木乃伊は暁に再生の夢を見る5th. Discovery #5 |
薄暗い部屋に、頭を抱えた肥後が立ちすくんでいた。 「……やっぱり、来ちゃったんでしゅね。キミはそうやって、悪いココロの言いなりになってしまうつもりでしゅか?」 「……あのさ、タイゾーちゃん」 質問を聞き流して、九龍はマガジンに残った弾丸を確認する。 「タイゾーちゃんは、『汝の隣人を愛せ』って説いてるんだよな?」 「そうでしゅ! 隣人に心を開き、惜しまず与えることによって―――」 「俺は?」 「え?」 右手を挙げて高らかに説こうとした肥後が、きょとんと九龍を見つめてきた。 「隣人って文字どおり隣にいる人じゃなくて、つまりは何か交流がある人、近くにいる人、あるいは人間全体にまで広がるような、漠然とした定義だよな。だったら、それには俺も含まれてないか?」 あくまで笑顔の九龍に、肥後はふるふると首を振って。 「葉佩クン、は……」 「《転校生》だから、とか心の狭いこと言うなよ。そもそも神様は隣人だけじゃなくて、汝の敵も愛せって説いてたと思ったんだけど」 「……」 肥後は黙って、九龍の言葉を聞いていた。矛盾を突きつけられて、それでも己が正しいと信じて、葛藤しているような表情。 「……なあ、タイゾーちゃん。俺はその『悪いココロ』とやらの言いなりになったわけじゃないし、お前と戦いたいわけでもない。隣人とか敵とか関係ないんだよ、愛なんて抽象的で大げさなものじゃなくて、俺はただ」 「それでも」 遮るように、肥後が言う。自らを勇気付けるように、わざと大声で宣言するように。 「ボクはこの場所を知ってしまった人を、見過ごすわけにはいかないのでしゅ。《生徒会執行委員》として、キミをここから排除するでしゅ。それが、みんなの幸せのためなのでしゅ!」 「……やっぱり、そうなるわけね」 銃を構えながら、九龍は呟いてため息をついた。それでみんなが幸せになるわけないじゃん、まあ《生徒会》の奴らにとってはそうかもしれないけど。 「排除とか言うなよ……俺だって『隣人』だぞ?」 「キミを倒して、早くゴハンにするでしゅ!」 もはや言葉も耳に入らないのか、肥後は怒鳴るように言った。それを合図にしたかのように、蛇が大量に集まってくる。うわ、また蛇かよ。 「すどりん、蛇任せていい?」 「もちろんよダーリン!」 両手にダーツをずらりと構えて、朱堂が頼もしげに笑ってくれた。 目標を肥後に絞り、九龍は銃のセイフティを外す。どういう攻撃をしてくるのかわからないうちは、遠距離から狙い撃つのが安全だ。 肥後はスナック菓子を抱きしめて、地響きと共に迫ってくる。何を仕掛けてくるのか、と思った途端、彼は思いきり体当たりをしてきた。わ、ちょ、お前の得意技はウィルスじゃなかったのか! 「ッ!」 弾き飛ばされた衝撃を後転で和らげて、起き上がった九龍は引き金を引いた。過たず眉間を狙うと、やめてよォ、と悲鳴が響いた。一瞬だけ躊躇するが、ぐっと銃を構え直して。 「うおっとォ!」 また彼が体当たりしてきて、その体重に弾き飛ばされる。寸前で後方へ跳びすさり、できるだけダメージを軽くしようとするも、体勢を立て直す前に来るか、と思いきや。 「……眠いぞ」 「あ、皆守?」 引きずられたような気がして、九龍は背後の友人を振り返った。あ、皆守?じゃねぇだろと軽く睨まれる。 「お前まさか、俺をアテにしてないだろうな?」 「てへ、バレた」 「お前な……」 「だって皆守ってば隣人の俺のこと、めちゃくちゃ愛してくれちゃってるでしょ? 考えとく、とかいって照れちゃって」 「誰がだあー眠いッ!」 襲い掛かってきた肥後の攻撃を、皆守が反論と同時に蹴りで避けさせてくれる。って蹴りかよ、いちいち乱暴なんだよお前は! 「わかってる、ありがとう。隣人とかそういうの、関係なくてもさ」 体勢を立て直しながら、九龍はにっこり笑ってみせた。 「愛してるよ、皆守」 子供のような悲鳴がした。肥後の身体から、いつものように《黒い砂》が噴き出すのが見えた。《H.A.N.T》の警報に、九龍は皆守に背を向ける。絶句しているその顔を思うと、知らず笑いが込み上げた。やったね、リベンジ成功。 形を成した砂が、空間から這い出すようにして人型を取る。逆立ちをした格好の青白い大型化人と化し、大声で何事かを吠える。蜘蛛型の化人が現れて、カサカサと暗闇の中蠢いているのがわかる。 九龍は最後の手榴弾を取り出した。ピンを抜いて、狙いを定めて。投げると同時に飛び出せるよう、姿勢を低く構えて。 「……なあ、九龍―――」 寸前に、皆守の声がした。爆音にかき消されて、それが届くことはなかった。 ―――想い出の中の教室で、いつも自分は苛められていた。 からかってくるクラスメートも、見て見ぬふりをする教師も嫌いだった。何より、自分自身が嫌いだった。 「あははッタイゾーの奴、またこんなに食ってるぜ。何でもかんでも食って、ホント意地汚い奴だよな」 「残り物まで食ってるから、そんな風になるんだぜッ。デカいしトロくさいし、ホント邪魔だよな、お前って」 少年たちの顔は、既におぼろげでよく覚えていない。ただ感じる幼稚な悪意が、刻まれた嘲笑に強調されて蘇る。だってもったいないでしゅ、ゴハンを粗末にしたらいけないんでしゅ。呟きは一笑され、またなじる言葉が降ってくる。 「やめろよッ」 それを遮って飛び込んでくる、凛とした声。あいまいな記憶の中で、彼の顔もよく思い出せない。ただ強い瞳の力と、やんちゃそうに笑う笑顔が焼きついている。誰かに似ている、と思う。 「そいつは何も間違ったこと言ってないだろ。そいつを苛めるのはやめろッ」 知らない顔だった。同じクラスの生徒ではなかった。テレビで見て憧れた、ヒーローのようだと思った。こんな自分でも、助けてくれる存在がいるのだ。現実に、同じ学校に。 「なんだよ、正義ヅラしやがって。いいよもう、タイゾーの味方する奴なんて放っておいて行こうぜ〜」 クラスメートたちの影が遠くなる。歪んで、溶けて、見えなくなる。助けてくれた少年が、白い歯を見せて無邪気に笑った。 「大丈夫か?」 「う、うん、でもボクのせいでキミまで仲間はずれに……」 「《汝自らを愛するが如く、汝の隣人を愛せ》―――」 「え?」 聞き慣れない言葉に顔を上げると、彼はにっこり微笑んだ。 「自分のことを大事にするように、人のことも大事にしろって意味さ。お前、自分のこと好きか?」 「……嫌いでしゅ」 「じゃあ、まずは自分で自分を好きにならなくちゃ。そうじゃなきゃ、誰もお前を喜ばせてやれないし、お前も誰も喜ばせることができないんだぜ」 汝自らを愛するが如く、汝の隣人を愛せ。繰り返して、少年は分厚い本を開いた。 「いい言葉だろ? ほら、ここに書いてあるんだ」 差し出されたのは、一冊の聖書だった。黒地に素朴な金色の十字架を認めて、何故か懐かしい気持ちが広がった。 「キミは……誰なんでしゅか?」 「実はオレ、この前転校してきたばっかなんだ。そうだ、この聖書お前にやるよ。だから、これから仲良くしようぜ」 聖書と一緒に、握手を求めるかのように手が伸ばされた。想い出の中の彼は逆光を浴びて、まるで神様みたいだと思った。おぼろげだったその輪郭が、次第に明るくなってゆく。ずれていた焦点が合わさるように、それは《転校生》の顔になった。 「葉佩、くん……」 呟いて、手を伸ばす。聖書を受け取る。忘れていた何かが、欠けていた思いが、奥底から浮かび上がるのを感じる。汝自らを愛するが如く、汝の隣人を愛せ。葉佩くん、ボクは。葉佩くん、ボクも。 「仲良くして、ほしいでしゅ……」 《転校生》が、笑った。全てを愛し、全てに愛される太陽のような笑顔で。 墓地に戻るまで、肥後はただ無言で聖書を抱きしめていた。取り戻した宝物の想い出を、噛み締めているかのようだった。朱堂も気を遣ったのか、九龍や皆守と共に終始黙ってついてきていた。 「ボクは―――ボクはただ、あの子がボクに大切なことを教えてくれたように、みんなに幸せになってほしかったんでしゅ……」 月明かりの中で懺悔するかのように、肥後はぽつりと話し出す。 「……だけど《黒い砂》がボクから大切な想い出を奪っていって、気がついたらボクにはこの変な《力》があって、そして、なんだか妙な白い仮面の人がボクに何かを……何かを」 頭を抱えて、肥後は記憶を探っているようだった。けれどすぐ首を振って、泣き出しそうな顔になる。 「駄目でしゅ、うまく思い出せないのでしゅ……やっぱりボクなんて駄目なんでしゅ。こんな自分のことなんて、好きになれるはずないのでしゅ。葉佩くんだって、そう思いましゅよね?」 「タイゾーちゃん」 半ば赤ん坊のようにべそをかいている彼の肩を叩いて、九龍は笑ってみせた。 「好きになれるはずがないなんて、そうやって否定してる時点で駄目だろ? 簡単なことだよ、好きになるんだ。そうすればきっと、ぐえっ」 「葉佩くん……ッ」 励ます言葉が嬉しくて感極まったのか、肥後は九龍を両手で抱きしめてきた。うぐ、いやこれ、抱きしめるというか……抱き潰す? 「葉佩くんはボクの大切なものを取り戻してくれた人、葉佩くんの言うことだから信じることができるでしゅ。もう一度頑張って自分のことを好きになって、そしたらきっとボクも、葉佩くんやあの子みたいに心から笑うことができるようになると思うのでしゅ。ボクがボク自身を大切に思うように、葉佩くんのことを大切に思うでしゅ!」 「むぐぐ、そ、そっか、ありがとタイゾーちゃん」 巨体に埋もれるようになりながら、九龍は思わず苦笑する。いやタイゾーちゃん、「葉佩くんのことを」って、俺を限定しなくていいんだって。 「ああなんて美しいのかしら男の友情って!」 目尻に光る涙をスカーフで拭いながら、うんうんと朱堂が感動している。ってすどりん、俺とタイゾーちゃんは普通に友情扱いなのに、俺と皆守だとなんで違う方に解釈するんだよ! 「なんか、いまいち誤解は解けてないみたいだけど……とりあえず、ハッピーエンドかな」 まあいいかと皆守を見ると、彼はジッポーをいじりながら眠そうな目を上げた。 「墓地を練り歩くか?」 「謹んで辞退させていただきます」 お互いに肩をすくめ合って、四人で寮への帰路を踏んだ。 「悪かったな皆守、こんな遅い時間まで」 こっそり戻った寮の部屋の前で、九龍は声を潜めて笑ってみせた。額を押さえるゴーグルを外し、鍵を取り出してノブをつかむ。そのまま、じゃあまた明日な、と言いかけて。 「お前、本当に身体は大丈夫なのか」 振り向くと、皆守の半眼が首筋を見ていることに気づいた。既に血は固まっているし痛みもなく、麻痺も綺麗に治っている。 「ん、大丈夫大丈夫。皆守の愛情治療でばっちりだよん」 ふざけたつもりだったが、皆守は笑いも突っ込みもしなかった。ただ、静かに九龍を映す薄茶色の瞳。どこを見ているのか、何を考えているのか、何も読めない乾いた虹彩。 「……どした?」 思わず、訝しげに声をかけた。それを制するように皆守の手が伸びて、指で傷口をなぞり上げた。不意打ちに立ちすくむ九龍の視界から、ゆっくり外れる彼の顔。指先が撫でたその場所に、ふわりとかかるラベンダーの吐息―――。 「うわ!」 声を上げた九龍は、反射的に飛びのいて逃げた。ごん、と壁にぶつかった。ぎこちなく開いた距離が、妙な沈黙を連れてくる。―――今。 傷の上に、キスされそうになった。 「……」 絶句したまま固まっている九龍を、皆守は視線だけで追いかけた。ふいにそらした冷たい目は、まるで何事もなかったかのように。 「……ちゃんと手当てしろよ」 それだけ残して、部屋に入る。少々乱暴にドアを閉めると、隣室はそれきり静かになった。 「な……なんなんだ、あいつは」 呆然としながら、九龍は心からの疑問を口にする。触れられた傷口が、かすかな熱を帯び始めていた。 ……何をやってるんだ、俺は。 自分の部屋に戻った皆守は、扉にもたれて天井を仰いでいた。 気がつけば、手を伸ばしていた。何故か、そういう気になった。衝動的に覚えた体温に、無防備に晒されたその脈に、もう一度同じ場所で、同じように触れたくなったのだ。 目を閉じると、舌に鉄の味が蘇る。無意識に、それを反芻する。―――馬鹿馬鹿しい。 苛々と髪をかき乱して、皆守は内側に渦巻く感情を自ら否定した。アロマに火をつけようとするが、ジッポーは火花を散らすだけだ。予備のオイルは使い切った。一週間前九龍に渡したオイル、あれの代わりはまだ手元にない。 「ちッ」 苛立ちのままパイプを噛むと、ジッポーと一緒にクッションへ投げた。電気を消してベッドに倒れ込み、布団を被って丸くなる。染みついていたラベンダーの香りだけでは物足りなかったが、それでもいいと皆守は思った。 大丈夫。こうしてまどろんでいるうちは何も変わらない、何か変わるはずもない。 物音は聞こえないはずの、けれど確実に感じる隣室の気配を追いながら、皆守は浅い眠りに堕ちていった。
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