木乃伊は暁に再生の夢を見る

6th. Discovery #2










 ―――同刻、天香學園の一室で。
 浅いまどろみから、彼は目を覚ましていた。
「これは坊ちゃま、お目覚めでございますか?」
 すぐ近くから優しげな老人の声がして、ああ、と彼は答える。もう授業が始まる頃だ。どうやら、うたた寝をしていたらしい。
「今朝方屋敷にお戻りになられたときにお顔を拝見しましたが、随分とお疲れのご様子でございましたから。無理もございませんでしょう」
 気遣うように、老人が言う。確かに、疲れているのかもしれない。
「新しく来た《転校生》は、かなりのやり手のようですな?」
「うむ……」
 老人の声に、眉間を揉み解しながら彼は頷いた。
「よもや、《出雲》にまで足を踏み入れようとは……。まァいい、《転校生》がどれほどの才能を持っていようと、最下層の玄室までたどり着くことなどできはしない」
「さようですな」
 半ば独り言めいた呟きに、老人はすぐに相槌を打った。もちろんです、と言外に大きく肯定するような響き。彼は少し息を吐いて、目を閉じた。
「最近、よく夢を見るのだ。同じ夢を」
「夢……でございますか?」
「そうだ」
「夢は―――自分自身の無意識の問いに対する答えだといいます。その人の心の奥底に、押し込められた問いかけに対する……」
 老人の言葉が、うたうように部屋に響く。なるほど、と彼は小さく呟いて。
「人は、常に自問しながら生きている。この學園にいる生徒や教師たちも例外ではない。自分は何を学ぶべきなのか。自分は何を仕事とすべきなのか。自分は誰を友とすべきなのか。自分は―――自分はどこから来て、どこへ向かうべきなのか」
 わずか切った台詞の端に、彼は笑みを含ませる。
「その問いに対する答えが夢で得られるというのなら、それも悪くはない。人間は、まどろみの中で答えの得られる日を待っているのだ……」
 老人は、何も言わなかった。再び降りた沈黙の中、椅子にもたれてまどろんでいた、傍らの女生徒が身じろいだ。
「……起こしてしまったか?」
 問いかけには答えず、彼女は軽くあくびをして。
「何かあったんですの?」
「真里野が、葉佩九龍に接触した」
 簡潔に告げると、女生徒は少し驚いたようだった。
「真里野が? 今まで《執行委員》でありながら、《生徒会役員》の命令でも動かなかった者が、何故今頃になって……そういえば、数日前から様子がおかしかったわ。もしかして、何か関係が」
「自らの使命を思い出しただけかもしれん」
 考え込む女生徒を制して、余計な詮索はするな、と彼は威圧的な声で告げる。
「その答えはもうすぐ出る、《転校生》との戦いの中でな。真里野は、今までの者のようにはいかないだろう。あいつにはあの剣がある。《呪われし力》により、人を超越した剣の《力》がな」
 ふ、と彼は笑った。追って、女生徒も笑う。
「そうね……。今度も、《転校生》は《執行委員》の魔人を倒せるのか。それとも、真里野の《力》の前に散るのか。ゆっくりと、見物させてもらいましょう―――
 ふふふ、と笑んだ妖艶な声が、薄暗い部屋に余韻を残す。彼は少しだけ《墓》に思いを馳せて、ゆっくりとまた目を閉じた。




 昼休みを告げるチャイムの音に、九龍は睡魔から解放された。
「では、よく復習をしておくように」
 授業を終えて去る教師を目で追って、ぼんやりしたままあくびする。まだ少し、地面が揺れているような錯覚。耳に残る瓦礫の音。背後の壁。また、あの夢を見たらしい。
 忘れられない記憶が、夢として時折浮上するのは珍しいことではない。いまだ引きずっている過去でもないのだが、それだけ強烈に焼きついているということだろう。もしくは。
 似てるのかな、と九龍は思った。あの遺跡と、この學園の地下遺跡が。
 装飾や構造ではなく、なんとなく雰囲気に共通点がある気がする。具体的には言い表せないのだが、例えば―――そう。
 拒絶されている感覚だ。
 新しい扉を開けるたび、つまり遺跡の奥へと進むたびに、徐々に強くなってゆく澱のようなもの。罠や化人とはまた別の、どろどろと渦巻く負の感情に似た。
「……わ」
 ぼんやりと夢の残滓を考えていると、突然《H.A.N.T》がポケットの中で震えた。驚いた九龍は目を擦りながらメールを読んで、すぐさま教室を飛び出していた。
『今夜も寒い思いをして風邪をこじらせたくなかったらカレーパンを買ってこい』
 四時限目をサボってそのまま屋上にいるらしい、皆守からの指令だった。
 パシリ扱いが気になるが、皆守のことだ。カレーパンを貢がせれば部屋に入れてやってもいいだろうという、彼なりの理由付けなのかもしれない。そう思うと笑いが込み上げた。
 九龍にしてみれば、今日中に直るかどうかわからないエアコンである。直らなかったときのために、暖かい部屋での睡眠は確保しておきたい。カレーパンくらいお安い御用だ。
 相変わらず混んでいる売店だったが、争奪戦には無事勝利した。貢物を手に、九龍は咳払いをしながら屋上への階段を踏む。風邪はまだひき始めの段階とはいえ、喉の調子がいまいち優れない。
「よォ、葉佩」
 ふいに声をかけられて振り向くと、夕薙が立っていた。
「今授業が終わったのか。俺はどうも昨日から具合が悪くて、ちょうど今来たところでな。しかし、この騒ぎは何だ? 虫取り網やモップを持った生徒たちとすれ違ったが……」
「ああ……」
 話している間にも、網を持った生徒が下足箱へ走ってゆくのが見える。虫取り網はわかるけど、モップって武器かよ。力なく笑いながら、九龍は簡潔に説明した。
「えーと、なんでもツチノコを見た奴がいて、みんなそれを捕まえようとしてるみたい」
「……は?」
 顎を撫でて生徒を見送っていた夕薙は、思いっきり聞き返すようにして目を見開いた。
「おいおい、ここはどこだ? 未開のジャングルや秘境の奥地じゃないだろ、新宿だぞ? 塀に囲まれているとはいえ、東京のど真ん中だ。現代社会の象徴ともいえる場所で、この間の異星人騒動に続いてツチノコとはな……どうなってるんだ、この學園は」
 ため息混じりに頭をかいて、夕薙は眉を寄せている。ま、でもこうなると、それでこそ天香學園!って気もしてくるから不思議だよな。
「まさか葉佩、君も捜す気満々なのか?」
「ん? まあ、いたらおもしろいなーとは思うけど」
 疑いの眼差しに対し、九龍は笑って正直に告げた。夕薙は再度ため息を吐いて。
「ツチノコに限らず、世界中で目撃されたUMA―――未確認生物が発見された例はない。ネス湖のネッシーもプエルトリコのチュパカブラも、真相は不明なままだ。『不明』というのは『明らかになっていない』という意味だけでなく、『明らかにできない』という意味もあるだろう。つまり奇跡だの呪いだのと一緒で、UFOやUMAなども存在しないということさ。ツチノコなんているわけがない」
 きっぱりと否定する夕薙を、九龍は半ば感心しながら見つめた。確かに、彼の意見ももっともだろう。けれどそこはロマンを追い求める《宝探し屋》、肯定した方がおもしろいのではないかと思う九龍である。しっかし夕薙って、ホント根っからのリアリストなんだな。
「いずれにせよ、俺にはツチノコだの何だのより、大切なことがある」
 わずかに表情を翳らせて、夕薙は独り言のように言った。
「こうも身体の調子が悪いと、學園生活もままならないし不自由で仕方なくてな。まったく、歯がゆいことこの上ない。頑丈そうな身体をしていながら、情けない話さ」
 うつむいた夕薙は、どこか自嘲しているようにも見える。九龍はこの際、以前から思っていた疑問を訊いてみることにした。
「あのさ、気になってたんだけど……言いたくないならいいんだけど。夕薙って、どこが悪いんだ?」
「……」
 夕薙は答えず、ただ儚げにも見える微笑を浮かべただけだった。具体的には言えない、そんなに重い症状なのだろうか。それとも、答えられない類の病気なのだろうか。
「君は、どこか具合の悪いところはないか?」
 逆に尋ねられた質問に、九龍は笑顔で肯定してみせた。
「ああ、今日はちょっと風邪気味なんだけど、基本的には健康優良児」
「そうか、それはよかった」
 無邪気な九龍の様子に、夕薙は眩しそうに目を細める。
「強靭な精神力は、時として肉体をも凌駕する。俺は奇跡や呪いなど信じてはいないが、精神の意味というものを常に考えている。果たして人の精神によって、病を克服できるのか―――とかな」
 夕薙の言葉を聞いて、九龍は過去に思いを巡らせた。自分がここにいるのは、自分が今生きているのは、精神力のおかげなのかもしれないと思う。何度も何度も危険にさらされて、そのたびに這い寄る死の気配を退けてきた。それは生者として意識を保ち、強い自我を持っていたからこそだと。
「……できるんじゃないかな」
 無意識に呟くと、夕薙が少しだけ驚いたように目を丸くした。
「克服できるのか、じゃなくてさ。克服しよう、克服する、そういう意志を持つことから始めれば、きっと道は拓けると思う」
「……」
 夕薙は、黙って九龍を見つめていた。しばらくそうして瞳に閉じ込めた後、ふ、と顔をほころばせて。
「……ありがとう、優しいんだな君は」
「え? いや、そんなことないって」
 九龍を映した夕薙の目が、親しみを込めて細められた。彼の方がよほど優しい目をしていると九龍は思う。
「まァ、この辺は俺よりも瑞麗先生が詳しいだろう。何といっても臨床心理の―――ん?」
 視線を移した夕薙を追って、九龍も廊下の向こうの女生徒に気づいた。窓に手を添え、長い髪に包まれるようにして佇んでいる、白岐だ。
「あの方角だと、温室を見ているのか?」
 憂いを帯びた瞳は、何かに縫いとめられているように微動だにしない。ひとりごちた夕薙に気づいたのか、白岐は静かに窓から離れた。相変わらず低く囁くような声で、二人に声をかけてくる。
「……こんにちは。そこをどいてくれる?」
「あ、ごめん」
 通路を塞ぐような形になっていた九龍は、素直に廊下の隅に移動した。白岐が横目でちらりと一瞥する。
「この學園の闇に触れたはずなのに、無邪気なのね。それとも、自分が犯している禁忌の重要さに気づいていないだけ?」
 どう答えていいのかわからずに、九龍は黙ってその言葉を受け止めた。どうもやはり、彼女には嫌われているような気がする。不思議そうに九龍を見た夕薙は、改めて白岐に話しかけた。
「今窓の外を見ていただろう、白岐。何を見ていたんだ?」
「別に何も……。ただ、外を眺めていただけ」
「嘘を言うな、あの温室に何かあるのか? それとも―――温室の方角に」
 夕薙は笑みこそ浮かべているものの、詰問するような口調で問いかける。その強さに九龍の方がうろたえて、無言で事の成り行きを見守ってしまった。おいおい夕薙、お前白岐ちゃんのこと好きなんじゃなかったのか。もうちょっとこう、言い方ってのがあるだろ?
「……そういえば、あなたも《転校生》だったわね。《転校生》というのは、みんな好奇心が旺盛なのかしら?」
 またちらりと一瞥されて、九龍は思わず天を仰いだ。夕薙が肩をすくめる。
「《転校生》が新天地のことを知りたがるのは当然だろ? それより、まだ俺の質問に答えてないぜ。一体、そこの窓から何を見てたのか」
「ただ景色を―――そう答えたはずよ」
「そうかい、わかった。そういうことにしておこう」
「……話はそれだけ?」
 あくまで淡々と言葉を紡ぐ白岐に、夕薙は再度肩をすくめてみせた。それで納得したのかと思いきや、それじゃ私は行くわ、と歩き出した白岐の行く手を阻む。
「今度、晩飯でも一緒にどうだい?」
 誘う台詞だったが、どこか意味深な何かを含んだ挑戦にも聞こえた。白岐は無言で夕薙を見上げると、九龍に視線を移して。
「……葉佩さんが一緒なら、考えてあげてもいいわ」
「葉佩が?」
 夕薙は少し驚いた様子だったが、驚いたのは九龍もだ。え、このメンバーで晩飯? なんか俺、お邪魔じゃないのかな。
「どうかしら?」
 尋ねる白岐の目は静かで、何を考えているのかわからない。けれど基本的に誘われたら応えたい、来る者拒まずの性格である九龍は、白岐のような美人なら尚更だった。いや、たとえ嫌われてるとしてもね?
「いいよ、俺でよかったら」
 なんか今日はよく誘われる日だなと思いながら、にっこり笑って頷く。ふふ、と白岐の唇がかすかな笑みを刻んだように見えた。
「私も、葉佩さんとゆっくり話をしてみたかったわ」
 ……まさか、食事中にまで呪い云々責める話をされることはないだろう、と思いたい。
「それじゃ、さようなら」
 行って、白岐は去っていった。夕薙はそれ以上何か言うこともなく、ぼんやりそれを見送って。
「葉佩……前にも言ったが、この學園には謎が多いと思わないか?」
「……ああ」
 白岐の背中で、長い髪が揺れる。恐らく首から身体に巻きつけているのだろう、鎖の音が遠ざかる。
「生徒たちの間でまことしやかに囁かれている怪談。墓地や廃屋などの、學園という景色には不似合いな場所。一見無関係に思える全ての点は―――俺には、どれも一つの真実に繋がっているような気がしてならないのさ。そして俺の見たところ、白岐は何かを知っている。この學園に隠された何かをな……」
 言葉として口に出すことによって、それを確信するかのような独り言だった。
 夕薙は、そのために白岐に近づいているのだろうか。だとしたら、何故學園の秘密を知ろうとしているのか。単なる好奇心からなのか。
 疑問を抱きながらも、九龍は彼と別れて屋上へ向かった。




 風が次第に冷たくなっている、と九龍は思う。
 転校してきた九月下旬より、敷地内の樹木も葉を落としているような気がする。確実に冬に向かっている季節を感じ、吹き抜けた風に思わずくしゃみが出た。
「おい、大丈夫か?」
 給水塔の陰、いつもの場所にもたれていた皆守が言った。ずず、と鼻をすすりながら、九龍は彼にカレーパンを差し出して。
「飯食ったら、ちょっとルイ先生とこ行って薬もらってくる」
「そうしてくれ。俺にうつすなよ」
 眉を寄せた皆守に、返事代わりのくしゃみをした。
 彼の隣に座り、風邪のときはカレーが一番だと言う言葉に従って、九龍もカレーパンにかじりつく。しばらく互いに無言で食べていると、先に食べ終えたらしい皆守が、ジッポーを鳴らしてアロマに火をつけた。
「なァ、九龍」
 ゆっくりと流れる、ラベンダーの香り。空を見上げながら、呼びかけは独り言のように。
「こうして空を眺めてると、あの流れてゆく雲みたいに、この牢獄から脱け出して……遠い世界へ行ってみたいって気にはならないか?」
 九龍はカレーパンをほおばったまま、きょとんとして皆守を眺めた。視線は合わない。彼の目は空の青を映し、風に流れる雲を追い、そして、何も見てはいない。
「ただ風に身を任せて、あてもなく気ままに流れて……何のしがらみもなく、何者にも縛られず、好きなように生きてゆく。そんな風に人生を送れたらいいだろうな」
「……皆守?」
 続ける言葉が消え入りそうで、九龍は思わず声をかけていた。
 牢獄、と皆守は言った。全寮制のこの學園を、牢獄と例えるのは簡単だ。閉鎖された敷地、課せられる学業、妙なところで厳しい校則。自由に憧れるのは、今が自由な學園生活とは言いがたいからこそだろう。けれど。
 その奥底にはもっと、切実なものが揺れているように思えて。
「なんて顔してんだよ」
 九龍の視線に気づいて、振り向いた彼が笑う。
「俺はどこへも行かないさ。どこへも……な……」
 細められた目は、やはり何も見ていないような気がした。何故か胸が小さく痛んで、九龍は誤魔化すように頭を振って、込み上げてきた咳にむせた。おいおい大丈夫かと目を丸くした皆守が、まだ残っていた自分のコーヒーを差し出してくれる。
「あら皆守さんってば、間接キス?」
「……ふざける余裕があるなら返せ」
「もうもらっちゃったもんね」
 咳と痛みと淋しさを、九龍はコーヒーで一気に流し込んだ。苦味を噛み締めて、少しだけ自嘲する。
 転校してきて、一ヶ月。既に皆守は一番仲の良い友人であり、頼れる仲間でもある。憧れていた高校生活に欠かすことのできない、親友と呼びたい存在だ。それなのに。
 ―――自分は、彼のことを何も知らない。
「ほら、早めに保健室行って薬もらってこい」
 けほけほと軽い咳を繰り返している九龍の頭を、あやすように皆守が叩いた。きっと、聞いても教えてはくれないだろう。牢獄の意味を。遠く雲に焦がれる理由を。優しいくせに、気まぐれに触れてくるくせに、己の領域は頑なに守り通すのだろう。
 ずるい、と思った。何故そう思ったのか、九龍自身にもよく理解できなかった。体調が悪いせいか、心まで弱くなっていると思った。






→NEXT 6th. Discovery#3



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