木乃伊は暁に再生の夢を見る

6th. Discovery #1
時をかける少女










 中庭に差し込む月の光が、三人の影を浮かび上がらせていた。
 一人は、気を失って地面に倒れている生徒。一人はそれを見下ろしている、右目に眼帯をした生徒。もう一人は半ば暗闇に溶け、そのシルエットしかうかがい知ることができない。
「これで正しかったのか?」
 眼帯の生徒が、腰に木刀を収めて振り向いた。
「もちろんだ。この生徒は規則を犯そうとしていた。悪は罰せられなければならない。犯してからでは遅すぎるのだ」
 耳障りな声で、影が答える。黙り込んだ生徒に、嘲笑するかのような口調で。
「世の中を見ろ。誰かが殺められてからその加害者を処罰しても、死者は甦らない。戦争が起きてからそれを止めようとしても、失われたものは元には戻らない。起きてしまったことに対して何かをしようとして、それにどんな意味がある? 悪の芽は早いうちに摘まなければならない。《生徒会》や《執行委員》によってな。この學園は《生徒会》の崇高なる秩序によって管理されるべきなのだ」
 淡々と紡がれた言葉を受けて、秩序か、と生徒が呟いた。考え込むように顎に手をやる様子を見て、影が笑う。
「そういえばもう一人、悪の芽を発見した。3‐Cの葉佩九龍―――先月、この學園に来た《転校生》だ」
「葉佩だと?」
 少しだけ目を丸くして、生徒は空を仰いだ。
「《執行委員》を次々に倒しているという強者か。実は拙者も気にはなっていた」
「強者?」
 とんでもない、と馬鹿にしたような笑みで影が続ける。
「そいつは卑劣な罠を張り巡らせて《生徒会》の者を倒し、自分がこの學園を支配しようと目論む―――邪悪な意思を持つ者だ」
「なんと―――では、倒された《執行委員》は《転校生》の罠にはまったと?」
 くっ、と喉を鳴らして、生徒は眉を寄せた。木刀を握り締めた手が震える。
「正々堂々と戦わず、奸計を仕組み陥れるとは。《転校生》め……許さぬッ!」
「仇を討ちたいか?」
「無論だ。だが、手助けは無用」
 では我が力を、と言いかけた影の台詞を遮るように、生徒はきっぱり言い捨てる。
「拙者も武士の端くれ、正面から堂々と名乗りを上げ、堂々と勝負を挑み、見事堂々と打ち破ってくれる。《執行委員》の名に懸けて……な」
 木刀を構えて、生徒は笑った。よしんばその《転校生》が真の武士だったとしても、拙者の剣で斬れぬものはない。気合と共に木刀を振るい、月明かりに弧を描く。キン、と硬質な音。
「葉佩九龍……せいぜい首を洗って待っているがよい。拙者が引導を渡してくれる」
 それでは御免、と生徒は背を向けた。中庭に建てられていた石碑が、真っ二つに斬り裂かれていた。生徒を見送る影の姿が、ようやく闇から浮き上がるようにして明らかになる。
 黒いマントに、顔半分を覆う白い仮面。取り澄ましたような口元が、にやりと皮肉げな笑みを刻んで。
「……単純な奴だ」
 クククッ、と喉を鳴らす。
「《転校生》と《生徒会》―――どちらが倒れてくれても我にとっては好都合。學園の《幻影》がかりそめの影から這い出て、この學園を支配する日も近い」
 嘲笑する仮面をふと中庭の石碑に向けて、影は更に口角を上げた。木刀で斬り裂かれ、綺麗に分かれた断面。
「……凄まじい《力》よ。《転校生》と《生徒会》の戦いを見物させてもらうつもりだったが、どうやら《転校生》の命運もここで尽きることになりそうだな」
 呟いた影は、まァいい、とおもしろそうにひとりごちた。まァいい、そうなれば別の手を使うまでだ。この呪われた學園を覆う闇は、いたるところにある。
 もう一度笑った影の身体がふわりと浮いて、暗闇の中へ溶けてゆく。木刀の一閃で意識を失い、倒れていた生徒がそれを見る。呻きながら、かすかに開いた目で。
 『四番目の幻影』。
 學園に伝わる怪談を思い出しながら、また意識が遠のいてゆく。ファントム、と呟いた己の言葉を最後に、彼はゆっくり目を閉じた。





二〇〇四年十月二十二日





 寒い、と思って目が覚めた。
 気がつくとベッドの上で胎児のように丸くなって、自分の膝を抱え込んでいた。
「さ、さむ……」
 思わず口にして、九龍はますます身を縮める。布団はそれなりに暖かいのだが、いかんせん部屋の気温が低すぎる。
 いつもどおり遺跡探索アルバイトから帰ってきて、エアコンが壊れていることに気づいたのは昨日の深夜だった。どうやっても動かない頑固な家電に根を上げて、まあまだ十月だし、それにここ北国じゃなくて東京新宿だし、と軽視したのが甘かった。折りしも関東地方にはこの秋一番の寒気が訪れていたようで、冷めかけた湯上がりの身体に夜の冷え込みは厳しく。
 こりゃ風邪ひいたかな、と九龍は咳払いして時計を見る。午前七時半前、そろそろ起きなければならない時間だ。喉痛いしちょっとぼんやりするけど、熱はなさそうだし大丈夫。
 それよりエアコンを稼動させないと、今夜も震えながら夜を明かすことになる。もしくは、代わりの暖房器具を借りることはできるだろうか。朝一で寮の管理人さんに言わなきゃ、半ばまどろみながら考えていると。
 ドアがノックされた。呼びかける声がした。え、と九龍は一気に覚醒した。
「九龍、起きてるか」
「……皆守?」
 布団に包まったまま、ドアの向こうに声をかけてみる。再度時間を確かめて、カーテン越しに窓の外を見て、夜の七時半じゃないよな、と確かめた。
 彼がこんなに朝早く、自分を起こしに来るのは二回目だと思われる。奇跡ってのはそう何度も起こらないはずなんだけど、九龍は呆然としながら起き上がった。ドアを開けるべく、布団を防寒具のように巻きつけたまま。
「よォ、……ってなんだよ、その格好は」
 扉の前にはちゃんと制服を着て、鞄を持った皆守が立っていた。眠そうな目は相変わらずだったが、九龍を見て顔をしかめてくる。
「まだ準備してないのか? 待っててやるから早く用意しろ」
 無遠慮に部屋に入り、勝手にベッドに座ってアロマに火をつける。え、何これ。今日は槍でも降るのか?
「お前、なんでこんな早起きしてんだよ」
 驚いている九龍を横目に、皆守は紫煙と一緒に大きなため息を吐き出した。
「下の階で二年が騒いでたんで、目が覚めたんだよ。まったく、寮の中で喧嘩なんてしやがって。外でやれってんだ」
「へえ……全然気がつかなかったけど、俺」
 あの皆守が目を覚ますくらいだ、よほど大きな騒音だったのだろう。きょとんとして言うと、皆守は眉を寄せて。
「お前、実は俺より寝汚いんじゃないか? こないだも蹴ったのに全然起きなかっただろ」
「起きただろ! ベッドから落とされて!」
「落とす前に一回蹴ってるんだよ」
「……そ、それは知らない……」
 おかしいなあと首をひねる九龍を、皆守はおもしろそうに見上げて。
「それよりほら、早く仕度しろ。せっかく早起きさせられたんだからな」
 そのままそこで待つつもりなのか、ごろりと壁にもたれかかる。へいへいと返事をして、九龍は包まっていた布団を放り投げた。……う、やっぱり寒い。
「……おい、お前ひょっとして具合が悪いのか?」
「え?」
 ジャージのジッパーに手をかけた九龍は、呼びかけられて振り向いた。立ち上がった皆守が、近づいて覗き込むようにしてくる。
「目がぼんやりしてる。声が少し変だ。熱は……ないみたいだな」
 額に手を当てて確かめられ、九龍はその仕草に苦笑した。お前、本当にオカンみたいだな。
「エアコンが壊れたみたいでさ。昨夜寒かっただろ、そのせいだよ多分。ああ大丈夫、休むほどじゃないし」
 心配そうな顔の皆守に笑いかけて、ジャージの上を脱ぐとくしゃみが出た。下に着ていた半袖Tシャツだけではさすがに寒く、手早く制服に着替えてゆく。ちょっと情けないな、体調管理のできない《宝探し屋》って。
「……無理はするなよ」
「おう」
 言って、皆守はまたベッドに戻った。置いてあったぬいぐるみを無造作に持ち上げて、そういえば何だこれはと聞いてくる。
「ああそれ、リカちゃんにもらったんだ。手作り遮光器土偶ぬいぐるみ」
「は?」
 妙なものを見る目つきでしばらくそれを眺めると、皆守の視線はベッドの横、ファラオの胸像に移動した。そして机の上に置きっ放しの銃、大剣、護符、コウモリの翼、カレー鍋を順に眺めて。
「……お前の部屋はある意味博物館だな」
「《宝探し屋》だからね!」
「褒めたわけじゃない」
 どういう意味だ、九龍はむっとして皆守を振り返った。眠そうな目が、今度は九龍に向けられている。なんだか、凝視されているような気もする。いたたまれなくなった九龍は、知らず彼に背を向けた。……普通男の着替えなんて、見てもあんまり楽しいもんじゃないと思うんだけど。
 シャツを羽織って、ふと思い当たって納得した。いつだったか遺跡帰りで初めて風呂が一緒になったとき、傷痕だらけの身体を指摘されたのだ。ああこれ男の勲章ね、と笑っておいたのだが、皆守にはどうもそれが気になるらしい。《宝探し屋》なんだから、そんな珍しくもなんともないのに。
 思えば、父の身体も同じように傷痕だらけだった。これはメキシコで、これはインドで、話してくれる想い出はまるで英雄譚のようで、幼い九龍は目を輝かせて聞いていた。彼に刻まれた彼の歴史だと思った。……もしかして、皆守もそれが聞きたいとか? いや待て、まさか。
 学ランに袖を通し、は、と降って湧いた疑惑に戦慄する。
 一週間前、肥後との戦いの後。部屋の前で未遂に終わったあれは、やはりキスしようとした結果だったのだろうか。ってことは、今じっと見られてるのは……いやいや、皆守にそういう趣味はないはずだし、すどりんと同類だったなんてこと俺は知らない認めない!
 あの日から別段変わりもなく、彼もそのことについて何も話さなかったので、特に意味はなかったのだろうと半ば忘れていた九龍である。冷静に考えたらおかしいよな、普通友達の首にキスしようなんて思わないよな。でもその前に蛇の毒を取り除いてくれたあれも言ってみればキスみたいなもんだったから、別に今更といえば今更―――って受け入れてどうする!
「……何百面相してんだよ」
「へ、いやその、みみ皆守ってば俺のことじっと見つめちゃってなんだよそんなにイイ男かよ九龍照れちゃ、うぐ」
 ごふ、と語尾が詰まってくぐもった。例のごとく飛んできた皆守の長い足が、見事九龍の腹にヒットしたのだった。
「……馬鹿なこと言ってないで、早くしろ」
「り、りょーかい……」
 うん、いつもどおりだよな。知らず九龍は安心して、その後ですぐ苦笑した。蹴られることで確認する友情か……身体張ってるね、もう。




 皆守と連れ立って登校すると、3‐Cはいつにも増してざわめきに包まれていた。また昨夜のテレビの話か、それとも新しい倶楽部でも発足されたのか。なんだか知らないけど朝から元気だ青少年たち。思いながら、九龍が自分の席についた途端。
「おッはよ〜ッ! ねえねえ聞いた?」
 早速、八千穂が息せきって話しかけてきた。体調はすっかり良くなったらしく、いつもどおりの元気のよさである。
「あのね、學園の敷地で謎の生物が目撃されたって話なんだけど」
「謎の生物? や、初耳」
 幽霊だとか異星人だとか話題にこと欠かない學園だな、と九龍は笑った。閉鎖された空間だけに、小さなことでも事件として何かしら盛り上がってしまうのだろう。
「なんでもその謎の生物はツチノコっていって、蛇に似た姿をしてるんだって」
「は? ツチノコ?」
 思わず頓狂な声を上げてしまったが、八千穂は気にせず話を続けた。ツチノコっていわゆる日本の未確認生物、UMAだよな?
「何日か前に、テニス部や他の運動部の部員が中庭で目撃して、捕まえようとしたんだけど逃げられちゃったみたいで。昨日も野球部の子が校庭でいきなり跳びかかられたらしいの。最初は墓地を飛んでいるコウモリか野良猫じゃないかと思ったらしいんだけど、よーく見てみたら足がないし頭が大きくて、まるでビール瓶みたいな生き物だったって!」
 なるほど、それはツチノコだという噂が広がるのも納得かな。そうは思いながら、九龍は半信半疑である。なにしろ、ここは新宿のど真ん中なのだ。
「実は、みんながこんなにツチノコで大騒ぎしてるのにはもう一つ理由があるんだ。うちの學園に『三番目のツチノコ』って怪談があってね」
「ああ……」
 そういえばと九龍は記憶を探る。《生徒会》と関係しているかもしれないと一通り調べた怪談だが、ツチノコがどう結びつくのか見当もつかず、あまり気にしていなかったのだ。
「ツチノコを捕まえた人は、なんでも願いがかなう―――だっけ」
「そうそう。そんなので願いがかなったら、誰も苦労しないと思うけど」
 ねえ、と八千穂は九龍と笑い合った。でもでも、と続けて。
「ツチノコって自体、すごく珍しいと思わない? ねェあたしたちで捕まえてみようよ、きっと世紀の大発見だよ? 一メートル以上ジャンプできる蛇に似た謎の生物なんて、見たことも聞いたこともないもん」
 どうやら願い云々よりも、彼女は純粋な好奇心で突き動かされているようだ。明日香ちゃんらしいねえと和みつつ、九龍は内心苦笑している。だって、ほら。それ以上に謎の生物、墓地の下にいっぱいいるじゃん。まああれを生物といえるかどうかは置いといてだな。
「あたし一人で捕まえに行くのは怖いけど、九龍クンが一緒なら心強いし! ね? 一緒に行こッ?」
 九龍の机に手をついて、八千穂はにっこり笑ってきた。かなりの至近距離に、ものすごく可愛らしい笑顔。皆守も八千穂には弱いが、九龍も別の理由で同等に弱いと思う。……ああ、可愛いなあもう。
「よっしゃ行くか、天香學園ツチノコ捕獲作戦!」
「おッ、やる気満々だね! そうこなくっちゃ!」
「……おい、九龍」
 盛り上がる二人に、背後から気だるそうな声がかかった。振り向かなくてもわかる、皆守だ。
「悪いことは言わないからやめておけ」
 机に組んだ両足を乗せて、呆れた目でこちらを見ている。早起きの弊害らしく、その半眼はいつにも増して眠そうだ。今頃気づいたのか、八千穂が驚いたような声を上げた。
「みッ、皆守クン! 今朝はどうしたの、すごく早くない?」
「朝っぱらから寮が騒がしかったんだよ。まったく、うるさくて寝てられやしない」
 髪をかき乱すようにして、皆守はぶっきらぼうに理由を告げる。
「そうなんだ、でも早起きできたからよかったじゃない。そうだ、皆守クンもあたしたちと一緒にツチノコ捕まえに行く?」
 そういう問題じゃないだろ、と小さく嘆息した皆守は、今度こそ盛大にため息をついた。
「何がツチノコを捕まえる? ―――だよ、あんなもん捕まえられるわけないだろ? やるだけ時間の無駄だ。俺だったらその分、昼寝でもするがな」
 なあ、と同意を求めるように言われた九龍は、反射的に頷こうとして咳込んだ。喉の痛みに顔をしかめて、昨夜の寒さを思い出す。
「ていうか昼寝もいいけどさ、今夜もエアコン直ってなかったら、お前の部屋で寝させてもらってもいいかな」
「……一緒に寝るか? ベッドから落ちても知らないぞ?」
「へ」
 言われた台詞に驚くと、皆守はからかうような笑みを浮かべていた。いや布団持参するし、部屋に入れてくれれば俺は床でいいんだけど。何が哀しくて男二人で一緒にシングルベッドなんだよ。
「大丈夫、落ちるとしたら俺じゃなくてお前だから」
「……ふん、俺より寝汚いくせに」
「とか言っちゃって、落ちそうになったら引っ張り上げてくれるんだろ?」
「誰がだ、蹴り落としてやる」
 思いがけない揶揄から始まった二人の口論を、八千穂はきょとんとして聞いていた。が、そんなことよりもツチノコで頭がいっぱいのようだ。
「ねえねえ、あんなもん捕まえられるわけがないって……皆守クンはツチノコ見たことあるの?」
「まッ、まァな」
 言いながら、即座に皆守の目が泳いだ。どうやら勢いで言ってしまった手前、後戻りできなくなったらしい。
「じゃ、どんな姿してた?」
「……ツチノコだろ?」
 詰問するような八千穂に押されて、皆守は渋々チョークを手にする。えーとそうだなと呟きながら、授業前でまだ綺麗な黒板の隅に、落書きでもするように。
「確か、こんな形だったか」
 彼が描き上げたのは、どう見ても鬼の姿をした子供だった。大の字のポーズに二本の角、三白眼に尖った牙、極めつけは額に「土」の字。……お前、なんだそりゃ。確かにある意味UMAには違いないけど。
「なんていってもツチノコ、っていうぐらいだからな。こういう子供の姿してたぜ?」
 言って、ご丁寧に「皆」に丸のサインを入れる。なかなか凶悪な面構えだろ、と得意そうに九龍を見て。……いや、だからなんだそりゃ。
「ぶ〜ッ、残念でしたッ!」
 両手で×を作った八千穂が、笑顔で大きく宣言した。
「ツチノコっていうのは、蛇みたいな形をしてるんだよ」
「蛇?」
「そう、こんな風に―――
 八千穂もチョークを手に、皆守ツチノコの隣に絵を描き上げた。大きな頭と小さな尻尾、つぶらな瞳に蛇の舌。やっちー作、とハートマークもつける。
「太くて短い胴体と、恐ろしい顔つき。これがツチノコの姿だよ」
 得意げに胸を張る八千穂に、九龍は苦笑を通り越してほのぼのとしてしまった。恐ろしい顔つき、ってどこがだよ明日香ちゃん。ぬいぐるみになりそうだってこれ。
「なんだよ、その不細工な生き物は」
「ひっど〜いッ!」
 切り捨てるように言う皆守だが、不細工具合は彼のツチノコもいい勝負だと思う。八千穂が頬を膨らませて反論して、くるりと九龍に矛先を向けた。
「九龍クン、あたしのツチノコ似てるよね?」
「いいや、ツチノコといえば俺の方が似てるだろ?」
「ええ?」
 ツチノコ絵勝負の判定は、どうやら九龍に委ねられたらしい。それはいいのだが、不細工と貶められた八千穂はともかく、何故皆守までそんなに凄んで迫る必要があるのか。同時に詰め寄られた九龍は、二人の迫力に後ずさってしまった。
 視線を受け止めながら、二つのツチノコを見比べる。うーん、どっちも似てないといえば似てないけど、あえて選ぶとしたらどう見ても。
「明日香ちゃんの方が似てるな」
 一応蛇だもんね。指差すと、八千穂はぱっと顔を輝かせた。
「だよね、もう九龍クンだ〜い好きッ!」
 そのまま抱きついてきそうな勢いで、八千穂はにこにこと九龍に笑いかけた。逆に皆守は黙り込んで、じろりと九龍を睨み上げる。……おい、たかが絵でそんなに怒るか?
「はあ……」
 笑顔を引きつらせた九龍の背後から、大きなため息が聞こえた。七瀬だった。
「古人曰く―――『絵画とは、作者の心と観る人の心との間に架けられた一つの橋である』その橋が頑丈な橋なのか脆い橋なのかは、お互いの関係次第だということですね」
「あ、おはよ月魅! ちょっと、どういう意味よ」
「おはようございます、いえ別に。深い意味はありません」
 唇を尖らせる八千穂に、七瀬はさらりと言ってのけた。それよりも、と咳払いをして。
「ツチノコの伝承を知っていますか?」
 彼女もこの騒ぎを気にしていたのか、それとも三人のツチノコ話を聞いていたのか、少し咎めるような口調で話し始めた。
 ツチノコとは《槌の子》であり、藁を打つ槌に似た姿をしていることから名づけられた。古事記にも別名の《ノヅチ》として記述があり、縄文時代の出土品からもツチノコのような造型が見受けられたという。伝承や目撃情報から見ても、ツチノコが架空の生物でない可能性は高いと考えられている。七瀬はそこまで言うと、一端間を置いて嘆息した。
「元々野に棲んでいるといわれたツチノコがこんな場所に現れるなんて……。きっと、文明の進歩と共に自然が失われ、棲むべき野を追われた結果かもしれません。もしそうだとしたら、私たち人間にも責任があるのではないでしょうか?」
 半ば独り言だったらしく、本を抱きしめてうつむいて。
「ツチノコだけのことではなく、なんとかしなくてはならない問題だと思います。この地上は人間だけのものではないはずなのに、悲しいことですね」
「責任か」
 呟いたのは皆守だった。皮肉げに七瀬を見て、アロマの紫煙を燻らせる。
「文明の進歩がもたらしたのは、迫害と破壊だけじゃないさ。高度な文明は俺たちに豊かな暮らしを与え、銀色の未来を見せてくれた。そういう上で生きている俺たちに、文明を非難する資格はないと思うがな」
「……お前って、時々文学的というか難しいというか……詩人だよな」
 口を挟んだ九龍に、ふん、と皆守が鼻を鳴らした。八千穂が七瀬をフォローするかのように割って入る。
「そこまで言わなくてもいいじゃない。月魅だって、文明の上に立つ人には責任があるって言っただけで、文明を否定したりなくなればいいなんて……」
「俺も一般論を言ったまでだ」
 反論を一言で遮って、皆守はゆっくりとアロマを吐き出した。そうやってラベンダーの香りをまとうと、どこかぎこちなくなった空気を和らげるような口調で。
「まァ、七瀬の考えとは違うがツチノコ探しに反対だという点においては同意見だな。UMAも異星人も、謎だからこそロマンがある。何でもかんでも白日の下に晒そうってのは、人間のエゴだと思うがな」
「そ……それはそうだけどさ」
「それに、今まで捕まっていないものが八千穂に捕まえられるとも思えない。諦めた方が賢明さ」
 それは言えてる。こっそり同意した九龍の耳に、チャイムの音が鳴り響く。お、と皆守が顔を上げた。
「せっかく早く登校したのに、授業に遅れたらシャレにならないぜ」
 一時限目は音楽だったな、という呟きを聞いて、八千穂も慌てて教科書を用意する。
「俺は先に音楽室に行ってるぞ。じゃあな」
「あ、待ってあたしも行くッ、九龍クンも早く行こッ。それじゃ月魅、また後で」
「じゃあ葉佩さん、私も行きますね」
「おう」
 七瀬が軽く会釈して、九龍も笑って手を振った。そのまま音楽の準備をするべく、自分の机に戻ったとき。
「どけ、女」
 扉のところにいた七瀬に、一人の男子生徒がぶつかりかけた。あッごめんなさいと一礼をして、七瀬は教室を出てゆく。なんかぞんざいな言い方をする野郎だな、と九龍はその生徒を見て、思わず目を見開いた。……え、生徒……だよな?
 黒い着物と、深い青の袴。左の腰には木刀を差し、素足に草履を履いている。白に近い色をした髪から覗く、右目の黒い眼帯。左目は落ち着いた光を湛えて、じっと九龍を見つめている。
 こ、これはいわゆる、日本では絶滅したと言われているサムライか? しかも、独眼流?
 絶句しながら彼を観察して、九龍は素直な感想を抱いた。椎名もかなりの改造ゴスロリ制服だったが、彼は制服すら着ていないのだ。確かに天香學園は服装に厳しくないとはいえ、いくらなんでもこの武士は逸脱しすぎではないだろうか。
「お初にお目にかかる」
 ぽかんと眺めていると、外見どおりの声と口調で彼が口を開いた。
「拙者、参之びいにお世話になっておる真里野剣介と申す」
 いや、普通に三年B組でわかるから。九龍はその徹底振りに突っ込みたくなった。まりや・けんすけ、武士を作って演じているわけではなく、どうもこれが素の姿らしい。
「つかぬことを聞くが、お主の名は?」
「は、葉佩九龍でござる」
 雰囲気に流されて侍口調が移ってしまった九龍だったが、真里野は気にした様子もなく口元に笑みを浮かべた。
「やはり、お主がそうか。噂によるとお主、随分と腕が立つそうだな?」
 噂ってどういう噂だ、俺はそんなに有名人なのか。一瞬呆れた九龍は、すぐにまさかと身構えた。
「その腕に敬意を表し、拙者も正々堂々と素性を明かして進ぜよう。剣道部の主将というのは世を忍ぶ仮の姿。拙者は《生徒会執行委員》―――お主がここまで戦ってきた者と同じ、《呪われし力》を与えられた者よ」
 微笑のまま、反応をうかがうように見つめる左目。どこか肌を刺す敵意に、やはりか、と九龍は真里野を見つめ返した。特に何か騒ぎを起こすわけでもなく、五人目の《執行委員》は真正面から《転校生》にぶつかってきた、というわけだ。
「同胞が倒されてゆくのを見て、お主と手合わせしたくここまで参った次第だ。どうだ、拙者とひと勝負してはもらえぬか?」
 そう言う瞳は相変わらず落ち着いていたが、だからこそ静かで冷たい光が獲物を捕らえ、飲み込もうとしている強さに見えた。へえ、と九龍は無意識に笑う。紛れもなく向けられた、あまりにもまっすぐな殺意。
「もちろん」
 即座に答えて、九龍はにっこり笑ってやった。躊躇も後ろめたさもなく、ただ降りかかる火の粉を払うためだけに戦えるのはありがたい。あの遺跡の扉を開くためにも、いずれは対峙しなければならない相手だ。避けられない戦いなら、堂々と受けて立つまで。
「ほう……なかなかの慧眼よ、手合わせせずとも拙者の腕を見抜くとはな。ますます遣り合ってみたくなったぞ」
「それは光栄」
 しばらく、真里野と見詰め合う。不敵な笑みを浮かべたまま、互いに相手を探っていると。
「どうしたの、葉佩君?」
 ふいに、教室に雛川が入ってきた。ちょうど扉のところにいた二人を見て、首を傾げて。
「おはよう、あなたはB組の子ね。真里野君だったかしら」
 張り詰めた糸を緩ませるような、そんな空気で雛川が問いかける。真里野は少し押し黙ると、改めて九龍に目を向けた。
「葉佩九龍よ、続きは後でだ。正々堂々とこのことは他言せぬよう。それでは、御免」
 言って、身を翻して教室を出てゆく。その背中を見送っていた雛川は、申し訳なさそうに九龍に向き直った。
「ごめんなさい、話の邪魔をしてしまったかしら?」
「いえ、そんなことないです」
「先生に気を遣わなくていいのよ、友達は大切なんだから」
 ふわりと微笑む雛川に、九龍はあいまいに笑い返しておく。と、友達だって真里野。吹き出すのを堪えていると、雛川がためらうように切り出した。
「あの……葉佩君、実はあなたにお願いがあって捜してたんだけど」
「あ、はい、なんでしょうか?」
 無邪気に促す九龍の人懐っこい笑顔から、雛川は少し視線を外して。
「その……今日の夜、先生の家に来てくれるかしら。ちょっと、学校じゃ話せない内容で……あなたの考えを聞かせてほしいの」
「え」
 さすがに驚いて、九龍は一瞬だけ躊躇した。まさか雛川にまで自分の正体がばれたとは思いたくないが、学校では話せない内容となるとその関係しか思いつかない。だが七瀬のように、悟られてしまうような要素は彼女には見せていないはずだ。経歴を調べ上げたという可能性もあるが、《ロゼッタ協会》がそんな漏洩を許すはずもなく。
「もちろんです、俺で相談に乗れることなら喜んで」
 内心の動揺を押し隠し、九龍は嬉々として頷いた。十八歳の健全男子らしく、女教師個人授業などとちらりと過ぎったありがちな単語は追い払っておく。
「ありがとう……葉佩君は、お菓子とか好き?」
「好きです!」
「じゃあ先生、スコーンを焼いて待ってるわね」
 正直に答えると、雛川の目が優しく細められた。菓子作りが得意だという椎名も、よくプリンや焼き菓子を差し入れしてくれている。特に甘いもの好きというわけでもないが、市販とは違う手作りの美味しさは格別で、大歓迎の九龍である。
「そうね、夜の七時くらい―――晩御飯を食べた後にでも」
「了解です、楽しみにしてます!」
 びし、と敬礼してみせた九龍に、雛川もようやく満面の笑顔を取り戻した。
「それじゃ、もう授業が始まるわ。音楽室に急ぎなさい」
「はい!」
 元気よく返事をして、九龍は教科書を手に教室を出た。早くも七時の焼き立てスコーンに思いを馳せながら。






→NEXT 6th. Discovery#2



20130517up


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