中で肩をすくめてみせる。これはただの欲望で、執着だ。生に見放されないよう、死に絡め取られないよう。そうやって自分を強く保ち、もがいて、足掻いて、最期まで笑えるように。
 はあ、と皆守が大きなため息をついた。振り向いた半眼はまだ不機嫌そうに見えたが、それ以上言うことはないようだった。九龍は笑って、じゃ次行こうぜと二人を促した。
 坂を上がると、道が二手に分かれていた。先に北を選んで進むと、突き当たりに小さな扉があった。その奥には石碑が建てられている。
『倒した八俣遠呂智の尾を切り裂くと、天叢雲剣が現れた。須佐之男命はこの太刀を天照大御神に献上した』
「あめのむらくものつるぎ、ね」
 いわゆる三種の神器の一つ、草薙の剣のことだ。それがこの区画の最後にある、例の蛇が向かい合った扉の鍵となるのだろう。《H.A.N.T》に情報を打ち込んだ九龍は、気を引き締めて隣の部屋を開けた。
『敵影を確認』
 機械音声と共に、暗闇が辺りを閉ざす。九龍が暗視ゴーグルを下ろそうとしたとき。
「あらいやだ、暗いわ。手探り手探り。……ぎゅっ」
「す、すどりん?」
 暗いとはいえ、すぐ近くは辛うじて見えるのだ。手を握ってきた朱堂に思わず引きつった笑みを浮かべると、皆守が足で乱暴にその接触を断った。いって、強引だなお前!
「あまりくっつくな。見ててうっとうしい」
「ウフフ、男の嫉妬はみっともないわよ皆守ちゃん」
「……誰が嫉妬だって?」
「待て待て、敵がいるんだってここ!」
 一触即発の空気をかもし出す二人の間に、九龍は慌てて割って入る。すぐそこにいた蛇が跳んで、襲い掛かってきたのはその瞬間だった。
「……ッ!」
 牙は、過たず九龍の頚動脈を狙っていた。とっさに直撃を避けるが、わずか左の耳のそば、首筋をかすめて傷つけた。刹那、電流のような感覚。無意識に飲み込んだ声。
「九龍!」
「葉佩ちゃん!」
 ぐらり、と視界が傾いた。指が痺れて、銃から離れた。握って、構えて、早く敵を倒さないと。そう思いながら、身体が言うことを聞かない。―――毒、か?
 支えてくれたのは皆守だった。しっかりしろ、と怒鳴りつけられて、何故かそれが心地よくて、九龍はうまく動かない表情筋で笑顔を作る。大丈夫、と呟いて。
「大丈夫って、おい!」
「何すんじゃワレェよくも葉佩ちゃんをォォ!」
 朱堂が男言葉に戻って、蛇にダーツを投げつけている。抱きかかえる形の皆守には、九龍から全ての力が抜けていることが伝わるのだろう。揺さぶるような刺激に、だらりと腕が垂れ下がった。だが、意識を失うほどではない。
「ちょっと、麻痺しちゃってるだけ……それより皆守、まだ敵が」
 《H.A.N.T》で確認した敵は、部屋の奥にまだ五体いた。数が多すぎる、朱堂のダーツだけでは追いつかないだろう。
「……一端部屋を出よう、おい朱堂!」
 舌打ちをした皆守は、そのまま九龍を抱き上げた。蛇を追い払った朱堂が、心得て背後の扉を力一杯押す。入ると同時に施錠される部屋ではなかったのが幸いだった。
 化人が襲い掛かってくる前に部屋を出ると、朱堂が慌てて扉を閉めるのが見えた。冷たい床に寝かされた九龍は、とりあえずの危機回避に息をついた。
「大丈夫だって、死に至るほどの毒じゃない」
 額の熱だの手首の脈だの、皆守が心配そうにあちこち確かめてくる。痺れた舌で呟いて、九龍は無理やり笑ってみせた。毒や薬品の類に、この身体はある程度慣れている。今回も直撃ではなかったおかげで、軽い麻痺で済みそうだ。少し休めば回復するだろう。
「毒ってお前、蛇に噛まれたのか」
「や、かすっただけ」
 目を見開いた皆守が、左首筋の傷口を探り当てた。痛、と呻いた九龍を見下ろして。
「血清は」
「いやだから血清って、そんな大げさなもんじゃなくて」
 ベストを探ろうとした皆守を震える手で止めて、心配性だなあと九龍は笑う。その手を払った皆守は、ふいに肩と頭に手をかけて、ぐいと傷を晒させた。
「痛ッ、ちょ……」
 視界から皆守の顔が消えて、癖毛が耳をくすぐった。また悲鳴を上げそうになった九龍は、飲み込もうとして凍りつく。
 火を押しつけられたような熱。傷口を辿る、皆守の唇と舌が。
「う、わ」
 吸い上げられた感覚に、麻痺した身体が跳ね上がった。皆守はそれを押さえて横を向くと、ぺっと血を吐き捨てた。唖然として何も言えない九龍に、もう一度噛みつくようにして歯を立ててくる。も、もしかして毒を吸い出してくれてるとか、そういうことか?
「み、皆守、そんなことしなくても大した毒じゃ……ていうかその処置方法もあんまり正しいとは言えな、いッ」
「黙ってろ」
「ま……待て、だから痛いんだって!」
 せめてもうちょっと優しくしてくれよ、そう言いたくなる勢いでそれが何度か繰り返された。普段ならうるさくわめくはずの、朱堂もただ黙って見守っている。やがて麻痺は次第に薄れていったが、皆守の乱暴な処置のおかげではなく、九龍の身体の回復力だと思われた。
「……俺のせいだな……悪かった」
 壁にもたれて座り込んだ皆守は、珍しく消沈した様子で呟いた。何か文句を言ってやろうと半身を起こした九龍だったが、その弱々しい声に言葉を失ってしまう。事の次第を見守っていた朱堂が、違うわアタシのせいだわ!と割り込んできた。
「アタシが、葉佩ちゃんの手を握ったりしなければ……」
 そう言う彼も珍しく元気がなく、九龍は思わず戸惑ってしまう。
「いやもう大丈夫だから、気にしなくていいって」
「でも……」
 ようやく痺れが完全に取れた九龍は、今度こそちゃんとした笑顔を作った。
「過ぎたことを後悔しても仕方ないだろ? 大事なのは今、そしてこれからだ。これから、すどりんが俺を守ってくれればいいんだから。な?」
「葉佩ちゃん……」
 目を潤ませて、朱堂がじっと見つめてくる。そのまま抱きつかれるのかと思い、反射的に逃げようとしたが。
「ありがとう……アタシ、アタシ……潔く、身を引くわァァッ!」
―――は?」
 ……なんだか急に話が飛んだような気がする。
「だって今の皆守ちゃんと葉佩ちゃんッ! まるで映画のワンシーンのように完成された恋人同士だったじゃないの! 美しいッ美しいわ愛の力! 茂美、感動ォォォッ!」
「……」
 スカーフを噛み締めて一人盛り上がる朱堂を、九龍は苦笑いで見つめてしまった。皆守も例外ではなく、すっかり呆れているようだ。
「……映画みたいな恋人同士だってさ、皆守」
 振り向いて言うと、皆守はふんと笑って。
「蛇が取り持つ愛ってことか?」
「じゃあ、蛇に感謝しないと」
「キスでハッピーエンドは勘弁しろよ」
「抱き上げて墓地を練り歩いてくれ」
 軽口の言い合いにわずかな沈黙が降りて、どちらからともなく、にやりと笑い合った。皆守が伸ばしてくれた手を取り、九龍はようやく立ち上がる。オーケー、どこも異常なし。
「じゃ、リベンジしますかね」
 にっこり笑って、再び扉を開けた。
『敵影を確認』
 《H.A.N.T》音声を聞くまでもなくノクトビジョンを立ち上げて、九龍は一瞬にして部屋の構造と敵の位置を把握した。
 狭い場所と暗闇では圧倒的に不利だ。最初の蛇さえ倒してしまえば、あとは通路で迎え撃てばいい。暗視ゴーグルを使わずとも、敵は自らこちらの攻撃範囲内に入ってくれるのだから。
 バディを最優先にしつつ、自分の安全も確保した作戦を組み立てる。健康状態が良好ならば、今更雑魚相手に苦労はしない。
『敵影消滅』
 静寂と共に告げた《H.A.N.T》音声を耳に、九龍は後ろの二人を振り返った。
「さすが葉佩ちゃんよォォ」
 ひらひらとハンカチを振る朱堂を、アロマを吐きながら皆守が横目で見ている。少しは仲の悪さも改善されただろうか、と九龍は笑った。
 静かになった部屋を壁伝いに調べると、宝物壷を二つ発見した。一つは剣の形をしたレリーフ、天叢雲剣だ。
「これが神の扉を開く剣、ね。もう一つは……蛇の肝?」
「何だそれは。そんなものどうするんだ?」
 覗き込んだ皆守が眉を寄せる。あ、馬鹿にしたな。
「色々調合の材料になるんだぞ? 例えば、媚薬とかさ」
「……は?」
 皆守はぽかんとして聞き返したが、朱堂が過剰に反応した。
「び、媚薬ってあれかしら、いわゆる惚れ薬ってやつ? そそそそれとも催淫……」
 皆守が無言で朱堂を蹴り倒して、台詞は途中でくぐもった。やっぱり根本的に犬猿なのかな、この二人って。
「いや、俺は調合したことないから、どういう作用があるのかよく知らないんだよね。そうだせっかく手に入ったことだし、今度作ってみようか? 皆守、お前試してみる?」
「誰が試すかッ!」
「ああんできたらアタシにちょうだい葉佩ちゃんッ!」
「九龍ッ、絶対作るんじゃないぞ!」
 わめいている二人の会話に笑いながら、部屋を出て、南の道を戻る。蛇が向かい合う大きな扉には、相変わらず物々しい錠前がかけられている。だが剣をはめ込むと、儚く消えて開錠された。
「……じゃ、行くぞ」
 言って、背後を振り返る。頷いた二人に頷き返して、九龍は重い扉を押した。






→NEXT 5th. Discovery#5



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